第三十八話:望まない再会
はしごを降りた先の地下二階は、地下一階と違って誰もいなかった。そのため辺りはしんとしていて、どことなく肌寒かった。
俺は早足で小さい広場を通りすぎ、弟子達の部屋が並ぶ廊下へと急いだ。
俺とメアリーが寝る部屋は、廊下の突き当たりの部屋である。部屋の前につくと、俺は戸をこんこん、とノックした。
「メアリー?」
「…あ、はーい!」
返事は遅れてやってきた。俺はメアリーの返事を確認してから、扉を開けて中に入る。
部屋の中は、何も散らかってはいなかった。買ってきたと思われるインテリアや雑貨は、何もなかった。あるのはパンパンに詰まったトレジャーバックだけで、その隣に、メアリーは一匹、座っていた。
メアリーは俺を凝視していた。目を泳がして、何か言葉を探しているようだった。
「えっと…シンくん?どうしたの?」
「いや、結構時間かかってたから…。大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫だよ。ちょっと考え事してて」
「考え事…か」
なるほどだから片付けに手がつかなかったのか。メアリーの横にバッグだけがたたずんでいるのもそれなら理解できる。
何を考えていたのか、少し気になりはした。しかし深く考えるのはやめにして、俺はパンパンのバッグに手をかけた。
バッグの隣にいるメアリーは、終始俺のことを気にしている様子だったが、目が合うと、慌てて俺から目をそらした。
そんな様子を、俺は気にしない風に言った。
「それにしても、ずいぶんたくさん買ったんだな〜」
「どれもこれも可愛くて…つい…」
「それで、全部買っちゃったのか」
「……うん」
話しているうちにだんだんメアリーの顔が下がっていく。もしかしたら問い詰めている感じになってしまったかもしれない。
「楽しみだな」
「え?」
「インテリア並べるの」
俺はメアリーの方を向いて笑ってみせる。対するメアリーはきょとん、として俺の目を見つめるだけだった。
俺とメアリーの間に、少々長い、沈黙が流れる。気まずいその空白に、俺はだんだん焦り始めた。
「いや、ほら!メアリーが買ってきたインテリア、どう並べるのか楽しみだな〜って」
ポカンとしていたメアリーだが、やっとこさ俺の言った意味が分かったらしい。頭を上下にゆっくりと揺らし、下がっていた口角が上がり始めた。
そして最後には、いつもと変わらない満面の笑みを見せて、
「そういうことか!うん!後で、シンくんも一緒に並べようね!」
と元気よくそう答えてくれた。
「それで…シンくんはどうしてここに来たの?」
「え」
メアリーが首をかしげ聞いてくる。俺は一瞬返す言葉が見つからなかった。あれ?何をしに来たんだっけ…。確か、チコからメアリーのことを聞いて、それで…。いや、そもそもなんで俺とメアリーが別れることになったんだった言うと……。
「なんで来たのって…。ほら、お客さんが来るから」
「あー!!」
いきなり大きな声をあげられて、俺は思わずビクッとする。…忘れてたのかよ。片付けもしないで、いったいどんな考え事をしてたんだか。
「忘れてた!!も、もしかして、もうお客さん来てたりする?」
「いや、まだ来てないから大丈夫だよ。でも、早めに来ないとまたペラオが怒るぞ」
「そうだね〜…」
「だからさ、とりあえず上に戻らないか」
「うん。そうしよっか」
俺はすくっと立ち上がり、メアリーはゆっくり腰をあげた。狭い部屋にバッグだけを残し、俺たちは二人で上に上がった。
はしごを上ると、すでにプクリル親方も部屋から出てきていた。チコとフウラは二匹でガールズトークに花を咲かせていた。
「あ、メアリー。インテリアの配置は終わったの?」
