Fight
日付を数える余裕というものは、いつの間にか日射の熱に蒸発させられていた。
遮るものも何もないここでは、気温が40度を超えることなど毎日の習慣のようなもので、それは夜にぐんと気温が下がるのもまた同じ。太陽というものは非常に意地悪な性格をしていて、来ていれば照らす光で砂を焼くし、いなくなったらいなくなったで身に寒さを刺してくる。意地悪なんていうもんじゃないだろう。
ここは、そう、砂漠だ。
見渡す限りの砂と石と岩と、それと空、追加すれば昼に太陽、夜に月と星があるだけの世界。厳しいという一言で表してしまうには物足りない、そんな環境。適応できない者が生きていくことすら許さない場所だ。
ならばどうしてそんな所で日にちの概念を忘れるまでに生き延びているのかと問われれば、それは自分の種族の為せる業とでも言うべきか。体内に水を蓄えておくことで、しばらくの生存を可能にできるのだ。
自分の種族は、サボテンポケモンの「サボネア」だ。
そしてもうそろそろで水の蓄えが底をつくころだ。
どうしてこんな砂漠のど真ん中にポツリと残され、どこへたどり着くのかも分からないままに歩いているのか、それを物語るのは、人間も住まないような場所に唯一作られた人工物、「道路」だった。
**********
それこそ何日前になるか忘れた。まだ水の蓄えが今に比べれば十分すぎるほどにあった頃だ。
自分は気付いた時には人間の手の中にいた。目の前にいたのは帽子なるものを被った人間で、いわゆる「トレーナー」であることは疑いようもなかった。しかしながら、自分がタマゴから孵ったと気付いたころには、もうその人間は自分の前にはいなかった。
捨てられたのだ。
強さを求める人間に、素質がないと見込まれて。
それを聞かされたのは捨てられたのよりずっと後で、同じような経緯で捨てられたフカマルというポケモンからだったが、それはすなわち似た境遇にあるポケモンと出会うような場所なり機会なりがあったわけで、自分の場合は、こうして捨てられたポケモンたちを捕らえて売りさばくような商人の許で鉢合わせしたことが原因だった。
大した会話を交わしたわけでもないので思い切ってすっ飛ばしてしまうが、出荷される野菜のようにトラックの荷台にぎゅうぎゅう詰めにされた自分たちは、そのままどこかに運ばれる算段だったらしい。
しばらくエンジン音が響き渡っていたころ、荷台が急激に強い揺れに襲われた。中に詰められていたポケモンたちが、ポップコーンのように跳ねる。それは自分も同じだったが、幸いなことに、荷台の枠に掴まることに成功したのだ。上にかけられたカバーを繋いでおくヒモの間にはちょうど通れるくらいの隙間があり、これまた幸いなことに、脱出に成功した。成功してしまったのだ。
そしてこの結果がこれである。
砂漠のど真ん中に放り出されるという結末が、幸運なのかそれとも不運なのか、残念ながら判ずる手段を自分は持たない。
**********
かくして、自分がトラックの荷台に乗って進んできた道を、徒歩で行くこととなった。
途中、他の車が通りかかることもあった。しかしながら、こんな砂漠地帯など早々に通り過ぎるのが吉とばかりに速度を出しているせいで、自分のことになど気付く車など皆無であるし、ここが砂漠で自分がサボネアである以上、あまりにもその組み合わせが自然すぎて、仮に気付かれたとしてもスルーされるのがオチだ。だいたい、数歩歩いてやっと人間の一歩に相当するような短足では、一日に進める距離などたかが知れている。
というわけでこんなにも広々とした空間でまさに八方塞がりの状態になってしまった自分にも、そろそろ限界が来ようとしているらしかった。
石につまづく。いつもなら腕を前に出して体を支えるべきところなのだが、そんな気力もなく、道路に顔を打ち付ける結果となった。痛いし熱い。しかし、そんなリアクションを取るだけ体力の無駄というものであり、殺人的な日の光が焦げ臭い匂いに身をゆだねるしかなかった。
短い一生だったがここで終わりか――
そう諦めかけたそのときであった。
