第七十六話 似ている
ふざけやがって。
イライラするったらありゃしねぇぜ。ただでさえ鬱陶しい霧にムカついてんのに、よりにもよってこいつと二人きりだと?冗談もたいがいにしろよ。
そもそもこいつの提案はなんだ?できるだけお互い離れて捜索範囲を広げる?敵に襲われたらこうなることくらい目に見えてただろうが。現実が見えてねぇクソみたいな提案だ。やっぱり、あの時石なんて放っておいて文句言っておくべきだったぜ。
「メアリー!……チコ!………いるなら返事をしてくれ!」
耳がざわつく。頭がずきずきして落ち着かねぇ。後ろにいるこいつの声が、身体をかけめぐるようで気持ち悪い。「黙れ」と言ってやりてえが、それをしたところでどうにもならない。腹立たしいが、周りもロクに見えねぇこんな場所じゃ、大声出して気づいてもらうしか方法はねぇ。こいつのやってることは正しい。それを知ってるからこそ、ずきずきと頭がうずく。
「チッ……」
考えないようにするしかねぇ。イライラは襲ってくる敵にぶつけりゃいい。
右前方で物音。視線を送れば飛び出してきたのは……くそ、またパチリスか。まあちょうどいい。ムカついてんだ。
バカみたく突っ込んでくるパチリスのスパークを軽くかわし、右手に作っておいた「水の波動」を顔面目掛けて炸裂させる。「プギャ」と間抜けな悲鳴をあげてふっとび、パチリスはそのまま見えなくなった。
***
「暑くて鬱陶しいな、ここはよ」
壁に押し付けた手を離すと、ドンメルは力なく崩れ落ちた。腕は水で濡れていて、その水が変に熱されていて気持ちが悪い。不快感もろとも散らしてやろうと腕を振ったが、まったくもって改善しない。結局イライラするだけで、本日何度目かも分からねぇ舌打ちをかます。
メアリーちゃん達の場所は大体わかった。多分この洞窟の奥にいる。ここまで来るのに時間はかかったが、手間取りこそしなかった。暑いのは嫌いだが、湿気がこもっているのはそんなに問題じゃねぇ。襲ってくる奴等の中にも特別強い奴はいねぇ。よく言えば順調だ。進むこと自体は。
「……イブゼル」
……やっぱり、こいつだ。
こいつの声を聞くたびに、胸がざわつくのを止めれない。何も邪魔されてねぇ。というかさせてねぇ。出てくる敵はほとんど全部俺が叩きのめしたし、進む道も自分で選んでる。こいつはただくどくど垂れながら後ろをついてきているだけだ。何の障害にもなってねぇ。
あの夜からだ。
あの時の、あいつの表情を見てからだ。
顔を見るたびに、声を聞くたびに、頭の奥がずきんと痛むようになったのは。遠征まではなんとか我慢できた。自制できていた。自分でも、「それ」が正しくねぇって分かってたからだ。理由も分かっちゃいねぇ苛立ちが理由で行動してしまうやつは、ただの馬鹿だ。俺は馬鹿じゃない。自分を貫くっていうのはそういうことじゃねぇ、ということを知っているからだ。
今も、そうだ。理由が分からねぇ。けど、苛立ちは増す一方だ。
だから歩く。体を動かしてねぇと、頭で考えると鬱憤は増す一方だ。正面切って解決できねぇなら、避けるしかねぇ。考えないようにするしかねぇ。あの時だってそうした。……結局、失敗だったけど。
「……お前が強いのは十分知ってる。だが、なんでも独りでやろうとするのはよくない」
後ろでやつが言葉をつなげる。
分かったような口を聞くんじゃねぇ。好きで一人でやってんじゃねぇんだ。お前の顔を見ると、声を聞くと、このわけも分からねぇ感情を抑えきれなくなる。
「……こんな状況だ。焦る気持ちは分かる。だけど今こそ、ふたりで協力して慎重に進まないと……」
うるせぇ。もう、これ以上俺をムカつかせるな。
「……俺がお前のこと嫌いなの、お前知ってるよな?」
「そりゃあ、……なんとなくは…」
「じゃあもう話しかけてくんな」
べたつく熱気が頭を撫でる。別にここまで言うつもりもなかったが、仕方ねぇ。
なんて顔してやがる。知らなかったわけじゃないだろうによ。……まぁ、これでもう黙ってくれるだろう、さっさと先を_____
