はみ出し者は自分だけ(ポケモン不思議のダンジョン空) - 霧の湖には
第八十話:三度目の正直
 「ねえ君、大丈夫?」

 その声で俺は目を覚ました。ざらざらとした感触が顔に残る。どうやら砂の上に、うつ伏せで寝ていたらしい。
 俺は声のする方に顔を向けた。耳の長い、ウサギのような犬のような動物がこちらを見ている。あー、メアリーか。_________え。



 「……もしもし?」

「め、メアリー……?ど、どうしてここに……」

「え。……なんであたしの名前知ってるの?」

 警戒の眼差しを向けたまま、メアリーは一歩後ろへ下がった。

 「なんでって、そりゃあ……」

 言いかけて口を閉じる。
____二度目だ。ぼんやりしているが前と違って記憶も全部ある。ついさっきまで包丁で喉を突き刺して死にかけていたのに、気が付けば砂浜でメアリーに話しかけられている。痛みや喉に穴があいた感覚もない。視界の中の体は真っ黄色。指も短いし本数も足りなければ、ギザギザした尻尾が生えてしまっている。
 つまり、これは。

「いや………なんとなくそんな気がしたんだ」

 俺は、ポケダンの世界に転生してきたことになる。







 「……君、怪しいポケモンじゃないよね?」

 俺の思惑に気づいていないメアリーは、さらに俺から距離をとってそう言った。まずい。ともかく今は、前と同じように進めなければ。
 
 「いや、怪しいポケモンじゃないよ。ただ……」

 「ただ……??」

 眉をひそめ、首をかしげてこちらを見る。そういえば好感度0のメアリーはかなり警戒心の強いほうだった。なんて懐かしさを感じながら、俺は最適な言葉を脳内で探しあてる。

 「なんか、何も思い出せなくて……」

 記憶喪失。従来の流れに持ってくるために必要な設定のひとつ。今のメアリーには到底信じてくれないことだとは思うが、とりあえず彼女をこの場に引き留めることが最優先事項だ。よほど嫌われない限りは、ドガースとズバットがなんとかしてくれるだろう。
 案の上、メアリーは表情を固まらせる。呆気にとられた様子で、眉一つ動かせない。さすがに眉一つくらいは動かしてもいいと思うが、それほどショックを受けたということだろう。
 なんとか開いた口を閉じることに成功し、ゆっくりと瞬きを一回。







 「_____どの口が、そんなふざけたことを抜かせるの?」


「_____ぇ。」


 無表情だった。
 声帯が吹き飛ばされたのかと錯覚を覚えるくらい驚くほど低く、小さい声が漏れ出た。

「____!?」

 瞬間、足が空中に放り出される。
 足元を見れば、真っ暗な闇。周りの砂がざらざらとその虚空にむかって流れ落ちていく。___転落する。足をばたつかせ、本能的に何か掴めるものを求めて頭上に手を伸ばしたが___何もない。どころか、辺りはすべて黒になっていて、海や空がバラバラにちぎれて闇の中に飛び散っていく。
 ____世界が崩壊し、自分が落ちているのか浮いているのか区別がつかなくなってきたとき。

“そこ”には俺と、メアリーしかいなかった。


 崩壊中、微動だにしなかった彼女が口を開く。

「お母様、お父様、親友すらも裏切ったあなたが、何も覚えていないっていうの?」

頭が回らない。この女は何を言っているんだ。

「のこのこあたしたちの世界にやってきて、チコもイブゼルも死なせたことすら忘れたって言えるわけ?」

そんなやつらは知らない。シナリオに出てきていない。

「_____また、そうやって。自分を殺そうとしているわけね」


 イーブイが目を閉じると、黒一色だった世界が歪んで縮まり始める。無数の白く光るラインが闇の中に表れ、幾何学的な空間を形作っていく。かたどられた空間に色が生まれ、曲線がまとまって人の形が作られていく。

