第六十二話 中央都市
夏の暑さにやる気をそがれていくエンジェルに、一通の手紙が届く。書いてあった緊急招集の言葉により、エンジェルは中央都市へ向かうことに――?
〜☆〜
――少し険しい山道を、まるで雷鳴の如き速さで走り抜ける者達がいた。
時速二百四十キロメートルはあると言われるギャロップよりも速い、奇跡の海へ最高速度で向かった時のラルドと同じ速度で走る二人のゼブライカ。
それに引かれる馬車は、地面が山道で凸凹しているということもあって、かなり揺れ動いている――そして、
「気分悪い……」
そんな揺れに、ラルドは酔ってしまった。
ギャロップ車では酔わなかったというのに、何故今酔ってしまったのか。疑問と気分の悪さに立てなくなったラルドは、二つの椅子の内、一つの椅子の上に寝転び、少しでも気分を安定させようとがんばっていた。
「おえっ……うえっ……」
「おい、吐くなよォ?」
「吐きはしな……うっ」
「ラルド、本当に大丈夫?」
心配するミルに、ラルドは今にも枯れ果てそうな声で返事をすると、再び気分を安定させようと、目を閉じて呼吸を一定に保つ。
意味があるのかどうかは分からないが、気が少しでも紛れるだけでも十分だ。
「君、どうやら興奮すると首を少し揺らす癖があるみたいだから、それで酔ったんじゃないかな」
「興奮って……してたっけ?」
「ゼブライカの特性が“電気エンジン”ということを知った途端、狂ったように電撃を放ってたじゃないか。お陰で、このゼブライカたち二百六十キロメートル以上は確実に出てるよ」
「俺のお陰ってことか。みんな、俺を尊敬してもいいんだぜ……?」
「自業自得ね」
「尊敬する価値ないよ」
「……くそぅ」
弱っているというのに一切の妥協を許さない一刀両断っぷりに、ラルドは反論することも叶わず悔しげに声を上げる。
そもそも、何故こんな山道を走るのかラルドには疑問だった。
ギャロップ車の時はもっと安全で快適、ではないがそれなりに整った道を走っていたはずだ。
それが、何がどうなって険しい山道を通る事になるか。
「なんで山道なんて走るんだよ……酔うに決まってんだろ……」
「そりゃァ、早く着くためだろ。テメェが前に走ってたのは、この山を迂回するコースだろォ? だが急ぎの用事ともなりゃァ、一秒でも早く着かなきゃなんねェからなァ」
「テレポートさんでいいじゃない……」
「気持ち悪いわよ。それに、あんたよく分かってんでしょ? テレポートは自由自在にどこへでも一瞬でいける、そんな便利なもんじゃないってこと」
「知ってるけど、知ってるけど……!」
テレポートはエスパータイプの技だが、誰一人としてその技の真意を理解している者はいない。言ってしまえば空間を操るともいえるこの技を、完全に理解して扱うなど、それこそ時間を操るディアルガレベルでもないと行えないだろう。
そもそも、ポケモンに宿る“技”というものは感覚に頼っている節が多い。
何故、雷エネルギーが電撃に変換されるのか。何故、炎エネルギーが炎に変換されるのか。理解している者は少なく、それも完璧ではない。
これを完璧に無駄なく説明できるとすれば、全知全能の神様くらいだろう。
「でもさ、ほら最近、鉄のトゲを任意の場所にテレポートさせることができる……っていう探検家がいただろ?」
「それも、失敗は多いらしいね。でも試すのは面白いと思うよ。建物の中に嵌って動けなくなるか、それとも生物の中に転移して悲惨なことになるか。結果は分からないけどね」
「やめときます」
前者はともかく、後者は笑えない。そんな事態になれば、間違いなく檻の中で余生を過ごす事になるだろう。そうなってしまえば、体を十分に動かすことも満足にできない。
「ま、このまま大人しくしていたら治るよ。確実に三十分はこのままだけど」
