第九話:脱走者
結論から言うと、ブイゼル、もといイブゼルはとてつもなく強かった。動きや攻撃力もあたし達とは段違いだったし、何より経験の差というものを痛感させられた。シン君が繰り出した全力の電気ショックを食らっても、倒れずに反撃してシン君を池に沈め、あたしとの距離を詰めてきた時にはさすがに敗けを覚悟した。…のだけれども。
「ねぇねぇ、君、名前なんて言うの?俺はイブゼル。俺、君みたいな子が超タイプなんだよな〜」
何故か、あたしは今彼に口説かれている。状況がもはや意味わかんないし、どうしたらいいかも分からない。助けてシン君。
「そうだ!この水晶を君にあげるよ!似合うと思うぜ。ちょっとサイズがでかいけど、小さく削ってネックレスみたいな感じにしちゃってさ」
「あ、あの」
「ん?ネックレスは嫌かい?じゃあティアラにしてみたらどうだろう?ああ、勿論オーダーメイドだぜ…」
その言葉を言い終わった直後にイブゼルに雷が落ちた。彼は断末魔をあげて体をブルブルと震わせたが、やがて静かになって地面に倒れこんだ。
「何だったんだ、こいつ」
シン君が頬袋をバチバチと鳴らしながら、呆れた様子でそう言った。助かった、そう安心すると次はなんだか少し恥ずかしくなった。さっきのやりとり、聞かれてたのかな。そんなあたしを気にする様子もなくイブゼルが持っていたバッグを調べていたシン君は、はっと何かに気づいた様子でこう言った。
「こいつが言ってたこと、本当かもしれない」
「え?どういうこと?」
シン君はイブゼルのバッグから一枚の紙を取り出してあたしに見せた。
「読んでみてくれ」
そういえばシン君は足形文字が読めないんだった。元人間だったときの影響だ、ってシン君は言ってたっけ。言われた通り読んでみると、なんと内容はあたしたちの受けたバネブーの依頼、そのものだった。
「これ、あたしたちの…」
「別に盗まれた訳でもない。俺たちの分はここにあるしな。多分こいつも俺たちと同じように依頼を受けてここまで来たんだろう。だとしたら、…悪いことしたな」
シン君はほんの少しだけ残念そうな顔をして、手を顎に添えてしばらく考えていた。そしてイブゼルの体を背負ってこう言った。
「せめてギルドまで連れていこう。依頼の報酬は…まあ後で考えるか。」
とういことであたし達は、イブゼルを連れて湿った岩場を後にした。帰るとき、シン君は探検隊バッジを難しそうに見つめて回したり、押したり引っ張ったりして色々いじっていた。でも特に何も起こらず、シン君は何もなかったかのようにバッジをバッグにしまっていた。なぜシン君がそんなことをしたのかは分からない。
ギルドに帰った後、達成した依頼をどうすればいいのか分からなかったので、プクリルの部屋に報告しに行った。部屋に入ったところでシン君に背負われていたイブゼルが目を覚ました。数秒経って自分の置かれている状況を理解したイブゼルは、シン君の背中から飛び降りて戦闘体勢をとったけど、シン君とあたしが謝ると今度は機嫌を良くして再びあたしに話しかけてきた。
「もしかして、君が俺をここまでおぶってきてくれたのかい?」
「え、いや、シン君だけど……」
「シンクン?シンクンってのはそれのことかい?」
「“それ”ってひどくないか」
「今イーブイちゃんと俺が話してるんだ。黙ってろ」
「なるほど」
いや何で引き下がるのシン君!突っ込んでよ!うう…どうしよう。このままじゃ延々と話されそう…。そう、あたしが心の中で悩んでいると、思わぬ助け舟がやってきた。
「やあ、イブゼル君久しぶり。目を覚ましたんだね」
椅子に座ったプクリルの、穏やかなその声にイブゼルはビクッと体を震わせた。弾丸トークは止み、表情は硬直している。プクリルは首をかしげてもう一度呼び掛けた。
