第十八話:一見、滝
ごうごうと、青く白い水が上から下へと落ちていく。重く、深い水の音が、あたしのお腹の中を揺らす。
見上げればそこから水が現れて、あたし達のすぐ前に降り注いでいる。とんでもない勢いの水は、その透明さを失って、白く、濃く、流れ落ちていく。
あたし達は今、巨大な滝を目の前にしている。滝の近くということで、空気は体に染みるようにしみっていて、しかも冷たい。地面は岩でできているんだけど、なんか湿っていて足が気持ち悪い。しかも足場は崖のように端っこが切り立っていて、コケてしまうと一巻の終わりだ。
「ここの何処に財宝が隠されてるっつーんだよ」
イブゼルはそう言ってため息をついた。そういうのも、あまりにも勢いの強い、巨大な滝を目の前にして、ここにきてからずっと、あたし達は何も出来ずにいるのだ。イブゼルが言う通り、財宝が潜んでそうな空洞なんてどこにも見当たらない。
「あの鳥公、嘘ついてんじゃねぇだろな」
イライラが止まらないイブゼルの矛先は、ペラオの方に向いた。腕を組んで舌打ちをする。
今ではこんなに機嫌が悪い彼だけど、ついさっきまではこの雄大すぎる滝を見て興奮していたのだ。それも、「触ってみよう」って無茶なことを言うくらいに。
まあ機嫌が悪くなったのは触った直後なんだけど。そこまで痛かったのかな。ふざけながら滝に触ったイブゼルは、バァン、という大きな音とともに弾き飛ばされたのだ。痛くないわけないか。
何はともあれ、あたし達は今、困っている。目の前にあるのはさっきからずっと滝。それ以外何も無い。もちろんお宝なんて見当たらない。かれこれ10分近くはずっとここに立ち往生。シンくんも腕を組んでうーん、と唸っている。
「おい、シン。なんか案はねぇのかよ」
イブゼルはイライラしながらシンくんに尋ねた。あたしの隣で難しそうに滝を見つめていたシンくんは、「仕方ないか」と小さく息をついた。
「あ?何が仕方ねぇんだ?」
イブゼルがガンを飛ばす。シンくんはイブゼルを無視して滝の方に手をやった。
「え?ちょっとシンくん!?さっきのイブゼルを見たでしょ?やめといたほうが…」
「そうなんだけど、やっぱりここに何かヒントがあると思うんだ」
あたしの忠告をサラッと受け流し、シンくんは滝に手を触れた。バァン!やはり大きな音が鳴り響き、シンくんの手は無残にも滝に拒まれた。痛そうに手をさすりながら、シンくんは悔しそうに滝の方を見た。
「ほらね…」
あたしが言わんこっちゃない、と言った風に言葉を漏らした、その時だった。
「痛っ!?」
シンくんがいきなり頭を抑え始めたのだ。足はおぼつかなくなり、うめき声をあげる。
「し、シンくん!?どうしたの!?」
シンくんは「大丈夫」と言いながら、だんだんと態勢を戻していった。ふらつく足でどうにか地面に踏ん張った。そして、まだ頭を軽く抑えているけれど、顔を上げ、こっちを向いてこう言った。
「この滝の中に、突っ込もう」
「え?」
ん?聞き間違いかな?この滝の中に突っ込む?いやいやいや。さっき手で触っただけであの有様だったじゃない。全身で突っ込んじゃったら、それこそ体がボロボロだよ。というかそもそも、突っ込む理由が分からないよ。
イブゼルも、大体同じような気持ちだったらしい。口を大きく開けて一瞬固まった後、
「いや、バカかお前?」
と一言。そして、声を荒らげて、
「意味がわかんねぇぜ!あの滝に突っ込む?お前さっきめちゃくちゃ痛がってたじゃねぇか!それを全身でって…お前…。はっ!?」
何かに気付いた様子のイブゼルは、少し後ずさりをした。そして、少しだけ声を小さくして…
「もしかして…ドMか?」
「違うわ」
冷静に突っ込むシンくん。でもイブゼルの言ったこと、大体はあたしが思ってたのと同じだったな。いや、もちろん最後のは違うよ?
それにしても、なんでいきなり突っ込むなんてシンくんは言ったんだろう。冗談のつもりだったのかな?それにしては、滝の方をじっと見つめるシンくんの表情は真剣そのものだ。とても冗談とは思えない。
うーんと、なんかこの感じ前にもあるような…。
あっ!そうだ!確か、スリープの事件の時もシンくんが…急に頭を押さえて…。そして…
「もしかして…何か見えたの?前、言ってた時みたいに」
あたしは、半信半疑でそう聞いた。するとシンくんは、こくりとこっちを向いて頷いて、
「うん」
しっかりそう言った。やっぱりそうだったんだ…
でも、正直に言うと、あたしはまだ、シンくんのこの言動をちょっとだけ疑っている。何故かとかは、もうあまり考えたくはない。トゲトゲ山の時もそうだったけど、信じる信じないのことを考えるのは、あたしにはとっても疲れることなのだ。
シンくんは、滝の方に目をやって、話を続けた。
「また、映像が見えたんだ。あの滝の中に、ポケモンが飛び込んでいって、その中に空洞があったんだ」
まず反応したのはイブゼルだった。
「はっ、空洞だぁ?そんなのどこにも見えねぇじゃねぇか。なんだよシン、痛すぎて頭もついでにやっちまったんじゃねぇか」
イブゼルの言う通り、滝の中に空洞なんて全然見えない。シンくんの見た映像は、ただの幻覚だったのかもしれない。それでも、あたしは、
「信じるよ、シンくん」
あたしは、シンくんの方を向いてそう言った。シンくんは、少しだけ微笑んで、
「ありがとう」
とだけ言った。
「まじでかよ…メアリーちゃん…」
あたしがシンくんに賛成したことを受けて、イブゼルは動揺する。それにしても、ここまで怖がるなんてイブゼルはよっぽど痛い思いをしたんだろうな。シンくんは、イブゼルのことは気にもとめず、
「3.2.1で突っ込むぞ」
と言って、四つん這いになって飛び込む姿勢を見せた。
「うん、分かった!」
あたしは威勢よく返事した。けれど…
目の前の滝は、相変わらず大きな轟音を立てて流れ落ちている。怖い。あんな滝に突っ込むなんて…。
「3」
もし滝の向こう側が、ただの滝だけだったら…。あたし、死んじゃう…のかな。
「2」
だめ、そんなの考えちゃ。…そうだよあたし、ポジティヴなことを考えなくちゃ。あの滝の中にはきっと、すごい洞窟が広がっていて、大冒険が待ってるの!うん、いいよ!とっても楽しそうじゃない!
