第八十一話:vsグラードン
雰囲気が変わった。
「ソーラービーム」も切り札の「リーフストーム」も防いでみせた。奴らに有効打は無い。攻撃の手段がなければ諦めるだろう、そんな甘い考えを持っていたわけではないが幾分か絶望に染まった顔を期待していた。
***
私には、いくつかの信念がある。
一つ、同族は殺さない。「ニンゲン」への殺意を躊躇することは無いが、同族を殺すことは決してしない。彼らは私なのだ。同じ痛みをおった同士に新たな傷を負わせるなんて残酷なことができるだろうか。……いや、できない。そんなことができるのは「ニンゲン」だけだ。私は慈悲深いポケモンではないが、それでも同族への痛みを理解できる心は持ち合わせている。
では、意思を違えた同族と相まみえた場合はどうするのか?野蛮な「ニンゲン」は少し考え方が違うだけで武器を持ち出し、戦争へと発展する。私は「ニンゲン」では無い。誇り高きポケモンとして、まずは対話を重視する。心と心を通いあわせれば、きっと私の崇高なる考えを理解してくれるだろう。もちろん、場合によっては私自身が考え方を変える必要が出てくるかもしれない。我々は「ニンゲン」ではない。考える脳を持っている。痛みを知っている。考えの相違を暴力を以て正すことのむごたらしさを知っている。だから、対話の場を設ければ必ず分かり合うことができるのだ。綺麗ごとのように聞こえるかもしれないが、真実なのだ。
分かっている。いくら誇り高いポケモンであったとしても、気の迷いや興奮状態、精神の病気に犯されたことによって一時的に対話が不可能となるケースが存在することは。あまり想像したくないケースだが、そういったポケモンは言葉を受け付けない。「聞く」能力を忘れているからだ。もちろんその能力はもともと持ち合わせていたわけだから、取り戻すことができる。もともと存在すらしていなかった「ニンゲン」とポケモンの大いに異なる点だ。若干、外部の助けを借りる必要が出てくることもあるだろう。負傷しなければならないかもしれない。暴走を食い止めために一時的に生命を停止させざるを得ない場合だってある。正常なポケモンの側から言わせてみれば、それは非常に手間のかかることだが、その努力を惜しんでいては「ニンゲン」に成り下がる可能性がごくわずかだが生まれてしまう。誇り高きポケモンのままでいたいのならば、忘れてはいけない精神論の一つと言えるだろう。
「戻れない場合はどうしたらいいのか?」
よくある問いだ。愚問だと私は言いたいが、近似的にそのようなケースが存在してしまうことがあるのは認めなくてはならない悲しいケースだ。「ニンゲン」は帰り道を喪失するが、ポケモンにそんな愚行はありえない。我々はいつだってやり直せる。理由は光り輝く精神が奥底に根付いているからに他ならない。しかし、ごくまれにやり直しに多大な時間を要する必要があるポケモンも存在する。方角を間違え続けた結果、正しい場所から途方もなく離れてしまった悲しいポケモンが存在するのだ。彼の残り生涯すべてをかければもちろん戻ることはできるし、私たちポケモンは気づくことさえできれば正しい方角へ進むことを厭わない精神を持ち合わせている。ただ、それは少し残酷だとも言えるだろう。これまでのポケ生を全否定し、正しい道へ戻った瞬間その生涯を終えるというのは、正義であるとしてもあまりに虚しい。そこまで理解できる心をもってして、彼らにその選択を強制させるほど私は冷たいポケモンではない。かける情けというものを知っている。
メアリー、チコにピカチュウ、それと吹っ飛んでいったブイゼルがどこかにいたな。____彼等とは「今は」話し合えない。残念だがそう直観してしまった以上は「諦めて」もらうしかない。その一心で彼らの攻撃を受け止め続けてきた。避けられるはずの「ソーラビーム」をすべてはじき返し、「水の波動」を薙ぎ払った。攻撃してきたものへの反撃のみに徹し、安らかに終えることのできる威力でねじ伏せた。
攻撃が通らないレベルで諦めてもらうとは思っていない。何かしらの突破口を探り続けるだろうし、逃走して次の機会をうかがうこともあるだろう。どちらも純粋なポケモンらしい正当な反応だ。
だが、どうだろう。攻撃も通らないうえ、相手の反撃を受けて自分は死に体。もちろん私はポケモンを殺さないので助かる術はある。あるものの、このまま動かなければやすらかに終えることができる状態で、あさましくもがいて生へとすがるだろうか。賢明なポケモンであれば選択肢はたった一つ。ここで自分の誤りを悟って終了する。
私は確信していたのだ。土煙が晴れたその瞬間、彼らの諦めた顔が見れるだろうと信じていた。これ以上、悲しい戦いを繰り広げることなく終わってくれることを期待していたのだ。
_______雰囲気が変わった。
メアリーとチコが最後まで食い下がってくることはまだ想像できた。彼女たちは誤ってこそいるが強固な意思を持っている。丁寧に折り続けなければ何度も伸びてしまう厄介な意思だ。万が一、諦めていないならそれは間違いなく彼女たちだと思っていた。