 「これ、……は______」

 病院だ。白いベッドがあり、周りを多くの人が取り囲んでいる。中心の人物の顔には布がかけられていて、その男の手を両手で女性が握りしめている。女性は床に膝をつきうつむいて、泣きながら何かを叫んでいる。何を言っているのか、聞き取ろうとするも無音。
 彼女の顔をよく見ようと覗き込んだその時、耳が爆撃された。___否、破滅的な悲鳴が彼女を中心に爆散したのだ。


「______ァァッ_____!!!」

 もはや、声として聴きとることのできない「それ」を発している彼女。涙や鼻水にまみれ苦痛に顔を歪ませたその表情。

 _____母だった。
  

「シン……ッ、シン……!!……どぅ…して…」

 狂ったように俺の名前を呼び続け、手を額に当ててえづく。彼女の後ろに立っていた父が背中を撫でようとするも、その手は小刻みに震えておりうまく上下させることもできていない。

「……」

「____これがどういう状況か、言わなくても分かるでしょ?」

「_____」

「……あなたが死んだあとも、お母様は毎日あなたの夕食を作り続けた」

「………」

場面が歪み始める。病院だった空間が崩壊をはじめ、別の空間が形作られていく。

「……お父様はその状況に何か言うこともできず、夫婦の間の会話はどんどん減っていった」

「………」

 次に表れ出たのは、リビングだった。机の上には三人分の食事が並びたてられているが、いくら待っても母と父の姿しか見えない。母が会話らしきものを発し、父はうつむいてひたすら食べ物を口の中に放り込んでいる。
 二人の間に会話はない。母の会話相手は父ではなかった。

「……なぜ息子は自殺を選んだのか。両親はいじめを考えた。学校に相談するも、『そのような事実はない』の一点張り。……話を続けていくにお母様はしびれを切らし、暴力的になっていった」

「______やめろ」

 空間が歪み始める。
 机が消え去り、二人の輪郭がばらけていく。

「……家事のバランスもめちゃくちゃになっていったわ。今まで何も言わなかったお父様も、優しく声をかけてあげようとするのだけれど、全部全部逆効果。お母様のヒステリーはますますエスカレートしていくわ」

「__やめろ」

 暴れまわる女性の姿が視界に現れる。勘所を震源に家財道具がひっくり返り、破壊されていく。それを押さえつけようと小太りの男が近づくが、彼女は包丁を取り出して自分の喉仏に向けた。

「……ある日のことよ。あなたのお父様は久しぶりの夜勤で帰りが遅くなるの。遅くなったお詫びに手土産をもって家へと帰ったんだけど、家の明かりがついていない」

「やめろ」

「おかしいな、とお父様は感じたの。確かに帰りは遅くなったけど、それでもこの時間帯でお母様が眠りにつくなんてことはなかった。それなのに、明かりが消えている……」

「やめろ」

暗いキッチンの光景が浮かび上がってくる。ゆっくりと、ゆっくりと最悪の結末が形作られていく。

「鍵を開けて、お母様の名前を呼びながら。電気を一つずつつけていった。すぐに彼女は見つかったわ。寝室でも、リビングでもない。彼女はキッチンにいたのよ」

「……包丁を手に、喉に大きな穴を空け___」

「やめろって言ってるだろっっっ!!!!」

 イーブイに殴りかかる。しかし彼女にひらりと身を交わされ、よろめいて見えない床に頭をぶつけた。
 すぐさま立ち上がろうとするも、四肢に力が入らない。殴り殺したいのに、指の一本たりとも動かせない。ならば。腕がダメなら足。足がダメなら尻尾。尻尾がダメならこの歯で噛みちぎってやる。怒りのエネルギーに身を震わし、俺は「そいつ」に照準を合わせる。赤い視界の中、彼女は無表情で話を続ける。

「あなたに他のポケモンを殴る資格なんてないわよ」

「____ッ!!」

 突然の重力に頭が床に押し付けられ、骨が軋み音を立てる。顔を起こすことができないでいるうちに、上から彼女の声が落ちてくる。

「あなたのことを心配して涙したコスケ君の思いも、不器用なお父様の気遣いも、あなたの自殺未遂を知ってから、その理由を聞くこともできずあの日から一睡することもできなかったお母様の気持ちも」

