第十五話:底の底
第十五話 底の底
ゲームじゃここまで強くなかったと思うんだけどな…スリープ、強すぎるじゃないか。
メアリーが気を引いてくれたおかげで撃てた全力の電気ショック。確かに手応えはあった。しかし、スリープの体力は、想像をはるかに超えていた。
電気ショックをもろに食らったスリープは、仰け反りはしたもののそのまま持ち直し、彼は右手を振り下ろした。その瞬間、何も見えなくなった。
そして今、俺は地面に横たわりながら、ルリリの方へと向かっていくスリープを眺めていた。
体が言うことを聞かない。動かしたくても、動かせない。
………このまま、倒れたふりをしていたら、どうなるのだろうか。スリープは、俺達が死んだと思い込んで、そのまま立ち去ってくれるだろうか。
…何を、何を考えてるんだ、俺は。今はそんなことを考えてる場合じゃないだろう。
メアリーは、メアリーは何処だ?それに、スリープはどうしたんだ?考えることは、まだまだ他にあるはずだ。
「こ、来ないで!助けて!」
ルリリの悲痛な叫びがコダマする。既にスリープの魔の手が、ルリリの目前にまで迫っていた。
ルリリの隣では、イブゼルが音も立てず倒れている。
俺は、ズリズリと、体を引きずる。
スリープは、ルリリへとその手を伸ばす。
間に合わない。そう思った、そのとき。
メアリーが、再度スリープの足に噛み付いた。スリープは思わず体勢を崩して膝をつく。
メアリーの体は既にボロボロだった。しかし彼女はそんな体を奮い立たせ、スリープに“体当たり”を決める。
スリープも今までに蓄積したダメージが堪えているようで、ぐらりと足元をふらつかせる。
「逃げて!ルリリちゃん!!」
必死の声でそう叫び、スリープの方へ睨みをきかせる。
臆病な彼女が、何故ここまで。ついさっきまで、震えていたはずなのに。
スリープは、体勢を立て直す。ゆらゆらと、ふらつきながらも右手にだんだんとエネルギーを貯めていく。
メアリーの、身体が再び宙に浮いた。
俺の身体は、まだ動かない。傷みはだんだん引いてきたはずなのに、足に力が入らない。何故だ?これじゃあ、臆病なのは…。
スリープの右手が、ひときわ怪しく照り輝く。メアリーは思わず目をつぶる。俺は拳を握りしめる。
震える足は、動かない。
スリープがメアリーちゃんに噛み付かれた。スリープは、それを振りほどくが、すぐさまメアリーちゃんの体当たりを食らう。メアリーちゃん優勢に思われたが、スリープは再び立ち上がって“サイコキネシス”を発動した。
メアリーちゃんの身体がだんだん浮上する。体をジタバタさせるが、抵抗虚しく身体の浮上は止まらない。
そんな切羽詰まった緊迫の状況の中、俺は負傷して地面に寝そべってるってわけだ。
そのことがカッコ悪いってことくらいさすがの俺にでも分かる。
俺が正義感溢れるやつだったなら、この体に鞭打ってでもスリープを1発ぶん殴ってるところだろうな。さっきから傷の痛みはだんだんマシになってきて、実のところ動けない訳じゃあない。
…昔は、こんなクソッタレじゃあなかった。憧れるポケモンがいた。そいつは優しくて、仲間思いで、自分の信念は決して曲げないポケモンだった。
そいつみたいになりたくて、自分もそいつみたいに「優しくて、仲間思いで、自分の信念は決して曲げない」ポケモンになろう、って決めた。それを目標に頑張ってきたつもりだった。
けれど、俺は「そいつ」じゃなかった。俺は「そいつ」みたく、優しくて、仲間思いのポケモンじゃないってすぐ思い知らされた。
外面だけ、演じるのは簡単だった。外面だけなら、俺は「そいつ」になれていたのではないかと思う。だけど、自分の中で沸沸と湧き上がる感情は、優しさなんかのそれとは正反対だった。怒りやムカつきともとれない、モヤモヤとした黒い感情が、演じる度に顔を出した。
演じる度に顔をだすモヤモヤが、自分に対する計り知れない嫌悪感だったと気づいた時には、俺は自分のことしか考えられなくなっていた。だから俺は、演じることをやめた。
それからは、単純だった。自分のしたいように生きることにした。やりたいことをしてやった。自分の心に正直に生きていたら、頭の中のモヤもいつの間にか消えていた。
それで良かった。そのはずなんだ。なのに、なんで、また再び、あのモヤが頭の中に広がっていく。
メアリーちゃんは可愛い。俺の中ではそれだけだったはずだ。別にどうなろうと関係ない。俺は自分の好きなようにやっていく。それでいいはずだ。それなのに、なんで頭がこんなに痛ぇんだ?
