第二十九話:新たな仲間
ほたるの森を越えて、我らがプクリンギルドのある、坂の下まで戻ってきた。まだ夕方にはなっていないが、人間世界で言う午後四時くらいの、生ぬるい空気がただよっていた。
ほたるの森から帰る道中はそこまで苦労しなかった。もちろん野生ポケモンに襲われたりしたが、チコが思いの外強かった。メアリーと俺は、サポートするだけにとどまった。せっかくでんきだまを手に入れてパワーアップしたというのに、見せる機会はほとんどなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。とりあえず、俺たちはギルドに戻ってきた。今、ギルド前のあの恒例の鉄網の前にいる。
そこで俺たちは一度立ち止まった。俺とメアリーは既にこの鉄網による特定(どうやら鉄網の下に洞穴があって、そこから俺たちの足跡を見てポケモンの種類を判別していたらしい)を終えているが、チコはまだだからである。
突然立ち止まったので、チコは不思議がった。
「え?なんでいきなり立ち止まるの?」
「チコはここに来るのはじめてだよね?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、この鉄網に乗らないといけないんだ」
「…て、鉄網…」
チコはその鉄網に目をやった。じっと鉄網を見つめる。よく見ると、自慢の葉っぱは少し垂れ下がっているようにも見えるし、尻尾はぴん、と張っている。
もしかして、怖いのだろうか。意外だな、俺は思った。臆病なメアリーならともかく、チコはなんとなく、気丈な感じがしたからだ。ま、あの鉄網が不気味であることは否定しないが。
「…分かったわ」
チコが小声で呟いた。そしておそるおそる、鉄網に足を乗せる。少しして、あの声が鳴り響いた。
「ポケモン発見!ポケモン発見!」
今なら分かる。これはトニーの声である。そして次に鳴り響くのは、
「誰の足形?誰の足形?」
これはドゴンの声である。相変わらずよく響くな。俺は、大きなドゴンの声に少し顔をしかめながら、ちらとチコの方に目をやった。
なんと、震えていた。もしかしてこの子、意外と怖がりなのかもしれないな。って俺が思っているのにも、多分気づいていないのだろう。チコはただただ目をつぶっていた。
「チコリータか。怪しいポケモンじゃなさそうだ。入れ」
俺がつまらないことを考えているうちに、どうやら洗礼が終わったらしい。チコ、大きなため息をつく。そして、そこでハッとする。今までの一連の流れを、俺たちに見られていたことに。
「チコって、結構怖がりなんだね」
メアリーは、なにかを噛み殺すような表情をして、チコを上目遣いで見やった。チコは、少したじろいで、
「ち、ちょっとビックリしただけよ」
とだけ言って、さっさと中へ入っていってしまった。俺とメアリーは、顔を見合わせ、少し笑ってあとに続いた。
ということで、ギルドの中へと俺たちは入った。中途半端な時間帯なので、ギルドは割りと静かだった。
チコリータは、掲示板を眺めていた。そこには、さまざまなポケモンたちの顔が写っていた。お尋ね者の手配書である。
メアリーはチコの方へ駆け寄って、
「それはお尋ね者たちの手配書だよ。悪いことをしたポケモンたちを捕まえるのも、あたしたちの仕事なの。あたしはあまり、得意じゃないんだけど…」
チコに掲示板の説明をしてみせた。チコは「ふーん」と言って、再度掲示板のポケモンたちを眺める。そして、
「あ」
チコが小さく呟いた。メアリーがそれに反応する。
「どうしたの?」
チコは体から蔓をのばして、一枚の手配書を指した。深緑色の体をした、とさかのようなポケモン、ジュプトルの手配書だった。
「このポケモンって…」
メアリーが怪訝そうな表情を見せた。
「最近、噂になってるわよね。…時の歯車を盗むだなんて、よくやるわ」
チコはメアリーの顔を見た。メアリーは険しい表情をしていた。
「許せないよね。なんでそんなことをするんだろ?」
「…さあ。趣味とかじゃない?ほら、時の歯車って、すごく美しいって聞くし」