「_______あなたは、死んですべて台無しにしたのよ」

「____それは……」

「……身に覚えがない。そう言いたいんでしょう?」


 頷けなかった。
 ___身に覚えがない。その通りだ。……気が付けば喉に穴が開き、俺は息を引き取った。そもそもあの自殺未遂から本当の自殺に至るまで、ほとんど記憶になかった行動なのだ。

「あなたの罪はそこにあるのよ。……シンくん」

「____それは、どういう……」

「あなたは二度死んだ」

大真面目な顔で、彼女はそう言い放った。

「二度目ははもちろん、喉に包丁を突き刺したとき。あの瞬間、あなたの命は消え失せた。……でも、その死にはほとんど意味がないの。____あなたの心は、その時すでに死んでいたから」

 ____やめてくれ。
 四肢を押さえつけられ続け、さっきまで胸いっぱいに燃え広がっていた憤怒の感情の勢いが徐々に小さくなっていく。

 「……おそらく、湖に身を投げた時かしら。それまで自己を偽り続けて希薄になっていたあなたの心に、とどめを刺した瞬間は」

 ____声が出ない。
 声帯までもこの女に押さえつけられているとでも言うのか。好き勝手に話すあの口を閉じてやりたいが、やはり体のすべてがゆうことを聞いてくれない。

 「……そりゃあ覚えていないでしょうね。自殺を試みるその瞬間、誰もが自らの死を振り返り後悔する。自分は本当に死んでも良いのか。死んだあと、家族はどうなる?親友は何を思う?言い忘れたこと、言いたかったこと。感謝も謝意も全部飲み込んでまで死ぬ事ができるのか。絞首台に立つ誰もが思いを馳せることよ。それが最後のストッパー、死をふさぐ最後の砦。それを全部乗り越えるかかなぐり捨てて、初めて人は自殺することができる。それこそが、自殺する者の持つ義務ともいえるの。

 ______それを、あなたは放棄した」

 「______」

 「心の無い状態で死ぬ事ができるなら、無敵よ。何も感じることなく、誰に後ろ髪をひかれることもなく死ぬ事ができるのだから」

 無力感、脱力感が小さくなった怒りの火に追い打ちをかける。____頼む、動いてくれ。

 「傷つくことから逃げ続けたその究極形。感じることすら放棄して死ぬのは、ずいぶん楽だったことでしょう。……なにせ、考える必要がない。自殺した後、お母様がどのような思いで学校を問い詰め、心を病み、息子の後を追うようになったのか」
 
 「____だ、……まれ…___」

 「……つい昨日まで、笑いあって話した親友が。『自分は大丈夫だ』という言葉を信じたその翌日、青白い顔で発見されたことをしった彼の気持ちも。すべて一片たりとも想像せずに済むのだから」

 「_____」

 彼女はそこでいったん口を閉じた。相変わらず地面に顔面を押し付けられている俺は彼女の表情をうかがうことができない。

 「……ここからが本題なのに」

 「____う、くっ……」

 「____いい表情だけど。そんな顔をする資格もあなたにはない。……あなたは償わなければならない」

 気づけば、俺を押さえつける力はなくなっていた。今なら指先どころか身体を起こして女の口を塞ぎとめることもできる。

 「顔を上げなさい。______シン」

 

 ____それでも重い頭をあげることは叶わず、ただただ、涙を流すばかりだった。

 
 
 

 

 ***





 メアリーは困惑していた。
 追い詰められたシンを助けるべく、イチかバチかで『守る』を繰り出した瞬間。目の前が真っ白になったかと思えば、辺りには見知らぬ光景が広がっていた。
 見たこともない建物。地面。ポケモンは一匹としてそこには存在せず、代わりにいたのはおそらく自分よりもずっとずっと背の高い二足歩行の生き物。……たしか『ニンゲン』と呼ばれていた生物ばかりだった。
 困惑するメアリーをよそにその光景の時は進む。しばらくしてメアリーは、その光景がある『ニンゲン』の「記憶」であることを悟った。その『ニンゲン』の話し方にはひどく聞き覚えがある。