「待てよイブゼル!」
思わず、振り返ってしまった。
そんな声が、出せたのか。
たかをくくっていた。こいつはこれ以上何も言えないだろうと思っていた。論理的な理由なんてない。だが、俺はこいつが嫌いだから、そう確信できていたんだ。
目の前にいるピカチュウは、眉をひそめて耳を立て、尻尾をとがらせて俺をにらんだ。敵意だ。今まで向けられたことのなかった奴の感情が、トゲとなって突き刺さる。
……でも、痛くねぇ。
言葉が出ない。……思いつかない。待っている。今までは理解しようとすら思えなかったはずなのに。
けど、
「……嫌いだとしても、俺たちはチームなんだ。最低限のコミュニケーションをとって、協力して洞窟を進むべきだ。……違うか?」
____正論、か。
「……そういうところだよ」
理解したぜ。ようやく分かった。この苛立ち。頭痛。胸のざわめき。
俺が、あいつを嫌いな理由。
敵意なんてなかった。ガワだけだ。最初から今までずっと。
分かったとたんに、胸の奥にこみあげてくる。シンプルだった「嫌悪」が、ちゃんとしたかたちをもっていきり立つ。言いたいことはやまほどあるんだ。熱さも忘れるくらいの感情が燻ってるんだ。けど、どれも通らない。言葉にしようとした瞬間、「嫌悪」にふさがれて崩れちまう。
「……お前、いいやつぶってるだろ」
____俺がこいつを嫌うのは、こいつが俺と同じだからだ。
****
面倒くさいことになったぜ。
伝説のポケモン、そりゃあとんでもねぇことは知ってたがここまでとは。ただ硬いだけならまだなんとかなったかもしれねぇが……あの怪物、まさか俺たちで遊んでたとでも言うのかよ。
別にチコのやつが油断していたわけじゃない。むしろ攻撃しながらも回避に集中力のほとんどを割いていたはずだ。それでもあんな目にあっちまったのは、明らかに怪物の動きが変わったからに違いねぇ。スピードも、パワーも動きの質も。丸々全部別物、そういわざるを得ない動きだった。……あれはかわせない。
いよいよ流れが悪くなってきたな。切り札を使えば逃げることくらいはできそうだし、メアリーちゃんには悪いが引き際は見極めねぇと……。
「……チコ!大丈夫!?……返事を__」
まぁ、死んじゃいねぇだろうよ。相手が放ったのは「マッドショット」だ。威力は凄まじいが相性がある。そんな攻撃一発でくたばるような女じゃねぇ。オレンの実でもたらふく食わせて担いで逃げが吉だ。
それはそうと、怪物はさっきと同じでだんまりかよ。暴れたおしたり静かになったり、調子の掴めねぇ不気味な野郎だ。伝説のポケモンってのは全部こうなのか____
「げッ!!うあ!」
慌ててアクアジェットを発動した俺の横を業火が通り過ぎる。まさか、ありゃあ「だいもんじ」か!……なんて技のことを考えてるばあいじゃねぇ。アクアジェットは直線移動。方向転換が難しい。これじゃあさっきみたく追撃が____
「うぁぁああああ!!!」
俺の悲鳴じゃねぇ。追撃もきてねぇ。
____あいつだ。さっきまで何もせず突っ立ってたあの野郎が奇声をあげて突っ込んだんだ。何考えてんだ、確かにグラードンの注意はあいつのほうに向いたが……、あれじゃあぶちのめされるのがお前に変わっただけ____
「うぐぁ!!」
案の定、グラードンは一瞬呆気にとられるもそのまま巨大なツメでカウンター。奴はアイアンテールを空振りし、逆に背中を切り裂かれて吹っ飛ばされる。
「あの馬鹿野郎……」
とうとう気でも狂ったか。
思えば最初からそうだ。あの咆哮でぶっくずれやがった。腰も抜けて膝が笑ってガタガタだった。気にする必要もねーし無視してたら、今度は考え無しに突撃しやがって。
……結局そうだ。いい奴ぶってるだけ。火事場で役に立たねぇ。まぁ、分かりきってたことだが……。
ともあれアクアジェットの着地は成功。怪物は___……あいつを見たまま動かねぇな。意味のわからない行動に戸惑ってんのか。ま、馬鹿に警戒してくれてるなら好都合だ。今のうちに……・。
