第六十八話:濃霧の森
騒がしい夕食、嵐のような寝仕度を乗り越えて就寝。死んだように眠っていると、ドゴームの爆音で叩き起こされた。
「シンくん、今日は寝ぼすけだね〜」
そう微笑みかけてくるのは、いつも寝ぼすけなメアリー。簡易ながらも整えられた栗色の毛並み。おそらく彼女はかなり早めに起きたのだろう。ちなみに、メアリーはさわがしい夕食にたじたじだった側である。
「あまりのんびりしてる暇はないわよ」
昨晩の夕食で暴れまわっていたチコは、既にミニバッグを身につけていた。
……あ、これ割と寝坊したやつだな。ぼんやりしててまだ動きたがらない体に、急いでスイッチを入れ始める。暖かい寝床から引き離した身体が、急速に冷えていくこの感覚。あまり好きではない。
「うーん……寝みぃ……」
藁のベッドを片付けていると、背後からイブゼルの呻き声が聞こえてきた。昨日最も騒がしかった、あのイブゼルとほぼ同じ時間に起床とは。最近早起きには自信があったのだが、油断大敵とはこのことだ。
とはいえ寝坊したポケモンが他にいたのはなんだか嬉しい。ほんわかメアリーはともかく、チコの視線はグサグサ来るので、傷を舐め合える同士がほしいのだ。
「ちょっと、イブゼルもさっさと支度しなさいよ!」
語気強めなチコの言葉を浴びせられるイブゼル。反論する元気もないのか眠そうに、「うるせぇな……」とこぼすばかり。まぁそうしょげるな、俺もさっき起きたばかりだ。一緒に傷を舐め合おうじゃないか…………。
そんな気持ちで、後ろを振り返ってみれば。
「こっち見てんじゃねぇよ。さっさとベッド片付けろ」
イブゼルは既に寝床を整頓し、荷支度に突入していた。
あれ?……準備早くない?……いや、待てよ。これはもしや、本格的に俺は……。
「シンくん、ぼうっとしない!早く支度しなさい!」
…………申し訳ありませんでした。
※※※
それから支度を猛スピードで済ませ、ペラオのかん高い怒鳴り声に耳を痛めながら濃霧の森の調査へ乗り出した。
既に他のメンバーは濃霧の森へ入っているらしく、俺達リユニオンは少し出遅れている。そのことについてチコとイブゼルから文句を言われまくれたが、何度も頭を下げてなんとか許してもらえた。
さて。
濃霧の森は、やはり霧がすごい。語彙力のなさを露呈してしまっているが、一寸先は闇ならぬ一寸先は白である。ベースキャンプが置かれていたあの場所は、ずいぶんとましな方だったんだなと実感させられた。
「しかし……これは……」
あまりにも、見えなさすぎる。少し離れただけで、たちまち仲間の姿が霧に紛れてしまう。これでは、調査どうこうの話ではないような気がする。ゲームでも、こんなに霧が深いなんてことはなかったぞ。
さらにいえば、霧が深いということはそれだけ空気が湿っているということでもある。頬から漏れだしそうになる電気がかなりうっとうしい。電気タイプにはよくある症状なのだろうか。それならばもう少し対策をうかがっておくべきだった。……確か、トレジャータウンには電気タイプのエレキブルがいたはずだ。
というか、今はそんなことを考えている場合ではないが。
ともかく周りの視界はほぼシャットアウトされてるわけだが、迷うということに関しては心配なかったのは幸いだろう。探検隊である俺達には、ワープ機能付きの探検隊バッジが支給されている。これを使えばとりあえずはベースキャンプに戻れるのだ。
帰りの心配はしなくてよい。なら調査方法は。霧が深くてまともに周りすら見えないこの状況で、どのように霧の湖を探すのか。濃霧の森に入ってすぐ、俺達はそのことについて話し合うことになった。
「……あたしの耳でも、さすがに森の形状までは分かんないし……」
「そりゃそうでしょ。超音波が出せるわけでもあるまいし」
「うむぅ……どうよう……」
霧の中で、四匹揃って首をかしげる。かしげつつも、俺には頭のなかにひとつ方法が浮かび上がってきていた。
濃霧の森も不思議のダンジョンだ。ゲームと同じで「階段」がある。その「階段」を探し当て続けて濃霧の森を踏破さえすれば、少なくともイベントは進む。要は、周りがほぼ見えないこのダンジョンで、どのようにして目的のものを探し当てるかということだ。
「……ちょっと考えがあるんだけど」
チコの鋭い目と、メアリーの光り耀く目が同時に向けられる。イブゼルはちらりと一瞥するだけだ。
「なになにシンくん!?教えて!」
メアリーが、ずいっと近づいてきた。浴びせられる期待の光に、思わず少し体を仰け反らせてしまう。そこまで期待されるとちょっと自信なくなるな……。しかし、ここまで来て「言わない」なんて選択は無理だ。
おずおずと俺は話し始めた。
「まず、四匹が横一列に並ぶんだ。間隔としては、隣のポケモンがギリギリ見えるくらいまで離れる」
