第十一話:演技
“時空の叫び”…このゲームの主人公が持つ特殊能力で、物体に触れるとその物体に関する未来や過去を聴いたり視たりすることができる能力。シナリオ通りなら、ルリリが落としたリンゴを俺が拾ったその時に、時空の叫びが発動するはずだった…のに、だ。
リンゴを触っても俺の身体に異常は起きない。“時空の叫び”が発動する時には必ず起きる目眩すら、起きる気配がない。当然ルリリはなんら不審に思うこともなく、俺に礼を言ってリンゴを受け取り、マリルの方に走っていく。首筋に、ひやりと冷たい風が吹き抜けた。
不味くないか、これ。このあとの物語は“時空の叫び”がキーになって展開していくのだ。なのに“時空の叫び”が使えないなんて、ズレどころの騒ぎじゃないぞ。ダメだ。なんとか…。いや、どうしよう。
「ま、待ってくれ!」
気がついたら声が出ていた。ルリリとマリルがこちらを振り向く。側にいたメアリーは、「どうしたの?」と不思議そうにこちらに聞いてくる。言っちまった。焦りのあまり、勢いで彼らを引き留めてしまった。
「どうしたんですか?」
二匹がこちらへ歩いてくる。……言ってしまったからには仕方ない。もう一度、確めるんだ。
「そ、そのリンゴ…ちょっと見せてくれないかな?」
突然の意味不明な俺の問いかけに、ルリリは少し不安そうな顔をして首をかしげる。
「リンゴですか?…いいですけど…」
「どうしたんですか?シンさん。何か変なものでも…」
カクレオンは自分の商品に不備があったのではないかと不安そうに言った。
「いや、そういうわけじゃないんだ。その、何て言うか…とりあえず!一回、そのリンゴを触らしてほしいんだ」
「え?あの……」
戸惑うルリリ。無理はない。というか何言ってんだ俺は。メアリーが不審そうな顔でこっちを見てるじゃないか。
「ま、まあ…触る…だけなら…」
だいぶ声には不安がこもっていたが、ルリリはリンゴを俺に見せてくれた。ベタベタ触るのも怪しまれるだろうし(すでに充分怪しいが)、ここはサッとすぐ、一瞬で事を済ませよう。
俺はリンゴに右手をピタと貼り付けた。目をつぶり、目眩、そして“時空の叫び”が起きるのを待った。だんだん周りが騒がしくなる。ルリリが「もういいですか?」と聞いてくる。待ってくれ、もう少し…。メアリーとデッパも、俺の不可解な行動に疑問の言葉を投げ掛けてくる。待てって。もう少しで、起きる、はずなんだ。
…ダメだ。何も起きない。時空の叫びはおろか、目眩すらも起きてこない。じわ、と汗が頬を流れる。周りの、俺を呼び掛ける声も大きくなっていく。……仕方ない。もうこれしか、手段がない。
…時空の叫びの、“フリ”をしよう。
「うっ!?」
数十秒くらいリンゴに手を触れたあと、俺は呻き声をあげ、頭に手をやってふらつきはじめた。足取りはおぼつかず、危うく倒れそうな素振りを見せる。目の前にいたルリリはそれに驚いてすぐさまリンゴを引っ込め、逃げるようにマリルの元へ走っていった。メアリーは、どうしたら良いのか分からない様子で、戸惑いうろたえている。
やがて俺はふらつく足を止め、ぜぇ、ぜぇと息を切らしながらこう言った。
「声が、声が聞こえた……」
「…声?」
メアリーが聞き返す。表情には疑いの顔が見てとれる。無理もない。さっきから怪しいことばかりしてるしな。しかも、気がついたらルリリとマリルいないし。
「シン君、さっきから少し変だよ。リンゴを触らしてくれ、だとか、いきなりふらついたりするし…」
「いや、その…。触ったのは…えっと」
至極もっともなメアリーの追求に、俺は上手く答えることができない。その俺にたたみかけるようにメアリーが続ける。
「それに…声が聞こえたって…どういう意味?あたしは何も聞こえなかったよ。デッパは何か聞こえた?」
デッパは首をふって答えた。
「アッシも何も聞こえてないでゲス」
「いや、そうじゃないんだ。誰かが発したとかじゃなくて、こう、頭の中に…直接きた、って感じで…」
「頭の中に…直接…?」
