第七十二話 金色の狂気
四天王の神代空狐に加えて操られたヒイロとの対決。優勢だったものの、話し合いの隙を突かれて――?
〜☆〜
「――やったかしら?」
金色の狐は、赤い瞳の視線を黒煙へと向けて、一種のフラグ建設とともに倒せたかどうかを確認する。
ヒイロの斬撃はほぼ完璧なタイミングで放たれ、ミルの“ポースシールド”を粉砕して直撃していたはずだ。
これで手傷の一つでも負わせられなければ、ヒイロが弱いか、はたまた敵がかなりの強敵ということになるが――、
「どうやら、倒れなかったらしいわ」
「正直、ひやっとはしたがな」
青い波動のバリア、シルガだからこそ“ポースシールド”で弱まった“炎の斬波”を波動という防御には向いていないものでも防げたのだ。
もし、シルガが動けなければ、四人はそれなりのダメージを負う事は間違いなかっただろう。
「無傷、ね。残念ながら、この子はあなた達四人を相手するには力不足みたいね」
「いや、それはどうかな? 君が、ヒイロ本来の実力を出せていないだけじゃないかな?」
「……生意気な」
深紅の瞳を携えたクウコは、瞳だけに関しては解放後のヒイロと似ている。
だが、決定的に違う点がある。
それは、引き込まれるような深淵の有無だ。馬鹿正直な明るさがヒイロにあるのだとしたら、クウコの瞳にあるのは闇――全てを飲み込みかねない闇だ。
その瞳の闇が、フィリアを映していた。
「ええ、そうね。この子の情報はできる限り見たけど、完全に理解はできないわ。……でも、私の目標は既に二つ達成されているの」
「ラルドと私たちを引き離して、ヒイロを操ることよね?」
「当たり。でもまだ目標は二つ、残っているの」
妖艶な笑みは、未だ崩れていない。まだ勝利の希望があるからだ。
なぜならば、クウコは四つの目標の内の二つを達成している。後は、残る二つの目標を達成できれば勝ちなのだから。
その残りの目標とは、
「シルガを倒す事と、残る僕らを倒す事……つまり僕らの打倒だね」
「そ。そこの子犬さんさえ倒せば、女性陣を倒すのは容易い……蜥蜴さんも、中々賢いじゃないの」
「僕は蛇、蜥蜴はそこの馬鹿ヒイロだよ」
「あら、そう? それは教えてくれてどう、もっ」
感謝の言葉と同時、振り下ろされた尻尾から不知火と呼ばれる、火傷だけではなくダメージまで与える鬼火が射出される。
何故かミル目掛けて放たれた火球は、シルガの波動弾によって相殺される。
「不意打ちとは、これまた卑怯だな」
「あら、不意打ちは立派な作戦。戦場では、対処できないほうが悪いの。だから自分たちの弱さを棚に上げて、私を非難するのは止めた方がよろしいと思うわ」
「作戦だからといって、なにも卑怯じゃないという訳では無い。作戦イコール正当、とでも思っていたのか?」
「善悪どちらかというと、善だとは思うけど。……ま、不毛な言い争いはやめておきましょう。私達は敵同士」
「そちらから始めたんだがな――“波動連弾”」
十個の波動弾は、多少威力が低いとはいえ全弾命中したとなら相当な威力だ。戦闘力に関しては四天王の中でも最弱なクウコにとって、致命傷になりえる攻撃だ。
そんなものをそう易々と受けるわけには行かない。“不知火”で九つの波動弾を破壊すると、ヒイロを操り残る波動弾を両断。
そのまま走らせて、攻撃を仕掛ける。
「ガァッ!!」
「“エアスラッシュ”か。なるほど、いい判断だ」
不可視の刃は、しかしシルガには察知できる。
波動と見切りを扱い、相手の次の行動にあわせて完璧なカウンターを決められるシルガだ。不可視の刃とて、その実体は空気の刃。
万物に宿る波動は、当然空気とて例外ではないのだ。
“エアスラッシュ”を難なく避けると、シルガは右手で“はっけい”を繰り出す。しかしヒイロは片方の剣の刃を向けてシルガに逸らさせると、もう片方の剣で切り上げの動作を行う。
その行動に反応が遅れたシルガは、何とか“神速”を応用して素早く回避しようとするも左腕に掠り、血が少量舞う。
「なれて、きたか……ッ!」
「ええ、そう。この短い戦いの中でも、こうして全力を出し切れるほどにはなれたわ」
