4話 赤い星の歌
「…知らない天井だ」
目が覚めて真っ先に、率直な言葉を口にして、新しい一日が始まった。
正確に言えば知らない天井というより、見慣れない天井って表現の方が良いかもしれない。目を擦り、あくびを噛み殺しながら、僕はそんなどうでもいいことを思案する。
僕が寝ていたのは、藁を組み合わせ、上に肌触りの良いシーツをかけて作られた大きめのベッド。シーツの色がほんのり青を帯びているのがオシャレだ。普通、保温のために掛け布団?とやらを掛けて寝るらしいけど、なんだか寝苦しくてその辺に放り出してしまったんだっけ。
僕はぐるり、と改めて、僕にあてがわれた部屋を見回す。大きな窓の側に置かれたベッド、少しだけ本の置かれている、小さな棚。花瓶の置かれた机と、2つの椅子。…花瓶には、昨日チェレッタさんから貰った花束が飾られている。そして時計とかいう、なんだかよく分からない道具。
野生暮らしの僕が何故、こんな場所にいるのか。…ポケ生、何があるか分かったものじゃないね。
「ソルト様。失礼します」
コンコン、とノックの後に、扉が開いて誰かが入ってきた。
「私は本日からソルト様のお世話係を務めさせていただきます、モココのトト・フラフィーと申します。よろしくお願いします」
桃色の肌に白い綿のような体毛を纏ったポケモンが、そう言って深く頭を下げた。見たところ、僕と年齢は大差無さそうだけど、妙にうやうやしく接してきて、なんとも言えない違和感を感じてしまう。
僕がそんな風にモヤモヤした気持ちを抱えているとはつゆとも知らず、トトはお辞儀の後、首元の深緑のスカーフを軽く整えてから僕の部屋へ踏み込んだ。それから窓際に近寄って、カーテンという布をカッ、と開けた。
「眩しい…」
この部屋は城の中でも東側に位置しているため、朝日がよく当たる。白く眩い日光が窓から差し込み、僕が反射的に目を細めると、トトは慌ててカーテンを元に戻した。
「す、すみません、ソルト様。国外からの訪問者様と伺っておりまして、部屋の勝手をご存知ないかと…申し訳ありません」
彼としては完全に善意での行動だったらしい。実際、僕はこのカーテンというのは開けてしまっても良いのかよく分かっていなかったし、ありがたい。
けれど彼は自分が何かやらかしたような反応で、即座に謝ってきた。何も悪いことをしていないのに、何故だろう。
「いや、別に気にする必要は…」
「いえ、そうは言っても。も、申し訳ありません…」
「……」
何故謝るのだろう。相手が気にしなくても良いと言っても、尚。
よく分からなくて目をぱちぱち、と瞬きする。太陽光を取り込んでいない室内は少し薄暗いから、彼の表情がやたら暗く見える。よく見たら、青い玉の付いた尻尾も悲しげにたれている。
「…トト。僕たち、同年代だよ。そんなに気にしないで、僕に対して気軽に接して良いと思うよ」
「いえ、それでも…私ごときが、ソルト様と…」
「シュガーさんとユリナ。彼女たちは対等な友達に見えるけど。何か問題があるのかい?」
王女であるシュガーさんと、彼女に仕えるユリナ。まだ少ししか関わっていないけど、それでもあの二匹の間には身分の差、なんて壁は感じなかった。自分でも気づかない内に、語気も強く、そのことを突きつけていた。
…なんとなく、シュガーさんの気持ちがわかったような気もする。
こうやって自分自身の中でなら彼女と気安く話せる気がしてくるのに、実際には絶対に実践しない。そんな僕に「気軽に話したい」とはっきり伝えてくれてるのに。応えない僕に対して、こんな風に思っているのかも。
どうしても、周りを気にしてしまうのかな、トトも。
「…と、偉そうに言ったけど。僕自身、実践できていないから、無理しなくて良いよ」
「は、はい…」
依然、トトの顔は暗いけど…話題を変えるなりするべきなのかな。
生憎、僕は普段、自分から話題を提供する、なんてこととはとんと縁がなかった。主に、側にいた五月蝿いドラゴンのせいなのだが。…アイツ、今頃無事なのか?
