第七十二話 合流
「お前だよ!そこにいる深緑色のヤツ。……メアリーちゃん達にいったい何を___」
イブゼルが一歩前へと歩き出した瞬間。「そいつ」は動いた。
「あ、待て!」
イブゼルの反応が遅れたわけではない。隣にいた俺よりもはやく駆け出し、“アクアジェット”で距離を詰めようとした。
しかし、イブゼルが水を纏ったときにはすでに、「そいつ」は背後の闇へと消えていたのだ。
音もほとんどなく、「駆けた」というような印象もなく、静かに姿をくらました。
目的を見失い、イブゼルは“アクアジェット”を解除して立ち尽くす。回りを見回してもやつの姿はどこにもない。完全に見失ったようだ。
「ちっ……!なんなんだヤツは……」
大きな舌打ちをして、地面を思いきり蹴りつける。闇を睨み付けても返事がない。やがてあきらめ、今度はこちらを向いて、
「メアリーちゃん!大丈夫か!!」
と大声で叫びながらメアリー達の方に駆け寄った。
「あたしは大丈夫。イブゼルこそ……」
「メアリーちゃん!そこまで俺のことを心配してくれてたのか!!」
飛びつかんとするイブゼルをさっとかわし、メアリーはいつものように微笑んだ。その笑みには若干の疲れの色が見えたが、イブゼルは喜ばしげに言った。
「おう!とりあえずメアリーちゃんが無事で何よりだぜ!」
「ああ。二人とも……無事そうでよかった」
チコとメアリーは怪我こそ少ししていたが、どれも程度の軽いもののようだった。相性不利とはいえ、チコがいたのだ。このレベルのダンジョンなら別に問題はないのかもしれない。
「シン君とイブゼルも、無事でよかったわ」
「これでリユニオン、全員集合だね!」
色々あったがとりあえず合流できた。メアリーのように、とりあえずは素直に再会を喜びたいところだが、どうしてもひとつ気になることがある。
「さっきのあのポケモン……あいつは…」
言いかけた言葉をイブゼルが奪った。
「そういえば、そうだよ!あの緑色の野郎、何がしたかったんだ?」
メアリーの表情が曇る。
「……それが……よく分からなくて……なんだかあたしに用があったみたいなんだけど……」
「メアリー、警戒して全然近づかなかったものね」
「だって……暗くて顔見えないし、声も全然知らないポケモンだし…」
耳を垂れ、メアリーは不安げに眉をひそめる。
「……チコは?あのポケモンは知り合いだったりするのか?」
チコは首を振った。
一方、一連の話を聞いていたイブゼルは、妙に納得したような表情で頷いている。
「俺達を見るなり逃げ出すようなやつだぜ。……けっ、分かった。そいつは、メアリーちゃんのストーカーだな」
「え……っ。ストーカー…!?」
イブゼルの言葉にメアリーの顔が凍りついていく。隣にいたチコが冷ややかな目を彼に送った。
「変なこと言うもんじゃないわよ。ストーカーはあんたでしょーが」
「あ?なんだとくそアマ」
「いまなんつった?」
「おーい、やめとけやめとけ。今ここで喧嘩してどうするんだ」
気づけば加熱していた二匹の間に慌てて入る。この二匹は放っておくっとこうなるんだった。しばらく離れていたからすっかり忘れてしまっていた。
「おいシン、余計なことすんじゃねえ。俺はテメーにもムカついて__」
「やめやめ!喧嘩はダメ!」
割って入ったメアリーにより、二人はようやく落ち着いた。
※※※
「……というわけで、俺達はここまで追ってきたわけだ」
全員の無事と周囲の安全を一通り確認し終えた俺達は、はぐれてからここまでに至る経緯を話し合った。
メアリーとチコは、はぐれたあとすぐに合流し、そのまま例のグラードン像にたどり着いた。たまたま居合わせたヘイポーと共に試行錯誤した結果、あの霧の謎を自力で解決したらしい。
「チコが言ったんだよ!すごいよね、あたし全然思い付かなかったもの」
「あたしは適当に言っただけなんだけどね。まさかほんとうに正解だなんて」
そのあとの展開はプクリルから聞いたものと同じだろう。知ってる側としては確かにそこまでややこしい謎解きでもない。思い付きひとつで解けてしまうのもまあうなずける。そのせいで、シナリオがここまでずれてしまったわけだが。
一段落したところでイブゼルが、うん、と伸びをして切り出した。
「まあとにかく。これでよ、全員集合したわけだ。しかも、俺たちの目的地はこの先だろ?」
