第一章 始まりを告げる物語(3)
「ラルトス、影分身」
主人の指示を聞いたラルトスが無数の分身を生み出す。直後、無数にいるラルトスへイワークの尾が直撃した。しかし、その跡には何もない。
レペトゥスのイワークが襲ったのは文字通りラルトスの影武者である。先ほどから始まった戦闘。レペトゥスのイワークが猛攻を仕掛ける中、リースのラルトスは様々な手法を駆使して、その攻撃全てを避けている。流石に苛立ちは隠せないようで、舌を打つ様子も見えていた。
「さっきから避けてばかりじゃねぇか。ちっとは攻撃してこいよ」
レペトゥスが挑発するようにリースへ問いかける。しかし、彼は肩を竦めると、
「一方的に攻撃されていて、反撃の糸口が掴めないんです」
「嘘つけ。こっちが猛攻してる割には楽そうじゃねぇの。イワーク、砂嵐だ! 影分身を全部振り払え!」
イワークの身体が回転し、砂塵が巻き起こる。その砂塵がラルトスの影分身を次々と消していき、残りは本体だけとなる。そこへすかさず、
「イワーク、捨て身タックル!」
「テレポートで回避!」
イワークの強烈なタックルが直撃する前にラルトスがテレポートでその一撃を避けてしまう。直後、イワークがラルトスのいた場所へ到達した。そしてラルトスが少しだけ遅れて、イワークの後ろへ姿を現す。
油断はしていない。それでも確実に言える事があるとするならば、イワークとラルトスのレベル差は間違いなく著しい。イワークは起き上がるとラルトスを威嚇するように咆哮する。
レペトゥスが皮肉るように口を開く。
「避ける事に長けてるね。いやホント。こりゃ参ったわ」
「そいつはどうも」
そんあ発言にもリースは流すように返答する。これくらいは慣れている、と言わんばかりに。
「胸糞悪い。無性に腹が立つ……こんな野郎相手にここまで梃子摺るなんざ名が泣くってもんだよ、オレのな!」
確かに彼の発言も全く頷けないという事は無い。ポケモンを戦わせる上で避ける、攻撃を当てる、といった何事にも置ける根本的な行動は実際、とても何よりも必要不可欠である。しかし、こうも避け続ける行動を続けられると苛立ちも込み上げるだろう。しかも、それが反撃のためでなく、明らかに避ける意図しかない場合。
言い換えてしまえば、ただの卑怯者の戦法と言ってもそこまで違いないだろう。
突然リースは毅然とこう言い放った。
「僕にとってポケモンは『友達』です。『仲間』であり、大切な『友達』です。だから傷付けたくはないんです。もしかすると人間の友達よりもポケモンの友達の方が僕にとっては大事なのかもしれない、と思う事だってありますから」
レペトゥスもこれにはふぅん、と少し思うところがあったようで、攻撃の手を緩めるとこんな言葉を返す。それは彼なりの本音だった。
「なるほどね。だから避け続けると。まぁ結局のところ偽善者だろ」
「偽善者?」
「そう、偽善者。偽りの正しい心を持つ者さ。確かにそういった思想は間違ってねぇし、あっていいものだと思う。だが、仲間や友達なんてもんは傷つけるためにあるもんじゃねぇよ。そういったもんは時に笑って、時に悲しんで、時に苦しみを分かち合う。そういったもんだよ。ポケモンバトルだって結局のところそういった部分があるもんさ。よくいるじゃねぇか。ポケモンを友達だの仲間だの言ってる奴。そういう奴はとっととポケモンバトルみたいな制度を潰せっての。そういう奴に限って意外と矛盾してるんだからな」
「僕もそう思った事は多いです」
「へぇ、そいつは意外だったわ。なるほど、勝利を捨てた戦いを好むのはそういう思想があるからなのかね。『友達』や『仲間』は傷つけるに値しないってか。まぁオレもダチなんかには手を掛けたりしねぇよ。したとしても滅茶苦茶胸糞悪くなるだけさ」
リースは何も答えない。そこまで答える義理は流石にない。レペトゥスは饒舌になったのだろうか、更に続ける。
「まぁ、オレ達は『支配者』だ。今のこの状況を思うならな。昔は人もポケモンも同じ位に大事だったらしい。いや、ここは共存関係とでも言っておくか。なのに今じゃポケモンは確実に人間よりも格下だと扱われてやがる。実質オレ達は支配してるんだよ、ポケモンをな。コイツを使って」
レペトゥスはそんな言葉と共に、モンスターボールを取り出す。確かにそうである。モンスターボールという兵器を用いる事で人はポケモンを支配している。それは結果的に間違いではないだろう。支配する者の命令には背けない。それが今の人間とポケモンの因果関係になるわけだ。
「人間はな、自分達じゃ何も出来ない弱すぎる生き物だ。人間の肉を食べる人間なんざ聞いた事もない。そういう意味じゃ全ての生物が自分と同じ種を食べる、なんてあまり聞かないだろ? ま、例外は勿論あるだろうけどよ」
食物連鎖。それが世界の理にして絶対の掟。全ての生物は循環するように食べ、食べられを連鎖する。そうする事によってバランスというものは保たれているのだ。
単純であるものの、深く気にしてしまえば、意外な事に気付けなくもないそんな話。
「確かにしないです。そもそも人間はどう抗おうとポケモンに拳では勝てませんし」
