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少しだけ時間は遡る。
イノスは単身でありながら、プラズマフリーゲートの最奥部まで既に到達していた。いや、現実には案内人がいたからこその到着である。
「こうして三人集まるのも久しいな」
と、口にする筋肉質の男。その隣には黒のドレスを身に纏う女。どちらもイノスの知り合いだ。いや、現実には少し違う。イノスではなく、彼がかつて持っていたもう一つの顔の元同志。
そして案内されたその一室で腰掛ける壮年の男。杖を片手に持っているところからイノスは老いたな、と率直な感想を述べた。壮年の男は自虐そうな笑みを浮かべ、
「そうですね。二年前よりは老けましたか。しかしそれはアナタも同じ事。二年前より随分と牙が抜けたようですね、コスティーツ」
「うるさい。その名前で呼ばれるのはもう清々している。オレの名前はコスティーツなんて名前じゃない。『イノス』だ。覚えておけクソ野郎」
「まぁ、別に構いません。ワタクシ達の計画はまもなく成就を迎えようとしている。コスティーツ、どうです? 今からでも遅くありません。こちら側に戻ってきては? アナタの実力は少なくともワタクシは買っている。相応の地位を用意しますが」
「そんなもの必要ない。それに端から断る事を分かっていて誘うのは止めてもらおうか」
目の前にいるこの男を許すつもりは全く無い。イノスにとっては親の仇といった関係ではないものの、それでも一番会いたくない男である。そこへ黒のドレスを着た女が口を挟んだ。
「相変わらずね、そんな面倒な事が好きだなんて。コスティーツは元々Nの完全な味方。今の貴方を味方する理由は一切無いはずよ」
「そうですね、ジャスツィア。それにフスティも。随分と無駄な事をしてしまったようで。しかし、念入りに準備しておく事はもう癖になっていましてね。念入りにしておきたいのですよ」
「アンタらしいな」
フスティと呼ばれた男が笑う。二年前は志を共にしたかつての同志。しかし今は仕える主を完全に変えて、道を違えた者同士。イノスにとっては少々面倒であったが、ここにいる全員はこの場で倒してしまわねばならないと判断するに至る人物ばかりだ。
しかし、壮年の男の顔色が変化した。すると、彼の後ろに映像が流れ出す。そこにはキョウヘイとアクロマがいた。壮年の男が声を発する。
「そこまでにしておきなさい、アクロマ。そこからはワタクシが説明しましょう」
少年がこちらに気付いたのだろう、イノスを呼ぶ。それに対して、軽い説明を含めて、
「よぉ、悪いなキョウヘイ。このクソ野郎と話し込んでた」
あざ笑うような口調で壮年の男がこう告げる。
「イノス、ですか。いい加減に本当のことを教えて差し上げたらどうです? 元プラズマ三団長が一人、“コスティーツ”」
その一言は完全に空気を変えてしまった。
◆
「コスティーツ? イノスさんが……元プラズマ団?」
キョウヘイは壮年の男の口にした言葉が信じられなかった。激しく動揺しているのは誰が見ても明白である。
「キョウヘイ!」
そこへハルトが姿を見せた。すぐさま彼の目線はモニター先の壮年の男へ向けられる。
「ゲーチス……それにフスティ、ジャスツィア。イノスさんまで」
「ハルトさん」
キョウヘイはハルトに真っ先に尋ねた。二年前の戦いに関与している彼ならコスティーツとイノスの関係を間違いなく知っているはずだと。同一人物でない事を祈って彼に問うた。
「イノスさんの正体はコスティーツなんですか?」
その不意な一言にハルトは一瞬僅かであるが動揺してしまった。キョウヘイ達にはイノスが味方であるという事実を少しでも強調するためにコスティーツの事は全員伏せていたはず。しかし、それが暴かれてしまった今、ハルトは真実を口にする事にした。
「あぁ、そうだよ。キョウヘイ、イノスさんとコスティーツは同一人物だ」
「どうしてですか!? どうしてあのイノスさんが……」