「ううん。なんだか買いすぎちゃって、どう並べたらいいか分かんなくなっちゃった」
「何よそれ。ま、メアリーらしいわね」
「それって褒めてるの?」
「全然」
なんだぁ〜…と、メアリーはガックリした。相変わらず息のあった会話である。一応メアリーのパートナーである俺以上に、パートナーらしい。ちょっと嫉妬なんてものもしたりする。したりするだけであるが。
メアリーを適当にあしらうと、チコははしごの上を恨めしげに見つめて言った。
「…遅すぎるわ。いい加減にしてほしいわね。こっちがどれだけ待ってると思ってるのかしら」「まぁまぁ、あともうちょっとで来るんじゃない?」
「そのもうちょっとってのが…」
チコがさらなる文句を垂れそうになったその時、
「ポケモン発見!ポケモン発見!」
トニーの張り上げるような大声が、ギルドに響いた。さらに騒がしくなるギルド。その騒ぎの中、トニーがさらに声をあげる。
「足形は……あ!すみません!もう網の上から出ちゃったみたいです!!」
「何してんだ!トミー!」
ドゴンの怒号が飛ぶ。そんなドゴンをペラオが制した。
「仕方がない。私が直接出迎えてこよう♪客人の顔は知ってるからな」
落ち着いた口調でそう言い残し、ペラオは地上へと飛んでいった。
「…やっと来たのね」
チコは不機嫌なままである。しかし、マシンガンのように文句を垂れることはやめ、むすっとした表情で黙っている。
「いったい誰なんだろうね〜」
そう楽しそうにするのはメアリーだ。ね、シンくん、と俺に微笑みかけてくる。俺は口角を緩ませて、そうだな、と軽く答えた。
しかし、現実は非常なものである。
最初に違和感に気づいたのは、キマルンだった。
「く、くさい!くさいですわ!!!」
キュートな葉っぱで鼻らしき部分を抑えてそう唸った。くさい…?メアリーが怪訝そうな表情を見せ、はしごの上を見上げる。まだそいつの姿は見えない、が、嗅ぎ覚えのある悪臭が、彼女の鼻を襲ったらしい。
「うぐっ!?」
目を大きく見開き、顔をしかめてこちらを見る。
「し、シンくん…。この臭い…もしかして…」
「…ああ。やつらだ」
立ち込める悪臭。キマルンや俺たちだけでなく、場にいた全員がそれを認識し始めた。臭い、なんだこの臭いは、などと口々に騒ぎ出す。パニックとまではいかないが、広間にいたほぼ全員(レレグを除く)が、その臭いに戸惑い、鼻を押さえている。
どこから臭っているのか、俺とメアリー、そしてチコは気づいていた。今朝、経験したばかりのこの悪臭。三人は、はしごの先を見上げた。
ドスゥウン!!
頭上、その少し手前から、黒い物体が飛び降りてきた。着地地点は、俺たちの目の前。その衝撃に、俺は体制を崩し、メアリーはビックリして尻餅をついた。
悪臭渦巻くその中心、飛来してきた物体の正体。それはまさしくあのスカタンクだった。
突然の出来事に、ざわつくのを通り越して言葉を失うギルドのメンバー。渦中のスカタンクは、今朝と同じような不気味な笑みを浮かべている。皆、状況が飲み込めていない中、上からふよふよとペラオが降りてきて、羽毛のようにスカタンクの隣に着地した。
顔をしかめ、よほど歓迎モードとは言えない俺たちの様子を、ペラオは不思議がった。
「どうしたんだ?お前たち。さっきまであんなに楽しみにしてたのに」
臭いからだよ。
「まあ…いいか。とりあえずだな。こちらは、今回の遠征の助っ人をしてくれる、ドクローズの皆さんだ」
知ってる。…というか、スカタンクの周りにドガースとズバットがいつの間にか浮遊してる。ほんとスカタンクの腰巾着みたいな奴等である。
「クククッ…よろしくな」
スカタンクは不適に笑いながら、皆に挨拶をした。目線が、俺たちに向けられていた気がするが、気のせいだということにしよう。
