第四十話 呼び出し
「失礼します」
あたしはトントンと扉をノックした。どうぞー、と声が響き、あたし達二匹は中へ入った。
親方部屋には、いつもの大きな椅子に、プクリルが鎮座していた。まんまるの目はしっかりと見開かれていて、あたし達を見つめていた…ように見えた。
「やぁ、こんな夜遅くに呼び出してごめんね?」
プクリルは、肩をすくめ、立ち上がって頭を軽く下げた。いえ、とシンくんが答える。
「それで…何の用でしょうか?」
シンくんの質問に、プクリルはうなずいた。
「うん。君達を呼んだのはね……。ずばり、遠征についての話なんだ」
「遠征?」
「そう。遠征。…朝礼で話したときは、皆向けの話だったからあまり詳しいことは言わなかったんだけど。確か、君たちは遠征をまだ知らなかったよね?」
そう尋ねるプクリル。はい。とあたし達は答えた。
…どうでもいいかもしれないけど、朝礼の時プクリル寝てなかったっけ?いや、気にしたら負けかな。ちなみに、朝礼の時頑張って話していたペラオは、いつもの定位置(プクリルの隣の机)に立ちながら、うつらうつらしていた。
「確かに、デッパから少し聞いたくらいですが…」
「…となると、やっぱりあの事は聞いてないかな」
プクリルは少し目をつぶり、それから、さっきまでとは違った真剣な面持ちに打って変わった。一見、くるりんとした目は変わってない。けれど、その眼力はあたしの心を突き通さん勢いだ。
「あの事って…なんですか?」
あたしはその目線に不安になって聞いてみた。プクリルは、うん、と頷いて、こう言った。
「えっとね…。遠征には普通、新入りを連れていかないことにしてるんだ」
「え…」
あたしは息を飲んだ。衝撃。心にズドン、と大きな何かが落下したようなこの気持ち。
前にあるプクリルの目が急に遠いとこにあるように見えた。
「ど、どういうことですか?」
あたしはたまらず口を開いた。プクリルは少し焦って、こう返した。
「まあまあ、ちょっと待って。さっきのはね、これまでは、って話だよ?」
「…これまでは?」
あたしは首をかしげる。隣にいたシンくんは、腰に手を当てて黙ってる。プクリルは続けた。
「うん。いつもは新入りを入れないことにしてたんだけど、今回は君たち、本当によく頑張ってるからね。…特別に、候補に入れようと思うんだ」
「!?ほんとですか!?」
あたしは身を乗り出した。といっても、ぐいっと背伸びして前に詰め寄っただけだけど。音は結構立ってたみたいで、うつらうつらしてたペラオがびっくりして目を覚ました。
そんなペラオはよそにして、プクリルはにこやかにうなずいた。
「うん。だから二人とも、これからの頑張り、期待してるよ!」
「ありがとうございます!頑張ります!」
「おう。頑張れ〜」
あたしははりきって返事した。ペラオが寝ぼけながら相槌をうつ。シンくんも、ペコリと礼をして、あたしほどではないけど、大きな声で返事した。
最初、新入りは遠征のメンバーには入れないと言われたときは絶望したけど、候補に選んでもらえて、本当に良かった。あたしは沸き上がる気持ちをなんとか押さえた。今にでも大声だして喜びたいところだけど、今はダメだ。
「失礼しました!」
たぶん入ったときよりも10倍くらい元気よく挨拶したと思う。あたしは気持ち浮き気味で、扉をとーんと軽く叩いた。
ということで、あたし達は部屋へと帰った。シンくんは、つくやいなや藁のベッドにぽさっとたおれこみ、ごろんと仰向けになった。あたしも隣のベッドに横になる。
横になったのは良いけれど、ダメだ、全然眠たくない。ついさっき、部屋を出たときは疲れてたのに、あの話を聞いたら疲れが吹き飛んじゃった。
隣を見る。シンくんはまだ寝てない。あたしが買ってきた月の時計を、ただ伏しながら見ていた。
「ね、シンくん。遠征、選ばれるかな〜あたし達」
「ん?うん、選ばれるよ。きっと」
シンくんは、あたしの方を見てそう笑った。
「…もし選ばれたらさ。何処にいくんだろうね〜」
そうだな〜、シンくんはゆっくりと上を見上げた。
「ん〜…えっと…いや、何処だろうな〜」
「炎の雪原とか、氷の大地とか、天空の塔とかかな〜!」
「すごいところばっかり思い付くな」
「そりゃあそうだよ!なんたって大陸一番のプクリルのギルドだよ?とんでもないところを探検するんだろうなぁ…」
あたしはふわりとうつ伏せになって、月の時計を眺めた。
「誰も知らない…秘境とかは?」
ぼそりとシンくんが言った。あたしはばっと横を見る。
「秘境…そうか!秘境だよ!まだ見ぬ雲海の大地!とか!」
「雲海の大地って…」
まあ、雲海の大地っていうのはちょっと意味がわからないけど…。とりあえず、あたしは楽しみでしかたがない。
でもなぜだろう。心なしかシンくんは、眠たそうに見える。もうかなり夜も更けた頃だし、そりゃそうだと言えばそうなんだけど……
あ、そうか。
「…でもまあ、選ばれなきゃ意味ないよね…」
シンくんがあまり乗り気じゃない理由は、きっとこれだ。選ばれてもないのにはしゃげないのだ。あたし、ちょっと舞い上がってたかもしれない。
けれど、これに対してシンくんは、ふるふると首をふった。
「そんなに心配しなくても大丈夫じゃないかな」
「…え?」
シンくんはあくびを抑えながら言った。
「俺たちならいけるってことさ。気にせずにとも、必ず選ばれるよ」
不安そうにあたしがこぼしたから、それを励ますための言葉だろう。あたしは素直に嬉しいと思う反面、また変な気持ちになった。なんていうか、何処と無くむず痒い、そんな気持ちだ。けれどあたしはその気持ちをぐいっと奥に押し付けて、言う。
「そうだよね。選ばれるよね。…うん、きっと選ばれる」
さっきまではしゃいでた気持ちは何処へやら。そう自分でも突っ込みたくなるくらい、浮き上がっていた心はすっかり地面についていた。あたしは、心の中からじわじわと生まれてくる黒い影をごまかすように、ゆっくり、何度もうなずいた。
そんなあたしを、まぶたの落ちかけた目で見つめていたシンくんが、言葉をつなげた。
「うん。その意気で明日も頑張らないとな。」
シンくんは寝ながらうーん、伸びをした。
「とりあえず、今日は寝よう。色々あって、だいぶ疲れた」
「うん」
返事せざるを得なかった。まだモヤモヤしてるけど、言い様はない。
「それじゃ、おやすみ」
シンくんは最後にもう一度微笑んで、目を閉じた。
おやすみ、あたしも小さくそう答えて、ランプを消した。
…楽しみだな。まだ選ばれていないけど、選ばれたら、きっと、すごい冒険が出来るんだろうな。ずっと憧れていた…探険隊の夢に、一歩近づけるんだ。だから、頑張らなくちゃ。
心の中でそう呟いて、シンくんの方を見た。真っ暗だから、顔はよく見えない。もう、眠っちゃったのかな、あたしは真っ暗な天井に向き直り、目を閉じる。
頭にふと浮かんだある感情は、巨大な睡魔と共に、押し流された。