ヒイロの全力、今の行動は正しくそれだ。
クウコの操りは、カラマネロの催眠術ほど強い訳では無い。しかし多数の存在を操れる、質より数な効果が、四天王へと昇格させたのだ。
だからこそ、ヒイロの本能――それこそ野生並みの本能までは抑制できない。
「それが仇となったか」
「この子、案外勘が鋭いみたいね。本能、といった方が正しいかしら。そのお陰で私であろうと見逃してしまいそうな隙を、逃さず突いてくれるわ」
それだけではなかった。
ヒイロの攻撃に苦戦するシルガを尻目に、クウコは八つの“不知火”の鬼火を放つ。
またもやミルがターゲットで、シルガですらそれには気付かなかった。ただ視線が後ろに行っているので、注意はしたが、ミルも狙われるとは思っていなかったのだろう。
咄嗟に“ポースシールド”で何とか防げたのが奇跡なくらいだった。
「私の攻撃も、忘れないでね?」
「あ、危なかった……なんで私ばっかり!?」
「さぁ? それは自分で考えて、ねっ!!」
またもや、八つの鬼火を発射。だが、今回は少々違っていた。
「ただ不知火を放つだけでは面白くないから、こういう手品もやってみました」
「こういう、って……ふぇ!?」
八つの青白い火炎は、踊っていた。
その言葉に比喩はない。まるで意思を持つかのように踊り、予測不能の動きでミルへと向かっていく。勢いもあって直撃すれば、タダではすまない。
「鬼火より強力になったとはいえ、所詮鬼火。となるとクウコが何か仕掛けをしているに違いないね」
「技本来の効果、ではなさそうよね」
「そんなこと言ってないで助けてよ!」
「あら? 防御はミルがチームで一番得意じゃない。でもま、負担は出来る限り減らすわ……“シーストライク”!」
「僕も、“枝垂桜”!」
水のビームと切れ味抜群の斬撃は二つの火炎を相殺する。
だがまだ、六つ残っている。
「これをどうにかしなきゃ、危ないわよ」
「分かってるよ! ……“ポースシールド”!」
エネルギー、バリア、エネルギーの三重構造の防御壁は、六つの火炎ではとても破る事は叶わない。一枚目のシールドを破り、二枚目のバリアで防がれる。
シールドが解かれると、途端に女性陣からの攻撃が飛ぶ。“シャドーロアー”に“シーストライク”、“枝垂桜”の一撃はクウコの“不知火”によって相殺される。
「この程度、なんてことはないわね」
「ああもう! やっぱりシルガに頼るしかないわね!」
「でもその為には……」
ちらりと、フィリアはシルガへと視線を移す。
ヒイロが剣を振り下ろすと同時に、シルガは予めその動きが分かっていたかのように避けると、左拳を隙だらけのお腹に叩き込む。
ヒイロも、厳密には後ろのクウコもそれをただ馬鹿正直に待つわけがない。腹筋に力をこめてダメージを軽減すると、右手の剣を横なぎに振るう。
シルガはその攻撃をしゃがんで避けると、立ち上がりの瞬間に顎へ渾身の“バレットパンチ”を叩き込む。
素早さ重視の鋼タイプのパンチは効果いまひとつとはいえ、顎だ。脳を少し揺さぶられたのか、フラフラとヒイロの足取りがおぼつかなくなる。
「“波動掌”」
そこへ、全力の“波動掌”――波動を纏ったはっけいがヒイロを襲い、クウコの元まで吹き飛ばされる。
剣を地面に突きたてて耐える暇すらない一撃はヒイロに多大なダメージを与え、吹き飛ぶ最中に少量の血が吐き出される。
クウコはヒイロを金色の九尾で優しく受け止めると、すぐに操作へ移り、ヒイロの体を操る。まるでコントローラーで操られる機械のようなヒイロに、四名は今までとのギャップに動揺を隠し切れない。
それでも、やるしかないのだ。
「まだまだ、戦いは始まったばかりだが――そろそろ面倒だ。終わらせよう」
シルガの全身から波動が漏れ出し、纏わりつく。
波動の鎧とでも言うべきそれは、攻撃、防御、運動能力が格段に上昇する。
「“波動纏装”……貴様を早々に片付ける。悪くは思うなよ」
「あら? そんなことは思わないわ。だって……同じ事、させてもらうもの」
その言葉を不思議に思うシルガを面白そうに見つつ、クウコはヒイロを操り、口から大きな火球を上へ吐き出させる。