 「____シンくん……」


 彼女もまた、彼の走馬灯を追っていた。







 内容は、酷かったと言わざるを得ない。
 失望した、彼女は素直にそう思った。ギルドの崖でかわした言葉も、あのときの抱擁も、思いもすべて嘘だったのか。
 ずっと、ずっと信じていた。あの夜から今までずっと、メアリーはシンを信じる努力をした。

 ____『あたしは……シンくんを、信じたいの!シンくんのことをもっと知りたい。シンくんともっと話したい。シンくんと一緒に、これからもいたい!シンくんと………』___


 それこそが、あの時彼女が立てた誓いだったから。そうすべきだと自分で決めることが、今度はできたから。シンが一匹、グラードンを前に逃亡しても、チコが倒れても、イブゼルが倒れても。彼女はシンを信じ通したのだ。
 それがこの結果とは、情けない気持ちでいっぱいになってしまう。彼には作戦も何も存在していなかった。ただただ自分だけの身を案じて逃げ狂っていただけだった。
 ____この男は、シンという男は、ただの弱者なのだ。優しさも賢さも全部偽りで、自分自身が傷つかないようにするための行動。それが行くところまで行きついて自死を選ぶ始末。

「____」

 回想が結末を迎えると、メアリーは白一色の空間に放り出された。床と天井の区別すらつかないが、メアリーの四肢は固い平面を捉えている。立つことができると分かった彼女は、そのまま歩き出した。
 目印も何もない空間を歩くメアリー。しかし、その足取りはしっかりとしている。彼女は、どこへ行くべきかを直観していた。


「____見つけたよ」


 その姿は『ニンゲン』ではない。小さなピカチュウとなった彼は、白い地面にうずくまっていた。


「……シンくん、起きて」

自分でも少し驚くレベルの冷たい声が出た。

「_____」

「シンくん」

「……いまさらメアリーの真似なんかして。分かってるよ。分かってるさ。……やるべきことも」

こっちを振り返ることもなく、ピカチュウはつぶやいた。

「真似なんかじゃない。あたしはメアリーだよ」

「_____分かったよ。……行けばいいんだろ」

うざったるそうに身体を起こしたピカチュウがこちらに顔を向ける。そのとたん、彼の目は見開いた。

「………メアリー、なのか?」

「そうだよ」

さっきからそう言ってるじゃないかと言いたくなるのを抑えて、メアリーは短く返事した。

「……どうして、メアリーがここに」

「それはたぶん、シンくんのほうがよく知ってるんじゃないかな」

「_____」

「シン」と呼ばれたピカチュウが目を伏せる。メアリーは構うことなく彼に視線を送り続けた。今ここで彼を逃してはいけないと、またメアリーは直観していた。
少しして、彼は目を合わせないまま口を開いた。

「……見たのか」

「うん」

「____そうか」

「………本当に、あれはシンくんの記憶なの?」




 
 「_____そう。紛れもない俺の『過去』。今までメアリーには話していなかったことだ」

 分かってはいた。それでも否定してほしかった。もちろん過去自体はほとんど特別なものではない。結末を除けば至極平凡な『ニンゲン』の過去だと思う。隠す理由もない。
 しかしメアリーは覚えていた。

 ____『何してたのか思い出せないって言っただろ?実は俺、記憶喪失なんだ』____

 ___海岸の洞窟で彼が言った言葉だ。


「『過去』を見たなら、もう分かるだろ?俺は、君の思っているほどいい奴じゃない。傷つくことから少しずつ逃げ続けた挙句、心を捨てて死ぬような男だ」

彼は依然としてメアリーを見ない。嘘をついていたことにも触れず、次々に言葉を重ねていく。

「こっちに来てからもそうさ。イブゼルも、チコも、……そして君も。俺は見捨てて逃げ出そうとした」

知っている。メアリーはそれを知って彼に失望したのだ。

「……でも、ここでケリをつける。それが俺の贖罪で、やらなきゃいけないことだとようやく気付けたんだ」

「______」

「メアリー、ひとつ頼みがある。……もうすぐこの世界は終わる。そうすれば俺たちは、グラードンと相対していた場面に戻るだろう。恐らく君が『守る』を張って、あの怪物の攻撃を一撃こらえたところだ。……そうなったら______