「イーブイさん!」
ルリリの悲鳴が上がる。スリープが右手にエネルギーを貯めている。メアリーちゃんは、苦しそうな表情で必死に抵抗している。
「近づいちゃダメ、ルリリちゃん!今のうちに逃げるの!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は頭を殴られたような衝撃に襲われた。そしてわかった、このモヤの正体が。
ちくしょう、もうどうにでもなっちまえ。俺はやっぱり、俺のしたいように生きてみせる。
ぬっと立ち上がり、右手に冷気を込める。
そして、奴が振り返るよりも速く、その顔面に“冷凍パンチ”を撃ち込んだ。
イブゼルが、スリープを殴り飛ばした。予想外の方向からの攻撃に対処できなかったスリープは、もろにその打撃を食らって吹っ飛んだ。サイコキネシスの影響が切れたメアリーは、そのまま地面にドサッと落ちた。状況がまだ飲み込めていないのか、目をキョロキョロと泳がしている。
イブゼルは追い討ちをかけるべく、左手に渦巻く水流を発生させる。
「くたばっちまえ!」
イブゼルは、威勢のいい叫び声とともに水流弾、“水の波動”を撃ち放った。水流弾はスリープに直撃し、煙がごう、と巻き上がる。
「やったか!?」
イブゼルがガッツポーズをしてそう叫んだ。スリープが吹っ飛んだ方向からは煙が立ち込めるばかりで音沙汰はない。
だが、このまま終わりになるわけはないことを俺はともかくイブゼル自身も薄々勘づいているらしく、さっきと違って構えを崩さない。
煙が晴れた。スリープの姿がゆっくりと影を出す。
よろよろとしたその姿、表情にもはや余裕はない。あるのはただ、憤怒に満ちた形相だった。
瞬間、イブゼルの身体が吹っ飛んだ。
「イブゼル!」
避けんで間も無くメアリーも、音もなく吹っ飛んだ。
吹っ飛ばされた彼らの体は動かない。それを見たスリープは、もはや向かってくる敵がいないことを確信したようだ。
……こんな、形で、俺に攻撃のチャンスが回ってきた。スリープは完全に俺のことに気づいていない。頭に血が上っているせいか、こちらにまで注意してられないようだ。
つまり今攻撃すれば、確実に、なにより無事に、仕留められる。そう確信した瞬間、急に身体が軽くなった。そしてそれに気づいた時、自分がどうしようもないやつに思えた。
スリープは、まだ俺に気づいていない。気づくこともない。スリープがルリリへと距離を詰める。
その背後にそっと忍び寄り、
「電気ショック」
静かに巨雷を落とし込んだ。
「んん……あっ!す、スリープは!?」
少しして、メアリーが目を覚ました。目を覚ますと同時に素早くあたりを警戒する。
「スリープならあそこだよ」
俺はスリープの方を指で示す。泡を吹いて倒れているスリープを見て、ほっとしたのか長い息を漏らす。
「シンくんが…倒したの?」
「……いや、その…」
素直に、倒した。とは言えなかった。
「あぁ、シンが倒したんだよ」
そう答えたのはイブゼルだった。右腹を抑え、辛そうな顔を浮かべている。
だがそこに、いつもの意地悪さは見えなかった。
「みなさん!大丈夫ですか!?」
ルリリがとたとたと、こちらへ走ってきた。涙を浮かべながらも顔には安堵が見てとれる。メアリーがガバッと顔を上げてルリリの方を見た。
「ルリリ大丈夫!?」
「うん!大丈夫!」
「そう?…よ、良かったぁ…」
そう言ってメアリーは朗らかに笑みを浮かべた。
「本当に、ありがとうございました!メアリーさん!シンさん!あと〜…えっと…」
「イブゼルだよ。けっ、人の名前くらいちゃんと覚えとけよ」
「言ったことないんだから仕方ないじゃない。それにイブゼル。あたし、忘れてないからね」
「え?どういう意味だい?メアリーちゃん。忘れてないって?」
メアリーがジト目でイブゼルの方を見る。
「ルリリのこと、無視して攻撃してたでしょ」
「げっ…」
「謝りなよ。お礼を言われるのはそれからだよ」
「……。悪かったよ。…ごめん」
イブゼルは素直に頭を下げた。ルリリが慌てて止めに入る。
「えっ!あ!大丈夫ですよ!こちらこそ、本当にありがとうございました!イブゼルさん!」
