第六十三話:遠征前夜
テーブル上の料理が皿だけになって少しした後、ペラオが皆に向けてこう言った。
「えー。皆!明日はついに遠征だ。シャッフルの後で積もる話もあるだろうが、あまり夜更かしせずにすぐ寝ること!」
きりっとした表情で啖呵を切り、ペラオはこう付け加えた。
「まぁ、皆が皆、遠征にいくとは決まっていないが……」
余計な一言じゃあないだろうか。俺は隣にいるメアリーの表情をうかがった。案の定、さっき話していたときの笑顔は消え去り、代わりに渋い表情が浮かんでいる。
メアリーだけではない。今まで活気ぬ満ち溢れていた食卓が、面白いほど静まり返った。変わらないのは、プクリルだけである。
さすがの変化のしように、ペラオも少し動揺したのか、さらに付け加えた。
「あ、えっと…。なんだ、お前達!!自分の頑張りを信じられないって言うのかい!!」
「な、なにを!!……わしは当然、選ばれると思っている!!」
甲高いペラオの怒鳴り声に、応答するドゴンの爆音がこだまし、音という面においては騒がしくなる食卓。だがそれもひとときだけで、すぐさま沈黙が襲ってくる。
皆、不安なのだ。ゲームでこんなシーンはなかった。遠征の前夜、食卓にて弟子達が話し合うイベントなどなかった。
ぶっちゃけた話、皆選ばれる。ゲームでは、選ばれたときのリアクションしか知らないから、他の弟子達の不安やそういうものは、表面上でしか分からなかった。
「まあ、とりあえず!明日は遠征のメンバーを発表するから、くれぐれも朝礼には遅れるなよ!」
決まりが悪くなり、苦し紛れに言うことだけ言ったペラオは、プクリルに一礼したあと逃げるように飛んで帰っていった。次いでプクリルも、「それじゃ、明日頑張ろうね〜♪」と気楽に声をかけて、食堂を後にした。
取り残された俺たちは、石化したように固まっていた。ドクローズ達については、ニヤニヤ笑ってはいるものの、口は開かない。キマルンは珍しく口角を下げ、レレグも真顔に近い表情を浮かべている。チコは険しい面持ちを崩さないし、イブゼルも面白くなさそうな顔だ。
雰囲気は最悪だった。皆、そろそろと席を立ち始める。その時、奴が机をバァンと叩いた。
「おいおいおい!!!なに静まり返ってんだてめぇらは!」
イブゼルだ。行儀悪く片足を机の上にのせ、大声をあげて皆を見回している。
「そりゃあそうなるだろヘイヘイ!…遠征に、選ばれるかどうかの保証なんて何処にもないんだぜ!」
「俺は選ばれるよ!」
「はぁ?」
イブゼルは、ポリポリと頭をかいて、渋柿を噛み潰したような表情を浮かべながら続けた。
「っていうか、遠征に選ばれなくても黙って付いていってやらぁ」
「お前……」
ヘイガニの反論もそこまでで、再び言葉が止まる。もう少し何か言ってくると思っているのか、イブゼルは視線を散らした。
しかしそれきりで、場はうんともすんとも鳴らない。
「けっ!面白くもねぇ空気してやがんぜ。ったくよ」
痺れを切らし、捨て台詞を吐く。そのままイブゼルは部屋を後にした。俺達は、その後ろ姿をただ傍観しているだけだった。
イブゼルの姿が見えなくなると、皆、再び取り残されたように固まった。席を立っていたものは、立ちっぱなし。座っているものは、座りっぱなし。視線は、キョロキョロ定まっていなかった。
やがて、誰からともなく動き始め、食堂の出口へと歩き始める。しかしそこで、再び一人の声が上がった。今度は、メアリーだった。
「み、みんな!!!」
バラけていた視線が、再び一点に集まる。
隣にいた俺は、少し状況が飲み込めていなかった。いきなりメアリーが大きな声を出した。戸惑いをはらんだ目で、メアリーを見たのだ。だが、彼女の目は、きょどりながらも据わった目だった。
「あたしもね、遠征のメンバーには選ばれるつもりだよ!!」
嘲るような笑い声が聞こえる。発生源は言うまでもない。メアリーの目は、一瞬曇る。でもすぐに、光を取り戻した。
「色々失敗もしちゃったし……新人だけど……でも、親方様からチャンスがあるって言われて、とっても頑張ったの!だから、選ばれる自信、あたし達にはあるよ!!!ね、シンくん!」
「お、おう」
不意打ちのような声かけに、俺は一応相づちを返す。同時に、隣で話すメアリーを、なんとも言えない気持ちで見ていた。
「それにね!遠征のメンバーに、選ばれないポケモンがいるとは決まってないよ!!ほら、みんな選ばれるかもしれない!」
一段と笑い声が大きくなる。しかし、もはやメアリーは気にしていない。視線は前を向いている。
「みんな……選ばれる…?」
誰かがメアリーの言葉を反芻する。唖然とした表情もあれば、信じられないというような表情もある。次第にその表情も、ひとつにまとまってきた。
「そうだな!みんな選ばれるかもしれない!」
ドゴンがそう声をあげ。
「……まぁ、今さら悩んでも仕方がないですよね」