弱い勢いで発射された火球は、天井に届く事もなく、やがて重力に負けてヒイロの口目掛けて落下し始める。
そこで気付いたシルガは、焦りながらも急いで走り出すが、火球がヒイロの口の中に納まるほうが一歩早かった。
「“火飲み”。体外へ放出した自分のエネルギーを取り込む事により起こる、体の活性化……あなたの身体強化にも、引けはとらないわ」
「面倒な」
身体能力が上昇したヒイロは、シルガの“波動掌”を軽く回避すると、右斜め下からの切り上げでシルガの腹を切りつけようとする。
が、狙いがお腹だと分かれば避けるのは容易い。腹を引くと、剣先を本当にギリギリのところで避けて、お返しに波動弾をプレゼント。
シルガの愛のこもっていない殺意だらけのプレゼントを、ヒイロは情熱のこもった炎でお返し。相殺しあい、爆発が発生する。
「俺からの贈り物はそんなに嫌か」
「ガァッ!!」
当たり前だ、とでも言いたげなヒイロに、シルガは笑う。
だがすぐに、これが命の奪い合い。正真正銘の戦いであることを思い出して感情を殺す、振り下ろされた二刀を、勢いづく前に足で受け止めると“真空波”で攻撃する。
強力な攻撃に、ヒイロも耐え切れずに後退――だがそれだけでは終わらない。
紅蓮の火球を四つ発射。突然の攻撃にシルガも対応できず、二つしか回避は成功せずに残りの二つは直撃。火傷を負った。
「面倒な」
癒しの種という状態異常回復アイテムがある以上、火傷というのは脅威にはならない。だが癒しの種を口に入れる隙すら、ヒイロ相手には大きい隙だ。
「解放を使うか……いや、まだ駄目だ」
あれは正真正銘最後の切り札だ。切り札を最初のうちに切っておくのもよいが、それは序盤の序盤。こんなときに使っても、疲労でクウコを倒せなくなるかもしれない。
それに解放はヒイロも使えるのだ。切り札は温存しておくべき、だ。
「俺との戦いで沈んでもらうぞ、ヒイロ」
「グゥ……ガァッ!!」
シルガの声も、今のヒイロには届かない。
それはそうだ。最愛のフィリアの声すら届かない今のヒイロに、シルガの声が届くはずもなかった。ヒイロとの仲はそれほど良くはないと、シルガ自身思っているのだから。
(それでも……!)
もし説得に成功すれば、途端にパワーバランスはこちらが優勢となる。
その為にも、ヒイロの洗脳解除は成功させなければならないのだ。
「お前の洗脳解除が、俺たちの勝利へそのまま直結する。つまり……ッ!」
「ァッ!?」
ヒイロの剣を回避し、“神速”で移動する。
シルガの足の筋肉は見た目よりもあって、体重も平均を上回っている。だからこそ不完全ながらも“神速”を扱えているのだ。
その不完全な“神速”を駆使して移動した先には、
「早々に倒させてもらうぞ、神代空狐」
「あら、レディーファーストの意味を履き違えているんじゃない?」
「黙れ、“波動連弾”!」
「“不知火”」
五つの波動弾を同時に射出するも、“不知火”の火球によって防がれる。
火炎の向こう側に見えるクウコの顔から、一筋の汗が垂れる。恐らく、危なかったのだろう。攻撃技は防御には向いていないのだから、当たり前とも言えるが。
「貴様自身の実力は低い。そして、貴様さえ倒せばこの戦いも終わる」
「それはそうよ。でも、そんな甘い結論で大丈夫? あなたたちと対峙してきた四天王の順番は、そのまま強さに直結するのよ?」
「何を……?」
これだけ接近されているというのに、なおも余裕の笑みを崩さないクウコ。
戸惑いつつも、それは心の中だけだ。
“波動掌”の一撃は、迷うことなくクウコの胸を――
「ッ!?」
――突くことはなく、背中に鋭い違和感と熱さに中断せざるを得なくなる。。
「な……なん、だ?」
もしや、ヒイロが斬りつけてきたのでは。そう思ったが、ヒイロの剣が届く範囲にシルガは居ない。
ならば何故。周囲を見渡し、知覚することすらできなかった一撃の犯人をシルガは視覚で捉えた。
そして、居た。
「……え、え?」
「一体……!?」
背中の熱さが痛みへと変わる最中、シルガは痛みの元凶となった凶器である“鉄のトゲ”を引き抜き、オレンの実を齧る。
