第十三話:裏の顔
「ないんだ。水のフロートなんて」
優しかったスリープさんは、ニタリと、気持ち悪い笑みを浮かべてそう言った。
「ないって……。ど、どういうことですか?」
「そのままの意味だよルリリちゃん。その穴の中には、ある盗賊が隠したと言われる宝物があるだけなんだ」
「そ、そんな…」
「だからね、ルリリちゃん」
スリープさんは、あたしとの距離をグイ、と詰めてしゃがみこんだ。背の高さがあたしと同じくらいになる。お母さんが、あたしに何かを言い付けるときみたいに。
「あの穴に入って、宝をとってきてくれないか?俺にはちょっと、小さすぎて入れないんだ」
「え……その…」
よ、よく分からないよ…。スリープさん、水のフロートはどうしたの?あたし達の落とし物、見つけてきてくれたんじゃなかったの?盗賊の宝って、何?それって……ジバコイル保安官さん達に届けなきゃいけないものじゃないの?
でも、スリープさんの目はなんだか曇ってて、暗くて、だけどギラギラ光ってる。
…怖い。足がガタガタと震えだして動けない。そんなあたしの様子を見ていたスリープさんの顔からだんだん笑顔が消えていく…。口許をぐにゃっと曲げ、目を細くしてスリープさんはあたしに怒鳴った。
「早くしろ!!痛い目にあいたいか!!?」
「ひっ!?………う、うう…。た、助けてぇ…お兄ちゃん…」
耐えきれず、泣いてしまった、その時だった。
「何してるんだ。スリープ」
間に合った。山を登り続けた疲労で息が上がるのを押さえて、俺は威嚇するように言葉を発した。俺たちの存在に気づいたスリープは、その中途半端に大きな体をのそりと振り返らせる。
スリープは俺たちの姿を見て、一瞬だけ戸惑うそぶりを見せた。顔をしかめ、口をへの字に曲げる。そして「ちっ」と小さく舌を鳴らし、開き直ったような大きな声で、言った。
「何って…ルリリちゃんと話をしてるんだよ。邪魔しないでもらえるかい?」
「話ってのは、ちっちゃい子供を泣かして楽しむ大人の遊びのことを言うのか?」
「なんだと?」
スリープの目付きが鋭くなる。分かってたとはいえ、ここまで豹変するとは。メアリーは、不安そうな顔で俺とスリープを交互に見ている。おそらく、まだスリープはいいポケモンだと思っていたので、この豹変ぶりに動揺しているのだろう。奥にいるルリリも、恐怖のせいか、体全体がブルブルと震えている。涙で潤んだつぶらな瞳は、こちらに助けを訴えかけているかのようだ。
そしてスリープは、開き直ったかのように大きく一笑いし、顔をニタッと緩ませて言った。
「……けっ!簡単には騙されてくんねぇようだな、探険隊さん。あらかた俺の手配書でも見たのかな?」
「て、手配書…。す、スリープさん、じゃあ、本当に…」
「ああ、そうさイーブイちゃん。趣味は誘拐と強盗、いわゆるお尋ね者ってやつなのさ。俺は」
そこまで聞いてメアリーは大きく目を見開いた。口が半開きになり、わなわなと唇が震えている。
一方のイブゼルは、ふん、と鼻を鳴らして腕を組んでいる。メアリーからしてみれば衝撃的な告白も、事情を知らないイブゼルには何も堪えないらしく、余裕たっぷりの表情でスリープを見据えている。
なら俺は、と言うと。ざっくりと言えば、不謹慎だが、安心していた。“時空の叫び”が使えないという事件が起きた時、このまま自分の知らない展開が待ち受けているのではないかと、どぎまぎしていたからである。もしスリープが、「ルリリを襲っていなかった」なら、そもそもスリープ達が、この山にいなかったなら…と、正直、そう思っていたからである。
しかし、ちゃんとスリープは悪い奴だったし、ここまでは予想通りだ。一つだけ懸念があるとすれば、それはイブゼルの存在ってことぐらいか。奴が変なことをしなければ良いのだが…。
