回想 1
昔の話をしよう。
◆
話を聞いた時は信憑性に欠けていたと今でも強く思っている。
ポケモンと言葉を交わす事の出来る人間なんているわけがない。そんな事を常に俺は考えていた。まぁ、別にそういう事が出来るのなら、それはそれで楽になるんだろうけどな。
「でも実際にこの『N』って人はそれを利用されたんだよね?」
「ん? まぁ、そうなるな。それにしてもプラズマ団ね。本当に面倒な組織があったもんだよ。壊滅してくれてこちらとしては清々してるけど」
と、俺は本心を口にする。そこは我が妹も同じなようで、そうだよねと力強く首を縦に振って同意を示してくれた。
「キョウヘイ、あんたそろそろ修練の時間じゃないの?」
「いっけね」
日課であるポケモンバトルの修練。最近隣町に越してきたとある人物の元に俺は幼馴染と共に通っている。道中は野生ポケモンの出る場所を通らないといけないが、それくらいできなくて修練なんて出来はしないと幼馴染と豪語し合っている。今ではついでに手紙も届けてくれないかとかまで町の人から言われてしまう始末だ。
そりゃ豪語した以上、やれないと悔しいので渋々大人たちのいいように使われているが、それを利用して修練をする事が出来ると考えればプラスに考える事が出来る。
しかし、それを快く思わない奴もいる。そう、今日もいつものように頬を膨らませ、不機嫌な素振りを見せ付ける我が妹メイだ。
「お兄ちゃんばっかりずるい! 私だってポケモン修行したいもん!」
「だって仕方ないだろ、お前はポケモン持ってないんだもの」
「お兄ちゃんだってそうじゃない! ポケモンなしで隣町まで押しかけてそれで無理にポケモン貰ったんでしょ! お兄ちゃんばかりずるいー!」
そう、メイが嫉妬を抱くのはこれもあるから。かつて俺は幼馴染に唆され、一緒にポケモンを持たずに隣町のサンギタウンのとある人物の元へ押しかけた。目的は勿論ポケモン修行のお願いなのだが、当然のことながらその人や親にこっぴどく叱られた。ただ、下手にこのままにするとまた同じ事をしでかすという事からポケモンをその日のうちに捕獲させてもらい、そのまま押しかける形で今ではほぼ毎日というペースでサンギタウンへ足を運んでいる。
要するにメイは俺や幼馴染と同じようにポケモンを持って、ポケモン修行をしたいのだ。まぁ、家じゃ俺のガーディが基本的にじゃれてくるから仕方ないと言えば仕方ないだろう。誰だって羨ましく思うし、何よりも憧れる。
「お兄ちゃん、サンギアイス買ってきて。そしたら今日は許したげる」
「分かったよ、可愛い妹のためにそのわがまま聞いてやる」
「言っておくけどお金は出さないわよ、キョウヘイ」
母親の強烈な一言が突き刺さる。今月のお小遣いは度重なるメイのお願いを聞いてやるために散財しているため、もう殆ど残っていない。正直サンギアイスすら買えるか微妙なところなのだ。
「そこを何とか頼むよ、母さん」
「駄目」
「いやホント。正直手持ちを考えて百円あれば足りるからさ」
「駄目ったら駄目。あんたメイを甘やかしすぎなんだから。少しは反省しなさい」
「メイに嫌われたら俺生きていく自信無いから!」
「なら生きなくていいじゃない」
「おい、何やってんだよキョウヘイ」
呆れるように別の声がかかる。ヒュウが呆れるように我が家に入ってきていた。
かなりまずい場面を見られたような気がする。恐る恐るであるが、聞いてみよう。
「あのヒュウサン?」
「どうしたよ」
「いつからいらっしゃいました?」
「んなもんいつも通り、お前ら兄妹のラブラブっぷり全開なところから」
「オーマイガッ!」
またか。またやってしまった。
