第三十九話 模様替え
ドクローズの三匹を歓迎する夕食会が、けっこう盛大に行われた。少なくとも、テーブルにならんだ豪勢な料理の数々だけは、ドクローズの三匹を歓迎していた。
食い意地を張ったギルドメンバーなら、目を弾けんばかりに輝かせて、すぐにでもがっつきそうな勢いだったはずだけど、今夜は事情が違った。
食卓の場が、耐えきれない悪臭で満ち満ちていたのだ。発生源は、あのスカタンク。
キラキラと輝く新鮮な木の実の数々や、鮮やかに盛り付けられたリンゴや野菜の料理。きらびやかなソースが、まばゆく照り映えていた。フウラが腕によりをかけて作った料理。本当に、美味しそうだった。
けれど、悪臭のせいで、その食欲はかきけされてしまったのだ。あたしは結局、いつもの半分くらいしか食べることが出来なかった。食べても食べても、味より先に悪臭が口に入ってくるようで。こんなにも食べるのが辛いと感じたのは初めてだったかもしれない。
そんな、少なくともあたしにとっては暗い夕食を終え、解散とともに疲れた足取りのまま、あたしはシンくんと一緒に部屋に帰った。
今日はなにも考えずに、ぼふっと藁のベットに寝転がりたいな〜、なんて思いながら扉を開けると、そこにはちょこんと置かれたトレジャーバッグがあって。そう、まだインテリアを一つも並べ終わってなかったのだ。
ちょっと、面倒くさいな〜とも思った。けれど、何故か一個も買ってないシンくんの方が並べたがっていて、あたしは半ばシンくんの勢いに押される形でインテリア並べを始めた。
最初はやる気が出なかったんだけど、買ってきたインテリアをバッグから一通り出して適当に並べてみたところで、沸き上がる感情を抑えきれなくなった。だんだんと、お昼に想像していたあたし理想のお洒落な部屋のイメージが、頭の中に浮かんできたのだ。
そして、そこからが、まさに形勢逆転って感じだった。
「あ、ちがうよシンくん。それはね〜…こっちの方がいいな!」
「…え?そうなのか。うん分かったけど…」
さっきまで特にこだわりとか見せてなかった癖に、いきなりやる気を見せ始めたあたしだったけど、シンくんは戸惑っていながらもそのままあたしの言う通りにしてくれた。…優しい。
「よいしょ。ふぅ、これでいいか?」
「うん。いいよ。ありがとう」
「よしよし、…あとは〜…。あ、もうこの置時計だけか」
ゴソゴソとバッグを漁ることなく、すっとシンくんが取り出したのは、あたしが買った置時計だった。丸い時計盤を、三日月が縁取るような形をしたデザインに、深い青と黄色が主体の優しい色合い。一目見て、あたしはそれが気に入ったのだ。
「あ、それはね。ちょっと貸して」
「ああ」
あたしはシンくんから、ひょいと時計を受け取って、ランプの横にそれを置いた。
「ここに置こうと思うんだ!」
「あー、なるほど」
相づちを打つシンくん。あたしはそこでちょっとだけ冷静になった。しまった、さっきまで乗り気じゃなかったのに、つい調子に乗っちゃった。
「…どうかな?」
自分ではここしかないと思うのだけど、急に不安になったので聞いてみた。おそるおそるシンくんの顔をうかがうと、彼はいつもみたく優しい笑みを浮かべていた。
「うん。良いと思うよ」
「そう?良かった!」
あたしはほっとした。ほっとすると、また、言いたいことがどんどん出てくる。
「あまり、時計とか見る機会無いと思うんだけど…でも、あった方が便利だと思って!」
「まあ、……確かに」