「___イブゼル!!」
「えっ!?……メ、メアリーちゃん!?」
チコのところに駆け寄ってたはずじゃ……なんでここに。
「お願いがあるの!」
「お、お願い?」
「時間かせぎして!あたし、その間にシン君にオレンの実をあげに行ってくるから!」
「シンって……。それよりもチコだろ!?」
「チコにはもうオレンをあげてきたよ!『だいじょうぶ』って小さい声だけど言ってたし……だから…」
鬼気迫る表情。いつものメアリーちゃんとは全然違う。
てっきり焦ってチコのもとにくっついてるもんだと思ってたが、冷静だ。ぶっちゃけ、俺よりも。的確な判断かもしれねぇが、でも、俺はその提案には乗れねぇ。
「いや、けどよ……」
あいつに、そこまでする価値はないからだ。メアリーちゃんの頼みでも、な。チコが大丈夫ならなんとかなるだろ。……悪いが、ここでずらからせてもらうぜ。
「……イブゼル…」
「悪いけどメアリーちゃん、俺は__」
「大丈夫。あたし、信じてる」
「は?___ちょっ!」
___行っちまった。……らしくねぇ上目遣いなんかして、勝手に終わらせやがった。
……そこまでして、あいつを助ける意味なんてあるのかよ。メアリーちゃんが、あいつに入れ込んでることは薄々気づいてる。いい奴ぶってるあいつの雰囲気を信じきってんだと思ってた。だから、それも全部あの無様なあいつの姿を見て崩れたはず。だって、あいつは前の俺と同じでガワだけの偽物なんだから。
「『信じてる』って……どういう意味だよ…」
怪物が動き出す。シンの野郎に向かっていくメアリーちゃんに気付いたからだ。ゆっくりと、落ち着いてその動きの先を読もうとしてる。確実に仕留めるためだろうメアリーちゃんはそれでも走るのを止めてねぇ。でんこうせっかを使いながら、シンだけを見て走ってやがる。気づいてないはずがねぇ。このままだと狙い撃ちされることくらいメアリーちゃんだって分かってるはずだ。
本当にまさか、俺がグラードンの気を引いてやるって思ってんのか。俺は断ったんだぜ。性格だって知ってるはずだ。今まで何度も裏切られてきただろうに……なんで…。
「俺は、自分のモットーを変えるつもりはねぇぜ」
こんな土壇場だからこそ、だ。下手に取り繕った顔も、ヤケになって押し通す顔も、いざというときには役に立たねぇ。結局は自分のやりたいようにやるのが一番早い。
怪物の口元が赤く光り始めた。空気が熱されていく。ぐらぐらと歪んだ輪郭が標的をとらえ始める。それでも、メアリーちゃんは走るのを止めてない。
「____ッ……」
なんでだよ。あいつのどこにそこまでする理由がある。
偽物なんだぞ、あいつは。俺と同じで、自分の気持ちに嘘ついて。メアリーちゃんも騙すような男だ。あの時だってそうだろう。
____ あたしは……シンくんを、信じたいの!シンくんのことをもっと知りたい。シンくんともっと話したい。シンくんと一緒に、これからもいたい!シンくんと……… ____
メアリーちゃん、残念だけど賭けは失敗だ。信じる奴を間違えた。シンのことも。俺のことも。……悪いが俺は、自分のやりたいことをやらせてもらう。
___大丈夫。あたし、信じてる。
***
業火が走る。
火の粉が散り飛び、空気を焦がして大の字をした火炎が飛んだ。
身をも焦がすその熱気に、メアリーちゃんはたまらず振り返る。
「_____ッッ!!!」
頭痛はしねぇ。無理もしてねぇ。
____切り札は切った。もう、どうにでもなっちまえ。
ばらけて地面に落ちた炎が水に打たれて消えていく。太陽はもうねぇからな。バカでかい炎といえども水には勝てねぇ。
……さてと、ここからだ。
「……全部終わってそれでもシケた面してやがったら、覚えとけよテメェ」
______今回は、メアリーちゃんの上目遣いに免じてやるよ。
立ちはだかる巨大な怪物を前にしてにやりと笑う彼は、濡れた尻尾を雨に尖らせた。