___あのピカチュウは、なんだ?
ついさっきまで取るに足らない小物だった彼から、今は奇妙なオーラを感じる。「気迫」と言えるほどの強さは無いが、背筋をぞっと撫でるような寒気のする嫌な気配だ。端的に言ってしまえば邪悪とも言える空気が彼の周りを渦巻いている。
……いけないな。私らしからぬ感情が働くとこだった。ゴミどもと同じ短絡的な思考が一瞬だけだが働いていた。
反省しなければならない。これくらいのズレは許容範囲だ。もっと心にゆとりをもって大きく構えていく必要があるだろう。
____なんせ、彼もまたポケモンなのだから。
***
飛び出してきたのは、メアリーだった。「でんこうせっか」の勢いでこちらへと迫ってくる。これまでのグラードンであれば、彼女の攻撃をツメではじき返していたことだろう。しかし、怪物は地面を蹴り、地ならしと共にその巨体からは想像もできないスピードで駆け出した。
「___!?」
予想外の行動と、地面の揺れに突進の勢いを殺されたメアリー。見上げた顔に影が落ちる。グラードンがその大きな歩幅で彼女をまたぎ、そのまま前方へと突進したのだ。
その先で、チコリータが太陽の光を自分の身へと集中させている。おおかた、「リーフストーム」で消耗したエネルギーを回復させているのだろう。もちろん、目的は怪物への第二撃。メアリーは彼女がエネルギーを貯め終わるまでの囮だ。だからこそ、グラードンは彼女を無視し、一直線にチコへと向かっていった。
チコの「リーフストーム」は確かに脅威だ。しかし、先ほどと同じ展開であれば防ぐことができる。弱体化している分、技に速度がないので十分対応に回れるのだ。だから本来ならば、何度でもチコに「リーフストーム」を撃ちこませすべて防ぎ切って屈服させる展開こそが怪物の理想だった。
しかし今、彼女に2発目の「リーフストーム」を撃たせるわけにはいかない。
チコとグラードンの距離が狭まる。鳴り響く地響きと、どんどん大きくなっていく怪物の像。接近に気づいているはずだが、チコは微動だにしない。神々しいオーラに包まれたまま、途切れることなく集中を続けている。
射程に入った瞬間に、反撃の隙も与えずに切り裂く。今のチコ相手なら十分に可能なはずだ。そこさえ通せば脅威はなくなる。
最適なタイミングを逃すわけにはいかない。そのためにグラードンはチコから視線を外さない。外さないが、もう一匹、警戒すべきポケモンがいる。
「アイアンテール!!」
______ピカチュウだ。鉄剣のごとく振るってくる尻尾をグラードンはツメで受け止める。当然、力ではこちらが勝っている。勢いそのままに右腕を薙ぎ払ってピカチュウを吹き飛ばした。
「____十万ボルト!!」
吹っ飛んだ方角。雷鳴が鳴り響き電光が走る。地面タイプの自分には効果のない行動。気にも止めずグラードンは止めていた足を踏みしめ、再度駆け出しの姿勢に入る。
____ッ。
踏みしめた地面が割れて砕け散った。グラードンの身体のサイズ、足の大きさと比較すればほとんど影響のない大きさ。無視してそのまま駆けだすことも可能。しかし、グラードンは足元の確認に時間を割いた。吹っ飛んだピカチュウの位置確認に一瞬だが気をとられた。
____直後グラードンの頭に光線が直撃する。「防壁」の前に光は掻き消えるが、ソーラービームの衝撃自体は消えない。その巨体は若干ながら体制を崩すも、発生源めがけてマッドショットを撃ちこむ。揺らぐ視界の中で緑色の小さな体が泥の塊をなんとかかわす様子が見える。「リーフストーム」までの猶予が若干できた。
体制を立て直す。
