第三十話:腹は空く
「いや待ててめぇ!」
ペラオがいるであろう親方の部屋に向かおうとした俺たちに対して、イブゼルが呼び掛けた。それを聞いてか、チコは立ち止まった。後ろにいた俺達も立ち止まる。振りかえるチコ、眉を潜め、目を細めている。とても面倒くさそうなのは言うまでもない。
「なによ」
チコはこたえた。イブゼルはチコを睨み付け、大声で捲し立てる。
「俺が気持ち悪いだと…!ふん!ちょっと下手に出てやれば調子に乗りやがって!」
めちゃくちゃである。確かにチコは冷たかったが、そんなに怒ることでもないと思う。もともと自分がまいた種でもあるし。
どなるイブゼルに対し、チコはあくまで冷静を保っていた。こんなガキ、相手にするまでもない、と目と態度で示しているかのようである。
しかし、逆ギレしたイブゼルがそんなことに気づくわけもない。
「おい!なんとか言いやがれ!」
無視を貫くチコ。やっぱり構ってられないわ、と俺達に言って、先を急ごうとする。そんな様子にカッとしたイブゼルが、つい言葉を漏らしてしまった。
「無視決め込んでんじゃねーよ!このブスが!」
「は?」
思いっきり低い声で、それでいて重みのある大きな声で、チコは言った。
なんだかわからんが、急に体が嫌に寒くなった。何て言うか、鳥肌がたった。その原因は、すぐに分かった。
「あんた、なんつった?」
チコはぎょろりとイブゼルを睨み付けた。
「ブスッつったんだよ!耳遠いとこ見ると、ババァだなてめぇは」
イブゼル、チコの状況に気づかず、さらに暴言を浴びせかける。
その時だった。
「ぐへぁっ!?」
チコがイブゼルに頭突きをかました。突然の不意打ちに、イブゼルは目をひんむかせる。口を開け、がくがくと顎は痙攣している。そしてそのまま、呻き声ともとれない音をたらして、そのまま崩れ落ちてしまった。
気絶するイブゼルを前にして、チコはふん、と鼻息を漏らし、こっちを向いた。
俺とメアリーは、二人揃って固まったままだった。気がつけば俺は気を付けの姿勢になってたし、メアリーは尻尾と耳をぴん、と縦にこわばらせていた。
「さ、さっさとペラオのとこに行くわよ」
俺とメアリーは、ただ大きくうなずいた。
ということで、ついに親方様の部屋に入った。ノックして、返事を確認して中に入る。部屋の中の大きな椅子に、いつも通りプクリルが鎮座し、その横の小さな机の上に、目的のペラオが立っていた。なんかその様子が、映画とかでよく見る海賊とかボスとかに引っ付いてるあのオウムみたいな感じに見えた。言ったら怒るだろうから絶対に言わないが。
メアリーは、やはりここに来たら緊張するのか、かしこまった様子で、
「親方様」
と一言言った。今回はプクリルもちゃんと起きてたらしく、
「やあ。どうしたんだい?」
と穏やかな物腰で返事してくれた。
一方隣にいたペラオは、俺たちの横にいる見知らぬポケモンの存在に気づき、
「ん?そのチコリータ…さっき見張り番が言ってたポケモンだな?何の用だ?」
と、すこしキツメの口調でチコに言及した。メアリーが言葉に迷っていると、チコははきはきとした様子でこう返した。
「あたし、チコっていうの。このギルドに入門したくて、ここに来たのよ」
それを聞いた瞬間、ペラオの顔がぱぁ、と明るくなった。隣のプクリルもペラオほどではないが、にこりと笑った。メアリーが何か補足しようとする間もなく、ペラオが言った。
「え、えっと!ということは君は、弟子入り志願者だね!?ようこそ!わがプクリルギルドへ!」
「それ僕の台詞だと思うんだけど?」
「そそそそそうでした!」
さっきまでとは明らかに態度が違う。いやもう違いすぎる。俺達が入門するときもこんな感じだったなぁ…とか思いながら、ふとメアリーの方を見るとちょうど目が合った。苦笑いしながら、二人でうなずく。多分、メアリーも同じことを考えていたのだろう。