トニーが控えめに声を漏らし、
「………そ、そうでゲスね!メアリーちゃん!」
デッパがデレた。
他にもたくさんの声が次々に上がっていく。それらは、さっきみたく後ろ向きな声ではない。希望に満ちた前向きな声が、次から次へと跳びはねた。
「よぉーし!みんな!明日の遠征に向けて、頑張るぞ!!!」
「「「おおおおーーーーー!!!!!」」」
しまいには、場のみんなが一斉に大歓声をあげる始末。その騒がしさといったら、もはや、さっきまでのあの凍るような静けさが、形すら残っていない。あるのは三つだけのの渋い顔。そして多数の、やる気溢れる表情だ。
火付け役となったメアリーは、その状況を笑顔で見つめている。その笑顔は、なんというか、とてもまぶしい。
俺は、そんなメアリーの笑顔を、目を細めて見続けた。
何時もよりも密度の大きかった夕食を終え、俺達は自室へと戻った。そして扉を閉めたとたん、何かの糸が切れたように二人ともベッドに倒れこんでしまった。
一本一本はとがっている藁だが、まとまるとなかなかふんわりしている。しかも、今日はいっそうやわらかい。力が下へ下へと流れ出ていき、関節という関節がうやむやになっていく。だらっとした体が、そのままベッドに染み込むような感覚だ。
だんだん頭の中も白くなっていくようで、瞼も自然と落ちていく。
「ねぇ、シン君」
メアリーが俺のことをよんだのは、まさにその、意識がなくなろうとしていた寸前のことだった。
「ん?どうした?」
気持ちにスイッチを入れる感じで、ガバッとベッドから顔を上げる。
メアリーは、ベッドの上にちょこんと座ったままだった。少し目をそらし、地面と俺に視線を行ったり来たりさせている。
「あ、ごめん…。なんか、疲れてるところを起こしちゃって」
今謝るのか。いや、別にいいけど。食堂で見せた、あの自信というか気合いみたいなものの反動なのか、今のメアリーはいつも以上におどおどしているようだ。
「その……ね。みんなの前では、あんなこと言っちゃったけど……」
前足で、藁をいじる。
「本当はさ、……自信なんて全然ないんだ。……あたし達、本当にメンバーに選ばれるのかなって……」
メアリーは、視線をゆっくりとこっちに定めてきた。俺は彼女と目を合わせ、出そうと思っていた言葉を確認した。
「……確かに俺達は、たくさん失敗した」
メアリーの視線が下がる。俺はすかさず言葉を繋げた。
「でもさ」
俺は下がっていた口角をあげて見せた。
「メアリーは、あの場で、メンバーに選ばれてみせるって言えただろ」
「え……?」
「それって、すごいことなんだよ。…あの場で、その宣言ができたメアリーには、それだけの自信と実力があるんだと、俺は思うよ」
「……だから…。あれは、ただの誤魔化しで…」
「なら、本当にすればいいじゃないか」
がっと拳を握り、俺はそのまま立ち上がる。メアリーは、眉を寄せて視線だけを送ってきた。
「……大丈夫。俺達は選ばれる」
遠征前夜。……メンバーが発表されるのは明日。結果はもちろん分かっている。変なズレが起きなければ、俺達『リユニオン』はメンバーに選ばれる。だが、それを知っているのは俺だけだ。メアリーは、知らない。この言葉も、そういう意味合いを込めて言ったわけではない。ただの励ましだ。なぜなら、今このときになって何を考えようが、何をしようが、結果はもう変わらないのだから。せめて、彼女の気持ちだけでも。そう考えたときに、出てきた最善の言葉。だからメアリーからしてみれば、なんの根拠もない言葉なのかもしれない。
「………そう…かな?」
「あぁ、きっとそうさ」
少し言葉が止まる。二人の間にあるランプは、その火を右へ左へ揺らしてる。炎の動きにともなってできる影が、彼女の顔に波を立てている。
「………」
メアリーは、そっと微笑んだ。
「そうだね。……うん、選ばれる……選ばれるよ!」
それは、ささやかな笑みから、満面の笑顔へ。あぁ、食堂で見せた、いつものメアリーだ。
………………………………………………俺の言葉は、届いたのだろうか。メアリーの表情だけを見れば、答えは明らかなのに、不安でしかたがない。
そう、あのときから。あの夜から。メアリーとの会話が、いつも通りじゃなくなった。
いや、正確には、メアリーはいつも通りだ。変わらず俺と接してくれるし、夜にはこうして話してる。
でも、どうしてだろうか。メアリーの表情から、彼女の感情を読めなくなった。顔では笑っていたとしても、実際はどうなのか。疑ってしまう。こんなのおかしい。……分かっている。メアリーが、悪いわけでは決してない。原因はすべて俺にある。……この感情に、変なものが混ざってる。言葉に形容しがたい、何かが。
…………変わらないと、ダメだ。
どこかで誰かが、そう思った。
俺は、メアリーといくらか言葉を交わし、そのまま眠りについた。