7.Brave
「待ってください!」
リニアのコガネステーション前でやっと追いついた。二人があの部屋を出るまさにそのタイミングで目が覚めた私は、そのまま走っていった二人を尾行したのだ。状況は署内の喧騒の中から聞き取れた言葉だけで十分に判断できた。早朝のまだ暗い中、街灯の明かりしかない中にに走り出す二人を追うのは予想以上の体力を要したが、疲れたからと言って休みはしない。ユウマがさらわれたGTSターミナルに二人だけで乗り込むつもりなら止めなければ。あるいは――
「ヒナちゃん、来ちゃったの!?」
「私も……連れて行って下さい。ユウマさんが連れ去られたのに、黙って見ているなんてできません」
「ダメだ。帰れ」
私の言葉を一刀両断するような、ハルキの言葉が闇に響いた。私もチヒロさんも声を発さない。
「何のつもりだ。何が起こっているのか分かっているのか? さっさとコガネ署の仮眠室に戻れ。まだ5時だぞ」
「でも……でも……」
眼鏡越しの刺すような視線が痛い。でもここで引き下がることはどうしてもできなかった。
「私、このままずっと警察に世話になれないなんて分かってる。いつか出ていかなきゃ、あそこに戻らなきゃならない。でも、でも、このままだとただ迷惑をかけるだけかけて出ていくみたいで、嫌なんです」
「そ、そんな、迷惑だなんて。そんなこと言わないでよ。気に病む必要なんてないよ?」
うろたえるチヒロさんを一度見据え、首を横に振る。
「ダメなの。それじゃダメ。せめて何か、役に立ちたい。短い間だけでも私を置いてくれた、優しく迎えてくれた人たちに、何か報いたい」
「フフ、よく言った少女よ!」
突如として響き渡った声に、3人ともびくりとした。
次の瞬間には視界を閉ざす黒煙が、3人のいる通りを横断するかのように立ち込める。かと思えばそれは一時的なもので、晴れたところには一人の男がマタドガスを伴って立っていた。目元を隠す仮面、気取った貴族のような服装、流れる白髪。背はあまり高くはない。もしかしてこの人が――
「『煙の怪盗』! なぜこのタイミングで現れた!」
そう、煙の怪盗その人だった。
服装も気取っていれば口調も気取っている。少しの自己陶酔を含んだ声で、煙の怪盗は言葉を紡ぐ。
「いやなに、感動的なやり取りに足を止められてね、ついつい立ち聞きしてしまったのだよ。盗み聞きという形になってしまったことは謝罪しよう。――まあ、怪盗が会話を盗んだところで今更な話だがね」
「いやそうじゃなくて、どうしてここに? 私たちの足止めですか」
「フフ、鋭い指摘だ。だが彼らをかばうつもりは毛頭なくてね。むしろこちらから協力しようというのに、その冷たい態度はないだろう」
「……は?」
協力とは何のことか、という疑問が三人の頭をかすめる。それをよそに、彼はまた喋りだす。
「実はあのユウマという警官が連れ去られる現場も、ターミナルがジャックされた現場も、この目でしかと見届けた。信じるかどうかは君たちしだい」
「……なぜ見て見ぬふりをした」
ハルキの声には明らかに怒りが含まれている。見ていたのなら助けろ、と言いたいのだろう。
彼は手のひらを空に向けて肩を竦(すく)める。
「なぜわたしが商売敵である警官を救助する必要がある? わたしがあの場所の乗っ取りを阻害する義理がどこにある。いくら私が気まぐれな人間とはいえ、そんな偽善とも思える愚行に走りはしないさ」
「……」
ハルキが言葉を失う代わりに、チヒロさんが前に出た。
「その、見ていたのなら、より正確な情報をあなたは持っているはず。教えていただけますか」
彼はそれを聞き、「フフ、いいだろう」と笑って返した。
「まず君たちは、おそらく向こうの人数を正確には把握していないだろう。正確には、十五人だ。入り口に二人、一階に五人、二階に三人、そして地下に七人」
「地下だと? そんなものは聞いたことがない」
「監視カメラにも三階へ通じるワープパネルに乗っている様子が――あっ」
「気付いたようだね? GTSの職員しか入れない部分なのだよ、地下は。それに三階から地下まで通じる非常階段くらいああいう施設にはついている。お分かりかな? 見える情報に攪乱され、囚われの身の彼を危険にさらすところだったのだよ」
チヒロさんもハルキも、ただ閉口するだけ。言いくるめられた二人を鼻で笑うような様相を見せた煙の怪盗は、マタドガスに掴まって空中へ。
「あ、ちょっと!?」
チヒロさんの呼びかけを無視し、空中から言葉を投げる彼。
「私が先に入って彼らを攪乱しよう、頃合いを見計らって中を制圧するといい。ではこれにて――」
「あの、」
つい、咄嗟に、呼び止めてしまった。思えば私は彼と一言も交わしていない。なぜ呼び止めたのだろう?
答えを探すよりも早く、彼はこちらを向き、ちょっとだけ驚いたような様子を見せ、何事もなかったかのように「何かな? 華凛な少女よ」とお世辞を放ってきた。
そっちは無視する。だがこちらから返す言葉がどうしても見当たらない。最後には私は「何でもないです」と言って俯いてしまう。視界の端に飛んでいくマタドガスが見え、彼との会話のきっかけは断たれた。
呆気にとられるチヒロさんをよそに、ハルキがため息をつく。
「仕方ない。ここまで来てしまった以上、引き返させるのも問題だからな。ただしチヒロの側から離れないこと。それを条件に、同行を許そう」
自分の顔が自然とほころぶのが分かった。
「あ……ありがとうございます!」
「礼はいい。僕が先に中に入って、地下を制圧する。君たち二人は一階入り口で、逃げようとするやつらを動けなくさせてほしい。拘束は後でやる」
「りょ、了解しました」
「分かりました」
何でもないチヒロさんと私の返事が緊張感を増大させた。私は、ランターンの入ったボールをそっと握りしめた。