直後に“不知火”の火球が至近距離で迫ったが、不完全“神速”で回避。仲間の元へ戻ると同時、犯人をにらみつけ、
「何故、こんな事をした……レイン!」
瞳から光を失った、空ろな目をしたレインが鉄のトゲを携え、エンジェルの三人へとその先端を向けていた。
「う、うふふふふ……これよ、これ。これが欲しかったの」
「何を……また貴様の仕業か」
「ええ、ええそう! 仲間に裏切られて、絶望を感じながら常闇へと意識を落とす。なんて、なんて素晴らしいんでしょうねぇ」
怪しい、聞くだけで引き寄せられ操られてしまいそうな声は、生理的嫌悪を隠し切れない、気持ちの悪いねっとりとした声へと変化する。
九尾は淡い紫色を纏い、鋭い犬歯が見え隠れして、赤い瞳を爛々とさせる。
「それが、貴様の本性か」
「本性? いいえ、全部が本性よ。あなた達に取り繕った覚えもなければ、取り繕うとも思わない。ただただ私の欲求を満たす存在。それが、私にとっての敵よ」
「貴様を何れ、打ち滅ぼす者だとは?」
「考えられないわね。例外もいるけど――みんな、私に忠実な僕になるもの」
二尾が、動く。
直後に動き出したレインの“電棘”は、信じられない速度で飛ぶ。賢い者は鉄のトゲを投げる最適な行動とこめる力を計算して通常よりも強く投げるコツをつかめるらしいが、今のレインは正にそれだった。
が、レインはまだその方法を知らない。だからこそ、+と−の反発を利用した投擲方法を編み出したのだ。
となれば、答えは単純明快たった一つ。
「無理をさせているんだね?」
「ええ、正解よ」
体を操られている側は脳が制御している本来の能力を出せるのだ。
それも当然、脳を制御しているのだから。体が潰れることを無視したのなら、レインはヒイロとも互角に渡り合えるだろう。
「これ以上、無理をさせるとは思わないけど……」
「さぁて? どうかしら。駒はまだまだここにいるもの。一つくらいは捨て駒にしたって構わないわ」
真偽を見破られることのない笑みは、とても不気味だ。
とはいえ今はそんなクウコの気まぐれ次第でどうにでもなる事実に構っている暇はない。どちらにせよ、即刻打倒、それが全てなのだから。
「シルガ、背中の傷は?」
「血が少し流れているようだが……問題はない」
腕を上げ、ぐるぐると回す。
若干の違和感と痛みを感じたが、オレンの実をもう一つ食べる事で体力回復。傷の治りが早くなる事を祈って、再び戦闘だ。
だが――傷のお陰で、早期決着である必要性は強固なものとなった。
「悪いが、これからは本気で行かせて貰うぞ」
鋭い眼光がヒイロを射抜くと同時、シルガの体から膨大なエネルギーが放出される。
ラルドほどではないにせよ、ヒイロよりも多いエネルギー量は鋼鉄程度ならば簡単に破壊できる。ラルドならば、ダイヤモンドですら破壊できるだろう。
そんなエネルギー波もすぐに散り散りになって消えていく。敵の至近距離で解放をしたのなら大ダメージが与えられるだろうが、ゼロ距離でないとロクなダメージも与えられない。
今この場では、狙う時間などない。
青いオーラがシルガを包み、赤の瞳が銀へと変わる。
解放だ。
「あら……じゃあ、この子も」
しかしクウコはそれに恐怖を覚えるどころか、寧ろ余裕を崩さず冷静に対処する
目には目を、歯には歯を、解放には解放を、だ。
「ガァッ!!」
ヒイロが雄たけびを上げると同時、莫大なエネルギー波と共に真紅のオーラが噴出し、黒い瞳が同じく真紅へとはや代わり。
ヒイロの両手に持つ最上級の剣にオーラと炎が纏わりつき、シルガは足に力をこめる。
互いが互いの動きを見て、反応する。
何十秒にも感じられた数瞬の出来事は、終わりを告げると同時――
「“神速”」
「ガァッ!!」
けられた地面が吹き飛び、振られた剣から斬撃が放たれた。
それだけで凶暴なポケモンが争ったのではと錯覚する痕は、しかし小さい二人が引き起こしたものだ。到底信じられる話ではないが、それが事実。
銀の残光がシルガの通った軌跡となり、そこへ“炎の斬波”が放たれる。
