第一部 不攻の少年
第一章 始まりを告げる物語(2)
「忙しい中、わざわざすまんな」
 まず、そんな言葉をかけられた。ポケモンセンターに行ってバトルで傷ついたラルトスの傷を癒してもらい、その後リースはある場所へと向かった。
 その場所とは、マサゴタウンに聳えるナナカマド博士の研究所である。
 そして、今彼の前で椅子に腰を掛けている老人こそ、他ならぬナナカマド博士だ。ポケモンの進化の研究の大権威にして、かの有名なオーキド博士の先輩という事もあり、業界では知らない人はいない。この人物はリースの後ろにある椅子を手で指し示し、笑みを浮かべる。
 座って構わないよ、というジェスチャーである事は明白だ。リースもそれに甘んじて腰を掛ける。
「五年ぶり、というべきか。偶然鉢合わせしたとはいえ、またこうして会えるとは思わなかったよ」
「そ、そうですね」
 明らかに強張った少年の声色に博士は高らかに笑ってしまう。研究所内は現在ナナカマドとリースの二人だけ。他の研究員は青空教室の手伝いなどで皆、出払っていた。博士のリースに対する気遣いである事は言うまでもない。
「そこまでプレッシャーを感じることはない。まぁ確かに今は青空教室の真っ最中。一対一であるから、緊張するのも無理はないがね」
「そうですか……」
 コホンとナナカマドが一呼吸を置くと、彼は続けた。本題に入ろう、という暗示なのだろうというのは直感で理解できる。
「リース、噂には聞いているが君はポケモンバトルを拒んでいるらしいね。いや、厳密に言ってしまうとバトルは受けるが、『攻撃を仕掛けない』というべきか」
 いきなりこの少年の問題点に触れる。リースは渋い表情を浮かべ、黙するしかない。それはこの事柄が正しいという事への肯定だった。
「確かに、ポケモンバトルをスポーツの一環と感じる者はいるだろうし、それでない者もいる。だが、君はとても変わっている。普通なら、バトルすらしないのがこの場合の通例だ。しかし――」
 そこでナナカマドはリースの目をじっと見つめ、
「君はバトルを受ける。しかし攻撃を仕掛けることは一切しない。攻撃技すらを全部防衛に傾けている。こういう事はまずありえない。別に君が悪い、というわけではない。そこは勘違いしないでくれ」
「はい」
「だが、ヒカリ君の話によれば。彼女の言葉が真実ならば、きっと君には途方もない才能が眠っているのだろう。かつて史上最年少でこのシンオウ地方を制覇した『彼』を上回るほどの才能がね」
「そんな才能が眠っているとお思いですか? 博士は?」
 そんなリースの問いにナナカマドはただ一言、分からないなと返す。今の彼ではその全てを測定するには、文字通り分からないという事なのだろうかと思った。
 だが、と目の前の老人は語る。
「目に見えるもの全てが真実、というわけではない。『史上最弱』というコイキングでさえ、進化してしまえばあの凶悪ポケモンのギャラドスになる。そう考えれば目に見えないものも大きい。今ではコイキングがギャラドスに進化するのは当たり前だ。しかし、当時その真実を突き止めた人物は当然動揺しただろう。あんなに弱いコイキングが、こんな恐ろしいポケモンになるなんて想像もつかないとね。そう思ってしまえばコイキングも目に見えない才能を持ちえているのではないかと思えてしまう。すまんな、少し語ってしまった」
「いえ、大丈夫です。ある程度は理解できました」
 リースはそう、即答で応じる。ナナカマドもその反応を見て面食らったようで、
「そ、そうか。少々小難しい話をしたつもりだったのだが。いや失敬、君を見くびっているのは私も同じ……という事か。では話を戻そう」

「私は君にある事をお願いしようと思う。私が考えるに君が攻撃できないのは、もしかすると信念がないのではないか、と思ってね。それを僅かでも汲み取ってもらえればと思ったわけなのだよ」
 そう、それこそがナナカマド博士が彼を研究所へ招聘した最大の目的であった。才能云々は別として、ポケモンバトルを受けつつ一方で攻撃を仕掛けない少年が気になっていたのだ。だから、ここで一対一で話がしてみたかった。
 リースはそれに関してもこう切り返す。興味がないように。
「信念があっても無くてもきっと変わりませんよ」
「そうかね……。しかし、それでもお願いに関しては聞いていってくれると有難い。少しでも君の視野を広げてみてほしいからな」

