第五十三話:夜食
「入るわよ、メアリー」
あたしは返事をしなかった。それをオーケーの合図ととったのか、ぎい、とチコは扉を開けてきた。あたしは伏せた状態からノロノロと体を起こして彼女を迎える。
「や、やぁ…メアリーちゃん」
入ってきたのはチコだけじゃなかった。遠慮しがちにチコの背中からひょこっと現れたのは、イブゼルだった。
あたしは目で彼を見た。気まずそうにしてる感じを見ると、事情を知ってそう。…けど、あの事までは分かってないはず。
「二人とも…どうしたの?」
笑えているだろうか。目を細めてあたしは二人の方を見た。おまけに首をかしげてみる。
イブゼルが口角をピクピクと上げた。目がひきつっている。
「いや、メアリーちゃん………」
…ダメか。さっきまで泣いてたし。…目、腫れちゃってるよね。
「あ、はは…」
笑うしかない。鍵、閉めとけばよかったな。イブゼルも笑ってる。ていうか、なんで来たんだろう。
それに比べて、チコは少し沈んでいた。いつもはカッと見開いた元気溢れるあの目も、暗く影が落ちてるよう。
そんなチコが口を開いた。
「イブゼル」
から笑いしてたイブゼルがチコの方を向いた。
「な、なんだよ」
「やること、あるんでしょ」
しゅる、と蔓を出し、イブゼルの持っていた袋をつついた。イブゼルはぴくっと反応して、袋を見た。
「そういや、そうだった」
イブゼルはあたしの方に近づいて、しゃがんだ。座ったままのあたしは、後ずさることもなくボーッと、成り行きを見ていた。
トサッと袋があたしの前に置かれた。紙袋だ。中は見えない。
立ち上がるイブゼルをよそに、あたしはその紙袋をじっと見つめた。別に中身が知りたい訳じゃないけど。
イブゼルは言った。
「これ、メアリーちゃんにあげるぜ」
あたしは顔をあげた。
「えっと……これは?」
「中、見てみな」
ぐでっと座っていた姿勢を少し起こして、あたしは目の前の袋を覗いてみた。
「…あ」
中には、たくさんの、色とりどりの食べ物が入っていた。
リンゴ、オレンの実、クラボの実に、モモンの実……他の木の実や、グミまで。
「こ、これ……」
イブゼルは決まり悪そうに顎を掻いてる。
「あー、あれだ。メアリーちゃん、あとシン…夕食のときいなかっただろ?ペラオのバカがお仕置きだとかなんとか言ってたんだよな。でもよ、デッパや、ヘイポー、フウラちゃんにキマルンはそれが許せないらしくてさ。……もちろん!俺が一番怒りを感じてたぜ?ま、それはともかくだな…。メアリーちゃん達のために夕食をこっそり持ってきたんだ。…みんなで」
ははは、とまたイブゼルは柄にない笑いかたをした。
あたしは、袋のなかをもう一回見て、それから、またイブゼルの方を向いた。
ありがとうって、言わないと。
「あの………ありがとう」
さっきとは少し違う笑顔で、あたしは言った。さっきより明るくないけど、さっきより自然と笑顔になった。
イブゼルは少したじろいだ。
「お、おう!……メアリーちゃんのその笑顔だけで俺はもう万々歳だぜ!」
がっはっはっ、と。だんだんイブゼルらしく笑い始めてきた。調子が戻ってきたらしい。そんなイブゼルに、いつもは冷たい視線を刺すチコも、今回は緩く笑っていた。
さっきより、気が軽くなった。二人が来てくれたおかげだ。
いつになく優しい変なイブゼルや、おだやかなチコが、どこかおかしくて、一人のときにさっきまでかかえていた重いものが、少し減ったみたい。
けれど、まだ。一番重いものが、お腹のなかにたまってる。
イブゼルが聞いた。
「……で、シンの野郎は…」
「え…」
表情が、固まりかけた。
普通に、してないと。
「シンくんは、さっき用ができて出掛けたらしいわよ」
チコが助け船を出してくれた。あたしの方を向いていたイブゼルは、ちらとだけ彼女を見る。
「…ちっ、なんで今出掛けるかね。面倒くせぇやつだぜ」
いつものような悪態をつくイブゼル。けど、その言葉はいつもと違って、ぐさりとあたしに刺さりこんだ。
出掛けたのは、あたしのせいだから。
「えっと……」
「だからね、イブゼル」
言いかけた言葉は、チコに遮られた。イブゼルの顔を見ている。ギラギラと耀く目、それに彼は少したじろいだ。
「なんだよ」
「シン君のところにもいって、その食べ物分けてきてあげて?メアリーのとこには、あたしがいるから」
手に持っていたもうひとつの紙袋。それを蔓で指してチコが言った。
指された袋をぐいっと自分の方に寄せて、イブゼルは返した。
「はぁ?なんで俺があいつのところに行かなきゃなんねぇんだよ。俺はな、メアリーちゃんのためにここに来たんだぜ。シンはおまけ……」
「行きなさい」
「いや、だから…」
「行け」
「……」
有無を言わさぬチコの気迫。イブゼルも、強気の態度だったけど、だんだんそれは崩れていく。結果、黙りこむことになって……、最後はただただ、チコを見るだけになった。
そして、
「……行ってきます」
イブゼルはとぼとぼと、あたしの部屋をあとにした。
バタム、と扉が閉まる。やっぱりイライラしてたのか、閉めかたは割と激しかった。あたしは、ビクッとなったけど、チコは眉ひとつ動かさなかった。
…二人きりだ。さっきの騒がしさが嘘のようになくなった。チコはその位置から全く動かない。あたしの方を、じっと見ている。その眼差しは、明るくて、曇りがなくて、射られたような感覚に
襲われる。
イブゼルがいたときはあった、あの賑やかな感じがなくなったせいなのか、気持ちがまた、重くなった。
どうしたんだろう、チコ。早く喋りだしてほしい。もしかしたら短い時間なのかもしれないけど、すごく長いように思える。こう、黙ってる間にも、頭はいろんなことを考えていて、考えれば考えるほど、おもしが重なっていく。
気づけばあたしもチコの目をみていた。
二人の目があった。
それを確認したからだろうか。チコが目をそらした。…というより、扉の方を見た。そして、またこっちの方を向いて、きゅっと閉じていた口許を開いた。
「メアリー」
「うん」
あたしはできるだけ普通を装った。けれど、曇りないその目に、それは通用しない気もする。
目を合わせるのが、辛くなってきた。
でもチコの眼差しは、そらすことを許してくれないようで。
特に何を言い出すこともできないあたしは、チコの言葉を待つことしかできない。そして、この絶好のタイミングで繰り出されるチコの発言は、あたしにとってとてつもなく不吉なものである予感がする。
そんな無防備なあたしを前にして、チコが放った言葉は、
「シンくんと組むの、やめたほうがいいわ」
心臓をつかまれるよりもはるかに惨く、悲しい言葉だった。