気ままに一筆
昔語りに花が咲き、酒飲み話に口滑る
 「あの件」について聞きたい?
 あんまし気は乗らねえが、まあいいだろ。話してやるから聞き漏らすんじゃねえぞ。

 まずは俺について話しておくか。
 俺は今年で29になった。俗に言うアラサーってやつさ。何の変哲もない一介のサラリーマンで、肩書は課長。出世が早いとかよく言われるが、めちゃめちゃな大企業ってわけでもねえからな。何より実力が認められるってのは誰だって嬉しいもんだろ?
 1年前に嫁も娶(めと)って、ヒウンのとあるマンションで暮らしている。独り身も良かったもんだが、結婚生活ってのも……っと、ノロケ話はやめとくか。なに、聞きたい? まああの話をするほうが先だからな。我慢してくれや。
 言い忘れてた、一応俺もいっぱしのトレーナーでもあるんだよ。メグロコが1匹だけだが。おっと勘違いすんなよ。勝負を生業にするような狭い意味のトレーナーじゃあなくて、「広義のトレーナー」ってのだ。俺らにとってのポケモンバトルは、どっちかっつーと趣味の範疇であったり、コミュニケーションの一環だったりする。だから大会とかでやってる試合に比べりゃお粗末なもんだ。
 まあ前置きはこれぐらいでいいだろ。
 ……おっと、「この順風満帆な男に悲劇が訪れるのであった」みたいな変な想像はやめてくれよ。縁起でもねえ。

 で、「あの件」の話だな。
 どんくらい前だったか……ああ確か、半年ぐらい前だったかな? まだ俺が昇進前で係長だったころ。まだ新婚気分も抜けきってねえ頃で……いかんいかん、脱線するとこだった。
 その日も何ら変わりねえ朝だった。ぎゃんぎゃん喚く目覚ましを止めて、食いもんをねだるメグロコに急かされて食卓に行って、嫁さんの作ってくれた朝めしを食って、会社に持ってく資料を鞄に収めて、スーツ着て靴履いて、メグロコをボールに入れて、いざ出社ってな。……おーい、長いからって遠い目すんじゃねえ。これでもだいぶ端折ったんだからな。例えば朝めしのときの俺たち夫婦の仲睦まじい……え、いいから話を先に進めろってか。へいへい分かりましたよっと。
 事件が起きたのはその出社の途中だよ。いつもと同じ海岸沿いの通りをいつもと同じように歩いてたさ。人ごみを縫いながらな。
 そん時だ。思いっきし人にぶつかった。
 あの時の俺が何に目をとられてたのかはもう覚えちゃいねえ。よそ見してた俺と、進行方向の逆から走ってきた誰かが正面衝突。勢いで負けた俺が後ろに倒れるのと同時に俺の鞄が開きやがった。仕事で使う資料やらが中に入ってたんだが、タイミング悪く吹いた風に煽られちまってな。資料っつっても印刷した紙を4.5枚ホチキスで止めてただけのもんだったから、まあバラバラにはならずに済んだのは良かったが、こりゃまた運の悪いことに飛んでいった方向が海。そのまま行けば入水してオジャンになるところだった。
 ぶつかった奴もトレーナーだったらしい。ただ眺めることしかできなかった俺とは打って変わって、とっさの判断でボールを投げれば中から鳥ポケモンのご登場。記憶が正しけりゃマメパトだ。飛んでく資料を追いかけて、華奢(きゃしゃ)な両足でがっちり掴んでくれた。水面スレスレだったな確か。ヒヤヒヤしたもんだ。

 ぶつかってきたのは帽子を被った少年だ。まだ小僧って呼んでもいい青二才。鞄やら帽子やらもわりと新しかったし、やたらオドオドしてたし、旅に出たばっかの新米ってとこだろうな。俺にも息子ができたら将来あんな風になるのかねえ……悪い悪い。やっぱ脱線しちまうな。
 マメパトをボールに戻してからそいつ、しつこいぐらい謝ってきた。まあおあいこだし、池ポチャならぬ海ポチャも回避してもらったし、寛大な心で許してやったさ。たしかチャオブーって種族名だったか。そいつが小僧の足元で服の裾を引っ張って急かしてやがった。主人を見習え主人を、ってツッコんでやりたかったのはよーく覚えてらあ。
 ジム戦に行くみたいなことを口走って足早に去っていった後ろ姿はまだ頼りねえ。だがよ、若さっていいもんだな。……なに、オッサン臭いだと!? 
 ふう……あいつを見てたらな、俺があいつぐらいの歳だったころを思い出しちまったんだ。俺もあの頃は純真無垢な夢見るトレーナーでな、トレーナー一筋で食っていけるとか、メグロコ一匹でどこまでも行けるとか思ってたのさ。おいこら笑うな。いいじゃねえか、まだガキだったのさ。で、調子に乗ってヒウンのジムに殴り込んで、あえなく返り討ち。思いっきし自信なくしちまって、チャンピオンだのポケモンマスターだのはすっぱり諦めた。情けねえ話だろ?
 ああ、そんなことボーっと考えてたら会社には遅刻しちまったぜ。……おい、ここ笑いどころだぞ?