「イブゼル君?」
「ふぁい!?」
気の抜けた返事をしてイブゼルはプクリルの方を振り向いた。背筋をしゃん、と伸ばし、手をピタッと横に添えている。
羽を顎に添えて難しそうに考えていたペラオが、思い当たったように口を開いた。
「イブゼル……。あぁ!お前は!前にギルドを脱走したイブゼルだな!?」
「うげっ!?」
ペラオはイブゼルを羽で指差し、甲高い声で怒鳴り散らした。イブゼルは、さっきの陽気な感じからは想像できないくらい顔を青くして、冷や汗をいっぱい浮かべている。目はプクリルとペラオの方を行ったり来たり。もはやあたしの方には視線を向けもしなかった。ペラオとは対照的に、プクリルは穏やかな声でイブゼルに語りかける。
「今までどこに行ってたの?僕達、とても心配してたんだよ?」
「い、いやぁ……。そ、そのー…。じ、自分探し…ですかね?」
おどけて見せたイブゼルに、ペラオはこれでもか、というくらい顔を真っ赤にして言った。
「おだまり!!!分かってるだろうね!脱走はお仕置き!覚悟するんだよ!」
「な、なぁ!?い、いやだね!!もっかい逃げ出してやるぜ!」
そう言ってイブゼルは部屋から出ようと扉の方へ駆ける。しかし、扉の前ではすでにシン君が待ち伏せしていて、イブゼルの行く手を防いだ。
「て、てめぇっ!何の真似だ!?どきやがれ!」
「なんか逃がちゃダメそうな雰囲気だからな」
「ふざけやがって…っ!」
逆上したイブゼルが拳を振り上げた。シン君は腕をクロスさせて防御の構えをとる。しかし、拳はそのまま振り下ろされることはなかった。プクリルがイブゼルの腕をつかんだのだ。
「喧嘩はいけないよ、イブゼルくん。もう一度頑張ろうよ」
「ね?」
その「ね?」の圧力は、関係のないあたしでも怯むくらい迫力のあるものだった。直接それを受けたイブゼルの心はただでは済まず、すぐさま抵抗を止めて静かになった。ここまで怯えるなんて、いったいプクリルに何をされたんだろう。当のプクリルはイブゼルの態度を見て、彼が再びギルドに戻ってくると確信したのか、嬉しそうにこう言った。
「よーし、決まり!イブゼル君、一緒に頑張ろうね!」
イブゼルは黙って頷いていた。
イブゼルがとぼとぼと部屋を出ていった後、あたし達はペラオに依頼書と水晶を渡した。さっきまで怒り狂っていたペラオだったけど、あたし達が依頼を達成したことを知るとすぐさま機嫌を良くし、「役所に報告してくるから適当に待ってるんだよ♪」と言って鼻唄を歌いながら部屋を出ていった。
ペラオが帰ってくるのを待っている間、ギルドのメンバー達にイブゼルのことについて聞いてみた。みんな、彼は騒がしくてうるさかった、と言っていたけど、どうやらそれは悪い意味でもないらしく、あいつがいなくなって少し寂しかった、なんて言うポケモンもいた。あたしも何となくそれには納得できた。一方的に話しかけられただけだったけど、イブゼルは多分、ムードーメーカー的な存在なのだろうな、と感じたのだ。ちょっと苦手なポケモンだけど、彼とも仲良くしないとね。
しばらくしてペラオがギルドに帰ってきた。後ろに誰かがついてきている。依頼主のバネブーだ。頭上にはしっかりあの水晶を乗せている。二人はあたしたちの前に来て並び、ペラオは一歩下がり、バネブーに言葉を促した。バネブーは頷いて、
「この度は本当に、ありがとうございました!大切な大切な水晶を見つけてきてくれて…。もう、なんてお礼を尽くしたらいいのか…。あの、これ…少ないんですが、受け取ってください!」
そう言ってバネブーは、シン君にズシッと重い小袋を手渡した。袋の口が少し空いていたのでちらっと中身を見てみると、キラリと光る何かが見えた。こ、これは……ポケ金貨だ!し、しかも小袋いっぱいぎっしりと!