そんな俺のことはいざ知らず、イブゼルは面白くもなさそうな顔をしたまま、スリープに言い放った。
「気色の悪い野郎だぜ。さっさと締め上げて帰るとすっか」
イブゼルはポキポキと指を鳴らす。それを見てスリープは、にやにやとした笑いを崩さず、後ろで震えていたルリリの手を引っ張って自分の胸に引き寄せた。ルリリが高く短い悲鳴をあげる。
「きゃぁっ!?」
「ルリリちゃん!?」
「ははっ!俺に近づくなよ!ルリリがどうなっても知らないぞ!」
スリープはルリリに右手をかざし、意地の悪い目でこちらを見る。それを受けてメアリーは、もともと攻撃する体制も整ってなかったので、余計に体をすくめる。俺も俺で、ルリリを盾にされるリスクを考えると、電気ショックを打つこともできないので頬袋をビリビリと鳴らしながらスリープを睨み付ける。問題は、イブゼルだった。
「はぁ?それがどうしたんだよ」
イブゼルはスリープの命令を意に介すこともなく、そのまま前方へと足を進める。予想外のイブゼルの行動に、少し動揺したのかスリープは、念を押すように声を張り上げて繰り返す。
「おい。何動いてるんだ?」
進む。
「止まれ。これ以上動けば迷わずルリリを攻撃するぞ」
進む。
「くっ…!貴様…」
「やれよ。やればいいじゃねぇか。それともなんだ?もしかして、俺がそんなのでビビるとでも思ってんのか?」
その言葉に、メアリーとルリリは動揺する。
「ひっ…!?」
「……ち、ちょっと!イブゼル!?」
「…良いだろう!…後悔、するなよっ!!」
スリープはイブゼルの挑発に逆上し、右手を怪しく光らせる。不味い……!
「くっ…!させるか!」
一か八か、俺は咄嗟に鉄のトゲをスリープの顔面めがけて投げつける。…が、焦っていて狙いが外れ、トゲはスリープの頭上を抜けた。しかしスリープの注意は引けたらしく、スリープはこちらの方を向き睨み付けてきた。
その瞬間、イブゼルが電光石火のごとく物凄いスピードで動き、スリープとの距離を詰めた。右手は蒼い水で包まれ、ごうごうと渦巻いている。
「しまっ…」
「食らえ!」
イブゼルは右手を勢いよくスリープに突きだした。右手を覆っていた蒼い水がその激しさを増し、巨大な青白い光球となってスリープの体に炸裂した。鈍い、スリープの断末魔が聞こえると同時に、光球は彼の腹部で爆発し、吹っ飛ばされたスリープは大きく宙を舞った。そのまま大岩に激突し、大きな土ぼこりと水飛沫が散り飛んだ。スリープの体は煙におおわれ見えなくなる。
吹っ飛ばされたスリープの方からは音沙汰が無い。イブゼルは右手に水を滴らせながら、首をポキポキと鳴らした。一部始終が自分のすぐそばで起きてしまったルリリは、体を小さくして震えている。急な展開に唖然としていたメアリーは、ハッと我に返ってルリリの方に駆け寄った。
「ルリリちゃん、もう大丈夫だよ…!」
「……う、うう…。怖いよぉ…」
「うん、うん。大丈夫、お姉ちゃん達がついてるからね」
メアリーはそう言って、優しくルリリの頭を撫でる。不安で押し潰されそうだったのか、ルリリは口を震わせて「怖い」という言葉を呟くだけだった。しかし、メアリーの包み込むような優しさのおかげで気持ちが落ち着き始め、だんだんと震えも止まっていった。ルリリをなだめながらメアリーは、ルリリを気にもしないイブゼルの方を睨み付け、こう言った。
「イブゼル……!ルリリちゃんに何かあったらどうするつもりだったの!?」
対してイブゼルは、いつものようにメアリーに媚びつつも、その態度を一貫とさせる。
「いやぁ〜、ほら!でも何とかなったじゃん!結果オーライってやつだよ!」
「イブゼル……お前…」
「なんだよ、シン。文句でもあるのか?」
イブゼルは俺を睨み付ける。
「……どうやら、俺はお前を買い被ってたらしいな」