「___クソッ!」
再度右から攻めてくるピカチュウ。「十万ボルト」を散らすもグラードンに効果は無い。返しのツメ攻撃を「でんこうせっか」でかわし、再度「十万ボルト」。効果のない電撃技を放ち続けるのは目くらましのつもりだろうか。
グラードンは気づいていた。このピカチュウは足が遅い。通常速度では自分をかく乱できないから「十万ボルト」の雷光で目をくらまし、「でんこうせっか」でスピードを誤魔化している。怪物はその巨体に似合わないほど高速で動くことはできるが、距離を詰められた状態では動きが鈍る。確かに今のピカチュウの「でんこうせっか」にはついていけない。しかし、動きを見切ることはできる。
雷撃が怪物の目の前で踊る。白い光が瞬く視界の中で、黄色い影が直線を描く。ぎりぎり目で追えるほど高速な動きだが、____軌道は読める。
「____!!」
巨大なツメの軌道の異変に気付いたのか。ピカチュウは直線移動の軌道を無理やり変えるべく両足に雷のエネルギーを集中、ダッシュの途中で両足着地を決めると同時に爆散させた。爆風の衝撃で態勢を崩しつつもピカチュウの身体が浮き上がる。地面をえぐりながら進むツメをかわすための緊急回避_____だが、上回ったのは怪物だった。
「ゲフッ!?」
血しぶきをあげながらピカチュウの浮上スピードが増す。当然だ。グラードンがピカチュウをその右腕で切り飛ばしたのだ。確かな手ごたえ。血まみれになって上昇するピカチュウ____怪物はその体を起こし、顔を上げて彼に照準を合わせる。
直後発射された高速な泥の塊が、ピカチュウの身体を射抜いた。
____その瞬間、対象の身体が爆ぜ、目を指すような暴力的光量が怪物の頭を打った。
「____」
____「フラッシュ」か。考えをめぐらせるが、視界は白。してやられた。視力が一時的に失われ、その弊害で他の感覚が急激にマヒし始める。敵の位置、自分の位置、向いていた方角、踏みしめていた地面。全て混ざって倒壊し、怪物の動きが硬直する_____________それがあのピカチュウの目的だった。
「_____今だ!」
しかし、視力を失ったとしても、感覚が狂い始めたとしても、怪物は直感していたのだ。次の攻撃、相手側の目的を。
だから怪物はすぐさま足を後方へ抜き、頭を地面へと向かわせる。
そう、彼等の切り札はチコの「リーフストーム」。しかし普通に撃ってもグラードンの「防御態勢」に防がれる。だから動きを硬直させる必要があった。そのためのピカチュウであり、「フラッシュ」だ。
嫌な予感の正体が分かった。残念ながらその作戦は不発に終わる。「リーフストーム」を「防壁」で防ぎきれば、もう撹乱するピカチュウは存在しない。あとはゆっくりとチコに距離を詰めて「諦めさせる」だけ________
「_____なっ!?」
まさしくその瞬間だった。地面に弱点の腹部を密着させ、全方向の攻撃を「防壁」で防ぐことができる「防御形態」への移行が完了し、勝利を確信したその瞬間だった。
意味不明の衝撃。轟音と共に突然グラードンの腹部が爆裂した。_____何が起こった?「十万ボルト」でも「リーフストーム」でもなかった。シンプルな爆発攻撃_____爆裂のタネか。だが、いったい誰が?ピカチュウのはずがない、目くらましがあったといえ奴の動きは把握していた。タネを投げている素振りなどどこにもなかった。チコも同様だ。ずっと光合成をおこなっていたはずで_______
