第二十七話:片鱗
「シンくーーん??どこー?」
大声を出してみても、依然反応はない。どうしよう。さっきからずっと叫んでいるけど、返事が返ってくる気配がない。
シンくんがばくれつのたねを地面に投げつけたあの時、ビックリして尻餅をついちゃったのが不味かった。というか、そのあと焦って左に逃げたのもダメダメだ。シンくんに出会えるわけがない。
方向が間違ってることに気づいて、戻ろうとしたときにはもう既に遅かった。引き返す先には、スピアーたちがうろうろしていて近づけなかったのだ。
地面を踏む前足が、妙な感覚を覚える。いやに土が足につく。周りを見回す。見渡す限り、緑の木々。それが、なんだかこっちに迫ってくるような、そんな気がする。
どうしよう。さっきから何度も頭によぎったこの言葉。
とりあえず、動かなきゃ。シンくんは反対側にいるんだろうから、どうにかしてそっちにいかないと。スピアーがいるなら、回り道をすればいいんだ。
あたしは、しびれる前足に力をこめた。そして後ろへと蹴り飛ばす。勢いにのって、体が前に運ばれる。
四肢をかろやかに連動させて、風を切って前へと進む。流れる木々に目をやりながら、シンくんの姿を探す。ときどき名前を呼んで、返事を聞くために走りながら耳をすます。でも、聞こえてくるのは自分の声と、地を蹴る足音だけだった。風があたしの耳をさわる。変に冷たくて、気持ち悪い。
回り道をしよう。さっきはそう考えてたけど、ここは不思議のダンジョンだ。簡単に回り道できるほど構造は簡単じゃない。しかも、いつ野生の敵に襲われるか分からない。走りっぱなしで疲労して、そこを野生ポケモンに襲われたらひとたまりもない。
「きゃっ!?」
何て考えてたら、あたしは地面に顔をぶっつけた。痛い。カサカサした地面が、落ち葉とかの嫌な感触が、あたしの顔を撫でてくる。何かにつまづいたのか、前足がヒリヒリと痛む。
もういやだ。どこにいったのよ、シンくん。自分が悪いって、分かってるのに。こんなことを考えてしまう。ただ、はぐれただけじゃない。へこたれてても始まらないわ。何て考えて自分を奮い立たせてたけど、やっぱり怖いし、なにより、寂しい。
「メアリー」
上から声が降ってきた。優しく、包み込むような声。明るくて、何度も聞いたことがあるような、そんな声。まさか…
あたしは、ガバッと顔をあげる。目の前にいたのは、シンくん…ではなくて、一匹のチコリータだった。
「…だ、誰?」
「…チコよ。前会ったでしょ?トレジャータウンで」
「チコ……。あ!あのときの!」
「…ふふ。思い出したようね」
「思い出したけど…何でこんなところに?」
「そんなことより、とりあえず起き上がったら?」
目の前に蔓がおりてきた。出していたのはチコリータだ。
「あ、ありがとう」
蔓につかまって、あたしは体制をたて直す。もともと四足歩行だから、別に蔓は要らなかったんだけど、その気遣いは素直に嬉しかった。チコはしゅるりと蔓を器用に動かして、あたしの体についていた土とか落ち葉を払ってくれた。
「そういえば、シンくんは?」
蔓を引っ込めたチコが、あたしに聞いてきた。
「いま、はぐれちゃってて…」
あたしは警戒することもなく答えた。
「ふーん。ってことは今、シンくんのことをメアリーは探してるってわけね」
「…うん。全然見つからないんだけどね」
それで泣きそうになってた、何てことは言えない。とはいえ、泣きそうになってたところをチコに助けられたのだから、既にばれてるかもしれないけど。
「じゃあ、あたしも手伝ってあげるわよ?」
「え?」
思わずチコの顔を見る。ぱあぁ、と照り輝いていて、太陽のような明るい笑顔。その瞳は、星空のように透き通っていて、思わずみとれそうになるくらい。
「人手は多い方がいいでしょう?だからあたしも探してあげる」
「…でも」
「なに遠慮してるのよ!あたしのことは気にしなくていいわ。だって暇だし」
「…別に遠慮は…。というか、チコ…さん?は何でこんな森に来たの?」
「呼び捨てでいいわよ。言ったじゃない、暇だったんだって。とりあえず散歩でもするかな〜って感じでここに来たのよ」
「そうなんだ…。じゃあ、その…お願いしようかな?」
「何でそんなにビクビクしてるのよ。あたしが知ってるメアリーは、もっとビシバシいくポケモンだったわよ?」
「多分そのメアリー、別のメアリーだと思うんだけど」
「とりあえず行くわよ!」