メアリーは首をかしげた。もう、押しきって納得してもらうしか…。
「そう、直接。それも、聞こえたのはルリリの声だったんだ。」
「………シン君、疲れてるんだよ。つい最近、チームを結成したばかりなのにあたしたち、働き詰めだったもんね。今日はもう、休もっか?」
メアリーは、あり得ない、というような顔をして、そう言った。それもそのはずで、俺がリンゴを触っている間、ルリリが一言も発してないのをメアリーはしっかり見ていただろうし、しかも既に、ルリリはこの場にはいない。ルリリの声が聴こえるはずは、普通ないのだ。それに、もともと警戒心の強いメアリーのことだ。信じるわけがない。しかし、信じてもらわないとシナリオが進まない。
「信じ難い話だっていうのは、分かってる。でも、確かに聞こえたんだ。ルリリの、『たすけて!!』って言う声が」
「たすけて?」
メアリーはまだ疑ったような表情をしている。
「シン君、一回ルリリに聞いてみようよ。もしかしたら、ルリリが小さい声で言ってたのかもしれないし。ね?」
…畜生、ダメか。仕方ない、まだチャンスは一回ある。その時こそ信じてもらえれば…。
「…あぁ。そうだな。ごめん、ちょっと混乱してた」
「ううん、あたしも無理させちゃってたのかもしれないし。とりあえず、ルリリのとこへ行こうか」
そう言って、メアリーは控えめながらも明るい笑顔を見せてくれた。しかしどこか、暗い影がその顔を覆っていた。
「アッシはもう少しカクレオン商店のアイテムを見てから帰るでゲス」
デッパはそう言って町に残り、俺たちは二匹でルリリ達が向かった交差点に向かった。
トレジャータウンから、ギルドへ戻るときに通る交差点。ギルドはそのすぐ近くの大きな崖の上ににある。交差点の、南の海岸にのびる道の側には、小さめの風車がカラカラと音をたてて回っている。そして、風車が風を送る交差点の真ん中に、ルリリとマリルはいた。二匹だけではない。黄色い体をしたゾウのようなポケモン、スリープが二匹と話していた。
「本当ですか!?スリープさん!」
「あぁ、本当だよ。確かに“トゲトゲ山”にあったんだ」
「トゲトゲ山って…最近すんでるポケモンが凶暴化してて、今危ないんじゃないですか?」
「そうなんだ。だから、一緒に僕がついていくよ。ルリリちゃんくらいなら、あの横穴にも入れるだろうし」
「いいんですか!?…ありがとうございます!」
そう言ってルリリは飛んで喜んだ。マリルも嬉しそうに尻尾を振っている。対するスリープは、いかにも紳士的な笑顔浮かべながら二人と話している。
「あ、メアリーさん、…それにシンさん」
マリルがこっちに気づいた。メアリーは「さっきぶりだね」と笑って二匹に声をかける。ルリリはさっきのことがあって、ちょっと気まずそうにマリルの後ろに隠れた。…必死だったとはいえ、悪いことをしてしまった。
「ごめん、ルリリ。さっきはいきなり変なことを言い出して…」
「え、うん。大丈夫です」
もともと言葉遣いは基本丁寧なんだけど、今の「大丈夫です」、はなんかグサッと心にきた。いや、完全に俺が悪いんだけども。メアリーは、近くにいたスリープにも挨拶をする。
「はじめまして。あたし、メアリーっていいます」
「あぁ、どうも。丁寧にありがとう。」
「あ、俺はシンって言います。二人で“リユニオン”って名前の探検隊やってます」
「へぇ、探検隊やってるんだ。まだ若そうなのに、偉いね。尊敬しちゃうよ」
スリープは調子を崩さずそう言った。相変わらず顔にはジェントル溢れる優しい笑みが浮かんでいる。THE・良いポケモン。初見なら大多数のポケモンがそう思うことだろう。ルリリとマリルはこのポケモンをだいぶ信用しているらしい。メアリーが聞いたところ、どうやら二匹は落とし物探しをスリープに協力してもらっていて、ちょうどさっき、スリープがその落とし物を見つけてきたんだという。
「でも、落ちてる場所に問題があって…」
「場所?」