 その矢先、こんな声が響いた。
「無理に決まってるだろ、そんな腰抜けに何ができるんだっての」
 その声に二人の視線が集中する。ナナカマド研究所の入口扉の壁にぴったりとくっついて腕を組みながら、口元でくちゃくちゃと言う音を鳴らし――やがて、中で噛んでいたであろうガムを吐き捨てた。背丈はリースと同じか少し大きい程度。黒のジーンズに赤の半袖シャツを身に着け、髪の毛はショートカットで尖がっており、着色は黒。目の色も真っ黒だ。
 そしてその人物はナナカマドの怒号が出る前に淡々と、慣れたような口調で話し始めた。
「初めましてだな、ナナカマド博士におまけのガキ。オレ達の研究のため、ついてきてもらおうかい。博士」
 目の前に突如として現れたその人物を前にリースは思考する。
 連れて行く、と口にしたが仮にそうするとして彼の目的は一体なんなのかを。勿論、それがすぐに分かるような苦労もしないだろう。
 しかしそんな考えを忘れさせるような強烈な怒号がリースの真後ろから響き渡った。
「お前は一体何者だ!? わたしの何が目的なのだ!?」
 そのあまりに強烈な迫力にリースも恐れるしかない。言葉を失っている。だが、目の前の少年は一切動じていないようで、それどころか面倒くさそうな面持ちである。
「噂通りにイチイチうるさい爺さんだな、こりゃ……。まぁいいさ、自己紹介程度はしておくかね。そんくらいしたところで別段文句も言われねぇだろ」
 彼は続ける。
「オレの名前はレペトゥス。これで十分か?」
 レペトゥス。それが目の前にいる男の名前。ナナカマドの目は依然として厳しいまま崩される事はない。そして博士が口を開いた。
「レペトゥスとやら、まずは聞いておきたい事がある」
「何だよ。言っておくがオレはオレ達の目的遂行のために行動しているに過ぎない。詳しい事は何一つとして聞かされてないから期待すんな」
「そうか。ではまず第一にわたしが必要とされる理由に関して聞こうか」
 そう、まずはそこであった。確かにこの人物を誘拐し、うまく利用さえすれば彼らには莫大な利益が入る事は違いない。しかし、レペトゥスはくすっと笑うと、
「残念だがそこに関して詳しい事は知らねぇ。まぁ聞くところによると……確認と再調査のため、みたいだが」
「確認に再調査だと? わたしが君達に合流する事で一体何が起こると言うのかね?」
「さぁ、知らんよ。まぁ知ってると言えば……五年前の事かな」
 そんな一言にナナカマドの眉が一段と鋭くなる。少年はその反応だけで理解したようで、

「ジムリーダーと四天王にアンタ達の間に何があったのかは詳しく知らねぇが、それでも主役の座は譲った。これがまずは第一かな」
「主役の座? 譲った? どういう事ですか……?」
 沈黙していたリースもこれには動揺せざる得ない。解答を期待してナナカマドの方へ顔を向けようとするが、それを遮るようにレペトゥスが、外野は引っ込んでろと一蹴するように言い放つ。当事者だけの問題に首を突っ込むなという事らしい。
 レペトゥスが壁から離れ歩き出す。歩幅、ペースそれらを一体乱す事無く一定の速度でゆっくりとナナカマドの元へ進んでいた。
 博士も流石に動揺するようで、くっと小さく漏らす。だが、突然リースが立ち上がり、レペトゥスの前に立ち塞がる。
 唐突すぎる行動にレペトゥスも驚かざる得ないが、一方で苛立ちは隠せなかった。
「おい、そこを退けよ。オレはガキの遊びに付き合っている暇はねぇ」
「いいじゃないですか。所詮はそのガキの抵抗なんですから。それに人攫いってちょっと思うところがあるんですよね」
「はぁ?」
 呆れるようなレペトゥスの声。目の前の少年は一体何を言っているのだろうか。そんな事を思う中、リースが続ける。
「人攫いは人を文字通り『攫う』じゃないですか。でもなんでわざわざ攫う必要があるんですかね? だって面倒じゃないですか。危険だし。聞きたい事があれば直に聞きに行く事だってできるはずでしょう?」
「そりゃそうだね」
「でしょ?」
「だがそれがまた無理な話なんだとよ」
「へぇ」
 リースが感心するように言う。だが、一方で勿論、疑問に思う事もある。
「なんでまたそれが無理なんです?」
「さぁ。そこんとこは知らねぇな。最も、あの爺さんを攫うならかのオーキド博士でも誘拐すりゃ絶対に効率はいいだろうに。わざわざ誘拐するくらいだ。もっと別の目的もあるんだろうぜ?」
「そうなんですか」
「さ、戯れはここまでだ。そこを退け」
「退きません。博士は連れて行かせません」
「……オレを倒す気か?」
 レペトゥスが警告するようにリースに圧力をかけて話す。リースは涼しい顔に加えて、無抑制な声でこう返した。
「勝つ気はないです。でも、連れては行かせない」
「本気なんだよな?」
「本気ですよ。貴方が考えを変えてくれるなら僕は嬉しいですが」
 それを聞いたレペトゥスは肩を竦めると、面倒そうな表情を浮かべて――
「舐められたもんだぜ。ならお望み通りぶっ飛ばしてやるか。大人の仕事の邪魔をしたらどうなるかっていうのを……はっきり教えてやるよ」
 そんな一言と共にレペトゥスがボールからポケモンを展開させる。全身が岩で出来た蛇のような姿をしたポケモン、イワークである。
 リースもまた、無言でラルトスをボールから繰り出す。
「ラルトスだけで止めようってか。舐められたもんだぜ」
「僕の相棒です。馬鹿にしないで下さい」
「相棒か。そりゃ悪かったね馬鹿にして。まぁ、偉そうに言うオレも今日はイワークだけで来ている。勝てなかったら潔く手を引こうじゃねぇか。だが」
 レペトゥスは口元を少し歪ませ、口にした。
 それがお前にできるのか、と。
「勿論、やってみせますよ。勝たずして引かせてみせます」
「なら見せてもらおうか。イワーク、いくぞ!」
「ラルトス、いくよ」
 その瞬間、ナナカマド研究所が戦場へと移り変わる事となる。

プラネット ( 2013/04/10(水) 23:37 )