…いや、話が逸れていた。とにかく、僕は部屋を見回し、会話のネタを探して。
…見つけた。
「トト。少し、あの時計という道具について教えてくれないかい?」
「…はい。分かりました」
話かけるなり、すぐに切り替えて説明に移る。やっぱり口調は堅苦しいけど、少しずつ変えていきたいな。彼も、僕も。
◆
「はあぁ…」
大きくため息をつきながら、私__シュガー・シャイニは机に突っ伏した。木材の匂いを感じ、少し癒されつつも首をぐっと90度、右に向ける。そこには数冊の本とほとんど真っ白なメモが置かれている。
此処は王宮にある図書館。壁の本棚にはぎっしりと本が詰められていて、机や椅子もたくさん置かれている。国内最大の図書館らしいけど、私は他の図書館を知らないからピンとこないのよね。
むくっ、と起き上がり、ペンを右手に取りつつ、一冊の本のページをパラパラとめくっていく。私が読んでいる本はどれもかなり古い本らしく、目次もないので知りたい情報を探すのにも一苦労だ。
そしてそもそもお目当ての情報が出てこなかったときの絶望感ときたら。
「…あー、これも駄目かぁ」
そう呟いてぱたっと本を閉じる。これで3連続で空振り。そろそろ辛くなってきた。
「シュガーさん?どうしましたか?」
「え?」
後ろから声をかけられ、振り向く。そこにはソルトと、モココの…たしか、トトだったかな。その二匹が立っていた。
「あら、ソルトたちも調べもの?」
「いえ、城内を案内してもらっていて。たまたまシュガーさんを見かけたので、話しかけただけです」
なるほど。トトがついているなら、ソルトも平気そうね。彼、かなりのしっかり者だし。真面目過ぎる気もするけど、何とかなると楽観視しよう。
「シュガーさんは一体何を?」
「私はちょっと調べもので。ほら、封星氷穴だっけ、あれについて、ね」
「そうですか…。トト、少しここで本を読んでも良いかい?」
「勿論です。たしか、ソルト様は封星氷穴からいらっしゃったのですよね」
「そう。だから僕もシュガーさんと一緒に調べてみようかなって。トトはどうする?」
「では、私は隣の部屋で少し用があるので、そちらでお待ちします。元々、ソルト様の案内の後に向かう予定でしたので、今の内に済ませてしまおうかと」
お互いの予定を確認し終えると、トトは図書館を出て行った。
予想外だけど、ソルトが手伝ってくれるのはありがたい。
でも、封星氷穴について調べるって、やっぱり…帰るつもりなんだろうね。
「ええと、勝手に手伝うとか言いましたが、平気ですよね?」
「勿論、嬉しいよ。あと、二匹きりなんだし、もっと気安く、ね?」
「…わかった、シュガー」
うんうん、と満足して頷くと、机の上の本をいくつか、ソルトに渡し…
「あれ、そういえばソルトって。…この国の言葉、読める?」
「……」
言葉は通じるから忘れていたけど、野生のポケモンっていうのは、文字を書く文化がない。
学んでいないもの、普段使わないものを使える筈もない。…これは、困ったことになったわね。
「…確かに、読めないな。うーん…知識でしか本ってものを知らないし、読んでみたかったんだけどね」
ははは、と残念そうに笑うソルト。
せっかく立ち寄ってくれたのだから、諦めてすぐ撤退、なんてことはして欲しくない。でも、ここにいても本が読めないなら、暇だよねぇ。
「あ、そうだ。えーと、あっちの方の、背の低い本棚…青で塗装されてるやつなんだけど、そこに絵本が置いてあるんだよね」
「絵本…?」
「そう。挿絵が多いし、雰囲気だけでも楽しめると思うから…それを読んでみたら?」
そう言って私は、左前足で、窓際にちょこんと並んだ、可愛らしい本棚を示す。小さなポケモン向けの本が多いから、背が低くてカラフルな塗装がされているらしい。…所々、塗装が剥げてるけど。
この国の歴史や伝説が題材にされている絵本も多くて、小さい頃はお母様によく読み聞かせて貰っていたなぁ。
「そうか。じゃあ、何か絵本を選んでこようかな」
そう言うと、ソルトは立ち上がって、本棚へ歩いていった。
さて、こっちも情報収集頑張るぞい!
◆
「…聞こえるか?」
誰かの問いかけが聞こえる。こちらを案ずるような、穏やかな声。春のやわらかな陽光のようで、自然と心が安らぐ声。
「…もちろん、聞こえてますよ。…それにしても、久しぶりですね。こうして受信するのも」
「うむ。…そろそろ余も限界というか…衰弱が著しいのだ。お主に声を届けるのも、正直に言うとすごくしんどいぞ」
表情も何も見えない、暗闇での対話。今回は私に何の用だろう?
