第六十七話:ベースキャンプ到着
「お、やっと来たかお前達」
ツノ山を越え、ベースキャンプに到着した俺達を迎えたのはペラオだった。
「うん、なんとか到着だよ。……ほかのみんなは?」
「もう全員ここに到着済みだ。テントで休んでいるものもいれば、周辺をぶらぶらと散歩してるやつもいるな」
ゲームと同様、かなりの霧の濃さだ。ペラオとはけっこう近い距離で会話しているはずなのに、ぼんやりと彼の顔がぼやけて見える。湿気も異常で、さっきから毛がこわごわしていて気持ち悪い。メアリーも、首の周りに蓄えたふさふさの毛を、何度も前足で整えている。
「とりあえず、お前達も今から明日の朝までは自由行動だ。……といっても、濃霧の森の調査は明日の朝から行うから、自分たちだけで勝手にしないように」
ぶるぶると首を振り、ペラオは霧の中へ消えていった。どうやら、彼もこの霧が気持ち悪いのだろう。ちなみにイブゼルの顔は、しかめっ面だがどことなく元気が良さそうに見える。……水タイプだからだろうか。
濃霧の森。……いつも霧におおわれているその森は、不思議のダンジョンの性質もあいまってなかなか踏破困難な森になっているらしい。
霧の背後に黒々とした影として見えるたくさんの木々が、ゆらゆらと揺れる様子はまるで魔女の森にでも誘われているような感じだ。
俺達プクリルのギルドがベースキャンプを構えているここは、その森の手前で、木々が少ないためにちょっとした広場になっている。しかし、霧の濃さはあまり衰えておらず、見渡せるのはせいぜい周囲4、5メートル程度しかない。
さらに、霧というのは、声じたいもそこに閉じ込めてしまうらしい。ギルドメンバーが全員揃っているというのに、やけに静まり返っているのはこのためだろう。まぁ、疲れて話す気もあまりないのかもしれないが。
ペラオには好きに行動しろと言われたが、探検の疲れがかなりたまっていた俺達は、満場一致でテントで休むことにした。どのテントにすればいいかを聞き忘れていたせいで、この深い霧の中、ほぼ手探りでテントを探すはめになった。
なんとかテントを一つだけ見つけ、俺達四匹はそこに入ることにした。この際、激しい争いが起きた。無論、イブゼルとチコによる争いである。その理由は、まあ察してほしい。二人はなかなか相容れない仲なのだ。
なんとかテントの中に入った俺たちは、カバンを置いてそのままぐだっと倒れこんだ。藁のベッドはないし、ただの薄い布切れだけで草や土の感触を直に感じるのだが、それでも起き上がろうとは思わない。だいぶ疲労していたのだろう。俺やメアリーはもちろん、さっきまで憎まれ口を叩きあっていたイブゼルとチコも、一気に口数が減った。
ベタベタとする湿気の中で、どれくらい経ったか分からないくらい放心していた。微妙にトゲトゲしていた地面の草も、なんだかそれが心地よくなってきていた。
瞼も重くなってきた。……今日はこのまま寝てしまおうか……。下がってくる瞼を支える気も失せ、這いよる睡魔に身を任せる。
ひんやりとした感覚が、背中に残った。
………………。
「シ……くん……」
「シン君…………起きて……」
「…………ん、んん……」
目を覚ますと、そこにはメアリーがいた。
「あ、えと……。すまん、寝てた…」
のそりと起き上がる。頭が少し痛い。少し不明瞭な視界のまま辺りを見回すと、すでにメアリーと俺以外テントにいない。
「あ、いや謝らなくていいよ。あのね、夕食の時間だから起こさなきゃダメかなって……」
シワになったテントの布を伸ばしながら、メアリーは言った。
夕食……。あぁ、すっかり忘れていた。
「夕食って……、ギルドの皆で食べるのか?」
「うん。……霧も、少しましになってきてね。今、みんなが広場に机とかを準備してるよ」
「まじか。……うーん、それは寝てる場合じゃあなかったな……」
少しだけ、申し訳ないと思った。それに夕食の話を聞いて、急にお腹がすいてきた。メアリーは、テントのシワを伸ばし終えたのか、ちょこんと俺の前に座っている。
…………?
……あぁ、俺待ちか。
「……よし、行こうか」
「うん」
軽く微笑みを浮かべ、くるりと向きを変える。尻尾は垂れ下がり、歩くリズムに合わせて揺れている。
……まぁ、疲れてるよな。頭は痛いが寝たおかげで少し体力回復した俺とは違う。おそらくずっと起きて何かをしていたのだろう。俺よりもずっと疲れているはずなのだ。それなのに、彼女はふわりと笑っていた。
ツノ山の時だって、そうだ。あのダンジョンの踏破は、メアリーの功績が大きい。聴力による敵サーチは言わずもがな、最後のモルフォン戦の時も、メアリーがいなければどうなっていたことだろう。
……それに比べて、俺は?
…………。
「あの、メアリー」
もう少しで夕食の場所につく、といったところで、俺はメアリーを呼び止めた。彼女の足はピタリと止まり、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「なぁに?シンくん」
無垢な瞳を向けられて、言葉がつまった。
「あ、えと……。
……ツノ山の時は……悪かった…」
少しだけ、眉をひそめて。しかしすぐに笑顔を作り、彼女は首を振った。
「……ううん。シンくんは何も悪くないよ?
……あたしの不注意が原因だし…………ね?」
「だが……」
「だがもなにもないよ。……あの、シンくんは少し引きずりすぎだと思うよ?……シンくんは何も悪くない…………それで十分でしょ?」
いつにない強めの口調だ。その勢いに気圧されて返答ができなくなる。短い沈黙が訪れたあと、彼女ははっとしてバツが悪そうに微笑んだ。
「えっと……その。……もうこの話はおしまいにしよ?
…………ほら、お腹すいてきたし!」
メアリーは、ぴょんと跳び跳ねておちゃらけてみせた。気を使わせてしまっている___それに、今更ながら気づいたことでさらに申し訳なくなった。しかし、だからこそこれ以上引き伸ばすわけにもいかない。
「……あぁ、そうだな。……俺も、腹減ってきたや」
「シンくん、謝りながらお腹鳴らしてたもんね」
「……え?」
「うそだよ!」
「なんだよそれ」とから笑い。にひひと笑うメアリーは、楽しげに尻尾を揺らしている。
俺たちは再び歩き出した。だんだんと周りの音が騒がしくなってくる。聞いてた通り、霧はマシになってきたようだ。
「あ、イブゼルが怒られてる」
そう呟くメアリーの向いている方向を注視すると、確かにイブゼルらしき影が霧の中に浮かんでいる。その上で、バタバタと羽を動かしているのは……おそらくペラオだろう。それに、雑音に紛れて聞こえづらいが、確かにペラオが甲高い声で怒鳴っている。
「遠征でも相変わらずだな、あいつは」
「ふふ。……だね」
メアリーはクスクスと笑いをこぼした。気まずさはほとんどナリを潜めてしまった。隣で微笑む彼女を見ていると、いくらか気持ちが軽くなる。
メアリーの言う通りこれ以上クドクド考えるのは、らしくない。これから先の調査のためにも、まずは腹ごしらえだ。そう、気持ちを整え直す。
しかし、足元の草木は湿っていた。
マシになったとはいえ、霧も深い。周りを白く濁している。
だから。
彼女の見せる美しい笑顔も、歩けば霧が覆い隠しそうだった。