____メアリーか!
見落としていた伏兵。その存在を確認しようとしたとき、怪物は理解する。くらくらする視界のせいで見ることはできないが、膨大なエネルギーがチコに集積、荒れ狂う風の音が聞こえる_____切り札はすでに放たれていた。
爆風によって身体を起こし、今度こそがら空きになったグラードンの腹部を____
「リーフストーム!!!」
巻き起こる草木一つ一つが鋭い刃となって地面をえぐり、翡翠色に輝く暴風にのって怪物の腹へと突き刺さる。_______直撃だ。グラードンは地面を踏みしめ、攻撃を堪え続けるもその威力は凄まじく、足場を削りながら後退させられていく。風の勢いはなお増し、押しやられるグラードンは速度を増して後方の壁に激突する。もちろん壁は崩壊、崩れ去った岩々が怪物の頭へと降り注ぐ。しかし、「リーフストーム」は終わらない。神風は轟音と共に膨張し、爆散。怪物は背後の壁もろとも爆発に飲み込まれた。
***
「____はぁっ……!はぁっ……!」
全身を支配する疲労、脱力感。シンが怪物の気を引いている間、チコはただひたすらに「せいちょう」によってエネルギーを蓄えていた。加えてその体に負っていた深すぎるダメージ。チコリータという種族は自分の身体が傷つき倒れそうになると、秘められていた力を開放し通常時の何倍もの威力で技を撃つことができる。チコはまさしくその「瀕死寸前」の状態、自身の秘めたるエネルギーをあの瞬間に爆発させたのだ。あの「リーフストーム」こそ今の彼女が出せる最大火力。メアリーとシンの協力によってなんとか怪物に直撃させることのできた切り札だったのだ。
だからこそ彼女は、自分の現状を酷く恨んだ。
チコは弱体化していた。疲労やダメージが原因ではない。彼女には重い枷があった。いや、正確にはその大きなハンデを唯一感じていたのだろう。それは本来仕方のないことであるが、「もっと強かった自分」の像を持つ彼女には耐え難いことだった。
______ましてや今、怪物は自分の渾身の一撃をくらってもなお倒れていない。
それはつまり、「今の自分」ではどうあがいてもあの怪物を倒せないということを意味していた。
____作戦はこうだ。
シンとチコで怪物の気を引き、その間にメアリーが足元に爆裂のタネを仕掛ける。頃合いを見てシンが怪物の視点を頭上に誘導。「フラッシュ」で目くらましをさせて「完全防御形態」に移行させる。同時にメアリーが「スピードスター」で爆裂のタネを発火、たまらず体を起こしたところをチコの「リーフストーム」で狙い撃つ。
____つまり、すべて成功していたのだ。これが全部上手くいけば倒せる。メアリーもシンもそれを疑わなかった。彼女たちはチコの実力を信じていたのだ。
この作戦に二度目はない。シンはすでに瀕死の重傷を負ってしまっている。メアリーとチコだけではおそらく怪物のスキを再び作ることはできない。何より、すでにそんな余力は彼女に残っていなかった。
地響きが鳴り響く。グラードンがゆっくりと歩いてこっちにむかってくるのが分かる。足取りがゆっくりなのは、おそらくあの怪物自身も大きなダメージを負っているからだろう。しかしそれでも、すでに足腰に力が入らず今にでもその場にへたり込んでしまいそうな自分とは違う。
この状況、もう自分は助からないだろう。怪物に唯一有効打を与えられるのは現状自分のみ。怪物の気持ちになって考えれば、チコさえ仕留めれば「敗北」は無い。
だからメアリー、せめてあなたにだけは逃げてほしい。チコは今にも消えそうな意識の中でそう祈った。この場で動けるのはメアリーだけ。今の怪物の様子なら、メアリーを追うことはできないだろう。私に気をとられているそのうちに彼女だけでも逃げてほしい。可能なら、プクリル達に応援を呼んでグラードンを退けることができるかもしれない。そうすれば、あそこでくたばっているイブゼルとシンも助かるかもしれない。____望み薄だが。