「だな。まぁ……中には例外もあるんだろうけどよ」
「まさか」
リースもそれには少し笑いながら答える。ポケモンに勝る人間がいればそれはそれで恐ろしい事だ。中にはポケモンの技を受けても耐えられる人間がいるらしいが、それはあくまで耐えられるだけであり、決して勝っているわけではない。
レペトゥスがイワークに指示を送る。
「そろそろ決着を着けてやる。楽しい雑談させてもらった例だ、一撃で終わらせてやるよ。イワーク!」
イワークが指示もなく、銀色に輝く尾をラルトスめがけて振り下ろす。イワークのアイアンテールだ。だがその一撃がラルトスに直撃する事は無かった。
なぜなら。
「さて、とりあえずどういう事か説明してもらいましょうか」
「見るからに物騒なのは言うまでもないよな」
イワークは他所から入った青い弾によって倒れる。
そこにいたのはヒカリとジュン、更にそれを発射したであろう犬のような頭に、人間のような体形をし、手の甲と胸にトゲのような角をそれぞれ生やした獣人のような姿をポケモンだ。
「なっ……!?」
予定外な人物の登場にレペトゥスも動揺を隠し切れない。しかし、リースはその登場を分かっていたように口元を緩ませた。
「どういう事だ……確か青空教室は……」
「えぇ。普通ならまだやってるわね。でも」
「お前みたいな野郎が現れた、と聞いて急いで駆けつけたわけだ」
一体そんな事を伝える隙がいつあったのだとレペトゥスは考える。だが、リースがこう口にした。
「あったじゃないですか。ほら、捨て身タックルしてきた時」
「捨て身タックル……。あの時か!」
あの時。ラルトスは少しだけ遅れてイワークの背後を取った。しかし、その『少しだけ』が重要だと今気付く。あの一瞬の隙でラルトスはヒカリやジュンに博士の危機を伝えたのだ。だが、全部を伝えるまでに至らなかった。ヒカリとジュンはその状況の中で、ナナカマド博士の危機とリースのSOSをなんとか知る事ができたのだろう。
そして、さっきまでリースの会話は全てレペトゥスの意識を少しでも奪い、集中させるため――
「時間稼ぎ……。ふざけやがって……」
「だってこうする事が一番の正攻法だと思いましたから。僕の勝利は貴方に博士を連れて行かせない事。それを考えるなら、これが最善だと思いまして」
「この野郎……」
レペトゥスが右の拳を強く握り締める。今までに無い腹立たしさがあったのは言うまでもない。ヒカリとジュン、そしてリース。三対一という劣勢に状況になり、確実に彼は勝てないだろう。
だが。
「全く、仕方ないですね」
そんな声と共に一人の男がレペトゥスの隣に現れた。男の傍らには黄色の身体に長い髭、額の赤い星、片手にスプーンを持つという特徴的なポケモンがいる。
そして肝心の男は黒のスーツにスラックス、白地のカッター。更に藍色のネクタイに緑色のフレーム眼鏡を身に着け、髪の毛は茶色く、綺麗に整えられ、黒色の目をしており、一つ間違えばどこにでもいそうな――そんな特徴をしていた。
「ペルタ……」
レペトゥスがその男の名と思わしき言葉を口にする。男、ペルタは笑みを零しながら辺りを一望する。突然現れた人物に緊張感は再び高まっていく。
「レペトゥス、これは計算外でしたね」
「うっせぇよ。全く、面倒な事になりやがったぜ」
「まぁ確かにそうですね……。どうしようもないですからここは撤退した方がいいかと」
さらり、とペルタがそんな言葉を口にする。勿論、そんな事をさせるわけにはいかないとヒカリとジュンが、
「そうはいかないわよ」
「お前らが何者か、聞かせてもらわないとな!」
「慌てる必要はありません。いずれ分かる事だ。そうですね、今回はそちらの勝ち、という事で。流石に貴方達ほどのトレーナーが二人も同時に現れては、こちらはどうしようもないですから」
「ではわたしからも質問させてもらおうかペルタとやら」
と、ここでナナカマドが口を挟んできた。ヒカリとジュンが何か言おうとするも、手を翳してそれを制止させる。それを見たペルタも静かに頷いた。了承の合図である。
「単刀直入に聞こう。お前達は一体何者だ?」
「いきなりそこから来ましたか。そうですね、今後はご親切にしていただくわけですから……言うべきか、言わざるべきか」
「言わねぇのが当たり前だろ」
と、レペトゥスが呆れるようにペルタへ言う。だが、ペルタはそれに肩を竦めて、
「まぁそうなんですけども。ですがここは名乗っておくのが筋かと思いまして」
「インヴェ団」
ペルタの反応に痺れを切らしたのか、レペトゥスがため息混じりに口にした。『インヴェ団』と。
「それがオレ達の名称さ」
そんなレペトゥスの一言で憑き物が落ちたのか、はたまた納得がいったのかは分からないが、ペルタは笑みを浮かべて、
「そうですそうです。それですよ。まぁ、今回は引かせていただきましょう。ではまたお会いする事があれば。ユンゲラー、テレポートです」
彼の言葉と共に二人と二匹が姿を消す。
すると、緊張の糸が解けたように博士とリースの元へ駆けるヒカリとジュン。一方のリースも腰が砕けたのか、その場へ座り込んでしまう。
最初の戦いは、ここに終わった。そう安堵したリースだった。