第二話:海岸の洞窟
「あたしはメアリー、よろしくね」
イーブイは言った。メアリー、か。良い名前だな。特に理由は無いがそう思った。
ドガース達が入り、そして今、俺達が歩いているこの洞窟の名前は、「海岸の洞窟」。ゲーム画面ではサンゴの鮮やかな色合いの目立つ洞窟だったが、実際に歩いてみると結構暗い。そもそも明かりが、漏れて入ってきた夕陽の光しかないわけで、サンゴ達の鮮やかさはよく見えないのだ。地面はじめじめしていて水溜まりが多いので、よく踏んづけてはその冷たさに驚き、足を上げるということが何度か続いた。
「…君の…名前は?」
イーブイが聞いてきた。いや、メアリーか。
「シンって言うんだ。よろしく、メアリー」
「シンか…シンプルで呼びやすい名前だね♪よろしくっ」
良い名前だね、じゃねえのかよ。
そういえば、名乗るのは今が初めてということは、記憶喪失のくだりもやってないって訳か。この世界では一応、俺は記憶喪失という設定になっているが、俺は自分の記憶はほとんど覚えている。K高校に通う高校2年生。それが前の世界での俺の肩書きだ。ま、今はどうでもいいことだけど。とりあえず、言わなければいけないことができた。
「海岸でさ」
「ん?」
メアリーは首をかしげた。覚えてないのか。
「何してたのか思い出せないって言っただろ?実は俺、記憶喪失なんだ」
「え?」
メアリーはほんの少しだけ俺と距離を離した。んー、まだ警戒心は解けてないか。そもそも記憶喪失と言っても普通はなかなか信じてもらえないだろう。というか記憶あるし。
ならばなぜ、このような嘘をつく必要があるのか。理由は簡単で、できるだけこのゲームのシナリオ通りに振る舞う必要があるからだ。実はシナリオ上、この世界はいずれ危機に晒されることになる。それを解決し、世界を平和に導くためにも、できるだけシナリオに沿った行動をとる必要があるのだ。もし下手をして、シナリオがズレてしまったとしたら最悪、世界滅亡なんてこともありえるのである。
俺は今、自分の身に起きたことについて何一つ原因が分かっていない。それを解明するためにも、まずはシナリオ通りに進むことで世界滅亡の危機から逃れることが重要なのだ。
「…記憶喪失…ねぇ」
メアリーが独り言のように呟いた。しかしすぐにこちらの方を向いて、
「信じないわけじゃないんだよ。ただシン君、変なことが多すぎてさ」
「変なこと?」
「うん。記憶喪失もそうなんだけど、自分のことをポケモンって言われたとき、変な反応したでしょ?まるで、自分はポケモンじゃないかのような反応だったよ」
この子、割と鋭いな。ズバリその通りだ。俺はもともと人間で、メアリーに出会った当初は、自分がピカチュウになっているなんて夢にも思わなかったのだ。そしてこれは、ゲームでの主人公の境遇にも一致する。…答える必要があるな。
「鋭いなー。俺、元人間なんだ」
「へ?」
予想外だったらしい。
「あたし…シン君は何か自分を別の動物だと勘違いしてるポケモンだと思ってた」
そんな馬鹿なことがあってたまるか。ん?いや、合ってるか。
「でもまあ…信じるよ」
「え?」
「シン君は悪いポケモンじゃないもの。あたしの勘だけどね」
助かった。警戒心は強いけど、メアリーが分かってくれるポケモンで良かった。海岸での強引なやり取りから現在のどこか距離のある会話など、全部自分がしたことでありながらだいぶ居心地が悪かった俺にとって、この言葉には救われる何かがあった。
次の瞬間、俺はメアリーの叫び声のようなものを聞くと同時に、背中の激痛と共に前方へと吹っ飛ばされた。
「シン君!」
メアリーの声に手を挙げて反応を示しながら、腰の辺りを押さえて立ち上がる。吹っ飛ばされた方向を見てみると、桃色の体に複数の突起が目立つ生き物が立っていた。サニーゴだ。
「そういえばここ、不思議のダンジョンだった…。シン君気をつけてね、あいつは野生のポケモンって言って、凶暴化してて話が通じないの。攻撃してくるよ!」
「不思議のダンジョン…」
「入るたびに形が変わる場所のことなの。原因は詳しくは分かってないんだけど…」
もちろん知っている。このゲームの主要要素だ。入るたびに構造が変わるというのは、ゲームだけのシステムかと思っていたが実際もそうだったとは。どうやって帰るんだろうな。
「シン君、危ない!」
「え、うわっ!?」
サニーゴがこちらに“体当たり”を仕掛けてきた。間一髪でかわせたが、大きく体制を崩してしまう。サニーゴはすでにこちらに狙いを定めている。やばい。メアリーが叫ぶ。
「シン君、電気ショック!」
そうか、あいつは水タイプだった。よし、電気ショック…!
強くそう念じると、やり方が自然と頭をよぎり、手から電流が走った。それは突進してきたサニーゴに直撃する。手応えあり、サニーゴは苦しそうに数秒悶えた後、そのまま倒れてしまった。
「や、やった…」
頼りないその声を漏らしたのは、メアリーではなく俺だった。ゲームとは格段に違う、その臨場感と緊迫感。“痛み”として感じる“ダメージ”に、俺はこの戦いが現実であることを思い知らされたのだ。
「ありがとう、シン君。あたし、サニーゴには有効技がないから…」
そうか、このころのイーブイは“体当たり”ぐらいしか覚えないため、岩タイプのサニーゴにはダメージを与えにくいのだった。…と、そんなことを考えている場合じゃないな。
カラナクシがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。あのポケモンはみず・じめんタイプ、さっきみたいに電気技では倒せない。
カラナクシがこちらに気づき、スピードを上げて走ってきた。しかし、横からのメアリーの不意打ち的“体当たり”により、カラナクシは進行方向とはあらぬ方向に吹き飛んだ。そのまま壁に激突したカラナクシは、弱ってはいるものの、立ち上がろうとしている。完全には倒せていないようだ。いじめてるような気がして胸が痛むが…。
俺は足元にあった種を拾ってカラナクシに投げつけた。種がカラナクシに直撃した瞬間、カラナクシの体が爆散した。いや、爆風に包まれた。爆風が晴れた後には、カラナクシが気絶し、倒れていた。
「やった!」
メアリーが歓声をあげる。もしやと思ったが、やはり“ばくれつのたね”だったな。“ばくれつのたね”……投げつけたり食べたりすると爆発を起こし、敵にダメージを与えるアイテムだ。投げて遠距離攻撃ができるので、実用性は高い。あと派手。
「ありがとう、メアリー。助かった」
「え?あ、うん。気にしないで。お互い様だもん」
「この調子で、さっさとあいつらのとこまで行ってしまおう」
「…うん」
メアリーの返事が少しだけ遅れた。やはりまだ、彼らが怖いのだろうか。しかし、かけてやる言葉も見つからないので黙って先に進むことにした。
その後も、何度も野生のポケモンに遭遇したが、道具や技を駆使してばったばったと倒していき、数をこなすごとにだんだん戦闘にも慣れていった。そして…
「見つけたぞ、お前ら」
洞窟の奥で立ち往生していた、ドガース達と再開した。