「趣味で世界を滅ぼすようなことをされたら困るよ」
「え?おいおい何の話してるんだ?」
会話から省かれそうなので無理矢理割り込んだ。後ろからの声に、二匹は揃ってこっちを向いた。 あっ、とメアリーが口を開いた。
「そうか、シンくんは知らないんだね」
さっきまで怒った顔をしていたが、メアリーは少し表情をやわらげた。
「この世界には、時の歯車っていうすごく大切なものが各地に存在するの。で、その歯車がなくなると、その地域の時間が止まっちゃうんだ」
「時間が止まるって…どういうことだよ?」
とりあえず質問。答えたのは、メアリーではなくチコだった。
「言葉通りよ。時間が止まったその世界では、鮮やかな色は失われ、闇に染まるの。葉についた水滴は、二度と落ちることはなく、雲は動かず、風も吹かない。花や木が揺れることも、川がせせらぐこともない。動きという動きを奪われた世界が、そこに残ることになるの」
予想以上だった。チコの説明から、その世界がどんなに恐ろしいかは容易に想像できた。ゲームでもこんな感じの説明を受けたが、生で語られたその言葉は、ゲームのそれよりも何倍も重かった。
ごくりと、唾を飲み込んだ。メアリーは黙ってうなずいて、こう続けた。
「だからね、どんな悪いポケモンでも時の歯車を奪おうなんてことは考えないんだ。それがとっても恐ろしいって、分かってるから。誰も奪おうとするはずがないの…それなのに…」
「このジュプトルは、歯車を盗み続けてるっていうわけか」
俺はメアリーの言葉を補う形で発言した。メアリーは、「うん」とだけ言った。眉を潜めて、口をきゅっと結んでいる。隣にいるチコは、表情を変えずにメアリーを横目で見ていた。
少し、重い空気が辺りを漂っていた。
ジュプトルの話をしたところで、結局のところを聞かれると、いまの俺たちには何もできないというのが結論だからだ。でも、誰もそれをいうことはできない。メアリーや俺はともかく、ギルドにとっての客であるチコですらその空気を察している。やるせないもやもやした感情が、俺たちの周りを支配していた。
こういうときにこそ、何か励ましになるようなことをいうのがパートナーってもんだろう。俺は、右手を高く突き上げて言った。
「じゃあさ!俺たちはいつかそいつを捕まえよう!」
「え?」
メアリーは固まった。
「でも今じゃそんなことは当然できない。だって、俺たちはまだまだ新米なんだから」
「う、うん」
「だから修行するんだ!立派な探検隊にならなきゃ、何も始まらないだろう?」
戸惑いながらも、メアリーはうなずく。
「その、なんていうか、とりあえず頑張ろう!」
俺の声が、静かなギルドに響き渡った。すこしばかりいたポケモンたちは、皆こっちを見ている。
ダメだ、ものすごく恥ずかしい。上を向いていた俺は、恐る恐るメアリー達の方へ視線をやった。
メアリーは、笑っていた。
「あははは!なんかそれ、シンくんらしくないよ〜」
クスクスと笑いながら、メアリーは俺に言った。
隣でチコが、大声を出して笑っている。こいつ…いちおうまだ二回しか会ってない俺のことを、よくここまで笑えるな。
メアリーは、笑うのをなんとか抑えて、でもはにかんだ笑顔で、こう言った。
「でも、そうだね!あたし達はとりあえず、今できることをやらないと!ありがとう、シンくん」
「お、おう!」
こうなりゃヤケだと、キャラにない口調で話す。そんなおれの様子を見て、チコが(まだ)笑いながら言った。
「くっふふ…!やっぱシンくんって、面白いねぇ〜!」
笑いをこらえているようなチコは、口こそ閉じているものの、息づかいから笑ってるのがすぐ分かる。目は少し涙目だった。
「気に入ったわ!あたし、あんたたちの仲間になるわ!」
「おう!……え?」
とりあえず返事しとけみたいな勢いで返事したが、あれこいつ、今なんて言ったんだ?仲間になる?…え、いきなりなんでそういうことになるんだよ。
「な、仲間になるって……あたし達の探検隊に入るってこと?」
「そうよ?」