地面どころか岩石すら容易く切り刻む一撃は、それだけでレインやフィリア、ミルならば致命傷となりかねない強力なものだった。
だがシルガは最早予知とまで呼べるレベルでヒイロの動きを予め見切っておいて、回避。クウコの元へ走る。
解放使用中の今、“神速”は完全だ。
「倒させてもらうぞ」
「しつこい男は嫌われるわよ?」
「上等。擬似解放をしていない今こそが、チャンスなのでな。悪いが粘着させてもらう」
「あら気持ち悪い。なら焼殺か斬殺、もしくは刺殺の刑ね」
七つの尻尾に怪しげな光がともり、やがてそれは七つの火炎と化す。
“不知火”の炎が同時発射されると同時、後ろからは“電棘”と“炎の斬波”が飛来する。とはいえ、“電棘”は普段より速くなっているとはいえ、シルガはその上を行くほどに素早くなっている。
幸い“電棘”は一本だけだ。電気を少量だけ纏った鉄のトゲなど怖くない。
手掴みして方向を逸らすと、サンドウィッチの具であるシルガをはさむように迫る二つのパンである火炎と斬撃を驚異的な脚力を活用して後ろへ跳ぶことで回避。
爆発が起きると同時にクウコのいる場所へ“波動弾”を放つ。力をこめたそれは、クウコの防御力なら致命傷になりかねない。
だが手ごたえはなく、煙を吹き飛ばして岩壁にぶつかり、爆発した。
「どこに……ッ!?」
今、確かにシルガはクウコの居た場所目掛けて技を撃ったはずだ。
それなのに、何故。
「ふふっ……あなた一人じゃ、私には勝てないわ」
「なにをっ」
いまだに漂う煙の中から、クウコの声が聞こえる。
だがその場所へ波動弾を放っても意味はなく、虚空を突き進むだけ。
なら、波動で探知すればいいじゃない。そう思ったシルガは、二つの房で辺りの波動をキャッチ、
「……できない、だと」
「うふふ。自分の長所の一つが潰されるって、どんな気持ち?」
余裕は崩さない笑みを浮かべて、尻尾を動すと、まるでマリオネットのようにヒイロとレインが動く。
焦るシルガは、それでも冷静を崩してはいけないと後方からの攻撃に備える。波動で探知できないのであれば、五感で感じ取ればいい。
耳を傾け、どこからか来る攻撃を回避――、
「っ、がっ!?」
できず、音が聞こえたところとは全く別の場所からの攻撃に、シルガの黒い体は更に黒くこげ、所々に切り傷ができる。言い方は生易しいが、実際に見たら中々にグロテスクな光景だ。一撃で吹き飛び、背中から落ちる。
理解不能の一撃に、シルガはなす術もなく混乱して、そこで気付いた。
「混乱……ッ!?」
見ると、先程まで自分が見ていた景色と違っている。
もちろん、吹き飛んでいるのだから天井は見ているはずだ。だが、そうではない。
吹き飛ぶ前の位置が、クウコの目の前ではなかったのだ。
「一体、いつからだ」
「“不知火”の炎をともす直前、光が見えたでしょ? “怪しい光”を」
「なるほど……やってくれる」
シルガが気付かないうちに、すでに敵のわなにはまっていたのだ。
その事実を知ると、後ろからの声にも気付く。シルガ、しっかり、そんな叫び声が洞窟内に反響して、シルガの耳に届く。
「騙すのは大成功。ネタ晴らしも、終わった後ならいいわよね」
「もう一度わなにかけるとき、後悔するぞ」
「あら、私はそんな三流のような真似はしないわ。常に新しく、巧妙に罠を織り込む。それが楽しいんじゃないの――こんな風に!」
クウコは七つの炎を放つが、手負いのシルガですら避けられる単調な火球を放つ。
難なく避け、シルガは足に力をこめる。全力ではないが、距離を縮めるついでにダメージを与えられれば儲けものだと不完全“クイックショット”を繰り出す、直前。
「ッ!?」
「あら残念。避けられちゃった」
たしかに避けたはずの火球が、シルガの背中目掛けて一斉に向かってくる。
見切りのちょい避けでは回避不可能な火球を、シルガは不完全“クイックショット”で跳躍する事によって避ける。
「小癪な……ッ」
「これも立派な作戦。文句言われる筋合いはないわ。……そ、れ、に」
一言一言、やけに強調して発音するクウコを、シルガは訝しげに見る。
同じく、後方支援に徹していたフィリアもそれを疑問に思い、そして気付く。