けれど、シンくんは苦笑いをしているように見えた。うなずく言葉も少し遅めに出てきたみたいな。
でも、この反応はあたしの予想通りだ。次に出てくる言葉は、きっとあれだろう。
そう、次の言葉をうかがっていたところ、シンくんは遠慮気味にこうつなげた。
「でも俺、…時計の文字すら読めないんだよな」
申し訳なさそうに頭をかくシンくん。
「ふふふ…。大丈夫だよ、シンくん!」
あたしは何か企みがあるように笑って見せた。自分でもわかるけど、やけにハイなのでシンくんが若干不思議そうな顔をする。
「…大丈夫…というと?」
「…というと〜」
あたしは待ってましたとばかりに、藁のベッドの下に隠してあったものを取り出して、ばっと、シンくんの前に差し出した。
「じゃ、じゃーーーん!」
「……ほ、本?」
「うん。本だよ!」
あたしはシンくんの前に置いた本を、さらにすっと、シンくんの方に寄せた。寄せられた本を、シンくんは不思議そうに手に取った。表紙を眺め、それからパラパラとページをめくり始める。
「ん〜…。相変わらず全く読めないんだけど…。これ、何の本なんだ?」
シンくんが頭に手を当てながら聞いてきた。
「それはね、足形文字を学ぶための教科書だよ!」
あたしは答えた。
「教科書?」
シンくんが復唱する。
「シンくん、いつも足形文字が読めない〜って言って苦労してたでしょ?だからあたし、買ってきたの」
それを聞くとシンくんは、驚いた様子であたしの目をじっと見た。あたしは、お返しに笑顔を見せた。シンくんの目線は、本に移り、そしてまた、あたしの方を向いた。
「じゃあ、この本…わざわざ俺のために?」
「そうだよ。シンくんにはいつも、お世話になってるからね〜」
「お互い様だって言ってるのに…」
そう言いつつも、シンくんの表情は柔かかった。
シンくんは、やさしく本を撫でると、
「でも、ありがとう。メアリー、本当に助かるよ」
優しくあたしに微笑みかけてくれた。
「えへへ…。…そんなことないよ」
なんだか、ちょっと恥ずかしい。言葉がうまく出てこないや。
「シンくんなら、その本を読めばすぐに足形文字がマスターできるよ!」
もどかしいそんな気持ちを心の奥に押しやるように、あたしは言った。
すぐってわけにはいかないと思うけど…とシンくんは小さく呟きながら、本を再びめくり始めた。
けれど、本を眺めているうちに、シンくんの笑みはだんだん固まってきた。冷や汗が一筋、彼の頬を伝っていった。
そして、ちら、とあたしの方を見て、シンくんは重々しく口を開いた。
「…この本自体読めない」
「え?」
あたしは思わず聞き返した。
「いや、だからさ。そもそも本の字が読めない」
「あ…」
そういえば。その通りだ。
「あーーーーーー………」
あたしは、がっくりとうなだれた。
そういえば、そうに決まってるじゃない。足形文字がまるっきり読めないんだから、本の文字が読めるわけがない。というか、文字の読み書きを教えるための本って今考えてみたら何なの?文字が読めないっていうのに、どうすれば本で文字の読み書きが学べるっていうんだろう。…詐欺じゃんか。
「…なんか、悪いな」
シンくんは、また頭をかいて謝った。あたしは、頭を下げた状態のまま、黙ってそれを聞いた。
そもそもあたし、なんでこの本で文字が学べるなんて思い込んだの。…シンくんを揚げて、落としたみたいになるじゃない。期待外れもいいとこ……いや、ちょっと待って!読んで無理なら…もう一つ方法があるじゃない!