「こ、こんなにたくさんもらえないよっ!?」
「いえいえ!命の次に大事な水晶が戻ってきたんです!こんなの安いくらいですよ!本当はもっとお礼をしたいのですけど…これ以上は生活がかかっていまして…」
「そ、それならなおさら…」
「大丈夫です!気にしないでください!本当に…ありがとうございました!では!」
バネブーは深く礼をした後、戸惑うあたしを置いて帰ってしまった。ど、どうすればいいんだろう…こんな大金…。
一方のシン君は特に驚いた様子を見せなかった。何故か、金貨の入った袋を悲しそうに見つめている。その理由はすぐに分かった。
バネブーが帰るのを最後まで見送っていたペラオは、あたしたちの方に向き直った。そしてなんと、シン君から小袋を取り上げてしまったのだ。シン君は「あー、」とため息を漏らすだけで特に抵抗する様子もない。驚くあたしをよそにペラオは小袋の中の金貨を数え始め、ふむ、と頷くと袋の中から何枚か取り出してシン君の手に乗せた。
「はい、これがお前達の取り分だ」
「え?」
思わず声を漏らしてしまった。手に乗せられた金貨はたったの5枚。袋の中には50枚近くはあっただろうに、あたし達の取り分はその一割だけだというのだ。
「ちょ、ちょっと!?これだけ?いくらなんでも少なすぎるよ!」
「天引きされることには文句は言わないんだな」
「はっ!そ、そう言えば!そうだよ!何であたし達の報酬をペラオが奪い取るの!?」
そう言うとペラオは顔を真っ赤にして、
「奪い取るなんて人聞きの悪い!お前達はギルドに所属する身分!宿や情報もギルドからお前達に提供してるし、何しろこの依頼もギルドからじゃないか!報酬の“一部”をギルドが貰うのは当然だよ!」
「“一部”が度を過ぎてるよ!?こんなのむしろ、あたし達が“一部”じゃない!」
「おだまり!!!とりあえず!お前達はまだ修行の身!依頼遂行も修行なんだ!報酬が第一の目的じゃ無いんだよ!さっ!分かったら部屋に戻りな!」
「り、理不尽だぁ〜…」
そう言いつつも、これ以上はペラオの顔が真っ赤を通り越して別の何かになってしまいそうだったので、渋々あたし達は、自分達の部屋に戻ったのだった。
「みなさーん、ご飯ですよ〜!」
夕方、フウラの声と共に呼び鈴が鳴り、皆ががやがやと一斉に食堂に集まった。大きなテーブルの上には、オレンの実、モモンの実といった色んな木の実が様々に料理されて並べられていた。一匹当たりの料理などはなく、皆の席には取り皿だけが並べられている。好きなものを取って食べるという形式だろう。いっぱい食べるポケモンもいれば、少ししか食べられないポケモンもいる場合はぴったりな形式だ。問題は、このギルドの面子のほとんどが大食いだったっていうことだけで……
「おい、イブゼルてめぇっ!!それ俺のオレンの実じゃねぇか!何勝手に盗ってんだ!?」
「食わねぇ癖にてめぇの取り皿に乗せとくんじゃねーよ!もったいねーから、俺が食べてやってんだ!ありがたく思えよ!」
「今から食べようと思ってたんだ、こっちはよぉぉおーーー!!!」
ギルドの食卓はまさに大混乱。さっき見たときには意気消沈していたイブゼルは、たくさんの料理を前にテンションMAX。ギルドにいた頃はメンバーと仲良くやっていたのか、再開後も既にギルドに打ち解けていた。ちょっと打ち解けすぎだけど。
あたし達もギルドに入って二日目で、まだまだ日は浅かったけど、ギルドのメンバーは皆気さくに話しかけてきてくれて、特別気まずさを感じることもなかった。特に、あたしの隣に座っていたキマルンはとても明るいポケモンで、彼女との会話は弾みに弾んだ。シン君の方もどうやら隣の席のレレグと意気投合したらしく、二人で何やら難しそうな話をしていた。“でんきだま”とか、“せんようどうぐ”、だとかなんとか言ってたっけ。シン君はともかく、レレグの不穏な笑顔から察するに怪しい話だったのかもしれない。何はともあれ、あたし達はギルドでの夕食を大いに楽しんだ。