チコの勢いに圧倒されて、あたしはチコと共にシンくんを探すことにした。といっても、やることはあまり変わらない。ダンジョンを回って、ひたすらシンくんの名前を叫ぶ。時間が経って、集まってたスピアーも大分バラけてきた。だから探せる範囲も広がったのだけど、何処を探してもシンくんが見当たらない。しまいには、先に階段を見つけてしまうくらいだった。
「…階段ね」
「階段だね」
「思ったんだけど。ここで待ってれば、いつか彼はくるんじゃない?」
「そういえば、そうだね。先へ進むためには必ずここを通らないといけないし」
「待っとこうか」
「うん」
ということで、あたしたちは階段の前でシンくんを待つことにした。待っている間、野生ポケモンが襲ってきたりしたけれど、二匹がかりでとくに苦労することもなく返り討ちにした。幸い一匹ずつしか野生ポケモンが現れなかったのと、チコがすっごく強かったからである。
迫り来る敵の攻撃をするするとかわして、“つるのむち”で叩きつけ、“はっぱカッター”で切り刻む。すばしっこく、それでいて力強い戦い方。あたしはあまり手を出せなかった。
何度か野生ポケモンを追い払うと、さすがに彼らも学んだのか、こっちに近づかなくなってきた。戦わなくてもよくなり、することがなくなったあたしたちは、また話始めた。
「ねえ、メアリー」
「なに?」
「シンくんとは、何処で知り合ったの?」
「えっと…海岸、かな。プクリンギルドの近くにある」
不思議なことに、あたしはチコの質問をとくに気にすることもなく答えていた。まだ二回しか会ったことがないのに、警戒心がまるでわかない。シンくんに会った時みたいだった。
「海岸、ねぇ。なんでそんなとこで出会ったの?」
「その…話せば色々長くなるんだけど…」
「いいわよ、どうせ暇だし。ポケモンも襲ってこないしね」
チコに言われるがまま、あたしはシンくんと出会ったときのことを話した。ギルドに入ろうとしたけどずっと怖くてできなかったことや、海岸で倒れていてシンくんを見つけたこと、そしてシンくんと一緒に探険隊を結成したこと。あの日の顛末を全部話した。
チコは、へぇーとか、うんうん、とかいった相づちを返すだけで、質問はしなかった。
「…っていうのが、あたしとシンくんが出会ったときの話かな」
「ふーん。何だかそれ、映画のワンシーンみたいね」
「そうかな?」
「うん。なんだか恋愛映画の冒頭聞いてるみたいだったわ」
「なっ…!」
「そんなに顔を赤らめなくてもいいわよ」
「あ、赤らめてないよ!」
このチコリータは…。油断してたらまた不意打ちを食らってしまった。まだ会った回数も少ないあたしをよくもこんなにイジれるもんだ。しかも、とってもすがすがしく笑ってる。コミュ力が高いというか、無神経というか…。でも、なんでかそこまで失礼とは思わない。やっぱり、あたしとチコはどこかで面識があるのだろうか。
「こほん。そんなことより、あたしとチコって、前に会ったことあったんだよね?」
「そうよ。あ!もしかして思い出した?」
「いや、全然思い出せないんだけど」
「何よそれ〜。期待させないでよね〜」
上げて落としたので、あからさまにしょんぼりするチコ。別に仕返ししたつもりはないけど、これでおあいこってことにしてもらおう。って、そんなつもりで言ったんじゃないけど。
「でも。あたし、チコと何度も話したことがある気がするんだよね…。何を話したのかとか、いつ話したのかとかは全然思い出せないんだけど」
「…そりゃそうよ!あたしとメアリーは親友だったんだから!全然思い出せないのは……まあメアリーらしいといえばメアリーらしいわ!」
「…あたしって、そんなにおとぼけキャラだったの?」
「え?うん」
「ひどい」
チコはわははと男の子みたいに笑い飛ばしていた。本当にあたしとチコが親友だったとして、あたしが忘れてるんだとしたら、それはすっごくいけないことだ。それなのに、チコは悲しがるそぶりも、怒るそぶりも全く見せない。そう思うと、なんだかすごく申し訳ない気持ちになる。…それでも思い出せないものは思い出せないんだけど。
「ま、あたしのことは別にどうでもいいのよ。それよりも!シンくんのこと、もっと教えてくれない?」
「…え?」
「ほら、どんなポケモンだ〜だとか、何が好きだ〜とかさ!あたし、最初に会ったときからシンくんのこと、結構きになってたんだよね〜」
「え、それって…」
「あー!安心して!別に好きとかそういう気になるじゃないからさ!」
「別になにも思ってないよ!?」
「あははは!メアリーはやっぱ面白いなぁ!」
