第五十五話:チコの説得
「シンくんと組むの、止めたほうがいいわ」
「……え?」
反応ができない。意味がわからない。……シンくんと組むの、止めたほうがいい?どういう意味だろう、それは。
チコはゆっくりとあたしの前に座り、こっちを見据えてきた。体がこわばる。
「……メアリー、あなたさっき、シンくんと喧嘩したでしょ?」
どきりとした。目も腫れてるだろうし、シンくんはいないけれど……。見抜かれるなんて思ってなかった。……それに、見抜かれたくもなかった。変な気を遣わせて、変な言葉をかけられるのは嫌だった。
「……え?別に……してないよ?」
「……さっき、メアリーが怒鳴ってる声、聞こえたのよ」
「え、嘘……」
「嘘よ」
「!?ちょっと!」
やられた。少し声を荒げてしまった。
でもチコは、笑ってなかった。いつもならゲラゲラと笑うのに。刺すように鋭い眼差しが、別におふざけで言っている訳じゃないと知らせてくる。
「……カマかけてごめんね。でもまあ、今の表情を見て分かったわ。やっぱり、喧嘩したのね」
もう、嘘ついてもダメだろう。
「……うん。…ごめん」
「いや、なんで謝るのよ」
「え?……んんぅ…。なんでだろう」
自信がなくなる。…どうも目をそらしたくなる。自然と下を向こうとする顔のまま、なんとかチコのほうを見る。
さっきの鋭い眼光は、少し緩まって、穏やかになっていた。
「まぁ、いいわ。……あたしが聞きたいのは、なんで喧嘩になったのかって話よ」
「そ、それは……」
分からない。短く答えればそうだった。あの時は、本当に無我夢中で。……急激に登り上がってくる感情が抑えきれなかった。
なんでそうなったのか?……チコが来る前も、ずっとそれを考えていた。答えは、…………。……多分、まだ出てない。
それに、………あの話はしたくなかった。
「……分からない」
「……そう。……まぁ、当の本人ってのはなかなか気づかないものでもあるわよね」
…怒られるって思ったけど、チコは冷静だった。
でも、目はまた鋭くなっている。
「あたしは、なんで今、このタイミングであなた達が喧嘩したのか、何となくわかるわ」
「……え?」
あたしは、うつむいていた顔を上げた。
「えっと……あたしとチコが、二回目に会ったとき……あるわよね?」
「……うん」
あの日はよく覚えてる。いろいろ、はじめてが重なった日だったから。
チコにはじめてあった日。
あたしたちに、はじめて仲間ができた日。
シンくんが……はじめて自分から探検に行きたいと言い出した日。
それに………あの日は……。
「あの時、あたしがメアリーにした質問、覚えてる?」
「質問……」
「そう、質問。多分覚えてると思うけど、もう一度言うわね。
………シンくんのこと、どう思ってる?」
…そう、これだ。この質問。……今だから言える。あの時、この質問をされてから、あたしのなかで何かが変わった。何かは分からないけど、確実に。
…チコは続ける。
「……あの時、メアリーは答えられなかったわよね。そして多分、今も答えられないでしょう?」
「……」
返事ができない。イエスとも、ノーとも言えなかった。
「……答えられない理由はね。
あなた達二人が、今までにひとつも『会話』をしたことがなかったからよ」
「…会話?……ううん。会話なら、あたし達、毎日夜に……」
いつも寝る前に話してた。……いろんな話をした。だから、チコの言っている意味が、あたしには分からない。
でも、チコは首をふった。
「……いいえ。…あれは『おしゃべり』。あたしが言ってる『会話』っていうのはね、心と心を通わせることよ」
「……心と…心?」
「そう、心。……あなた達の本心。本当の気持ちを相手に打ち明けて、分かりあったり、時にはぶつかり合ったりすることよ」
「そんなの………」
…………。
ーーーーーーーーー出来てない。
「………出来てないわよね」
……そうだ。あたし達はいつも。
「会って1、2週間とかならまだしも、もうあなた達、1、2ヶ月はチーム組んでるんでしょ?……普通なら、本心で話す機会が一度はあってもいいはずよ」
……しゃべってる、だけだった。
「…話してないから。…不満が溜まりに溜まってたから。だから今日、喧嘩になったの」
信じるのが怖いから。……シンくんと少しでも向き合おうとすると、どうしても、信じる、信じないを考えてしまうから。
「……もちろん、喧嘩が駄目とは言わないわ。…喧嘩も一つの『会話』だから。でもね、いまのあなた達だと、本心を隠して、喧嘩して、それでも隠して、また喧嘩して……の繰り返しになると思う。……そうなると、もう未来は見えてるわ」
適当に流すこともできなくて。結局、……自分の本当の気持ち、一言も言ったことなかった。シンくんがどう思うかもそうだし、シンくんがどんな言葉を言おうとも、あたしはそれを受け止められる自信がなかった。
「……だからね。…これは一つの提案なの」
シンくんは、あまり自分から話さなかったから、それも都合がよかった。あいまいなこの関係を続けられた。……シンくんのこと、どう思うも何も、多分、どうとも思いたくなかった。
あの時、海岸で、あたしを助けてくれたシンくん。輝かしくて、カッコいい。……多分、それだけでよかった。
シンくんをこれ以上知ってしまうと。…あたしをこれ以上教えてしまうと。……多分、考えてしまうから。
……本当に、信じていいのかって。
「……組むのを止めるってのは言い過ぎたけど。少し、距離をとってみない?別々だったほうが、いいって思うかもしれないし……」
……なんで、こんな性格になってしまったんだろう。……いつからなのか思い出せない。…生まれたときから、こうだったのだろうか。これからもずっと、こうなのだろうか。
「……どうかしら?」
………分からない。
「ねぇ、メアリー………っ!?」
………でも。………でも。
「ひぐっ………。うぅっ……。ぐすっ……。」
……あたしは。
……………別れたくない。シンくんと。