「はい。小さい横穴の中にあるんです。だから体が中途半端に大きい僕には入れないんですよね。そこで、ルリリちゃんくらいなら入れるだろうから、一緒についてきてもらおうと思うんです」
「マリル兄ちゃんは病気のお母さんの面倒見なきゃいけないし、一人じゃ不安なんですけどスリープさんがいるなら大丈夫かなって」
ルリリはそう言って嬉しそうに丸い尻尾を振った。メアリーも納得した様子で、
「ふーん。そういうわけだったんだ。良かったね。マリル、ルリリ」
「はい!」
二匹は声を揃えて元気よく返事をする。
……メアリー、多分目的忘れてるよな。いや、余計なことを考えるな。成り行きに任せるんだ。そろそろ、次が来る。
話が一段落ついたところで、スリープは穏やかに微笑んで、ルリリの手をひいた。
「それじゃ、さっそく行こうか。ルリリちゃん」
「はい!行ってくるね。お兄ちゃん!」
「うん。行ってらっしゃい。…スリープさんもよろしくお願いします」
「うん。マリルくんも帰り、気をつけてね」
そう言ってスリープがこちらの方へと歩いてくる。そして、スリープが俺とすれ違おうとした瞬間、俺はさりげなくスリープにぶつかった。トン、と軽く音がして、スリープがよろつく。わざとではあるが形式上謝っておく。
「あ、すみません」
「いえいえ。探検隊さんもお気をつけて」
スリープは笑って軽く返事をし、ルリリを連れてその場を去っていった。
「じゃ、僕もこれで」
ルリリ達が見えなくなると、マリルも俺達に軽く挨拶をして、家へと向かってこの場を去った。残された二匹。俺は辛そうに頭を手で押さえるフリをした。マリルの方を向いていたメアリーが、ふと思い出したようにこちらを見て言った。
「あ、ごめん、シン君。ルリリに聞くの、忘れちゃった。…ってあれ?」
メアリーが俺の異常に気付く。
「ど、どうしたの!?もしかして……また、さっきの?」
心配そうにするメアリーを手で制し、俺はまだ少し辛そうに装ってこう言った。
「あぁ。今度は、声だけじゃなくて、スリープとルリリがいる映像が見えた」
「……それ、本当?」
やはりまだ信用されてない。こうなったら、直接見てもらうしか方法はない。
「あぁ。本当だ。ギルドに行けばそれが分かる。メアリー、ついてきてくれ」
「え、え?ちょ、ちょっと!?」
戸惑うメアリーの前足を引っ張り、俺はギルドへの階段を駆け上った。
ギルドへと駆け入り、いつも見ている依頼掲示板、ではなくその反対側にある掲示板の前に、俺はメアリーを連れてきた。掲示板の側にはペラオがいて、こちらに声をかけてきた。
「あ、お前達。ちょうど良いところに来たな」
「ぺ、ペラオ…」
引っ張り回されたメアリーが、息を切らしながら返事した。ペラオは羽で掲示板を指し示しす。掲示板には種々様々なポケモンの顔が描かれた紙が貼られている。ジュプトル、サマヨール、ヘルガー、マリルリ………奴の顔がない。まだ更新されていないのか。少しだけ息が落ち着いたメアリーがペラオに尋ねる。
「掲示板?でもちょっといつものとは違うね」
「ああ。これは、悪さをしたポケモン、“お尋ね者”が指名手配されている掲示板だ。今日はお前達に、この中のうちのどれかをやってもらおうと思う」
「ペラオ、もう掲示板の更新は行われたのか?」
「シン、私の話を無視して自分の話をするんじゃないよ!というかお前、なんで掲示板の更新のことを知ってるんだい?」
「え、ああ!ほら、前にペラオが言ってたじゃないか。ここの掲示板は毎日ダグトリオが最新の内容に更新してるって」
俺は苦し紛れの嘘をついた。ていうか今日俺、嘘しかついてない。
ペラオはうーん、と唸るが別に大したことでもないということに気がついて、シンの質問に答えた。
「更新されたよ。ついさっきな」
「なんだと…」
「シン君…行けば分かるってもしかしてこれのこと?ここに、何かあるの?」
おかしい。更新されたなら何故やつの顔が手配されていないんだ。メアリーが不思議そうな顔でこちらを見ている。畜生、このままだとメアリーを説得できない……。俺が頭を抱えていると、背後から陽気な声が聞こえてきた。