「……けっ、偉そうに。良いじゃねぇか、別に。あいつは所詮Cランクのお尋ね者。実力の差は明白だったんだ。人質とっても変わらなかったってことなんだよ」
以前、イブゼルは強気の態度を崩さない。苛立った様子で「ちっ」と口を鳴らし、地面に唾を吐く。その表情は、怒りというよりも、どこか、苦しそうな……。
その時。赤紫に光る妖光が、イブゼルの脇腹を、すっ、と通り抜けた。小さく、地味な音が響く。イブゼルは、体を固まらせ、ゆっくりと自分の腹を見る。
「なっ……。が、ふっ…」
叫び声というよりは、うめき声。イブゼルはいつもの調子とはかけ離れた小さな声を上げたきり、どお、と地面に倒れ伏し、動かなくなった。体の下から、紅い液体が顔を覗かせる。
「イブゼル!!」
メアリーが悲鳴をあげる。しかしすぐに耳をイブゼルの胸にあて、少し安心したように言った。
「と、とりあえず……息は、してる。し、シン君……どうしよう…?」
俺もイブゼルの方へ近づき確認しようと思ったが、あることに気がついてイブゼルが倒れている場所、さらにその奥を睨み付けた。
あの光線……。まさか、あいつ…。
土煙はすっかり消えていて、その場所で、黄色い生き物が、指を怪しく光らせてこっちを見ている。
「ふーっ、ふーっ。びっくりさせてくれるじゃないか。……ふーっ…、、ふざけやがって…」
……スリープは、まだ倒れていなかった。それに気づいたルリリは、大きく悲鳴をあげて再び体を小さく丸ませる。側にいたメアリーは、ルリリを必死に励ますが、自身の足も震えている。
イブゼルは、呼吸が荒く、起き上がりそうにもない。スリープは、そんなイブゼルを見て満足そうに鼻を鳴らす。
「……はは。でかい口叩いてた割にはその程度か。ま、手配書見て来たんだろうし、タカが知れてるがな」
もはや最初に見られた紳士的な口振りは完全に消え去り、立派な悪人顔をしてスリープはその言葉を吐き捨てた。そして、ゆっくりとこちらの方に向き直る。
「お前らも、手配書見て来たらしいな。手配書には何て書いてあった?」
やけに手配書を気にするスリープに、メアリーは怯えながらも疑問を呈する。
「て、手配書…?」
「あぁ、手配書。あるなら取り出して見てみろよ。Cランク、って書いてるだろ?」
俺はバッグからスリープの手配書を取り出す。
『小悪党スリープ Cランク 犯罪:誘拐、強盗、傷害 捕獲求む』
手配書にはそう書かれてあった。確かに、Cランクだ。それに『小悪党』など、どこかスリープに小物感を匂わせる。
「それ……俺が手配書作ってる奴の頭操作してできたやつなんだよな。『小悪党』、だとか『Cランク』だとか。随分弱そうな感じで書かれてるだろ?本当はさ、違うんだ」
「…わざと、弱く見せてるのか…」
「おう、そうさ。勘がいいな。手配書弱く見せとけば、強い探険隊が捕まえに来ることも少ないし、お前らみたいなレベルの低い探険隊、いわゆる金ヅルがわんさかやってくる。そいつらをぶっ飛ばして金奪うって寸法なわけだが、これがなかなか美味くてよぉ……クククッ」
スリープは面白くて仕方がない、といった様子で腹を抱え、笑っている。事態の危うさを察したメアリーは、探険隊からはほど遠い、小動物のような目になりつつも、なんとか負けじとスリープを睨み付けている。
スリープは、面白話のオチをいよいよ言うか、といった様子で、いやらしい、満面の笑みでこう言った。
「そして、この言葉を聞いた雑魚供の、震え上がる姿を見るのが大好きなんだ、俺。」
「なんせ、Aランクのお尋ね者なんだから」
それを聞いた瞬間。重い、大きな鉄球が、心の底にのし掛かったような、そんな一撃を喰らった。
Aランク……ゲームで対峙したスリープとははるかに格上の怪物が、俺達の目の前に立ちふさがっていた。