「三十分もあんのかよ……!」
脳みそを直接揺らされ、内臓がかき混ぜられている感覚――とまではいかないが、今すぐ吐けと言われれば一瞬で吐ける自信があるのは本当だ。
骨が折れようが、岩をも砕く蹴りを食らおうが、泣くことがなかったラルドが、吐き気で泣きそうになる。
平衡感覚が保てず、寝転んでいても収まる事のないそれを、後三十分も我慢しなければならないとなると気が重くなる。
「もう嫌だ……どれくらい嫌かって聞かれたら、ルージュラに悪魔のキッスされるくらい嫌って即答できるくら、おえっ」
「汚ねェなァ」
「ラルド、それは言いすぎだと思うよ。それをやられて精神的ショックで死んだ人がいるんだから」
「冗談が現実になってた……!?」
まさか冗談で言ったことが現実で起こっていたとは、流石のラルドも予測不可能だ。
とは言いつつも、自分もルージュラに悪魔のキッスをされたとすれば、技の効果も相まって一ヶ月間昏睡状態くらいにはなるかもしれないと、全国のルージュラに申し訳ない気持ちでいつつも、思ってしまう。
「ま、そんな無駄なことを思うより、早く眠ったほうがいいんじゃないかな。眠れば、気分の悪さなんて気にならないよ」
「当たり前だろ」
眠れば気分の悪さなど、どうということはない。そんなことはラルドも熟知しているのだが、こんな時に限って眠気が微塵たりとも存在しないのだ。
当然、ただ目を瞑っただけで眠りにつけるほど、ラルドはナマケロでもケーシィでもない。
揺れ動く馬車。十分が経過した馬車内は、静寂に満ちていた。
ある者は窓の外を見つめ、ある者は本を読み、ある者は椅子に座らず立ちながら考え事を、ある者は壁にもたれかかり、ある者は自身の武器の手入れを。
そしてある者は、とどまる事を知らない吐き気と景色が歪むという事態に、遂に我慢の底がそこまで来てしまう。
「うっ……おえっ……うっぷ」
腹の底、というよりも胃から湧き上がる朝食の気配に、ラルドはここまでか、と覚悟を決める。
皆がいる前で嘔吐するなど、幼少の頃のおねしょを思い出す――覚えてないが。
そうなれば元からないようなリーダーの威厳は消えうせ、ラルドには嘔吐マンやゲロシャブといった名誉毀損で訴えられるニックネームで呼ばれるようになるのだろう。
それは流石に御免だった。
「かくなる、上は……ッ!」
ラルドは全身の筋肉を電気で刺激する。“電気活性≪アクティベーション≫”の発動だ。
そんなラルドを、シルガはふと見る。全身から漏れ出す波動を見て、ラルドの思考を読み取ったのだろうか。なるべく被害を受けないようにと、椅子を掴んで自身を固定する。
その直後だ。
「ミルッ、窓を開けろォ――!!!」
「えっ、えっ!? うん!」
ラルドの吐き気を抑えた必死の叫びは、ちゃんと届いたのか、ミルは混乱しつつも窓を開ける。
大きな叫び声に残る三人が一斉にラルドを見るが、そんなことを気にして躊躇できるほど余裕がある訳でも無い。
「よく、やった……ッ!」
そのまま、窓へと右手をかけると、右足に力をこめて一気に飛び立つ。
日光が眩しい外へと、勢いよく飛び立つその姿は、まるで檻から解き放たれた鳥のようで、
「やった! 俺は……やったぞォ!!!」
涙を流しながら、外の空気を味わうラルド。
限界が来る前に、なんとかして吐き気をなくそうと思い立った結果がこれだ。
ようは馬車から外へ出ればよかったのだ。それさえできれば後は吐き気など、自然に収まっていくだろう。
「あっはっは! やはり俺に与えられるべきは勝利の二文字のみ! こんな吐き気如きで俺を倒そうなど、愚策にもほどがある!」
高笑いをあげながら、ラルドは地面に着地して――ここで問題だ。
時速二百六十キロメートル以上は確実に出ている馬車から飛び出したとき、果たして綺麗に地面に着地できるだろうか?