「あれ?メアリーちゃん、どうしたんだい?」
「あ、イブゼル」
イブゼルは右手を上げて挨拶した。左手には依頼書をもっている。
「イブゼル、今から依頼か?」
俺が話しかけるとイブゼルは嫌そうな顔をした。
「ちっ、てめぇは話しかけてくるんじゃねぇよ。……お尋ね者の捕獲依頼だよ。誘拐、そして詐欺の容疑で指名手配されてる奴の」
イブゼルは最近、悪態こそつくもののなんとなく会話をしてくれるようになった気がする。いや、そんなことは今はどうでもいい。イブゼルが持っている手配書。もしかしたらこれが……
「何ていうポケモンの、手配書なんだ?」
「何って……スリープだよ」
「え!?」
驚きの声をあげたのはメアリーだった。イブゼルに近づき問い詰める。
「イブゼル!ちょっとその手配書、見せてくれない?」
イブゼル、断る理由がない。
「えっ!?あぁ!もちろんさ!」
イブゼルから手配書を受け取ったメアリーは、その紙に写るポケモンを見て固まった。
「さっきの…スリープだ…」
俺も、横から覗いて確認してみる。手配書には、ついさっき、優しい笑顔でルリリを連れていったスリープが、想像できないような悪人面で描かれていた。
「シン君……まさか、さっき言ってたのって……」
メアリーがこちらを見る。さっきまであった疑いの表情はもうなかった。代わりにあるのは、鬼気迫る、恐怖にひきつった顔だった。
「さっきスリープとぶつかったとき、また目眩が起きて、ある場面が浮かんだんだ。……スリープが、ルリリを襲う場面、だった。」
「……ほ、本当…だったんだ」
話が読めないペラオとイブゼル。首をかしげ、顎に手と羽をやっている。少ししてイブゼルが話に入ってきた。
「おい、なんの話してんだ?…スリープの手配書になんか不備でもあったのか?」
「イブゼル、これ…俺達にやらせてくれ!」
「は?……っておい!」
イブゼルが反応を示す前に、俺とメアリーはスリープの手配書を持ってその場を飛び出した。いきなりの行動に一瞬、狼狽したイブゼルだったが、すぐに我に帰り俺達を追いかけてきた。ペラオも何か甲高い声で叫んでいたが、あまりよく聞こえなかった。
「シン君、…信じてあげられなくて…ごめん」
走っている最中、メアリーは俺の方をちらと見て申し訳なさそうに謝ってきた。
「いいよ。信じられないが普通だと思うし。こっちこそ悪かった。変なことばかりしてメアリーを混乱させた」
俺もそう言って謝ると、メアリーはふわっと笑ってみせた。
「優しいね、シン君。じゃあ、お互い様ってことでいいかな?これからは…絶対に信じるから」
「え、ああ。ありがとう」
別にそこまでのことではないと思うんだけどな。ま、信じるって言ってくれてるんだから別にいいか。
崖の階段を駆け下り、からからと風車の回る交差点を勢いよく左にまがったところで、俺はバックから不思議な地図を取り出し、トゲトゲ山の場所を確認した。足で土を蹴りあげ、気がつけば四足歩行になりながら先を急いでいた俺は、ふと、“時空の叫び”について考えを巡らした。
何故、“時空の叫び”は発動しなかったのだろうか。たまたま、俺はシナリオを全部把握していたから“時空の叫び”を装うことができた。もし俺が記憶喪失だったら、この時点でストーリーは終わってしまう。…もしかしたら、俺がこの世界に記憶を持ったまま来たことと関係しているのだろうか。シナリオを把握しているこの俺には、よく考えれば確かに“時空の叫び”は必要ない。だがしかし、“時空の叫び”が使えないということは、この世界が辿るリアルな未来や過去を知ることができないということだ。つまり、これはこの先俺の知り得ない何か重大なシナリオ上のズレが起きるという予兆なのではないだろうか。
……考えすぎだ。今はとりあえず、ルリリを助けることに集中しなければ。
俺はそこで思考を中断し、周りを見回した。
「おい!それは俺の獲物だ!てめぇに譲ってたまるかぁ!」
後ろではイブゼルが、全く疲れる気配を見せず、依然、俺達の後ろを追いかけてきていた。