「……探せる範囲を増やすためってことね」
「ああ。探しかたとしては、両端の二匹が分かれ道を見つけた場合は、そこで報告。四匹でその分かれ道に進む。これを行き止まりまで繰り返すんだ」
「行き止まりになったら?」
「回れ右して、行きと同じようにすればもとの場所に戻れる」
「……ふぇー…。…そうなのかー」
「……その方法で、どうやって濃霧の森をくまなく探すの?」
あまり分かってなさそうな顔をするメアリーの隣で、チコの鋭い指摘。俺は用意していた答えを返す。
「……行き止まりになったら、その前の分かれ道に引き返して、もう一度まっすぐ進み直してまた新しい分かれ道を探すって感じ。これを何度も繰り返せば、いずれ同じところに戻ってくる。ただし、分かれ道を曲がるときはなにか目印をつける必要はあるけど」
「……なるほどね」
チコは少しうつむいて、なんどかゆっくりとうなづいた。自分のなかでは大丈夫な気がする作戦だが、果たしてどうだろうか?だんだんと沸き上がってくる不安に駈られながら、チコの返答を待つ。
チコが口を開いたのは、それから少しした後だった。
「いいんじゃないかしら?あたしは賛成よ」
「あたしも賛成〜!」
メアリーがすかさず言葉を合わせる。あきれた顔をチコは彼女に向けた。
「メアリー、どんな作戦か理解できたの?」
「うーん……。たぶん!」
「……多分って……」
続く言葉を諦めたかのようなため息を、チコはついた。のほほんと微笑むメアリーに、これ以上言葉を重ねても無駄だと思ったらしい。なんというか、今日のメアリーは昨日よりいくぶん機嫌が良いような気がする。
「……メアリー……それ、なに?」
そんなメアリーが、なにか妙な物を持っていることにチコは気づいた。
指摘され、彼女はその「石」を皆に見せる。
「これね。濃霧の森に入るところで落ちてたんだけど、とってもきれいだから拾っちゃった。それになんだか、持ってるととても暖かいの!」
そう言って、石をぎゅっと握りしめるメアリー。ぼんやりと赤い光を放つそれは、熱を発しているようにも見える。
「……綺麗な石だなぁ!……メアリーちゃん、ちょいと俺に……」
石の魅力にひかれたのか、ついさっきまでだんまりを決め込んでいたイブゼルが、身を乗り出した。メアリーは若干驚いたが、心優しくその石を譲る。
イブゼルは、石を手にとってすぐに歓声をあげた。
「おおー!すげぇ!確かに暖かいぜ!
……いったい、なんの石なんだこれ……?」
「それが分かんないんだよね〜。……ほのおのいしなら、確か模様があったはずなんだけど、それもないし……シンくん、なにかわかる?」
「うーん……。俺は、てっきりほのおのいしかと…」
嘘である。
当然その石の正体は知っている。メアリーが濃霧の森に行く前に拾うという展開も確かゲームと同じ。その石は、これからまき起こるイベントに必要なキーアイテムなのだ。
考え込む三匹(一匹は演技だが)。
特にイブゼルは、その赤い石をまじまじと見つめている。それもときおりメアリーの表情をうかがいながら。
そんな彼の手元に、二本の蔓が上からしゅるっと降りてきて、そのまま赤い石を取り上げてしまった。
「ちょっ!?おい、何をするんだよ!」
石を奪われてキレるイブゼル。既にメアリーの元に石を返し終えたチコは、何食わぬ顔で返事した。
「石のことは、もうそれくらいでいいでしょ?」
元々彼女が言い出したような気がするが。
しかしその意見には賛成だ。石の正体はここで判明するべきではない。しかるべき場所がある。今俺達がすることは、濃霧の森の踏破。フラグは立てたのだから、もうこの石のくだりをうだうだと続ける必要もない。
「まぁ、それもそうだな」
俺はチコに同意した。
石を返されたメアリーも、大事そうにそれを鞄にしまいながら、「そうだね」と頷いた。
イブゼルはというと。あまり納得していなさそうな表情で、それでも反論を重ねはしなかった。
※※※
探索の方法も決定し、俺達はいよいよ濃霧の森の調査へと乗り出した。俺が提案した作戦はある程度功を奏し、時間はかかるものの順調に「階段」を見つけていった。
しかし、弱点が無かったわけではない。
ひとつは、あまりに開けた場所の場合、四匹で横一列にならんでも、端から端まで見ることができないということだ。俺達の作戦は、横一列に並んで前進することで、一つのエリアを入り口から出口まで隙間なく調べつくすというものだ。ちょうど、狭い廊下を、その横幅分の大きさがあるモップで一拭きする感じである。だから、横一列になってもその横幅が足りないと、そのまま前進しても調べきれない場所が出てくることになる。
これについては、どちらか片方だけでも端が見えるようにし、残る片方は後回しにするしかなかった。幸い、濃霧の森はそこまで開けた場所がなかったこともあり、この弱点が探検に大きな支障をきたすことはなかった。