これで今月何回目の失態なのだろうか。いや、メイが大事なんですよ。そのための交渉なんですよ。いや本当なんですよ。
なんて言ってもヒュウはそれを「はいはい、そうですかいそうですかい」と言って軽く聞き流す。助けてくれよ、我が親友。
「相変わらずだよなお前ら兄妹は」
と、サンギタウンに向かう道中でヒュウが口にする。ニヤニヤとしている辺り嫌味というか皮肉というかとにかく複雑な心境にさせられるのは言うまでもない。
「だって、大事な愛しの妹だから。あれくらいしないと」
「大事なのは理解できるがお前のアレは溺愛しすぎ。もうあれじゃね? お前ら結婚しちまえよ」
冗談のつもりなのだろう。俺とメイのラブラブっぷりはヒオウギシティでも有名だ。妹の我侭に健気に付き合う優しい兄というのが当初の印象だったが、現在では妹を愛しすぎる危ない兄、というのが俺の俗称でもある。
我が妹が大事なのだ。それくらいは甘んじて受けよう。それ以上にメイに嫌われたくないし。しかし、とヒュウは続けた。
「お前そのままでどうするんだよ。分かってるよな、この修行の本当の目的」
「あぁ、分かってるつもりだよ」
そう。一見すれば二人の若者が修行をするという普通の光景。しかし、その本質は自らを高めるための目的ではない。隣にいる幼馴染ヒュウは五年前に妹のチョロネコをプラズマ団なる組織に奪われた。
ポケモンを解放する、と勝手に口にし、ポケモンと本人の意志を完全に無視して行った行為に勿論ヒュウも抵抗したそうだが、その甲斐も虚しく、チョロネコは奪われたのである。以来ヒュウは力に固執するようになった。力さえあればあの時妹のチョロネコが奪われる事は無かったかもしれない、と。そして二年前、プラズマ団は壊滅した。しかし、チョロネコは帰ってこなかったそうだ。そんな時、サンギタウンにとある人物がやってきた。
アデク。このイッシュに住む者で彼の名を知らない者はいないだろう。イッシュ地方のポケモンリーグチャンピオンである。彼はチャンピオンの座を辞して、このサンギタウンに住まうようになったと聞きつけ、ヒュウは俺に提案してきたのだ。
一緒にアデクさんのところへ行かないか、と。今でこそ何を言っているんだと思うが、当時のヒュウの目つきはそれは恐ろしいものだった。その決意に押される形で俺達二人はサンギタウンへポケモンもなしに足を運んで、結果的にはアデクさんに怒られたが、弟子入りする事が出来た。ヒュウはヒュウで、もうじき旅に出ると口にしている。
勿論、その目的は妹のチョロネコを探す旅だそうだ。そして、それに俺も同伴する事は既に同意しているし、コレに関しては双方の親が了承している。下手に一人で行かせるよりは大勢で行った方がいいだろうという判断らしい。
「おぉ、来たか」
アデクさんはいつもの場所で待ってくれていた。胡坐を組み、俺達の到着を待っていたようだった。
「すいません遅れました」
「なぁに、問題ないさ。どうせいつものじゃれあいとやらで遅れたのだろう?」
「まぁ、そうなりますね……」
「では始めるとしようか。と、言いたいのだが今日はちょっとその前に話がある」
アデクさんの不意な一言に俺とヒュウは頭を傾げた。説明するより見せた方が早いと判断したのだろう、アデクさんは俺達について来なさいと口にした。
そこには一匹のポケモンが座っていた。足首には包帯が巻いてある。恐らくアデクさんが処置を施したのだろう。しかし橙色の鬣を持つ馬のポケモンなんて見た事がない。それを察したのだろうか、アデクさんが口火を切る。
「こやつは『ケルディオ』というポケモンらしい。イッシュ地方では滅多に見かけぬ非常に珍しいポケモンだ」
「そのケルディオがなぜここに?」