答えは簡単。耐え切れず、そのままゴロゴロと険しい山道を転がる、だ。
「えっ、ちょ、あああぁぁぁぁぁ!!!!!」
それも急な激しい回転で、すっかり安心しきったラルドに再び強烈な嘔吐感が襲い、
気付けば、汚物を吐き散らしながら山道を転がっていたのであった。
〜☆〜
「オゲロン」
「……」
開口一番に放たれた言葉がそれだった。
あの後、山道を逆方向に転んでいったにもかかわらず、“解放”と“電気活性≪アクティベーション≫”を発動したラルドは馬車を追い越し、先に中央都市の入り口ゲートに到着していた。
そこへ遅れてやってきた五人の中、ミルがそれを言った、ということだ。
「……確かにさ、俺も悪かったと思う。でも、でもな? 汚物撒き散らしながら転んでいった奴に追い討ちって、酷くないか?」
「オゲロン」
「……」
「言い返せないわね。これは」
「糞リーダーァ、感謝しやがれェ? 面倒くせェが、全員がテメェを思って出したニックネームだ。後生大事にしやがれよォ?」
「考えてくれたのは嬉しいけど……! なんか違う……!」
オゲロンという、ラルドの予想には全く当て嵌まらないニックネームに、頭を抱える。そもそも、何故オゲロンという名前に決定したのか。
ラルドはそれを、詳しく説明してくれるであろうフィリアに問うた。
「ああ、それは簡単だよ。まず最初にヒイロが汚いゲロだって言ったから、それを中心に名前を決めるように話が進んでいって、僕がそれだけじゃ汚いから御も付けようって言ったんだ。でもオゲロじゃなんか変だから、愛嬌のある名前としてオゲロンが上がったわけさ」
「懇切丁寧に説明してくれたのは嬉しいんだけど、そもそも汚らしいニックネームに汚いも糞もねーだろ」
「若さゆえの過ち、って奴かな」
「悟り開くの速すぎぃ!」
悟りを開くのに要する時間が二十分とすれば、世の中何百人といるニートは既に悟りの境地に至っているのだろうか。
ラルドの冴え渡る突っ込み包丁をフィリアは華麗にいなすと、目の前の都市へと目を向ける。それにつられて、ラルド、続いてミルが目の前の光景を直視する。
――赤々と、燃えるような煉瓦でできた建物。それが続くかと思えば、黄土色に似た色の煉瓦もあって、石畳の道路は綺麗に整備されている。
その景色を見て、普通の人ならば綺麗、や素敵、などと答えるだろう。
しかし、この町のモデルとなった光景を、知識として知る者ならばこう答えるだろう。まるで、数千年前のようだ、と。
技術者が集う町とも呼ばれる、技術都市。名は中央都市。
その町のモデルは、文献に残る数千年前のニンゲンの暮らす町並みだった。
「元人間だけど、こんな町並みの存在自体知らないんだけど」
「そりゃあ、私達は今よりさらに未来に要るのよ? 千年前の、その又数十、数百、数千年前……それくらいの町並みでしょうね」
「それにしても、見飽きた光景だなァ。折角赤いんだったら、マグマでも流してみりゃァ、観光名所も増えていいんじゃねェかァ?」
「地震起きたら終わりだよ!」
「それは心配要らないよ、ミル。この煉瓦造りが続いている範囲は地震が少ないんだ。そして、この煉瓦造りがなくなってちょっと歩くと、今度は石造りがメインの建物が多くなるんだ……そうだね、歩きながら話そうか」
無知なミルに自分の知識を教えたいのか、フィリアは小さく鼻声を唄うと、門を潜って中へ入る。
それに続いて入るラルドは、若干うずうずしているフィリアの後姿をみて思う。
――ニートって、教えたがりが多いよなぁ。
と。
次回「待ち構えているもの」