第五十七話:伝えた気持ちは
「おいシン、早く帰るぞ。メアリーちゃん達が待ってる」
俺の呼び掛けに全く答えず、奴は背中を向け続けた。飯抜きになって拗ねてやがんのか。いいや、そんな単純じゃないことくらい分かる。そもそもそれなら、わざわざメアリーちゃんを置いて部屋を出たりしないだろうしな。
多分、もっと面倒くさいなにかだ。
「てめぇ、さっきからシカトこいてんじゃねぇぞ。いい加減にしねぇと……っ!?」
その時、急にシンは振り向いた。
突然の出来事に固まっちまった俺を見て、口を開くや
「……イブゼルか」
とだけ一言。
聞こえてなかったのかよ、こいつ。どんだけボーッとしてやがったんだ。
「シンくん、ここにいたんでゲスか」
あっちの方でシンを探していたデッパも、俺たちを発見し、こっちに近づいてきた。シンは、デッパを見、また俺に目をやって、首をかしげた。
「…なんで、二人がここに?」
いやなめてんのか。
「あのなてめぇ。こっちは夕飯を分けてやろうと思って、わざわざてめぇを探しに来たんだ」
腰に手をやり、威圧するように俺は言った。座ってるシンに対し、俺が上から話しかける感じになる。だが、シンは「夕飯」とつぶやき、腹に手をやるだけだった。
「そういえば、そうだった。…悪い。
わざわざ持ってきてくれたのか」
そう言うと、シンは非常にゆっくりとした動作で立ち上がり、首だけでなく体をこっちに向けた。
「そうだよ。ほら、さっさと受けとれ」
持っていた紙袋をばっと押し付ける。シンは少し戸惑いつつも、それを受け取った。なかを確認し、死んでた目を少し見開いてこっちを見る。
「こんなにも持ってきてくれたのか」
デッパが笑って答える。
「あっしやイブゼルだけじゃないでゲス。フウラやキマルン、ヘイポーも、夕御飯を分けておいてくれたんでゲスよ」
「………ありがとう。本当に、ありがとう…」
紙袋を握りしめ、シンは俯きながらそう言った。なんだよ、分かればいいんだ。ちょっとオーバーすぎる気もするが、まあ、感謝してるなら別にいい。俺の苦労が報われたってもんだぜ。
「さ、それ受け取ったんならさっさと帰るぞ。メアリーちゃんをどんだけ待たせるつもりだ」
「メアリー……」
「ん?」
シンは小さく首をふった。
「いや、そうだな。うん。帰ろう。…迷惑かけて悪かった。少し、考え事をしてたんだ」
「お前いつも考え事してんじゃねぇか」
「…そうかもな」
相変わらず、こいつと話してると調子が狂う。俺のいちゃもんをのらりくらりとスルーしやがって。若干変な感じもあるが、ま、気にしたら負けか。
デッパもにぱーっと笑ってる。こいつも納得したみたいだ。
さ。さっさとギルドに戻ろう。
ということで、俺達三人はギルドの裏から出た。松明に照らされ、不気味に光るプクリンテントに眺められながら、鉄格子へと向かう。そんな矢先、
「あ」
メアリーちゃんと出会った。
梯子を登り終えると、鉄格子が開いていた。やっぱりシンくんは……。そう思い、テントを出たら、三匹ポケモンの気配がした。恐る恐る近づいてみると、そこにいたのはイブゼル達だった。
「メアリーちゃん!」
バッと飛び込んできたイブゼルをなんとかかわし、あたしは彼を見た。
黄色い顔に青白い光が差した彼の表情は、どことなく暗い。あたしと目を合わすと、少し目を伏せて、またこちらに向けなおした。手には紙袋を持っている。イブゼルから貰ったのだろうか。彼らは、何の話をしたのだろうか。
落ち込んでる。それは明らかだった。あたしが、あんなことを言ったからだ。
そんな彼との間には、微妙な距離ができてる。あたしも彼も、お互いそこで立ち止まってるから、縮まらない。