「うむ。どうやら足首を怪我してここに辿り着いてしまったようでな。わしが応急処置を施したのだ。何せポケモンセンターに行きたがらない。こうする他は仕方なかったのだ」
アデクさんの説明には矛盾が見えない。ケルディオはきっと各地を旅していて、その中で怪我をしたのだろう。そして野生ポケモンはポケモンセンターを知らない。警戒するのも無理は無い話だった。
「それでだな。このケルディオの面倒をお主達に任せようと思う」
唐突な一言だった。
結局一日では話は片付かなかった。何せケルディオは野生のポケモン。こちらには警戒心をむき出しにしている。何をしようとしても常に眼光を鋭くして、あらゆる施しを受けないと言わんばかりに拒絶しているのだ。
完全に難航していた。
「なぁ、どうするよ」
途方に暮れたのかヒュウがそんな言葉を口にした。警戒心が強すぎて何をしても受け入れてもらえないのだ。弱音が出てしまうのも無理はないだろう。
「とりあえず頑張るしかないな」
「お前本当に気楽だな」
「気楽だよ。ケルディオに比べればメイのわがままの方が正直大変さ」
笑っていたのだろうか。ヒュウはこちらを見ながら少し引いていたようで、絶句していた。
「どう見たってお前、メイの方がマシに見えるけどなオレからすれば」
「そりゃ普段生ぬるい要求しかしないところしか見てないもんな。お互い思春期だっていうのに未だお風呂一緒に入ろうだの、ベッドは一緒とか言うんだもん。毎日。嫌いにはなれないし嬉しいけどさ、流石に母さんが止めてるよ」
「いや、今オレすげぇ事聞いた気がする。ていうか何、お前ら完全に相思相愛じゃねぇかよ。どんだけ仲良いんだよ。マジでありえないから」
「だってそういう関係だし」
「一言で片付けていい問題じゃないだろ、明らかにそれは!」
そんなヒュウの言葉に後ろから小さく笑い声が聞こえた。後ろにいるのはケルディオだけだ。つまりそれは必然的に――
「え、笑ったの?」
「みたいだな。良かったじゃないか、キョウヘイ。お前と妹の痴話話もっと聞かせてやれよ。案外受けてるのかもな」
「いやいやいや。そういう理屈で納得いくわけないじゃないか。考えてみろよ、本来なら他人にだって聞かせる話じゃないんだぞ」
「だからこそ、じゃないのか? な、ケルディオ」
ケルディオはそれに対し、首を何度も縦に振った。完全に意気投合していやがる、こいつら。
はぁ、と小さくため息を吐くとケルディオに近づき、ケルディオと同じ目の高さまで背を屈めた。
「ケルディオ、俺と来るかい?」
ケルディオはそれに対して静かに頷いた。アデクさんから貰った空っぽのモンスターボールをケルディオに当てる。即座にその中に収まったケルディオ。
しかし、これ考えてみれば今後は事ある度にメイの話をしなければならない、という事だろうか。そう考えると頭を抱える問題だったというのは言うまでもないだろう。
◆
兄貴がポケモンを更に一匹連れて帰ってきた。
ケルディオ、と言うらしい。兄貴にそこまで懐いている様子ではなかった。じゃあなんでゲットしたのかと聞いたが、はぐらかされた。
別に構わない。いつも通りに聞き出してやるだけだ。しかし、私の家はこれで一層賑やかになった。ガーディにリオル、更にはケルディオと兄貴だけずるい。
なんで兄貴だけ。お兄ちゃんだけがポケモンを手に入れられるのか。そういえば明日は私の誕生日だっけか。いつも通りケーキをママは買うんだろう。
兄貴は兄貴で、サンギかヒオウギでプレゼントに見合うものを買うに違いない。そう考えると憂鬱だった。私だってポケモンが欲しい。
ポケモン達と一緒に旅がしたい。ポケモン達と一緒に知らないことをもっと知りたい。なのに、それらを一切認めてくれない周りが私にとっては憎い。