「あっ、すみません。先に挨拶させちゃって。ほら、お前たちも挨拶しないか」
ペラオが羽をバタバタと動かし、俺たちに挨拶を促した。
「よ、よろしく…」
「お願いしますわ…」
口々に、ポツポツと元気のない声で挨拶し始める。端から見れば、というか端から見なくても失礼であるが、スカタンク達は笑みを貫くのみで、不快そうな様子は見せない。
俺とメアリーとチコは当然、挨拶をしない。
代わりにチコはこう言い放った。
「あんた達、何しに来たの」
スカタンクはにやけながら、
「聞いてなかったのか?遠征の助っ人だよ」
喧嘩腰でそう言い返す。
「質問を変えるわ。何を企んでるの」
売り言葉に買い言葉。こうなってしまっては収集がつかない。刺すような鋭い目付きを送るチコと、よどんだ目で嘲笑うスカタンク。今にも激突しそうな両者の、間に割って入ったのはペラオであった。
「おいおい、チコ!いきなりなんてこと言うんだ!?失礼じゃないか」
甲高い声で怒鳴り散らす。俺たちに聞こえるくらいの舌打ちをして、チコはそのまま引き下がる。一応、まだ先輩弟子であるペラオへのリスペクトは残っていたらしい。
「…ったく。すみませんね、ドクローズさん。うちの弟弟子がご無礼を」
さっきと打って変わった様子で、ペラオはペコペコとドクローズ達に頭を下げた。三匹は、いやらしい笑みを浮かべ、こちらを見つめる。
「いえいえ。気にしてませんよ」
体裁を取り繕った感満載の態度で、ペラオに返事するスカタンク。そんなことは全く気にせずペラオはほっと胸を撫で下ろす。そんなペラオにチコは凍てつく目線を向けていた。
「まぁまぁ♪ピリピリするのは無しにしようね♪」
ピリピリした雰囲気の中、プクリルがのんびり明るい声を投げ掛けた。いや、口調こそ穏やかだが、その言葉には有無を言わさぬ気迫がある。ペラオはたちまちかしこまり、チコも追加文句を言いとどまった。皆が言葉を詰まらせたところで、プクリルはドクローズの前にふわりと躍り出た。
「とりあえず♪これから、遠征までの間はドクローズのみんなと一緒に過ごすことになったからね♪だから皆、一緒に仲良く、遠征を盛り上げていこーーーう!!」
グッと、右手をあげて、プクリルは笑顔で皆に呼び掛けた。
「おーーー!!!!」
最初に声をあげたのはペラオ。皆、動揺し、顔を見合わせるがやるべきことにすぐ気づき、
「「「「「おーーーーーーー!!!!」」」」」
と何時もより少し小さめのポリュームで掛け声をあげた。俺とメアリーはもちろん、さっきまで悪態をついていたチコも、一緒になって声を出した。そんな弟子達の様子を見て、親方であるプクリルは、
「うんうん♪みんなともだちだからね〜♪それじゃ、今日は解散!夕食の時にまた集まろう♪」
と機嫌よく言い残し、ルンルンと親方部屋に戻っていった。
残されたポケモン達は、少しの間、何をすればいいのか分からず、その場で戸惑っていた。
「まぁ、よろしくたのむぜ。クックック…」
このぎこちない空気の中、その原因とも言えるスカタンクは、不適な笑みを崩さずそう言い残し、ドガースとズバットを連れてその場をあとにした。
それをきっかけに、集まったいたポケモン達もバラバラと散らばり始めた。
するとチコが、はぁ、と大きくため息をついた。
「なんか、疲れた。あたし、部屋で寝ることにするわ。それじゃ」
そう言うと、彼女はすたすたとその場をあとにした。彼女がはしごを降りていく様子を見て、俺とメアリーは二匹で顔を見合わせた。
「ま、俺たちも部屋に戻るか」
「…うん。そうだね」
朝の出来事から、午後のこのいざこざにあたって、チコと同じく、俺とメアリーもかなり疲れていた。俺達は、決して軽くはない足取りで、地下二階へとはしごを降りた。