第六十四話:早朝にて
朝だ。……窓越しに聞こえてくる小鳥のさえずりが、寝ぼけた俺の頭を軽く揺らす。……まだあまり開きたがらない目に、窓から光が無遠慮に差し込み、思わず眉間にシワを寄せる。
静かだ。……ドゴンの怒声によって起きたわけではない。自然に目が覚めた。……珍しいわけではないが、そうよく起きることでもない。俺は目を擦りながら、隣のポケモンを確認する。
………当然、メアリーはまだ寝ている。すやすやとリズミカルに寝息をたてながら、気持ち良さそうに眠っている。このあと、ドゴンの怒声によって起こされるのであるが、その前に先に起こしておいた方がよいだろう。そもそも、最近ではドゴンの声量でも平気な風に寝ているのだが。
「やるなら静かに」
メアリーの頬に手をさっと当て、微量の電気を流し込む。ビクッと彼女のからだが跳ね、メアリーはその重たい瞼をゆっくりと開けた。声にもならない吐息を幾度か漏らし、ようやく言葉を口にし始める。
「……んむぅ……。もぅ……ちょっとだけ…」
こうなるともう無理だ。眠りはずいぶん浅くなってきたと思うが、これ以上やるとグズりだす。もう、ドゴンに任せよう。
俺は、小さく息をついた。ギルドの生活に慣れてから、だいたいいつもこんな感じだ。ゲームでは、ドゴンの声に震えながら起きていたものだが、まさかメアリーがここまで朝にだらしないとは思わなかった。夢の世界を掴んで離さない。なにか特別なことがある日の朝は、特にそうだ。多分、気になりすぎて夜に眠れなくなるのだろう。
ましてや、今日は遠征の日なのだから。
さっと簡単に身支度をして、俺は広間に出た。朝日が窓から差し込んでいて、ほどよく明るい。キラキラと光る粉が、薄白い線の上でまたたいている。
そんな中で俺の影は、申し訳なさげに長くのびている。目を凝らさないと見えないくらいの薄さ。空気はツンと澄んでいた。
(ま、誰も起きてないか)
ふらふらと広間を歩きながら、俺はあたりまえのように確認した。ドゴンが声を出してない以上、他の弟子たちが起きるわけもない。多分、メアリーみたく緊張でなかなか寝付けなかったやつもいるだろうし。自分で言うのもなんだが、俺は例外だ。
もちろん、まったくもって緊張していないわけでもない。寝付きも目覚めもよかったが、部屋にずっといることなくここに出てきたのは、多分少し気になってたりするからだ。
ここでシナリオがずれて、俺達リユニオンが遠征メンバーから外れたりするのではないか、と。
「シンくん?」
「へ?」
不意に後ろから声をかけられ、頓狂な声を出した。ばっと後ろを振り返る。声の主は、チコだった。
「どうしたの?…こんなとこで」
「え?……いや、まあ別に…」
返事に困る。本当に何もない。だが、何かを隠そうとする自分がいる。……俺は、話を切り返した。
「……ていうか、チコこそどうしてこんな朝早くに?」
「………あー…」
はぐらさかされたのかと思ったか、少し怪訝そうに眉を潜める。しかしすぐにいつもの目に戻った。
「なんだか、目が冴えちゃって」
てくてくとこっちに近づいてきて、チコはそう話した。そうか、普通にそれでいいのか。「俺もだ」それなら同調しておこう。ふーん、とチコは特に興味もなさそうに声を鳴らした。
「………」
そういえば、こうしてチコと二人きりになるのは初めての経験かもしれない。チコがいるとき、だいたいそこにメアリーがいるからだ。うーん……何を話せばいいのか。意識出すと余計に言葉が詰まってくる。何というか、チコの鋭いその視線は、生半可な話題を通してくれないようにも思える。俺は、少し目をそらした。
「……緊張するわね」
「え?」
またも、不意打ち。チコがささやくようにそう言った。チコの表情に変化はない。……いや、少しだけ優しくなったように見える。……とりあえず今の一言は………会話をしに来た証としてとらえるべきだ。
「……あぁ、そうだな」
「シンくんは結構すましたような表情に見えるけどね」
「え?」
ニヤリと、彼女の口角があがる。
「いやいやしてるさ、緊張。そのせいで、今日もこんなに早く起きちゃったんだから」
それもそうね、とチコは愉しげに微笑む。
「……メアリーは、まだ寝てる?」
「……一応起こそうと試みたけど、ダメだった。後はドゴンに任せるよ」
「ドゴンの声で起きるかしらね?」
「……起きなかったときは……プクリルが出てくるだろ」
「ふふふっ。そうね、それは起きるわ」
目を細めて何かを思い出したように笑うチコ。多分それはあの水タイプのイタチのことで間違いないだろう。あの時の彼の様子からして、何をされるかは分からないが、少なくとも起きることは確実だと言える。
「メアリーって、昔からそうなのか?」
「え?」
今度は、チコが頓狂な声をあげた。
「ほら、確かチコって、昔メアリーと友達だったんだろ?」
「あー、そういうことね」
なんだ、とチコは頷いた。それから、少し上を見上げて何かを小さく呟いた。
「まぁ、確かにそんな感じだったわ。ベッドへの執着心は、相変わらずね」
再びチコはくすくすと笑った。やけに上品に笑っている。どうやら、特に動揺もしてないようだ。
この質問で、チコとメアリーの関係について少しでもいいから探ろうと思ったが、さすがに当たり障りが無さすぎた。
だが、チコは続けた。
「結構ね。前までは昔と違うなぁってとこもあったんだけど。昨日の、メアリーの演説を見てさ。やっぱり、メアリーなんだなぁって思ったわ」
しみじみと話すチコの表情は、それはもう穏やかだった。
……後悔した。
こんなときにも俺は、チコのことを探っている。対するチコはどうだ?
途端に、彼女から目をそらしたくなった。だが。それを許すチコではない。俺は、苦し紛れの一言を放った。
「なんか、やっぱり俺……もう一度部屋に戻るよ」
「あ、そう?」
「うん。……なんていうか、やっぱりメアリーが気になる」
「ふーん。なら行ってきたら?あたしはもう少しここでのんびりしてるわ」
結局最後は優雅に笑みを浮かべ、チコはうーん、と伸びをした。俺は、空返事をするや否やきびすを返し、足早に広間を去った。
部屋の扉を開けると、そこにはまだ気持ち良さそうに寝息をたてる、メアリーがいた。