自分の冒険がここで終わっても、メアリーならきっと、スタイナーと一緒にこの世界の危機を救ってくれる。________ひとつだけ気がかりなのは……やはりシンだ。結局、彼の正体を掴むことはできなかった。この戦いの活躍を見れば、さすがに彼が自分の敵ではないことくらい信じることができる。しかし_________
そこまで考えを巡らせていたところで、チコは違和感に気づいた。
あまりに怪物の動きが遅すぎる。ダメージを負っているとはいえ、さっきまでは歩けていたはずだ。もしかして、力尽きた?しかしそれなら、あの巨体を支えることができずに倒れ伏すはず。
怪物とチコの距離、おそらく怪物がその場から腕を伸ばせばチコに攻撃できてしまうほどの近さだった。その攻撃をチコはかわせない。自分の生殺与奪の権はすでに怪物の手に渡っていたはずだった。しかし、怪物は動かない。怯える自分の様子を見ていたいがために攻撃をしないのか。
「_____チコ!!」
メアリーがこちらに向かって駆けてくる。だめだ、と叫びたいがもう声が出ない。しかしこの場で最も力を残しているメアリーが近づいてくるというのになぜこの怪物は動こうとしないのか。確かにメアリーの攻撃で怪物を倒すことはできないが、「守る」が間に合ってしまえば今の怪物にそれを壊す手段はない。間違いなくここで勝負を決めた方がいいはずなのだ。
「_____!」
猶予ができたチコは、思考をめぐらし怪物の身体を観察してあることに気づいた。
_____痙攣している。怪物の大きなツメが小刻みに揺れている。右腕に焦点を当てればところどころ金色に煌めいている。……粉、いや、何かの破片だろうか。大きさにまとまりのない金色の破片がグラードンの右腕、そして腹部に多数くっついている。
……分からない、原因は分からないが怪物が「動かない」わけでは無く「動けない」ことが分かった。_______なら、まだ死を覚悟している場合じゃない。
「光合成」を試みる。生命力どころか技を扱うエネルギーもほぼなくなってしまった今ではこの技を行うこと自体難しいが、やるしかない。その時だった。
_______「みんな、大丈夫!?」
大声が洞窟内に響き渡った。しかしその音色はいつもみたく場違いに明るい声ではない。事態の深刻さを瞬時に理解し、助けに来たと伝える威厳ある大声だった。ゆっくりと、チコは声のした方向を向く。
ピンク色のまんまるボディに細長い耳。短い手足を目いっぱいに広げて自分の存在をアピールしている。
______我らがプクリンギルドのマスター、プクリルがそこにいた。
***
「みんな、大丈夫!?」
と一声かけた数秒後、プクリルは目にも止まらぬ速さで移動しチコをグラードンの目の前から救出。まだ動けそうなメアリーに傷の手当てをするよう言った後、シンとイブゼルが倒れている方角へと駆けだした。その間、プクリルはグラードンへの注意を絶やすことは無かったが、依然として怪物が動きを見せることはなかった。
イブゼルの口にすりつぶしたオボンの実とふっかつのタネを入れ、同じくすりつぶしたチーゴの実を身体全体に塗り当てる。全身に深い火傷を負っている。それでもまだなんとか息はできているようだ。おそらく、彼自身「アクアリング」やその他水系の技で何かしらの対策を打っていたのだろう。しかし、瀕死の状態であることには変わりなかった。
「……イブゼル…」
薬を塗っている手が震えた。このような危機に至る前に逃げ出して回避するのが普段の彼であった。それが、今や全身を焦げ付くされてしまっている。いまだにする煙の臭いがプクリルの鼻を刺した。
プクリルの手が淡い輝きを放ち始め、その光にイブゼルの身体が包まれる。「いやしのはどう」だ。プクリルの手から生み出される優しい光が、イブゼルの身体に生命エネルギーを与え自己回復能力を増大させる。
塞がろうと傷口が動き始めたのを確認し、プクリルはイブゼルを抱える。____あとは彼の生命力にかけるしかない。そびえたったまま動かない怪物を睨み、プクリルはシンの下へとむかった。怪物はやはり動かなかった。
「_____!」