「1」
ダメ!やっぱり怖い!どうしよう!あんな所に飛び込むなんて…あたし…
(大丈夫。勇気を出して)
!?…勇気?誰?今の声…でも、とりあえず!そう、勇気だ!
「行くぞ!」
シンくんの、掛け声が聞こえると同時に、あたしは地面を後ろに蹴った。蒼い流れが目前に迫る。あたしは思わず、目をつぶった。
「おーい!メアリーちゃーん!大丈夫かーーー!!あ、あとシンの馬鹿も」
遠いところで、イブゼルが叫んでる。その声が空間に反響して、響き渡る。
身体が、すごく痛い。尻尾も、耳も、お腹も、じんじんするし、ズキズキと痛む。
冷たい。濡れた前足が触ったのは、ごつごつした、それでいて湿った岩のようなものだった。この痛み、地面…。てことは、あたし…
「生きてる…」
「ああ、生きてるな」
目を開けて横を見ると、シンくんがいた。あたしと同じように身体は水でびしょ濡れで、岩の上にぐたー、と寝転んでいる。
生きてる、そう分かったら、急に周りの音が耳に入ってきた。周りの景色が見えてきた。といっても、今いる場所はくらい洞窟で、微かに届く光の出処は、多分あたし達が飛び込んできた滝の奥からだ。滝の轟音が、洞窟の中にこだまする。外で聞いた時とは違う、耳に重く響く音だ。
「シンくんの、言った通りだったね」
「うん、確かに目眩の中で見た通りだ。メアリー、後ろを振り返ってみな」
シンくんの言う通り、あたしは後ろを振り返った。暗くてよく見えないけれど、どうやらこの洞窟にはさらに奥があるらしい。ただの空洞じゃない…。そう思った時、あたしはペラオが言ってたことを思い出した。
「すごい…!ねえ、シンくん!もしかしたらやっぱり、ペラオが言ってたように、この滝にはすごい秘密があるかもしれないよ!」
「ああ、そうだなメアリー」
シンくんの返事は短かったけど、声はさっきよりも高らかだった。やっと探検隊らしくなってきたんだもん。シンくんだって嬉しいんだろうな。
「なーーー!おーーーい!嘘だろ…もしかして……いやいやいや、メアリーちゃーーーーーん!!シーーーン!!!」
滝の音に負けじと、イブゼルの声が聞こえてきた。
「イブゼル、うっかり忘れるところだった」
シンくんはそう呟いた。そして次は大きな声で、
「イブゼルーーー!!!こっちは無事だぞーーーー!」
「おお、シン!って!お前のことはどうでもいいよ!メアリーちゃん!メアリーちゃんは無事なんだろうな!?」
「あたしも大丈夫だよーーーーー!!」
「おおおおお!!メアリーちゃーーん!生きてたのかーー!よかったーーー!」
イブゼルが歓喜の声を上げる。奥の方で喜ぶイブゼルに、シンくんはさらにこう叫んだ。
「さぁ!次はお前の番だぞイブゼル。さっさと飛び込んでこーーーい!」
「うえっ!?」
シンくんの呼びかけに、イブゼルは喜ぶのをやめて驚く。うん、そりゃそうなるよ。でも、そんなに怖いって…。イブゼルって、もしかして結構怖がりだったりするのかな。
しぶるイブゼルを、なんとか説得したあたしたち。イブゼルもついに観念して、滝に飛び込み、こっちにやって来た。とんでもない痛みに、身体を悶え苦しませながら、なんとか立ち上がったイブゼル。びしょ濡れになりながら、まずは一言。
「ペラオのやつめ…ただじゃおかねぇ」
いや、何でそうなるの。ペラオとばっちりじゃない。そんなイブゼルに向かってシンくんは、
「ま、生きてるからいいじゃないか。ほらイブゼル、財宝が待ってるんだぞ」
「財宝!」
さっきの不機嫌な態度は吹っ飛んで、イブゼルは自身の目を輝かせた。単純っていいなぁ。
「よっしゃ!そうと決まればさっさと行こうぜお前ら!財宝が俺を待ってる!」
さっき苦しんでいた姿はどこへやら。イブゼルはすっかり痛みを感じさせない様子で、あたし達の前を歩いて行くのだった。
あたしも、ワクワクしていた。別に財宝じゃなくてもいい。素敵な何かが見つかる予感に、あたしは胸をときめかしていたのだ。