致命的だったのは、もう一つの弱点だった。
そのとき俺達は、チコ、メアリー、シン、イブゼルの順に並んで進んでいた。俺の左隣にはメアリー、右隣にはイブゼルが見えていた。
いくつか階段も登り、もうそろそろダンジョンのゴールだろうと思っていたときのことだった。
相変わらず霧の深さは異常だった。メアリーとイブゼルのことは視認できても、そのもう一つ隣にいるチコは、全く見えなかった。
微かに見える分かれ道も見逃さないように、ゆっくりと慎重に歩を進めていた。
突然。
「カイロス!……2体いるわ!」
左の向こう側から、チコがそう叫ぶのが聞こえた。
敵ポケモンに出くわしたらしい。
メアリーが応答した。
「チコ!今行くよ!」
誰かが敵ポケモンと鉢合わせたときの対応方法は、事前に話し合って決めていた。
敵ポケモンに出くわしたメンバーのもとに四匹全員が集まり、固まって戦うというやり方だ。今回の場合も同じだ。俺も、チコのもとへ向かおうとした。
しかし。
「……うわっ!?」
その目の前を、赤色の拳が通りぬけた。鋭くとがったひづめのような形をしたその手が、飛んできた方向には。
緑色のキノコを被ったようなポケモン、キノガッサが構えていた。くさ、かくとうタイプ。カンガルーに少し似た形をしたそのポケモンは、何度も空にパンチを放ってこちらを威嚇してきている。
慌てて隣を確認する。メアリーの姿は既にない。……そしてイブゼルは。
「ちっ……!パチリスだ!2体いる!」
彼も彼で、出くわしてしまったポケモンたちと応戦していた。
非常にまずい状況だ。……すでにチコとメアリーの姿が見えない。おそらく左にまっすぐいけば会えるだろうが、今度はイブゼルとはぐれてしまう………………
「……くっ!?」
注意を怠った俺の顔面に、音速のパンチが放たれる。回避もガードも間に合わず、もろにその一撃をくらう。
……ダメだ。このキノガッサを相手に、周りを考えていられるほど俺は器用ではない。……まずは、こいつを倒してからだ。
湿った草地を踏みしめ、キノガッサと向き合う。向こうはプラプラと腕を振り、足でステップを踏んでいる。どこにも隙が見いだせない。
……でも、やるしか……!
「電光石火」で、やつとの距離を詰める。待ってましたとばかりに赤いひづめがぐんとしなり、「マッハパンチ」が飛んでくる。
予想こそできていたがかわせない。拳が脇腹に打ち込まれた。その拳を両手でつかみ、拳づたいに「電気ショック」を浴びせてやる。
だが、手応えはまるでなかった。確かにキノガッサをとらえ、ゼロ距離で「電気ショック」を当ててはいるが、やつが苦しむ様子はない。……相性も悪いし、この場には霧もある…。厳しいとは思っていたがここまでとは____
次の手を頭で考え始めた瞬間、つかんでいた拳と逆の拳が飛んできた。交わせるはずもなくまたもや顔面に「マッハパンチ」が炸裂する。そのまま俺は吹っ飛ばされてしまった。
「……くそッ…!」
鼻から垂れる血を、手で拭いながらキノガッサを睨む。ヤツは余裕の表情で、またステップを踏んでいる。
「電光石火」を用いても、近接戦闘には相手に分がある。遠距離で攻めようにも、電気技はほとんど効かない。
……まだ練習し始めたばかりだが、使うしかない……。
両手を地面につけ、四足で再び「電光石火」で突進する。対するキノガッサはさっきと同じ構え。マッハパンチを打たんとして右拳を構える。
……今だ!
キノガッサのリーチに達するその少し前。体をよじらせ回転させる。……遅れて放たれる音速の拳。……光の尾を帯びながら弧を描く鋼の尻尾が、その拳を迎え撃った。
ガン、という鈍い音とともに、尻尾で拳を払いのけた。瞬間、キノガッサの胴が空く。尻尾の勢いは、まだ死んない。
「アイアンテール!」
勢いに任せてもう一回転し、今度は、腹に直接尻尾を叩きつけた。衝撃による重い音が響き、キノガッサは嗚咽とともに斜め前方に吹き飛んだ。
着地してその方向を確認し、再度「電光石火」で追い討ちをかけにいく。
ゆっくりと、キノガッサは立ち上がった。傘のように被ったそのキノコが、その顔を覆い隠す。やがてその下から現れた表情を確認することもせずに、再び「アイアンテール」を顔面めがけて振り抜く。小さな鳴き声とともに、キノガッサは頭から地面にダイブした。
…………戦闘不能だ。
目をまわしているキノガッサをある程度注視するも、もう起き上がる気配はなかった。
俺はキノガッサから目を離し、周りを見渡した。
「…………はぁ………不味いな……」
白い霧。そこに揺れる草木や花の影。
それ以外、なにも見えなかった。
メアリーも、イブゼルも、チコも。視界から姿を消していた。