シンの下にたどり着いたプクリルは息をのんだ。背中と腹部に大きな裂傷を抱え、かつ、脇腹のあたりがえぐれてしまっている。プクリルはすぐに「いやしのはどう」を発動、加えてふっかつのタネとオボンの実を口に入れさせ、傷口にも塗り込んだ。癒しの光につつまれるも、彼の身体にはいっこうに変化がない。おそらく生命力が底をついているのだろう。額に嫌な汗が流れるのを感じる。プクリルは波動の光をよりいっそう強くさせた。
ふと、光に包まれたシンの右腕に点々と煌めく破片がいくつか刺さっていることに気が付いた。なんだろうと思って手に取った瞬間、身体全体に微量だが電流が走り痙攣する。
「______まさか」
「でんきだま」だ。聞いたことがある。ピカチュウという種族が持てばなぜか力が増大する謎のアイテム。しかし、ピカチュウ以外のポケモンにそれを投げつけた場合___対象の身体に継続的な電流が走り続け、「麻痺」することになる。
「グラードンがさっきから動いていないのは………」
若干の距離があるため明確に確認することはできないが、おそらく「でんきだま」の効果だろう。詳しい状況は分からないが、シンは自分が倒されてしまう前にグラードンに「でんきだま」を投げつけた。その巨体故すぐに効果は確認されず、結局シンは攻撃を食らってしまったが、ここにきてようやく「麻痺」が全身に回りグラードンの動きを止めたというわけか。
「___ならっ……!」
グラードンから逃げ切るための余力として残していた自分の力をすべて開放し、注ぎ込む。こんな場所じゃそれでも応急処置の域を出ないが、彼が残してくれた猶予、可能性が少しでも上がるなら使うしかない。横にならべて寝かせた二匹に「いやしのはどう」を使い続ける。ギルドメンバーの応援が来次第、「あなぬけたま」を使える場所にまで彼らを運ぼう。
それまでは、自分一人で__________
_____「やられたよ」
その声を聞いた瞬間、プクリルは全身の毛が逆立ったのを感じた。すぐさま後ろを振り返り、声の発生地点を睨みつける。ただならぬ気配を発し続ける中心点にいたのは、もはやグラードンではなかった。
「そのピカチュウ、侮っていたよ。無視できる誤差だと思っていたんだ」
不気味に発光しながら、ぐにりぐにりと肉が溶けて変形していく。ずいぶんとサイズが小さくなってしまった「それ」は、どこにあるのかもわからない口を動かし続ける。
「おかげで変身しようにも時間がかかって仕方ない。「でんき」タイプになって麻痺を無効化しようにも、身体の自由が上手く効かない。」
「変身」______もしかしてあのグラードンはメタモンが化けていたものだったのか。プクリルは、正体不明の敵を見据えながら考えをめぐらせる。本物のグラードンでないなら、余程のことがない限り自分が負ける、ましてや逃げ切りに失敗することはないだろう。しかしそう考えるには、「それ」の発する気配はあまりにも常軌を逸していた。ましてや、さっきのグラードンよりも凶悪。異様な空気を肌で感じながらも、プクリルは敵の出方を伺っていた。
「_____親方様!」
ようやく駆け付けた応援、ギルドメンバーたちに一切気をとられることなく敵の行動を監視し続けていたのはさすがといったところだろう。おかげでプクリルは、「それ」が突然膨大な光を放出するのを確認した瞬間に目薬のタネを飲み込むことができた。「フラッシュ」による目つぶし状態を即座に回避。それでも白く輝く視界の中で、対象がゆっくりと動いているのが見て取れた。___それはもはやさっきまでのどろどろした肉塊ではなく、すでに形が出来上がっている。メタモンではない、細長い尻尾を持つシルエット。その正体に思考が行き当たった瞬間、シルエットが突然にして消え失せた。
「_____しまっ……!」
動き出そうとするも手遅れ、視界が正常に戻るころには対象の姿は跡形もなく消えていた。恐らく「テレポート」だろう。エスパータイプではない自分には移動先を追うことはできない。
プクリルはとりあえず敵の追跡を諦め、向こうで目つぶしの被害にあっているギルドメンバーに声をかけた。
「みんなーすぐにこっちに来て!リユニオンのみんながけがをしていて大変なんだ」
「お、親方様!申し訳ありません!私たち、今ちょっと目が見えなくて____」