前方に、何か動くものの影が見えた。
その影がこちらに近づいてくることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
ゆらゆらと近づいてくるそれは人間であった。その様子の通り、かなり体力を消耗しているようで、今にも倒れそうな状態であることは見て明らかであった。
生き物を構成する成分には、少なくとも水が含まれている。
そして、人間におけるその割合は、かなり高い。
もちろんこの時こんなことを知っていたわけではないが、産まれた時から植えつけられている種族としての本能、すなわち「他の生き物から体液を吸えば生き延びられる」という誰から教えてもらったでもない知識は、動かなくなりかけた自分の体を動かすのには十分すぎると言えよう。
向こうもこちらを目視で確認し、そして似たようなことを考えたのか、やはりふらふらしながら、タンクトップとズボンだけを身に付けた細身な体をこちらに進ませてくる。こちらも向こうの姿をはっきり見える距離に近づき、やはりふらふらしながらその人間に近づいていく。
生き物としての生存本能に従い、互いが互いを摂取せんと、互いに拳を振り上げた。
まさか人間とポケモンのリアルファイトが、こんな砂漠のど真ん中で行われるとは、それこそ互いに思いもしなかったことだろう。
**********
「ぜえ……ぜえ……」
互いに体力がないのもあって、5発ほど打ち合ってどちらも倒れた。その人間の男はかなり長身であったにも関わらず、自分はその男の腹に1撃加えていた。しかし自分も男の拳を1発もろに食らってしまったのだが。
大の字になって寝転がるアスファルトの上に、両者の汗が落ちる。ただでさえ水分が少ない環境で、何をやっているのだろうか、自分は。それが馬鹿らしく思えて来て、自分はその場で笑い声を上げる。
男のほうも同じであった。
「なあお前、なかなかいいパンチ持ってるのな」
しばらくの後、笑うのをやめた男が、その体をゆっくりと起こす。こうして見ると、筋肉質の引き締まった体であることが分かった。見れば、その目はどういうわけか活き活きとしている。互いに拳を交える前はそれこそ死んだような目だったのに、これはどういうことなのだろうか。
無駄なことを考えるのも無駄だと思い、頭の中でその疑問を切り捨てる。それほどでもないさ、そんな意味を込めて腕を左右に振れば、男はまたからからと笑い、そしてこう切り出した。
「一つ提案がある。――お前、俺のところに来ないか?」
これは後から聞いたことなのだが、このとき男はわざと砂漠に入り、そのまま帰らないつもりだったらしい。
もちろんこれには訳があって、男はボクシングという競技の選手、ボクサーであったのだ。しかしながら、一人で砂漠に出て行く数日前に、素質がないとコーチにバッサリ切り捨てられ、それまでボクシング一筋だった男の心に深い傷をつけたのである。他に何もない、ボクシングだけが取り柄だった男にとってそれがどれだけ辛いことであったのかは、察するに余りある。
「殴られて目が覚めたっつーか、ほら、お前みたいなちっさいポケモンでもあれだけのパンチを打てるんだし、何つーか、こう……『負けてられねえ』みたいな心理が働いたんだろうな」
ちょうど通りがかった車を見て、男が大きく腕を上げ、親指を上に立てた。
**********
かくして、運良く砂漠のど真ん中でくたばることのなかった男と自分。
今は男はボクサーに復帰し、さまざまな大会に足を運んでいる。
そして自分は、特別に彼のセコンドと認められ、試合中の男をサポートする役目に付いていた。
ああして砂漠に出て、厳しい環境に耐えてきたことで、男の体はさらに屈強なものとなっていたという。自分もなんとなく強くなれたような気がする。なんとなくだが。
さまざまな特訓と苦難を乗り越え、男はリングの上へ。
対峙するのは、男をバッサリ切り捨てたコーチの、一番の自慢の弟子だとかで、しかしそれでも「いつも通り全力でやるだけさ」と笑って見せた。
ゴングの音が鳴る。