夕食が済むと、ペラオの「解散♪」の一言で皆はそろそろと自室に帰っていった。あたし達も自室に戻り、寝る準備を整えた。藁のベッドの上にごろん、と横になると、なんだか急に眠気が襲ってきた。
昨日もそうだったけど、今日は今日で濃い1日だったなぁ。初依頼がバネブーの落とし物探しって聞いたときには正直簡単だ、なんて思ってたけど、いざ挑んでみると「湿った岩場」は戦いにくくて厄介だったし、イブゼルはすこぶる強かった。まあ、イブゼルの件はお互いの勘違いで、依頼の内容とは関係なかったんだけど。しかもそのイブゼルが、元プクリルギルドのメンバーだって言うんだもの。展開が早すぎて頭がついていかないよ。ん〜、考えてると、眠気が覚めちゃった。
「ねぇ、シン君。起きてる?」
「ん〜?どうした〜?」
シン君は特に眠そうな様子もなく、あたしに返事をしてくれた。
「今日も色んなことがあったね〜」
「そうだなぁ。特にイブゼルと戦った時は全滅を覚悟したよ」
「シン君でも、諦めるときってあるんだね」
「なんだそれ。元人間ってだけでただのピカチュウだぞ、俺は。そりゃあ小細工を駆使して勝とうとはするけど、圧倒的な実力差を覆したりすることは出来ないよ」
「イブゼル、強かったもんね」
「まぁな。でも勝てたのはメアリーのおかげだぞ。メアリーがあそこでイブゼルを池に落としてくれたからあの“電気ショック”を外さずに撃てたんだ。ありがとうな、メアリー」
「えっ、え?い、いや…あたしは別に…」
褒められるとは予想してなかった…。褒められるのは慣れないや。イブゼルに口説かれたときに返事に困るのと同じ感じ……いや、それとはちょっと違うな。う、うーん…。
「メアリー?……疲れてるのか?」
「ふぇ?」
し、しまった!あたしが狼狽えたまま返事しないものだから、シン君に疲れてるって思われちゃった。いや、確かに疲れてはいるけど…。
「明日も朝早いしな。疲れを溜め込むのは良くないぞ」
「そ、そうだね。そろそろ寝ようか。おやすみなさい、シン君」
「ああ。おやすみ、メアリー」
そう言ってシン君はランプの灯を消した。部屋はふっと暗くなり、すぐにまた、さっきまでなりを潜めていた眠気があたしを襲ってきた。…今日も楽しかったなぁ…。いろいろあったけど、やっぱり最後に出てくる気持ちはそれだった。明日も元気に頑張らなきゃ。そう思い、あたしは眠気に身を委ねた。
パニックだ。なんだ今日は。パニックだ。言いたいことは色々ある。まず第一に、あのブイゼル。名前はイブゼルだったな。なんだあいつは。あんな奴と戦うなんてゲームのシナリオにはなかったぞ。しかもとてつもなく強かったし。イブゼルがあの性格じゃなかったらやられてたな。それにだ。奴はなんとギルドの脱走者だなんて言うじゃないか。そんなのもシナリオにはなかったよ!だ、ダメだ。取り乱すな。こんな夜に一人で焦っても何の意味もないぞ。落ち着け俺。
確かに今回は見慣れぬイベントだったが、別に大まかなシナリオにはあまり影響はないはずだ。こっち側が変なことしない限り大丈夫。イブゼルの一匹や二匹、問題はない。
それにしても、探険隊バッジってどう使うんだ?ゲームだとあれを使えばダンジョンから脱出できたのに、押しても引いても、うんともすんともいわない。明日にでもペラオに文句を言いにいこう。そんな機能ない、って言われそうで怖いが。
ともかく、今日も密度の濃い一日だった。まだまだ序盤だというのに、この勢いだと中盤辺りの重大イベントに辿り着く頃にはぶっ倒れてそうだ。
うん、早く寝ようか。メアリーに言っておきながら、自分が眠そうに眼を擦ってるんじゃ格好がつかないからな。
しばらくして、俺もメアリーに続くようにして眠りについた。
ゆっくりと、しかし確実に進んでいる物語の“ズレ”に、気づくこともないままに。