メアリーの質問に、チコは小首をかしげた。頭の葉っぱがひらりと揺れる。その目は、会ったとき以上に煌めいていた。
メアリーは、口を半開きにして固まっていた。チコの方を見て、黙っている。俺もたぶん、同じような顔をしているだろう。
急すぎる。展開が。どこまでぶっ飛んだら気が済むんだこの子は。今日だけで、話せるネタが溢れるほどだし、それも全部このチコリータがらみだ。
もしかして、これがまたズレなのか。そういえば、時の歯車のことだって、本来はペラオから聞くことになってたはずだし、そもそもタイミングも違ってた。
彼女がふと現れ、そして時の歯車のイベントが起きた。……偶然とは思えない。仲間になるっていう展開も急すぎる。
彼女は、いったい…
「全然いいよ!」
メアリーの大歓声で、俺の思考は中断された。
え?全然いい?俺は思わずメアリーの方を見る。メアリーは、チコに負けないくらい目を輝かせていた。尻尾は勢いよく振っている。メアリーの意思は、手に取るように分かった。
「チコってちょっと変だけど…」
「変って何よ」
「でも、仲間が増えるのは大歓迎だよ!ね?シンくん!」
ダメだこの流れ。俺は肯定しかできない。俺は必死に笑顔を作った。
「うん。賑やかな方が楽しいしな」
「ありがとう!」
チコはまた、ぱあっと笑顔に花を咲かせた。しかし俺は、これだけは聞かざるを得なかった。
「でも…なんで急に仲間に入りたいって思ったんだ?」
妥当だろうと思う質問をしたつもりだが、チコはキョトンとして、
「急にっていうか……もともと仲間に入るつもりでこのギルドに来たの」
「…そういうことか」
そう言われたら仕方がない。これ以上無理に追求するのも変になる。心のなかで、俺は大きなため息をついた。
「とりあえず、あたし達にまた新しい仲間が増えたね!よろしく、チコ!」
メアリーはすっかり歓迎ムードである。それも、今にもペラオに報告せん勢いで。
でもなんだか、チコと楽しそうに話すメアリーを見ていると、なんかさっきまでの心配は杞憂のようにも思えてきた。メアリーが言ってたみたいに、今日の俺はちょっと“らしくない”かもしれない。
「メアリーちゃーん!」
後ろから陽気な声が聞こえてきた。振り替えるまでもなく声の主は分かる。
「お、イブゼ」
「やあメアリーちゃん!」
相変わらず、俺をわざわざ無視しようとしてくるなこいつ。チコと談笑していたメアリーは、イブゼルに気づき、そのままの笑顔を彼に向けた。
「あ、イブゼル!仕事終わったの?」
「ああそうさ!ねぇメアリーちゃん、これからお茶にでも…って」
いつも通りにナンパしようとしていたイブゼルは、隣にいたチコに気づいた。チコは透き通った目をイブゼルに向けている。今まであまり意識していなかったが、笑っていないチコの顔はどこか凛々しさを感じさせる。大人の女性って感じの魅力があるのかもしれない。だからイブゼルは、
「おお!君もとっても可愛いね!名前なんていうの?」
例に漏れずナンパをかけた。チコ、表情そのままに答える。
「チコよ。っていうか、あんただれ?」
チコに名前を聞かれ、上機嫌でイブゼルは話す。
「チコちゃんか!僕はイブゼルさ!よろしく!…そうだ!僕とメアリーちゃんとチコちゃんで、一緒にカフェでお茶しないかい?」
「しないわよ。気持ち悪いわね」
場が凍りついた。いや、正確にはイブゼルが凍りついた。俺には何となく予想がついていたし、メアリーはそもそもイブゼルのことを気にしてない。
イブゼルは、いつもメアリーに向けているような鼻下を伸ばしたままの顔で停止し、動かなかった。ひくひくと、口角をぴくつかせている。
その原因であるチコは、気にすることなくメアリーに言った。
「さ、とりあえずあたしはどうしたらいいの?」
「え?あー…そうだね!とりあえずペラオってポケモンのところに行ってみようか。ついてきて!」
「オッケー!」
そのまま彼女達はすたすたと歩いて行ってしまった。このままだとイブゼルだけでなく俺までも置いてかれてしまう。
「ドンマイ」
固まるイブゼルにそれだけ言って、俺はメアリー達の後を追った。