「え、お、おう!分かればよろしい!」
何故威張るのか。
一通り落ち着いた後、スリープを縄で縛り、イブゼルと2匹で運んで麓に降りた。ルリリの帰りが遅くて心配したのか、マリルが既に警察に連絡していたらしく、麓には警官らしきポケモンが達が数匹集まっていた。その中の一匹であるジバコイルが、こちらに気づいてこう言った。
「スミマセン、ルリリチャンヲミマセンデシタカ?ン?オヤ!ルリリチャン!ブジダッタンデスカ!?」
聞き取りにくい。そういえばゲームでも、このポケモンはカタカナ口調という何とも読みづらい字体で喋っていたな。実際に聞いてみると読めない分尚更聞きにくい。なんというか、音の大小高低全てが統一されたような、文字列ならぬ音列を聞かされている感じである。しかし、メアリーはどうやら普通に聞き取れているらしく(種族上耳が良いからだろう)、普通に受け答えをして見せた。
「トゲトゲ山で襲われていたの。……そこの、スリープに」
「スリープ?ヤヤッ!?ヤツハ、シメイテハイノスリープジャナイデスカ!」
「しかもそいつ、手配書偽装してたらしいぜ」
「ナンデスト!?ケシカランヤツデスネ!オイオマエタチ!ヒットラエヨ!」
ジバコイルが出した捕縛命令に、多数のコイルたちが反応し、スリープの身柄を確保した。ちなみにまだ、彼は目を覚ましていない。身柄を自分の元に引き寄せたジバコイルは、右手のU字磁石を頭上にかざし、敬礼のようなポーズをとった。
「ソウサノゴキョウリョク、アリガトウゴザイマシタ!ソレデハ!」
ジバコイル達はスリープと、本来の目的であったルリリを連れて帰っていった。ルリリはその姿が見えなくなるまでこっちに手を振っていた。
メアリーはその様子を見て満足げに笑っていた。体こそボロボロだったが。
イブゼルはしかめっ面を決め込んでいたが、メアリーに促された渋々手を振っていた。
イブゼルのあの行動もあってか、メアリーはかなりイブゼルに気を許したらしい。一方イブゼルは、以前と少し変わったメアリーの態度に戸惑っているようである。
そんな二匹の様子を子供を見守る親のような立ち位置で見ていた俺であったが、
「シンくん?」
メアリーに声をかけられた。
「ん?どうした?」
「いや…何か、思いつめてるような表情だったから…」
「え?俺、そんな顔してたのか?」
「んー、やっぱりあたしの勘違いかな?ごめん!何でもない!」
「なんだそれ」
すっかり元気を取り戻したメアリーは、俺の間の抜けた返事をサラリと受け流す。
「それよりもとりあえずギルドに戻ろっか!ペラオ、驚くと思うよ。あたし達がAランクのおたずね者を捕まえたって知ったらさ!」
メアリーはウキウキした様子で歩き出した。尻尾を楽しげに振りながら、鼻歌交じりで歩いていく。それを見て、メアリーに気づかれないようにイブゼルが俺に耳打ちしてきた。
「おい、報酬は全部俺のもんだからな」
「イブゼル!」
「げっ」
メアリーは耳が良い。
「まだそんなこと言ってるの?みんなで力を合わせて捕まえたんだし、報酬もみんなで分けようよ!」
「そ、そんな〜、メアリーちゃん…」
しかしイブゼル、元々メアリーの言う事はよく聞いていたが、さらに従順になったような気がするな。しかも、何となく素直になってるし。
「おいシン。何変な顔してんだよ」
前言撤回。やっぱりまだ素直じゃないらしい。いや、これが本心かもしれないが。
「報酬については後で考えよう。元々イブゼルが引き受けた依頼だし」
「お、分かってるじゃねぇか」
「それに、プクリル親方に聞いてみるってのもありだしな」
イブゼルの顔が一気に青ざめた。やはりこいつの弱点はプクリルだ。しかし、ここまで恐怖に震えるなんて、一体プクリルに何をされたんだろう?
「ま、とりあえずギルドに戻ろう。話はそれからだ」
「そ、そうだな…」
「さんせーい!」
こうして俺達は、3匹仲良くギルドへと戻ったのだった。
帰路の途中、楽しい会話をしながらも、俺はスリープを倒す直前に感じた暗い感情を、無視することが出来ずにいた。
自分の嫌なところを、再確認したような気がして、苦しかった。