________俺を置いて、逃げてほしい」

 ……何も言わなかった。黙って彼の言葉の続きを待つ。

「俺が時間を稼ぐ。その間に洞窟を出て、プクリル達に応援を頼んでくれ」

 「……」

「あの強さだ。正直、俺の命はないと思う。……でも、この状況の最善は君を生かすことだ。……もう、逃げたくない。____間違えたくないんだ」

 しかしメアリーは返事をしない。返事をしてはいけないことを知っていた。彼は、シンは自分を見ていない。……メアリーに話しかけていないのだ。

「____自分の気持ちに嘘をつきたくない」



「____傷つくことを恐れて、心を消すのはもうこれでおしまいにするんだ」

「___」

「_____だからメアリー。……君だけでも生き延びて______」







「こ っ ち を 見 ろ ! ! ! ! ! ! ! !」

 そこではじめて、彼の瞳に自分が見えた。







「!?」

「……あたしと目もあわせずにペラペラと。シンくんはさっきから誰と話してるの」


 怒号が飛び、その出どころを疑う暇もなくメアリーは話し続ける。
 何を言われたのか、何を言えばいいのか。彼女はメアリーで、俺は……今彼女に____


「あたしとは言わせない。今までで、あたしはシンくんと会話したとは思っていない」

「なにを……」

「___血だらけになりながらも、チコはあなたにオレンの実を渡すように言った。イブゼルは身を挺してあなたをかばった」

「____」

 知っている。分かっている。だからその先は言わないでほしい。

「『逃げろ』なんて、許さないよシンくん。あの二匹の思いを、そんな形で終わらせることはあたしが許さない」

「でも…」

「シンくんの話は、最善策でもなんでもない」

 やめてくれ。
 メアリーから目をそらそうにも、燃えるような瞳がそれを許さない。顔を動かすことができず、震えながら彼女を見つめ続ける。
 これ以上詰められてしまうと、突き止められてしまうと。

 「_____あなたは、逃げてるだけ」




 目の前が真っ赤になる。


 「_____それじゃあ……」


 「………」

「それじゃあ、どうすればいいんだよ!どうしろって言うんだ!」

言葉が噴出して止まらない。

「このまま俺を責め続けたいならそうしてくれ、気の済むまで責めればいいさ!だけどそれで終わりだよ。俺にはどうすることもできない、メアリー、チコ、イブゼル、お前たちには申し訳ないと思ってる。でも、無理なんだ。無理なところまで来てしまったんだよ」

「_____無理じゃない」

「____無理だ、分かるだろう…っ!メアリーもチコもやられてしまったんだ。俺はあいつらより弱い。もう、どうすることも、できないんだよ!!」

「____できるよ」

「____だからどうやってっ!メアリーと俺だけで何ができるって言うんだ。あの怪物相手に!____そんな魔法があるなら教えて____あぐっ!?」


 頭突きだ。
 目の前が茶色で埋め尽くされたと思った瞬間、衝撃とともに身体が吹っ飛ばされた。尻もちをつくも、すぐに体を起こす。
 
 「!!__何するんだ……」

 忌々しいイーブイに浴びせようと思った暴言は、途中で勢いを失った。



 「……なんで___」

 

 ____泣いていた。
 下唇を強く噛み眉間に酷いしわを寄せ、必死に涙をこらえながら。それでも赤面し、震え、瞳はうるんでいた。

 頭に上っていた血が急速に冷えて降りていく。力が抜けて再び地面にへたり込んでしまった。そんな俺の様子をよそに、彼女はぎゅっと目をつぶって頭を左右に振る。そしてふたたび「強い表情」を作って、言った。


「___シンくん、聞いて」

 その言葉が酷く恐ろしかった。しかしすでに俺には言い返す気力も、言葉も残っていなかった。あの涙ですべて吹き飛んでしまったのだ。
 逃げ場のない俺に近づき、彼女は腰を下ろす。淡く優しい紅の瞳がすぐ目の前にあった。
 ___身体を動かせない。