 遅刻しちまった以外は、会社のほうもいつも通りさ。社長に頭を下げ、専務に注意され、部長に怒鳴られ、課長に嫌味を言われ、ヒラを励ます。昼休みには息抜きのバトルってな。昔トレーナーやってた分、俺もメグロコも強えぞ? 今度俺と戦ってみるか? ……あん? 俺の実力なんざどうでもいいからさっさと進めろってか。へいへい。
 仕事終わりにポケモンセンターに寄ってメグロコを回復させてやるってのもいつも通りなんだがな……その時にな、見つけちまったんだよ。朝っぱらから俺にぶつかってきたあの小僧、ポケセンの待合でうなだれてやがった。いやもうありえねえぐらいの落ち込みようでな、小僧の周りだけ雨が降ってるっつーか、どす黒い負のオーラを纏ってやがるっつーか、ともかくそのままだとゴーストポケモンにあの世へ連れてかれちまうんじゃねえかとさえ思った。
 さすがに放っとけねえから声かけてみたんだが、なんでもそいつ、ジム戦で惨敗したらしい。チャオブーとマメパトがいて負けんのかよって? 確かに相性はいいわな。まあそれは一旦置いといて、場所が場所だからってことで俺の馴染みの喫茶店まで連れてった。もちろんオゴってやったさ。まあオトナの対応ってやつでしょ。
 詳しく聞いてみたんだが、サンヨウとシッポウのジムはゴリ押しで制圧したらしいがヒウンのジムには通用しなかったんだとさ。むし使いのアーティっつったっけか? 俺の時とは違うジムリーダーだが、搦め手が得意なんだと。小僧いわく、トレーナーとして間違った命令を出したせいで圧倒的に不利になっただの、単純にポケモンを鍛えることをサボってただの、いやに自虐的になりやがって、終いにはめそめそ泣き出しやがった。男のくせに情けねえが、俺が泣かせたみたいになっちまったからな、人生の先輩としてアドバイスをくれてやったよ。たしかこんなだったか。

「お前、負けてどう思ったよ? 悔しくねえか? リベンジしてえって思わなかったか?
 俺も昔、トレーナー稼業で食っていくって夢見てた時期もあった。だが俺もここのジムに挑戦してあっけなく負けてな。それからはもう普通の人生さ。仕事仕事仕事。バトルなんて趣味みたいなもんに成り下がっちまうし、手持ちもペット同然になっちまう。俺の周りはみんなそうさ。夢を途中で放っぽり出して、普通の人間が通る広い道を楽して進むんだ。
 だがよ、例えばエリートトレーナーだとかジムリーダーだとかは、そういう広い道じゃあなくて、バトルを繰り返してひたすら勝ち進むっていう狭くて険しい道を進んでんだ。どうしてこんな差が出たんだと思うよ? それはな、心の強さだと俺は思うぞ。
 ああいう奴らはな、簡単にはへこたれねえ。ともかく、バトルにかける熱量が半端じゃねえんだ。クレイジーの域だぜ。それだけ、勝ちたいって願望を持って、その分だけ努力してきてんだ。生半可な覚悟で挑みゃ、返り討ちに遭うのは当然だろ。
 お前がこの先どうすんのかは知らねえが、簡単に折れちまうような薄っぺらい覚悟じゃ、強いトレーナーにはなれやしねえよ。俺のは勝手に折れちまって、今こうなってるんだ。お前の覚悟が強く分厚くなるかどうかはお前しだいってことだ。
 出世払いでオゴってやるから、名うてのトレーナーになったら返しに来いよ」

 だあもう、クサいセリフだってのは分かってるつーの!! 大爆笑じゃねーか! 何がそんなに面白えんだよ。箸が転んだわけでもあるまいし。
 ま、そいつも一応考えるところがあったっぽいし、俺も言いたいことは伝えたしな。まあただ……喫茶店に連れ込むところを買い物途中の嫁さんに見られてたらしく、同性愛者だの隠し子だのと妙な疑惑を持たれちまってな……。ああ、今はもう誤解は解けてるよ。なに、そのままにしとけば面白かったのに、だと? ふざけんなお前、あんな疑惑持たれてそのままにしとけるか! 人の不幸を楽しむんじゃねえ!

 本題はこっからだ。何日前か忘れたが、チャンピオンに勝って殿堂入りした少年がいるっつーニュースが流れたろ? もうちょっと前にリーグで城だのなんだのって騒ぎが起こったとき、それを解決した少年でもあるってことで、やけにちやほやされてたが。お、察しがいいな、そうさ。そいつこそ、俺が叱咤激励してやったあの小僧だったってわけさ。
 今だから落ち着いて話してられるが、見たときは相当ビビったんだぞ? 写真を新聞で見たが、やっぱ若人のイキイキしてる表情ってのは見てるほうもすがすがしいねえ。万歳するエンブオーと、すました顔のケンホロウも、あん時に比べりゃ、たくましくなったもんだ。
 ん、俺の叱咤激励のおかげだって言いたいのかって? ……馬鹿言え、殿堂入りまで果たせたのはあいつが頑張ったからだろ。俺はたまたま、あいつが立ち止まってところに出くわしたときに、ほんのちょっとだけ背中を押してやっただけさ。


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 で、だ。
 どうやら小僧、インタビューとやらでマスコミに俺の存在をバラしたらしい。礼を言いたいだの何だのと喋ってたが、別にそんなのいらねえし、みっともないから俺のほうから名乗り出たりはしてなかったんだが……。
 それがな、飲み屋で飲んでた時に、上みたいな話を酔った勢いで同僚に喋りまくってたらしい。で、その中の誰かからマスコミに伝わったらしくて、家なり会社なり、ともかく外に出るたびに記者どもに付きまとわれてんだ。
 ……助けてくれ。マジで。

 ま、まあこれで俺も一つ学習したってことか。
 「酒は飲んでも飲まれるな」ってな。


■筆者メッセージ
 書き始めてそれほどでもない頃に書き上げたもの。短編としては3つ目くらいだったでしょうか。実に……4年前……。
 企画とかそういうわけでもないのでフリーダムであります。
ポリゴ糖 ( 2018/03/25(日) 05:38 )