「落ち着くんだ。イノスさんがオレ達の味方なのは変わらない。そこだけは絶対に変わりはしない」
激しく動揺するキョウヘイを落ち着かせるようにハルトは大丈夫だ、と口にする。ここまで隠し続けていたことが返って裏目に出てしまったようだった。元々隠すと決めたキッカケはヒュウのプラズマ団へ向けて発された憎悪がキッカケだった。
憎悪を強く持つヒュウに恐らく下手なことは言えない。ならば、いっそ事実を隠しておいた方がいいかもしれないという結論にイノスと二年前運命を共にした者達は決定した。
しかし、それをあっという間に破壊していくゲーチスは相変わらずだ。ゲーチスは完全にハルトだけを見ている。いや、キョウヘイも見ているが、そこまで強い敵意は無いようだ。
『ハルト、久しぶりですね。二年ぶりですか。二年前は随分とお世話になりましたね』
「こちらこそ。今度は何を企んでいるんだ?」
『さあ、それに関してはこれからゆっくりと語るとしましょう。それにしてもアクロマ、アナタは純粋すぎる!』
「それはどうも、お褒めに預かり光栄です」
『褒めてなどいませんがね。我々のイッシュ征服という崇高な使命よりも個人の知的好奇心を優先させるなど言語道断! さて、では始めましょうか。二年ぶりの演説ですよ。光栄に思って拝聴しなさい』
ゲーチスは立ち上がり、そして語りだした。
『キュレムが秘めている真の力をプラズマ団の科学力・技術力で極限まで引き上げ、イッシュを氷漬けにします! 恐怖に支配されたイッシュの民とポケモンはプラズマ団の、いやワタクシの足元に平伏すのです』
更に彼の演説は続く。
『キュレムは虚無。とあるポケモンがレシラムとゼクロムに分裂した時の余り……ワタクシの欲望はイッシュの完全なる支配。そうです、キュレムという器にワタクシの欲望を注ぐのです』
『黙って聞いてれば色々好き勝手言ってるなゲーチス』
と、そこでとめに入ったのはイノスだった。なんとも嫌そうな表情をしているのがモニター越しでも一目瞭然だ。それに対して、ゲーチスはイノスに目線だけを向けると、
『演説中は黙って拝聴しなさい、とアナタには教育を施したはずでしたが? それすら聞けませんか。コスティーツ』
『あぁ。外道が育てたんだ。育った配下もまた外道だよ』
『それは自らの主君すらも外道だと言っているに他なりませんが』
『うるさい。お前にあの人を外道呼ばわりする資格は一切ありはしない』
激しく対立する二人。それを見てキョウヘイは改めてイノスという人物が分からなくなってきた。なぜ、三団長になったのか。なぜ、ここまでゲーチスを嫌悪しているのか。
それはきっとハルトでも全て理解していないだろう。文字通り本人だけが知るという事だろうか。だが、そこへ新たな乱入者が姿を見せた。
◆
「ゲーチス様、キュレムの搬送が完了しました」
そう言って姿を現したのはダークトリニティ。ゲーチス直属の配下である。ゲーチス以上に全身が黒く、髪は白とこれまた目立つ人物だが、イノスにとってはそれなりに見慣れている人物であるし、何よりも彼の発した一言が一番重要だった。
「キュレムの搬送? 何を企んでいやがる」
先ほどまで映っていた映像が消える。どうやら通信を切ったのだろう。ゲーチスがイノスを見て、口にした。
「それを裏切り者に話すつもりはありません。ダークトリニティ、ここは任せます」
「了解しました」
「いよいよワタクシがイッシュを完全に支配する素晴らしい時が来ました! フスティ、ジャスツィア行きますよ」
「はい、ゲーチス様」
「おうよ」
ゲーチスの後に続くようにフスティ、ジャスツィアが動き出した。イノスが阻止しようと動くが、目の前にダークトリニティが立ち塞がる。
「お前の相手はわたしだ」
「チィ……!」
ゲーチス達の姿が完全に見えなくなったそのタイミングでイノスの元に新たな乱入者が現れる。
「お前がダークトリニティだな」
ヒュウだった。彼が続けて口にする。