「……あたしは、シンくんを信じてる」

 信じて、どうなる。裏切られたじゃないか。君の思い描いた「シン」とこの俺は何一つとして一致していないことを思い知ったじゃないか。

「……あたしとシンくんならあのグラードンだって倒せる」

 無理だ。君と他のポケモンならできたかもしれないが、俺とは無理だ。

「……イブゼルもチコも助けて、あたしたちは霧の湖にたどり着けるの」

「____やめてくれ、メアリー」

 やっとのことで言葉を絞り出す。
 気づけばすでに、この白い世界の崩壊が始まっていた。あと数分も経たないうちにあの怪物のいた場所に戻されるだろう。
 しかしもう彼女を説得する気にはなれなかった。
 はやく、彼女の言葉から逃げ出したかった。駄々をこねる子供の如く、今のメアリーは見境がない。狂ったように俺のことを信じている。___しかし、そう一蹴することができないほどの力が、彼女の言葉にはあった。

「____たのむ、メアリー……。やめてくれ。…分かってるんだろ。そんなのは無理なんだって、、……どうして、そこまで俺にこだわるんだ。……俺がクズで、心の弱い人間だってことが分かっていて……どうして____」




「____こっちを向いてよ、シンくん」

 それはいつも聞いているメアリーの優しい声だった。違うのは、____やはり彼女の表情。その表情に胸が強く締め付けられる。次に彼女から発せられる言葉が恐ろしくてたまらない。





________。





 「______っ、めあ、りー…」

 
 柔らかく、暖かな感触が全身を包み込んだ。
 何をされたのか、考える脳がとろけ、力が抜けていく。

 「_____シンくんだから、ここまで言うんだよ」


 耳元で彼女が囁いた。

「……シンくんじゃなきゃ、……言わないよ…」

 その声は、もうとっくに我慢をやめていて。
 大粒の涙が、彼女の頬を伝って俺の肩へと落ちていく。

 ___訳が分からない。めちゃくちゃで答えになっていない。でも、そんな批判の言葉も反論も。今の彼女の前には無力だった。

 世界は完全に崩壊し、目の前が真っ白になっていく。





 ______。




 ____。



 __。




 


***




 場面は移り変わった。視界には熱を帯びた岩々、その大部分を巨体が占めている。あの白色の世界の余韻に浸る暇もなく、緑色の防壁は崩壊し、怪物の巨大な爪が振り下ろされた。メアリーはそれをバックステップでかわし、隙に乗じて大胆にも怪物の足元を潜り抜ける。

「ほら、こっちだよ!」

 その様子は、あの世界で見たものとはまるで別人。俺に目をくれることもなく彼女はさっそうと走り去っていった。
 そんな彼女を逃がすまいと、怪物はその巨体に似合わぬスピードで振り返り追撃の準備をする。その怪物の動きに合わせてメアリーがスピードスターを撃つが、ツメの一振りで掻き消える。
 結局、自分は身を挺してメアリーを逃がすどころか彼女に庇われてしまっている。いや、そもそも「逃がす」だとか「守る」などと言える立場ではとうていなかったのだ。自分の精神世界に引きこもって導き出した机上の空論。

 「………」

 特性「にげあし」を持つメアリーだが、相手はチコとイブゼルを簡単にのして見せた怪物だ。スタミナ切れ、バランスを崩し転倒、いずれ彼女の限界とともに怪物に仕留められてしまうことは目に見えていた。
 こんな自分にでも分かることだ。……メアリーが気づいていないはずはない。

 _____。



「……分かったよ」

 ____とりあえず、チコだ。
 メアリーが怪物を引き付けている間に、チコを回復させる必要がある。____だから、だから……!

 「くそっ…!!」

 膝を拳でたたきつけて喝を入れる。抜けっぱなしの腰を無理やり入れ、目をつぶって走り出す。恐怖に押しつぶされそうになりながら、逃げ出したいと暴れるみじめな心を押さえつけながら。
 それでも膝の震えは止まらず、走る速度は落ちていく。