気まずい。さっきちゃんと決めたはずなのに。口は開くだけで、声がでない。何を言えばいいのか、分からない。
周りの空気は、凍りついたように冷たい。冷たいだけじゃなくて、止まってる。まずは歩みよらなきゃ。そう思っているのに、足すら動いてくれない。
ダメなのに。このままじゃ、変わらないのに。動け、動けよ。
「大丈夫」
小さな声で。優しい蔓で。チコが背中を押してくれた。
気持ちが少し、軽くなった。はりつめていた空気も、動き出した。
足が動く。
ぎこちないけど。シンくんに近づく。戸惑いはするけど、シンくんは離れない。距離が、縮まっていく気がした。
「シンくん…」
絞り出すように、言葉を出す。
「…ごめんなさい!!」
「……え」
「あたし……ずっとシンくんのことを信じてなかった。あのめまいの時も、記憶喪失のことも、シンくんの言葉も、全部……」
案の定、止まらない。心が外へ、流れてく。
「いままでは、気にしないふりしてた。おしゃべりだけで済ましてた。それが気楽で、楽しかったから。でも、あのとき、どうしても疑っちゃったの。シンくんは、ドクローズと本気で戦ってなかったんじゃないかって…」
「それは……」
「……違うよね。分かってる。だけどあたし、信じられなくて……」
嫌になる。結局、愚痴ばかり。これじゃまた、シンくんに嫌われて…。
……だめだ。
「でも」
言うんだ。本当のことを。
「あたしは……シンくんを、信じたいの!シンくんのことをもっと知りたい。シンくんともっと話したい。シンくんと一緒に、これからもいたい!シンくんと………」
また、涙が出た。
ぼやけた彼の、表情は見えない。
「………あたし、シンくんと離れたくない…。お願い……これからも一緒に………」
その時。頭を優しく撫でられた。じんわりと頭から暖かく包み込まれてく。
それは、シンくんの手だった。
「……俺もだよ、メアリー。俺は、メアリーがいたから今ここにいてられるんだ。離れるなんて、ありえない」
シンくんは、目を細め、笑っていた。
目と目があう。鼓動が早くなる。
「…悪かった。あの時、怖くなったんだ。失敗の可能性を考えて、動けなくなったんだ。……俺のせいだ。……でも俺は、本気だった。こんなこと言っても、信じてもらえないのは当たり前だ。でも……どうか、聞いてほしい」
あたしの目を見て。唇を噛んで。目をしかめて。苦痛の表情で。シンくんは言った。
嘘なのか、どうか。信じていいのか、どうか。迷う自分は、まだいる。
でも、暖かい。シンくんの手と、あたしの頭から、二人の気持ちが溶け合い、絡み合うようで。
「本当に…ごめん。メアリーに本音を言われたとき、黙って逃げてごめん。…もうしない。ちゃんと話す。……俺も、メアリーと一緒にいたいから」
「…うん、…うん。……あたしも……」
涙は、まだ流れてる。でも、冷たくない。
心臓は、すごくうるさい。でも、気にならない。
あたしきっと、今ぐしゃぐしゃだ。涙まみれで、顔は真っ赤で、ひどい顔だ。
でも、嫌じゃない。
『シンくんのこと、どう思ってる?』
あぁ、そうだ。あたしはきっと。
信じれない。話していると、適当に流せない。疑ってしまう。それに、何を考えているのか分からない。
でも、信じたい。もっと話したい。どう思っているのか知りたい。心を通じあわせたい。
一言じゃ、まとまらない。色々な気持ちが混ざりあってる。でも、シンくんはあたしにとって、特別なポケモン。
よく分からないこの感情は、苦しくて、不安定。舞い上がることもあれば、地に落ちることだってある。けれど、ずっと持っていたい。
そんな気持ち。
これを「恋」と、呼ぶのだろうか。