ばっと、あたしは顔を上げた。
「あたしが教えるよ!」
勢いよく上に上がったあたしの視界が、シンくんの驚いた顔をとらえた。そのシンくんの顔にある口が、何かを呟く。
「え、えっと……というと?」
若干引きぎみかもしれない。遠慮がちに言ったシンくんに、あたしは答えた。
「だから、あたしがシンくんに文字を書いて教えるの。シンくん、話すことはできるんだし、口でなら教えられるでしょ?」
「あー、確かに」
うなずくシンくん。けれど続けて、
「でも、いいのか?メアリーにそんな手間をかけさせてしまって…」
相変わらずシンくんは余計なことを心配する。あたしは少しきつめに言った。
「もう、気を使わなくて大丈夫だよ。あたしはシンくんのパートナーでしょ?助けるのは当然だよ」
「う…。まあ、それも…そっか」
シンくんは唸りながらもうなずいた。
「それじゃあ、なんだろ。これからよろしく頼むよ、メアリー」
シンくんは少しぎこちなく笑顔を作った。いや、最初こそぎこちなかったけど、すぐに優しい笑みに変わった。あたしは答える。
「うん!任せてよ、シンくん」
ああ、とシンくんが返事する。あたしは、問題の本を前足で持ち上げた。
「それじゃ、早速始めよっか!」
「え。いまから?」
「うん、いまから!」
いやいやいや、とシンくんが手をブンブンとふる。
「さすがに今夜はもう遅いって。早く寝ないとペラオに怒られてしまうし」
「う…。それもそっか」
あたしは勢いよく開いて見せた本を、ゆっくりと閉じた。シンくんは、明日、また頼むよ、と言って、すぐ近くにあった藁のベッドをパンパンとはたいた。
「とりあえず、今日はもう寝よう。明日からまた、普通に仕事だし」
「うん。そうだね。…いろいろあって疲れたし」
シンくんにさとされて、なんだか急に気だるくなった。今日は特に色んなことがあったし、なんだかんだで疲れる暇もなかった分、今しわ寄せがきたのかもしれない。
あたしは藁のベッドにごろん、と寝転んだ。シンくんもゆっくり腰を下ろして寝転んだ。うつ伏せになって、今日買ってきた時計を見る。
時計は、ゆっくり、それでも確実に針を動かしていた。時間が、噛み締めるように流れていく。ちくたく動く針を見つめていると、だんだん大きなものに流される感じがした。針は動き続けてるけど、その動きがだんだんとろけていく。時計は床と混ざりあい、床が光と混ざりあう。
そんなときだった。
「おーい!」
聞き覚えのあるかん高い鳴き声で、あたしの意識は引き戻された。はっとして、起き上がる。隣を見ると、シンくんも同じように起き上がっていた。目が合う。お互い首をかしげる。そして後ろを振り替える。
声はドアから聞こえてきた。どうしようか、二匹で戸惑っていると、再び甲高く鳴り響いた。
「もう寝てしまったのか?」
「あっごめんなさい!起きてます!」
あたしは慌てて返事した。ガチャリ、と扉が少しだけ開く。隙間から、音符の形をした顔を出したのはやはりペラオだった。
「何か…用ですか?」
シンくんが質問する。ああ、と短く返事して、ペラオは羽で目を擦った。そして、こほんと息を整え、きりっとした目付きに戻った。
「親方様がお呼びだ。すぐに来てくれ」
「え」とあたしは思わず言葉を漏らしたけど、ペラオはそれ以上は語らず、頭を引っ込め、扉を閉めた。少しの沈黙の後、シンくんが口を開いた。
「…何の用だろ」
「さぁ…」
見当もつかない。起きてたあたしが言うのもなんだけど、こんな夜更けに、である。
「何か…いけないことでもしちゃったのかな?」
「まさか」
シンくんは軽く笑った。
「俺たちほど真面目な探検隊も珍しいってもんだよ。怒られるはずがない」
「…でも」
渋るあたしの目の前に、黄色い手が差し出された。シンくんのだった。シンくんは既に立ち上がっていた。
「ん」
シンくんが、くいっと手を押し出す。あたしはゆっくりその手に前足を乗せた。ぐいっ、とつかまれ、その勢いに任せてあたしも立ち上がる。
「とりあえず、行ってみよう。もしかしたらいい知らせかもしれないし」
口元で軽く笑みを作るシンくん。それもそうだね、とあたしはうなずいた。
あたし達は、扉を開け、静まり返ったくらい廊下を、二匹でゆっくり歩きだした。