 ______「ソーラービーム!!」

 まばゆい光線が轟音を散らして横切った。怪物の背後に直撃するが、あいも変わらず傷一つつかない。
 ___いや、問題はそこではない。この光の発生源は……


「_____チコ!!」


「……ごめん、心配かけたわね」

 痛々しい傷をいくつか身に残しながらも、チコは四足で地面に立っていた。体には光の粒子をまとっている。

 「チコ、大丈夫か!?」

「ええ。でも……」

 チコの目線は怪物に集中している。確かに「こうかばつぐん」であるはずのソーラービームを幾度となく身に受けておきながらも、ダメージを負っている気配がまるでない。
 ___無敵だ。かろうじて全滅を防ぐことはできていても、あのグラードンを倒す糸口は一向に見えてこない。
 何か、あの装甲を打ち破る算段は……。


 「……リーフストームを撃つわ」

 「___!」

 「今のわたしが撃てる最強の技よ。それをあいつの弱点に撃ちこむの」

「____弱点?」

「ええ____」

 チコは答えようとしたがすぐに口を閉じ、地面を蹴ってその場を離れる。俺も慌ててチコの後を追う。
 怪物を引き付けつつ逃げるメアリーの体力は、既に限界近くに達していた。覚醒した奇跡的な反射神経と「にげあし」による本能で攻撃をかわしているが、ほとんどギリギリで今にも直撃をもらいかねない危うさだったのだ。
 
 「___奴の弱点は腹よ」

 「腹?」

 走りながら、俺とチコは再度言葉をかわす。

「無防備で食らってもノーダメージなのは背中や頭上への攻撃だけ。腹部への攻撃はすべてツメで弾いてる」

「!_____そういえば……」

思い返せば、その通りだ。効果抜群のソーラービームをノーガードで食らっても無傷なはずなのに、メアリーのスピードスターをわざわざはじき返していた。確定ではないが、可能性としては十分にありえる。

「___俺とメアリーで奴をひきつけて、チコが腹にリーフストームを撃つっていうわけだな」

「そうよ。さすがシンくん、話がはやくて助かるわ」

「………あぁ」

「_____それじゃ、頼んだわよ!!」

 一段高く声を張り上げ、チコが俺から離れる。____リーフストームの態勢に入ったのだ。一瞬動きを止めかけた足に気を入れ直し、彼女を見ることなく怪物の下へと走りこむ。

「……はぁっ!……はぁっ!」

 心臓が馬鹿みたいに鳴り響く。膝が震えて力が入らない。そのたびに怒声をあげ、とっくに崩れてしまった心をなんとか奮い立たせる。
 岩を砕き土ぼこりを巻き上げながら、重機のごとく怪物が突進し暴れまわる。炎が飛び、泥が散り飛んで地面が崩壊する。そんな破壊の渦によって今すぐにでも掻き消されてしまいそうな栗毛色のポケモン、メアリーの姿が視界に映った。

____射程距離だ。

 走る勢いそのままに、手の中に仕込んでおいた爆裂の種を怪物の頭めがけて投げ込んだ。狙い通り直撃し轟音が鳴り響くが、相変わらずの無傷。しかし怪物の動きはとまり、ものすごいスピードでこちらに振り向いた。

 「ひっ……!」

 思わず情けない声が出るが、すぐに飲み込んで走り出す。
 この怪物は、たとえ自分への攻撃のダメージがゼロでもこちらに振り向いてくる。固い装甲から、灰色の腹部がこちらへと向けられる。弱点が本当に腹部だとするならば、それは自らの弱点をみすみす晒すような行為だ。それは余裕の表れなのか、そもそも腹部は弱点ではないのか。
 それでも今俺がここで生半可な攻撃を試みたところで、あの強靭な爪により弾かれてしまうだろう。
 
 「てい!!!」

 怪物の頭上から小さな影が躍り出る。
 太陽を背にしたメアリーが、その身にまとわせたきらびやかな星々を怪物の頭上めがけて撃った。しかしもちろん、星形弾は鉄壁の装甲により弾かれてしまう。怪物は俺からメアリーへとターゲットを映し、頭上を見上げた。