これは小さい頃から、眠っている時、夢の中で行われる情報の受信。
最初は妙な夢だと思っていた。でも、これはただの夢じゃない。誰かのテレパシーのようなものを受け取って、こちらもナンカヨクワカラナイパワーで返信する。そんな不思議な儀式だと、『声』が言った。何故か、それに納得する自分も居た。
それにしても、今、受信中って…私、寝落ちたのね。ソルトが困っていそうだし、早々に切り上げたいな。
そんな私の思いに気づいたのか、『声』は「簡単に用件を伝えるだけ」と言う。
「用件って、一体…?」
「今まさにお主が気にかけていた少年のことである。あやつは封星氷穴から来たらしいな」
「…?そう、だけど…」
「よし、ならばシュガーよ。その少年を国外に送り出せ。そして情報を収集させよ。この雪原の真実を明かすのだ」
「えっ?」
突然、そんなことを言われても、はい分かりました、なんて言えるわけない。
困惑している私に、『声』は訴えかける。
「急ぐのだ!もう時間がない!手段を、どうか、黒の夜を抑え…」
プツン。
そんな効果音と共に、『声』が途絶え、私の意識は…
◆
「シュガー?」
「う…ソルト?」
目を擦りながら、シュガーが起き上がる。
持ってきた本の内容にのめりこんでいたら、ふと横を見た時、突っ伏すようにして眠るシュガーの姿があった。よほど疲れていたのだろうと思い、そっとしていたら、今、ようやく目を覚ましたらしい。
彼女は少しだけ、ぼーっと宙を見ていたかと思いきや、何か大切なことを思い出したのか、僕に話しかけてきた。僕も彼女に聞きたいことがあって、互いに話を切り出そうとしたタイミングが、完璧に重なる。若干気まずい。
「あ、そっちが先でいいよ」
「あ、ありがとう…」
シュガーが慌ててそう言った。お言葉に甘えて、こちらの用件を言わせてもらう。…まあ、大したことない内容なんだけど。
「この本の内容がちょっと気になって…読み聞かせてもらってもいいかな?」
「もちろん、いいよ」
そう快諾して、シュガーが絵本を手に取る。表紙に紫色の竜が描かれた、古びた絵本。数ある絵本の中、何故かこれが僕の興味をひいた。
◇◇
それは、はるかなそらのむこうからおちてきました。
つきのない、ほしのおどるよる。あかいほしがおちました。
おちたほしは、ずっといきをひそめていました。しんだようにかたまっていました。
ほしが、めをさましました。
ひすいがたたかいました。くろもしろもおきざりにしました。
あおとあかもたたかいました。ひとびとは、かれらこそがうんめいのおうけんだとたたえました。
のろいははらわれました。ひとがいなくなりました。
ほしは、ねむりました。
のこされたあおとあかは、べつのあらそいをとめに、しろいのはらをさりました。
ひすいはもどりませんでした。こくびゃくはなげきました。
せかいはしずかになりました。
◇◇
「…何だか、抽象的な話だな…」
星空の下、真っ白な雪原が広がる様子の描かれた、最後のページを見ながら、思わずそうこぼした。
不思議な物語だけど、子供には難しそうだな。
「この国に伝わる伝説が元になっているそうよ。実は童謡にもなっているの」
「童謡に…?」
「そうよ」
シュガーは絵本を閉じて、すっと立ち上がった。
そしてエメラルドグリーンのケープを整えて、くるりと軽やかに回ってから歌い出した。
「_おちる おちる
あかいほし ひとつ
おちる おちる
ひすいのつぼみ いずこへ
きえる きえる
あおのはなぞの かれて
きえる きえる
てらすひかりは くずれてく_」
どことなく不安を感じる、独特な歌。それを歌い終えると、シュガーは軽く咳払いをした。
「と、こんな感じね。『赤い星の歌』って呼ばれてるのよ」
「赤い…星…」
「そう。…で、私からも話したいことがあって」
シュガーは真剣な眼差しで、語り始める。僕も、ただならぬ雰囲気に、ぎゅっと緊張する。
「話すと少し長くなるのだけど。まず、私…眠っている時、不思議な『声』を聞くことがあるの」
「『声』?」
「うん。これは取り敢えず置いといて。…本題は、その『声』が今日、私に伝えたことなの。…『声』は、ソルトに頼みたいことがあるらしいの」
『声』の正体が気になるけど、今回はさして重要じゃないらしいから詳細は省く、と。中々信じがたいことだけど、常春の国…もとい、シャイニ王国に辿り着いてしまった僕が言えたものでもない。
とにかく、黙って話を聞いて、続きを促す。
「ソルト。キミには、この国の外…『ホワイト雪原』に隠された謎を解き明かして欲しい、らしいの」
「…え?」
あまりにもふわっとした内容に、困惑の声。
言ったシュガー自身も、困ったような表情。彼女は『声』の言ったことを伝えただけだし、仕方ない。
ホワイト雪原の、謎?それを解き明かすって、一体…?
「…他に、情報は?」
「えと…時間がないから、早く『黒の夜』を抑える手段を探して欲しい。…みたいに言ってたと、思うけど…無茶振りだよね、コレ」
更に尋ねても、大した情報は得られない。
『黒の夜』って、一体なんなのか…。
「つまり、近い内にこの国を出て、この雪原に関する情報収集をしろ、と…?」
「…多分」
何でこう厄介事に巻き込まれるのか…。僕は大きくため息をつく。
酷い吹雪に見舞われて遭難して、謎の国で保護されて、今度は雪原に隠された謎を解き明かせとか。あまりにも試練の連続すぎるじゃないか。
…でも、何だか嫌な予感もする。これは、達成出来ないと取り返しのつかない事になりそうだと、本能が告げている。
「…分かった。いや、やるべきことが具体的には分からないんだけど…とにかく、僕はこの『ホワイト雪原』の謎を調査する。そう約束する」
また謎が増えてしまったけど、乗り越えていく。僕はそう決心した。