「声のする方!走ってきて!近くまで来たら目薬のタネをあげるから!はやく!」
「は、はいーー!!」
元気よく返事をすると、どたどたと若干調子のあっていない走り方でギルドメンバーがこちらに駆け付けてきた。ある程度近づいたところでその口に目薬のタネを放り込んでいく。何匹か完全回復したギルドメンバーが、プクリル、そしてシンとイブゼルの状態に気づいた。
「ひでぇケガだ!いったい誰が!」
「シンくんーーーーーイブゼルーーーーーーー!!!!大丈夫でゲスかーーーーー!!!」
「うるさい!大きな声を出すんじゃないよ!」
「親方様……これは…」
混乱するギルドメンバーの中で、傷の深刻さを理解したフウラがプクリルに尋ねてきた。
「どうやらここで敵と戦ってやられてしまった傷らしい。今、その敵には逃げられてしまったけど……。ともかく、イブゼルは全身に重度の火傷、シンは無数の切り傷、何よりもえぐれた脇腹が深刻だ。シンは僕がおぶりながら治療を続ける。イブゼルはドゴンあたりにおぶってもらってフウラが治療してほしい」
「……分かりました」
返事してすぐにフウラはドゴンの下へと向かう。その様子を確認し、プクリルは「いやしのはどう」を継続したままシンを背負った。
「あの、おやかたさま……」
後ろから声をかけてきたのはメアリーだ。彼女もおそらく敵と遭遇し戦っていたのだろうが、リユニオンの中では最も傷が少ない。戦いの状況や、さっきの敵のことなどいろいろ聞きたいことはあるが、今それを聞くのはあまりに酷な事だろうと彼は思った。
「チコはもう大丈夫そう?」
「……はい。もともと光合成で回復していたみたいで、オレンの実をあげたら『私はもう大丈夫だから』って…」
「そうか…よかった」
確かに彼女は傷によるダメージというよりは完全にエネルギーを使い果たしたことによる消耗の分が大きかった。しかし、それでもこんな短時間で治るような状態ではない。おそらく、彼女なりに気を利かせたのだろう。
「……シンなら、大丈夫。彼は死なせないよ」
「……ありがとうございます…」
プクリルの励ましの言葉に対しても、メアリーの表情は曇ったままだ。シンはこの4匹の中で最も深い傷を負っている。医者でもない自分の言葉は、少々頼りないのかもしれない。数秒考えたが、すぐにギルドメンバーのほうに向きなおり、プクリルは大きな声で指示を飛ばした。
「すぐにこの場を離れよう。不思議玉が使えるようになる場所に付き次第すぐにこの場から脱出するよ」
「はい!!!」
背後から、冷たい風がかすかだが吹いている。おそらく、自分の後ろにある大穴の向こうには、今回の旅のゴールである『霧の湖』があるのだろう。探検隊としての勘がそう告げている。だが、今はそれどころではない。一探検隊としてではなく、一つのギルドをまとめる長としての責任がある。_____この場所は危険だ。
弟子たちが傷ついたリユニオンを心配しながらも荷物をまとめ、立ち去り始める。
「………メアリー」
後ろでつかず離れずの距離を保つメアリーに、プクリルは声をかけた。「はい」とメアリーは小さく返事する。
「_____ちらと見ただけだけど、あのポケモンは化物だ。名の知れた探検隊でも、あのポケモン一匹の前に全滅しかねないほどの実力を持っていると、僕は思う」
「____」
「……けど、そんな化物を君たちは退けた。目の前の大きすぎる脅威に臆することなく立ち向かい、挑戦を諦めなかった。それでお宝や、未開の場所を発見できたわけじゃないけど、その勇敢な心こそ、僕は探検隊として最も大切なものだと思っている」
「……」
「リユニオン……君たちはギルド自慢のチームなんだ。胸を張って自慢できる僕の大切な友達たちさ。絶対にここなんかで終わらせない。君たちの紡ぐ冒険を、僕はもっともっと見ていたいからね」
「……親方様…」
「____だから、胸を張るんだメアリー」
そう言って、プクリルは笑って見せた。
「ありがとう、ござい、ます……」
声は震え、大粒の涙が瞳にたまり、ぽろりぽろりと零れている。しかしメアリーはゆっくりと、涙にぬれた顔を上げるのであった