 「今だよ!チコ!!」

 _____怪物のがらあきの腹をめがけて


 「リーフストーム!!」



 ___樹木散らす自然の大嵐が吹き抜けた。






 *





 「____」


 ___嘘のような静かさだった。そこにはただ、土ぼこりとともに草葉が舞うだけだ。
 
 メアリーと俺は、怪物のいた場所をただひたすら見つめていた。
 ______一瞬、見えていたのだ。

 ____リーフストームが怪物に直撃するその寸前だった。


 _____頭上で照り付ける太陽が、何よりの証拠。そして土煙が晴れていき、見飽きた赤黒い防壁があらわになっていく。

 「_____そんな……。これでも……」

 ____リーフストームが腹へと当たるその瞬間、電光石火のごとく怪物は足を後ろへ抜き、腕を放り出して地面へとダイブした。砕け散った岩々や、巻き起こった土ぼこり程度ではリーフストームは破れない。されどもそんなリーフストームでさえ、奴の鉄壁の装甲を貫くことは叶わなかった。
 ____俺たちの全力の一撃は、腹部へと至らなかった。


 煙は完全に消え失せ、怪物がゆっくりと体を起こす。太陽の逆光によって奴の顔には深い影が落ちている。ダメージを負った様子はない。無傷のグラードンが、そびえるように立ちふさがった。
 さらにその姿勢は、先ほどまでの棒立ちに近い状態ではなく、頭を低くして大きく前傾している。その様子はもはや、腹部への攻撃を許さない絶対的防御態勢。グラードンが、俺たち相手に本気を出し始めた証だった。


 「………」

 地響きが鳴り響く。一歩ずつ地を踏みしめて、グラードンがこちらへと近づいてくる。警戒しながらじわじわと距離を詰められる。俺とメアリーは後退を重ね、そのうちチコの構えていたラインにまで来てしまった。

 「_____もう今度は、さっきみたく生半可な攻撃じゃあ構ってくれなさそうね」

 息を切らしながらチコがつぶやいた。
 
 「チコ……、もうリーフストームは撃てなさそうか?」

 「____ちょっと休憩が欲しいわね。今やっても、葉っぱを散らす程度の威力しか出ないわ。____それに……」

 言いかけて彼女は途中で言葉を切るも、続きは容易に想像できた。____リーフストームを放ったところで、奴の腹部に命中することはまずないだろう。
 あの怪物を倒すことはほぼ不可能。
ならば、チコとメアリー、もしかすればイブゼルもなんとかして救出し、彼らを逃がす_________ことももはや、俺一人じゃ不可能だ。手加減をやめたグラードンは俺の攻撃程度に気をはらわないだろう。



 「……あたしがなんとか時間をつくるよ」


 ____それでも彼女は、諦めていなかった。
 
「その間にチコは休憩して次のリーフストームを撃つ準備をして。シンくんは_____」

 ____諦めさせてくれなかった。
 メアリーの目には依然として闘志が宿っていた。


 海岸の洞窟で、震えながらズバットたちと対峙していた臆病な彼女はそこにはいない。
 いや、そもそもそれこそが間違いだったのだ。臆病だったのは、傷つくことを恐れ行動することができなかったのは、俺だ。

 _______『あたしと、探検隊をやらない?』

 ずっと勘違いしていた。うぬぼれていた。「主人公」として臆病なパートナーを支えることこそが、「シン」としての役目なんだと思っていた。
 逆だ。____酷く愚かな勘違いだ。

 _______『……あたしは、シンくんを信じてる』
 

 




 頭上で光り輝く太陽の熱が、額に汗を浮かばせる。目も開けていられないような光のまばゆさは、まさに目の前の怪物が依然として万全の状態であることを示唆しているようだった。
 凶悪ともいえるその日光に照らされ、しかし少女は輝いていた。だから、大きく一つ深呼吸をして彼女の横に並び立つ。
 
 _____メアリーの隣に立つことが、まるではじめてのように思える。その感情の名前も理由も、今になってようやく彼は気づくことができた。

 「____メアリー、チコ」

「………?」

「____」

 後ろでチコが戸惑いを交えた相槌を返す。隣にいるメアリーの顔は見えない。




 「_____作戦がある。協力してくれるか」


 グラードンに照準を合わせ、シンは確かにそう言った。





つらつら ( 2020/07/25(土) 14:44 )