そんなことばかりを考えているとまずはこのストレスを解消しなければと考える。そうだ、もう寝てしまおう。兄貴にケルディオとの馴れ初めを聞くのは別に明日でも問題はない。寧ろ、変なプレゼントよりもそっちを聞かせてもらう方が私にとってはよっぽどプレゼントに近い。
いつも通り、聞いてみよう。
「お兄ちゃん、一緒に寝ようよ」
「ん? いいよ」
「メイ、いい加減にしなさい」
ママからげんこつを貰った。今月で既に十五回は喰らっている。
翌日。
昼食をとり終えたところで、ママが私に急にこんな事を言ってきた。
「メイ、そういやあんたにプレゼントの話をするのを忘れてたわ」
「?」
話をするのを忘れていた。それは一体どういう事なのだろうか。
思わず首を傾げてしまう。ママが続ける。
「今年のプレゼントは母さんから渡すもの無いからね」
「は!?」
ママのプレゼントは毎年予想が出来ないから楽しみだった。それが急に今年はありませんと来たのだ。しかも、誕生日当日になってから。いくらなんでも無茶苦茶だ。
思わず机を両手で強く叩いてしまったようで、その衝撃は嫌でもその場に居た全員に伝わる。悪い空気が流れ出した。しかし、ママは全然という感じでクスクスと小さく笑っている。何がおかしいのだろう。
「あくまで『母さんからは』よ。誰もプレゼントをあげないとは言ってないわ、メイ」
「じゃあ、誰が!? お兄ちゃんは当然くれるよね!?」
「当然だよ」
「そうね。キョウヘイのバカは必ずあげるでしょうね。でも母さんはメイをびっくりさせたいのよ」
「どういう事?」
さて、そろそろのはずだけど。とママが口にしたそのタイミングで家のチャイムが鳴った。
誰だろうと兄貴が玄関へ向かう。私も思わず気になってしまった。そこにいたのは赤い眼鏡をつけた女の人。
「えーっと、アナタがメイちゃんだよね?」
「え? あぁ、はいそうですけど」
「そっかぁ。いやヒオウギシティって遠いから大変だったんだよねぇ」
遠いから大変だった。まぁ、ここヒオウギシティはイッシュ地方の南西部に位置する街だ。その言葉は恐らく間違っていない。
「ていうかあなたは誰? なんで私の名前を知っていたの?」
「あ、そうか……初めまして! あたしはポケモン博士であるアララギ博士のところで助手をしているベルって言うの!」
「アララギ博士というとあのアララギ博士?」
と、兄貴が話に割り込んでくる。アララギ博士。イッシュ地方でポケモンの研究をしている研究者というのは以前聞いた事がある。
ママもその事を口にしていたくらいだから。でも、なんでまたそんな人がここに来たのだろうか。
「うん。その事なんだけどね」
そこからベルさんは私に全部話してくれた。私がポケモンを強く欲しがり、旅に出たがっている事。そして、アララギ博士もまたポケモンの分布調査のために図鑑完成の協力者を欲していた事。
なんでもママとアララギ博士は昔の友人だったらしく、久々に連絡を取り合い、私の誕生日にドッキリでポケモンをあの子にあげて、旅に出てもらおうと。これは兄貴も知らなかったようで、兄貴も驚いていた。
ていうかママとアララギ博士が知り合いだというのは知らなかった新事実でもある。いつ知り合ったんだろうか。
「そして、これがあなたのパートナーとなるポケモン達! 好きな子を一匹選んで!」
ベルさんは手に持っていたカプセルを開く。そこから三つのモンスターボールが姿を見せた。一つずつ説明してくれる。
くさへびポケモンのツタージャ。
ひぶたポケモンのポカブ。
ラッコポケモンのミジュマル。
私は迷う事無く、このポケモンを指差した。
「この子にします!」