当のチコは、特に表情に代わりはなかったが、すこしニヤニヤしている気もする。俺の勝手なイメージではあるが、チコは多分、今のペラオの反応で、彼がどんなポケモンか大体あたりがついたのだろう。大丈夫だ、多分それであっている。
ペラオが羽をばたつかせる。
「とりあえず!ギルドの入門は大歓迎だよ♪これからは弟子として、このギルドでたっぷり修行して、一緒に立派な探検家を目指そうじゃないか♪」
営業モードに入ったペラオの賑やかな歓迎に、チコは笑って答える。
「ありがとう!これからお世話になるわ!」
「うん。よろしくね、チコくん」
ペラオの代わりにプクリルが返事した。ペラオはまだまだ言いたげだったが、とりあえず満足そうに羽をしまう。
「ところで、君は探検隊リユニオンの仲間になるつもりかな?」
俺達と一緒に入ってきたから、プクリルなりの推測の結果の質問だろう。チコは迷うことなく言った。
「ええそうよ!あたし、彼らが気に入ったの」
「君達は、いいのかい?」
質問が俺達に飛んできた。メアリーは「うん!」とうなずいた。
俺たちの一致を確認して、プクリルはニコッと笑って、
「それじゃ、晴れてチコもリユニオンの仲間入りだね……それじゃあ、」
プクリルはすうぅと息を吸い込んだ。…待てよ、すごく嫌な予感がするぞ…。隣にいたメアリーも、それに気づいたのか少しだけ後ずさりした。
…が、もう遅かった。
「たぁぁああああああーーーーーーーーーー!!!!」
とんでもない爆音が、部屋中に鳴り響いた。腹を揺さぶる衝撃波に襲われて、意識がどこかへ吹っ飛んでしまいそうになる。目を細め、下唇をきゅっと噛んでなんとか意識を保とうと努力する。地獄のような咆哮が数秒続き、そして、嵐は過ぎ去った。
「はい!これでチコの登録が完了したよ!明日から頑張ってね♪」
プクリルはへけらと笑ってまた椅子に腰かけた。横にいたペラオは泡を吹いて倒れている。…あんな近距離じゃ、耐えきれるはずもなかったか。チコは目を見開いて、口を半開きにして笑っている。というより多分、笑うしかなかったのだろう。
プクリルの洗礼を受けて、俺達はペラオを抱いて部屋を出た。部屋を出て、ペラオの頬を叩いて起こす。ペラオは半目を開きながら、「どうした?」と呟いた。空いてる部屋ってないか?とだけ聞くと、半分気絶しながらも答えてくれたので、チコはその部屋を使うことにした。
ペラオをペラオの部屋に置いてきた後、「じゃ、あたし、自分の荷物を家から持ってくるわね」と言い残してチコはギルドを出ていった。
ギルドの門までチコを送るとき、既に辺りは夕暮れだった。紅く色づいた空が、柔らかな光をたたえていた。
メアリーは、チコの後ろ姿をずっと眺めていた。その横顔に、赤い光が差しこんで、そしてやさしく溶け込んでいる。
笑顔というか、なんというか、暖かい表情だった。
「ん?どうしたのシンくん。あたしの顔に何かついてる?」
「え、いや…」
急にこっちを向いたので少しびびる。別に悪いことなんてしてないのに、妙に恥ずかしい。
ぐぅぅ…
「へ?」
気の抜けるような、お腹の音が鳴った。言うまでもない、俺の腹からである。
「シンくん、もしかしてお腹すいてたの?」
メアリーはくすり、と俺に笑いかけた。どうしようもない。俺は苦笑いした。そのとき、
ぐぅぅ…
「!?」
またもお腹の音が鳴った。今度は俺の腹からではない。そのとなりである。
発生源のイーブイは、下を向いたままである。顔はよく見えないが、どんな表情をしているかは想像に難くない。
ほんの少しの沈黙。だがしかし、
ぐぅぅぅ。
「お腹、空いたな」
「……空いたね」
腹の音は止められず、俺達はギルドへと戻った。