くい、と奥の暗がりを指差す。つられて俺達もそちらを見る。先ほど緑色の影が消えていったその穴は、無言でこちらを待ち構えている。
「ねっすいのどうくつ さいじょうぶ」。登り続きだったこの洞窟。その頂上には、入り口で見た「霧の湖」があるのだろう。この遠征の目的地であり、俺たちの物語にとってもひとつのターニングポイントとなる場所。同時に、これまで幾多の探検隊が目指し打ち破れてきた場所だ。このまますんなりと突破できるとは思えない。ここにいる全員がそれを感じていた。故に表情が、どことなく固くなる。
「この洞窟を越えた先に……霧の湖があるんだよね」
「外から見た感じ……だけどね。途中で行き止まりってこともあるかもしれないでしょうけど」
どことなく弱い肯定をするチコ。言い出しっぺのイブゼルもその微妙な空気を感じ取ったのか黙りこくる。
チコとイブゼルそしてメアリーは、この先に霧の湖があると確信しているわけではない。当然だ。この先にたどり着いたことがあるポケモンなど、これまで存在しない。たとえ存在していたとしても、その存在を彼女たちは知らないのだ。
依然として待ち構える大穴。その先に危険はあれど、ゴールがあるかは分からない。未知なる冒険には、リスクも努力も無駄に終わりそのまま死に至るかもしれない不安がつきものだ。
誰に言われたわけでもない。それでもこの遠征で、今最も目標に近づいている自覚がある。誰に気負わされたわけでなくとも、自ら手にしたい意地がある。
そう感じるプレッシャーが、いっそう未知への恐怖を高まらせるのだ。
ならばここで、士気をあげる役目を果たす者は決まっている。先の展開を知っている俺にこそそれがふさわしいだろう。
「……みんな…」
沈黙を引きずったせいか、声はあまりでなかった。顔を合わせる三匹にも反応はない。どうやら誰にも聞こえなかったらしい。出鼻をくじかれたような気がして調子が狂うが、ここは気を取り直してもう一度____
___お前、いいやつぶってるだろ。
「あ……」
言葉は遮られた。脳裏によぎったその言葉に、口を無理矢理閉じさせられた。相変わらず三匹に動きはない。もちろん、………も例外ではない。気のせいだ。頭の中の言葉を書き消して、言い直す。………言い直そう。………言い直したいのに、言葉が喉を通らない。台詞はいくつも浮かぶのに、どれも陳腐で受け付けない。余計なことを考えている場合ではないはずだ。ここで言うべき言葉は____……
「なら行くしかないよね!!」
シンプルに声をあげたのは、キラキラと目を輝かせた他でもないメアリーだった。
※※※
「さすが、あたしのメアリーね」
チコがいつもの高慢ちきな様子で胸を張り、
「それでこそ俺のメアリーちゃんだぜ!」
イブゼルは腰に手を当てて鼻を鳴らした。
「別にあたし、誰のものでもないんだけどね……」
その様子をメアリーが苦笑いして眺めている。
さっきまでの空気は、彼女の言葉によって嘘のように消え去っていた。
大穴の存在感も、その先にある危険と未知も、現状は何も変わっていない。しかしイブゼルとチコは、意気揚々と最深部へ乗り込む準備を進め始める。
その立役者であるメアリーは既に一通りの準備を終えたらしく、カバンからなにかを取り出して見つめていた。
「メアリー、それは?」
準備の手(というかツル)を止めて覗きこんだチコが、一瞬顔をしかめた。それに気づいたメアリーが、前足にのせてチコに見せる。
「あ、これはね。あたしの宝物なんだ。ほら、ここに不思議な模様があるでしょ?」
「確かに……不思議。何か特別な意味でも込められているのかしら」
「絶対にそう……!いつかこの謎を解明するのが、あたしの夢なの」
「さすがメアリーちゃん!夢見る乙女はかわいいぜ」
さらっと会話にまじり、イブゼルはチコとメアリーの間に割って入る。その様子に眉を潜めたチコは、すぐに蔓で彼の首を締めてつまみ出す。あまりに素早い対応に、イブゼルは抵抗する間もなく放り投げられた。そしてメアリーは苦笑しながらも、持っていた石板に向き直る。
「だから……そのためにも、まずは霧の湖を見つけてみせるの!」
特段に目を輝かせ、ピンと立てた耳。まさに希望を浮かべたその表情に、思わず目を細めてしまう。可憐で美しい微笑みに、胸の奥が傷んだ。
「ね!シンくん!」
そこで初めて、彼女の笑みが自分に向けられていることに気づいた。
そこで初めて、自分だけがあの沈黙に取り残されたままだったと知った。