「ヒオウギで奪われたチョロネコの事、教えな」
「あぁ、それならこいつのことかもな」
ダークトリニティがヒュウの言葉に応じ、モンスターボールから出す。だが、目の前に現れたのはチョロネコではなくレパルダス。しかも激しく警戒心を見せ、今にも襲い掛かろうとしている。
「五年前、ヒオウギで奪ったポケモンだ。だからお前の言うポケモンはきっとそいつだろう。だが今はわたしの命令しか聞かない……それがモンスターボールに囚われたポケモンの運命だ!」
皮肉だな、とイノスはその時感じた。ヒュウも現れたレパルダスを見て激しく動揺している。しかし、怒りを持って、こう返した。
「ふざけるなよ、人のポケモンだぞ!」
「……やれやれ、ポケモンは哀れだな。モンスターボールに支配され、トレーナーの言いなり……ゲーチス様は野望のためポケモン解放をうたわれたが、二年前の作戦が成功ならば、実際に救われたポケモンも多かっただろう。このレパルダス……いや、お前にとってはチョロネコか。ボールから解き放たれれば、お前の元に戻っていたかもな」
ヒュウの戦意は完全に抜け落ちていた。いや、既に怒りすら見られない。やっとの思いで再会したチョロネコは完全にヒュウを敵と認識している。ヒュウにとってはそれはどれほど辛いのだろう。イノスには正直、理解したくても理解できなかった。
自分は引き離されたのではなく、引き離した側の人間だったのだからなおの事である。
だが、更に乱入者は増えていく。
「やっと追いついた!」
「間に合って良かった〜!」
「チェレン、それにベルか。助かった」
ダークトリニティは三人。そしてイノス達も三人。これで人数に関しては完全に五分五分だ。
「ゲーチス様の邪魔はさせない」
ダークトリニティが構える。イノス達三人もモンスターボールを構えた。ヒュウに語りかける。
「ヒュウ」
「イノスさん……オレ頭の中がグチャグチャで……どうしていいか分からない。やっと会えたのにこいつ、オレを睨みつけてる……なんでだよ……!」
肩を優しく叩いた。
「ダークトリニティは任せろ。ヒュウ、レパルダスと正面から向き合ってやれ。たとえバトルになっても、お前の思いをぶつけてやればいいんだ。それと」
「それと?」
「この一戦が終わったらお前に話しておくべき事がある。何、大丈夫だ。サクッと終わらせるから」
そう告げると、改めてダークトリニティへ向き直った。六人が全員緊張を保つ。
「アブソル!」
「キリキザン!」
「アギルダー!」
「出番だ、ダイケンキ!」
「お願い、ムーランド!」
「行け、シビルドン!」
三対三の戦いが幕を開ける。
◆
一方、通信の途絶えたキョウヘイとハルト、そしてアクロマの三人は文字通りその場に佇んでいた。
「搬送が終わった?」
キョウヘイの言葉にアクロマが続く。
「計画が最終段階に進んだという事ですね」
「最終段階。キュレムを使って何をするつもりなんだ、ゲーチスは」
「さぁ……正直わたくしにも分からない事はありますがこれだけは言えます。ろくでもない事に決まっている」
当然ですね、とハルトもキョウヘイも答えた。イノスとコスティーツの事はまた後でじっくりと話を聞けばいい。今はゲーチスを打倒する事にだけ頭を切り替える必要がある。キョウヘイはそう言い聞かせて完全にスイッチを切り替えた。
「アクロマさんは?」
「わたくしは外のプラズマ団に解散宣言を出します。一応ボスはわたくしですので、それくらいの権限はありますとも」
「なら任せます。アクロマさん、また会えたら」
「キョウヘイ、急ぐぞ!」
「はい!」
若き少年二人が走り去り、一室から姿を消したのを確認してから、アクロマは一人静かに呟く。
「計画は最終段階に入りました。果たして彼らに『アレ』を止める事は出来るのでしょうか。不安な面はありますが……大丈夫。彼らの持つ力は土壇場で更なる真価を発揮するはずだ。きっと勝ってくれるでしょう」
それは彼らの勝利を祈る懺悔の一言でもあった。