またまたあたしをからかって、チコは大爆笑して転げまわる。一応ここが不思議のダンジョンだということを忘れないでほしい。というか、もうこのくだりをやめてほしい。
「ごめんごめん!でさ、シンくんってどんな性格の子なの?」
「え?あ、うーん…。静かっていうか、クールってほどでもないんだけど…とりあえず、優しいよ。シンくんは」
「ま、大体第一印象と一緒ね。…好きなものとかってあるの?」
「うーん、聞いたことないなぁ。大体なんでも食べるし。あ、でも辛いのは苦手だって言ってたよ」
「ふーん」
「あれ、なんかつまんなそうな顔したね」
「結構普通だったから」
「シンくんをなんだと思ってるの」
なんでしょー?なんて言って、チコは鼻唄を歌い出した。確かに、今言ったことはシンくんから聞いたことだけど、ありふれたポケモンのプロフィールと何ら変わらない。これじゃチコが普通だと思うのも無理はない。だって、あたしはまだあの事を言ってないから。シンくんは記憶喪失で、元人間だということを。
「…でも、チコの予感は結構当たってるかもしれない」
「ん?どういうこと?」
「シンくんは、元人間で、記憶喪失なの」
「は?」
瞬間、チコは真顔になって固まった。けど、頭をふって正気に戻り、
「…冗談でしょ?」
と一言。あたしは横に首をふる。
「ううん。シンくんと出会ったとき、彼があたしにそう言ったの」
「…よく信じたわね」
チコは若干呆れ気味でそう言った。「信じたわね」…確かに、なんであたしはその事を受け入れたんだろう。初対面のポケモンに、記憶喪失で元人間だなんて言われて、いつもは信じるのが怖いとか思ってるくせに、やけにあっさり信じちゃった。……ダメだ、考えると頭痛がする。
「…シンくん、だからかな」
あたしは首をこてん、と倒して苦笑いを浮かべた。チコの若干ひきつってた顔が、再び静止する。けれど、そのあとすぐに
「ぷっ!」
チコは吹き出した。
「あははははは!何よそれ!?意味わかんない!」
「そ、そんなに笑うことじゃないと思うんだけど」
「ふふふ…!ごめんごめん、そんなに怖い顔しないで、メアリー」
チコの目には、笑いすぎてできたのか涙が浮かんでいた。
「でも、まあ!やっぱりシンくん面白いわね!」
「面白いっていうか…」
「まあまあ。じゃ、これ最後の質問ね」
「あ、うん」
「メアリーは、シンくんのことどう思ってるの?」
チコのまわりにあった、ふわふわと弾んでいた空気が、一気にしぼんだような気がした。チコの表情は、さっきとは特に変わらない。けれど、あたしの目をしっかりと見つめている。なんだか急に、問い詰められているような感じがした。後がないような感覚にとらわれた。
…どう思ってる?あたしが、シンくんを?そんなの、決まってるじゃない。あたしは、シンくんを……。
シンくんを、何?
シンくんは、優しい。シンくんの性格を聞かれて、あたしは実はうまく答えたつもりがなかった。分からなかった。シンくんが、どんなポケモンなのか。何を考えているのか。
なんでだろう、あんなにいつも一緒にいるのに。シンくんとの思い出を漁ってみても、その姿ははっきりと浮かんでくるのに。
シンくんは、優しい。確かにあたしはそう思っている。でも、それだけが答えなのだろうか。あたしはシンくんに、それだけの感情しか抱いてなかったのか。…違う。絶対に違う。
それじゃあ、なんだろう?…信頼してる…だろうか?だって、前だってあたしは、シンくんの言葉を信用しなかった。信じるのが怖いから、うやむやにしたんだ。
どう、思っているの?あたしは、シンくんを。シンくんは、あたしにとってどんなポケモンなの?
普通なら、さくっと浮かんできそうなのに。イブぜルでさえ、どう思っているのか具体的に浮かんでくるのに。……ダメだ、頭が痛い。
「…ごめん。…わかんない」
そうとしか、言えなかった。チコと目を合わせられない。
頭を、優しく撫でられた。顔をあげると、チコが口をきゅっと結んで、目を細めていた。さっきまでは見たことがなかった、穏やかな笑みだった。
「…ま、そんなもんか。ポケモンの気持ちって、そう簡単に言い表せるようなものじゃないものね。ごめん、無茶ぶりだったわ」
「え、えっと…」
何か言葉を返さないと、と思うけど。うまく言葉が紡げない。
それから、チコはすぐに違う話題を切り出した。他の仲間のことを聞かれて、イブぜルや、他のギルドのメンバーのことを話した。彼らの話を聞いて、彼女はまた、さっきみたく目を輝かせた。あたしも、話しているうちに多分笑っていたのだと思う。
そして、シンくんがやって来た。