「シルガ、下だ!」
「下……な!?」
驚くシルガの視線の先には、二刀を構えたヒイロの姿があった。
勿論、今のヒイロは自身ができうる限りの自分強化を行っている。
この一撃で倒すつもりだとは、力のこめられる加減で予測できていた。後は、それをシルガがどう防ぐか、で。
「残念。回避方向を上と判断した時点で、あなたはもう詰んでるの」
クウコは自分が放った火球を甘んじて受け、もらい火の特性で自分を強化。再び発生した七つの火球は、やはり巨大で。
「チェックメイト――さよなら、子犬さん」
岩石をも切断する炎の渦と、同時に発射された七つの火球は、シルガが居た位置丁度で大爆発を引き起こした。
〜☆〜
黒煙が発生し、火の粉が雨のように降り、地面に到達することなく消えていく。
正真正銘の大爆発は、例え解放のオーラに守られているシルガであっても大ダメージを負う代物だ。直撃したのなら、尚更のこと。
「し、ししシルガ!!」
「注意が遅かった……もう少し早くしておけば」
「うふ……うふふ。これでもう、あなた達だけね」
妖艶。最初はそう思っていた笑みも、段々と狂気を増していく。
耳元まで裂けそうなほどに開いた口は、赤い口内を見せている。赤い、とても赤い、まるで赤の絵の具をぶちまけたかのような――否。
「血……!?」
「ええそう。ええそう。この赤さも、この臭いも、牙から滴る液体も……全部、ぜーんぶが血よ」
「な、なんで!? なんで血なんかが……!?」
「だってぇ……美味しいじゃない?」
二人の呼吸が、止まる。
笑みが、クウコが、今の発言で死刑執行人のように見えてきて。
体が、震えた。
「一体、何を」
「あの生臭さ。あの鉄の味。あのネッチョリとしたネットリとした、赤い液体。……おいしそうでしょう?」
「そ、そんな!」
「そんなことはないって? えぇ、あなたたちはいつもそう言うわね……気持ち悪い気味が悪い気色悪い吐き気がする近づかないで近寄らないで……一体、何度言われたんでしょう。悪魔と――人心を操る魔女と」
赤い瞳は妖気と狂気を携え、二人を見つめる。
否。二人ではなく、どこかを見つめている。自分の中だけにある景色を、記憶を、言動を、罵声を、その身に刻んだ拒絶の声を。
その金色の体で受け止めて、彼女は今日まで生きてきた。
「いつもそう。いっつもそう。あなた達は普通を好み、異常を嫌う。異端者は排除されて、普通だけが受け入れられる。魔女は、忌み嫌われる」
でも、とクウコは続ける。
狂気のこもった、悲哀の叫びを。
「ボスだけは! ボスだけは私を受け入れてくれる! 私に支配されず、私以上に嫌悪されて、私以上に強くて――ボスだけが、私という存在の全てを認めてくれる」
急に音量の下がった声は、かえって恐怖を煽る。
今、クウコはどれだけの悪感情をその身に宿しているだろうか。
今、クウコはどれだけの笑みを浮かべているのだろうか。
今、クウコはどれほどの狂気を垣間見せたのだろうか。
「だから私はボスの命令に従う。この血は私の趣味だけれど、発端はボスの命令からだった……あの時の絶望は、本当に苦しかった。だからこそ、私が生きている証が得られた」
「何を……言って」
「もういいじゃない。私もちょっと度が過ぎたわ。これからはさっきと同じ様に、戦いが始まるの。血肉沸き踊る、戦いが」
七つの尾の先端に、青白い炎がともる。
それと同時に二本の尻尾が動き、ヒイロとレインが動く。
三対二。始めは四対二だったはずが、いまや逆転。エンジェルが圧倒的不利な状況に立たされている。覆す術は、おそらくない。
「……ここまで、かな」
「ふぃ、フィリア」
「あら、諦めるの? 残念、もう少し楽しめると思ってたのに……じゃ、おとなしく死んでいってね。お二人さん」
ヒイロが構え、レインが水の球体を作り出す。
数秒先にまで迫った死刑を防ぐ気力も湧かず、二人は目を閉じる。これから来る恐怖を一切認知しないように。
やがて莫大な質量が、二人を飲み込んで――
「――まだ、終わりは来ないぞ」
空からの一撃が、マグマに浮かぶ地面の中央部分を砕いた。
次回「赤と青」