2話 伝説の真偽[後編]
…暖かい。静かで、だけど寂しさは感じない、穏やかな空気。自分は、雪原で、吹雪に晒されていた筈なのに…何故だろう。
意識が戻って、真っ先に思ったのはそれだった。先程…いや、意識を失う前とは真逆の状況に、疑問を抱いたのだ。
ぱちぱちと瞬きし、クリアになった視界が映したのは、自分とは到底縁が無いと思っていた光景だったのも、謎を深め、困惑を強めた。
自分は、ふかふかとしたベッドの上に寝かせられていた。布も綿も、知識では知っているが生きてきた年数=野生歴の自分がお目にかかるとは考えたこともなかった。さらに、ここは洞穴のような場所ではなく、きちんとした家屋であった。人間が暮らす家ほどしっかりした建築物ではなさそうだが、自分の暮らす住処なんて、これとは比べものにならないくらいみすぼらしいものに思えてしまう。
夢でも見ているのだろうか?何故自分はこんな場所にいる?謎は尽きないが、これらの疑問に答えてくれる誰かが来ることを願う以外、自分に出来ることはなかった。
やがて、扉をそっと開く音がして、僕は反射的にそちらを見た。控えめに開かれた扉の隙間から顔を覗かせたのは、僕の知らないポケモンだった。
「わ、起きたー!大丈夫!?」
目を丸くして、そのポケモンはシュババ!なんて効果音が付きそうな速度で近寄ってきた。クリーム色と茶色、緑という目に優しい色合いで、どこか僕と似たような雰囲気のポケモンは、すごい勢いで僕の顔を覗き込んだと思いきや、何かを思い出したかのように、急いで扉の外に顔を出して誰かを呼んだ。
…まもなく、白黒灰色でまとまった穏やかそうな表情のポケモンと、花を模した飾りを2つ頭にのせた小柄なポケモンが駆けつけた。
「大丈夫?君、この国の住民じゃなさそうだけど…どこから来たの?」
最初にこの部屋にやってきた新緑のポケモンが不安そうに尋ねた。国…?ここは人間のように綿密な法の定められた地域なのか?
分からないことが多すぎる。ひとまず、名乗るだけ名乗っておくべきだろう。
「…僕はソルト。封星氷穴に住んでます。…ここは、何処ですか?」
「フウセイヒョウケツ?」
不思議そうに繰り返す新緑。まさか、封星氷穴を知らない…?となると、帰れるか、かなり怪しいのでは…。そんな風に不安になりつつ、彼女らの返答を待った。
「んー…。封星氷穴ってのはよく分かんなかったけど、とにかく、私はユリナ・ミルキルエ。種族はマホイップ。よろしくね」
淡い黄色がかった白に、ワンポイントで桃色の入ったポケモン…花飾りを2つつけたマホイップが、真っ先に名乗る。
「私はイエッサンのマレットですぅ。よろしく、かなぁ?」
モノトーンでまとまった、羊のツノらしきものをもつポケモンも、それに続いて自己紹介する。
「わ、私はリーフィアのシュガー。シュガー・シャイニです」
「シュガー様は、この国のお姫様なんですよぉ」
「…ひ、姫?」
ややつまづきながら名乗ったリーフィアの少女。なんとなく自分と似てると思ったのは勘違いではなく、同じイーブイの進化形だったからのようだ。
そして、マレットさんの言葉に、自分の顔が強張る。目の前にいるのが王族と言われれば、誰だって緊張してしまうだろう。当の本ポケはマレットさんに軽くお説教しているが。
一通り言いたいことは言い終えたのか、シュガーさんはこちらを向き直り、コホンと咳払いすると、笑顔で言った。
「えっと、別に畏まらなくて良いからね?多分、私たちって同年代だし、気軽にシュガーって呼んで欲しいな。私もソルトって呼ぶし。…それで、私もやっぱり、封星氷穴は知らないな…。ここはシャイニ王国っていって、君はこの国の周辺で倒れてたから助けたの」
シュガー…さん、が丁寧に説明してくれたおかげで、何となく事情は掴めた。本ポケがそう言っても、周りからの印象を考えると、さん付けで呼んだ方が良いと思う。
だが…あまり良い状況とは言えない気がするな…。
シャイニ王国という地名は、全く聞いたことがない。さらに僕たちの住む封星氷穴のことも知られていない。これじゃ、やっぱり帰れる気がしない。
「シュガー様。そろそろ移動しなければいけないですよぉ」
「え、そうじゃない!急がなきゃ」
頭を抱える僕らの間には静かでやや重い空気が漂っていたが、マレットさんがそれを打ち破った。
マレットさんの言葉を聞き、慌ててシュガーさんは壁にかかった古い時計を確認し、マレットさんとユリナを引き連れて小走りで扉へ向かった。そして僕の方を向き、手招きした。
「私、会議に出席しなきゃだから、ソルトも来て。事情をお父様に説明すれば、何か解決策が見つかるかもしれないよ」
この国のお姫様の誘いを断る訳にもいかない。僕は不安に思いつつ、ベッドから降りてシュガーさんの後を追った。
シュガーさんの父親、ということは、この国の王様と会うことになるのか…。位の高い方の前での振る舞いとか、全然分からないけど、大丈夫だろうか。
◆
…さて、場所は変わって、僕たちは大きな広間のような部屋にいた。高い天井には豪華なシャンデリアが掛かっている。真っ白で清潔感ある壁とは対象的な、真紅の絨毯が部屋の奥に向かって敷かれている。そして、絨毯の両脇には大勢の兵士らしきポケモンが佇み、奥の玉座にいる国王と女王を守っているようだ。
シュガーさんは絨毯の上を堂々と、そして優雅な足取りで歩いていた。マレットさんとユリナはシュガーさんよりずっと後ろの方で、欠片も緊張していない様子で立っていた。僕はシュガーさんに促されるままに、恐る恐るついて行った。普通に歩くことをこんなにも難しいと思う日が来るとは思いもよらなかった。
玉座の前には、シュガーさんの他にも、毛並みの整った、明らかに高貴なポケモンたちがいた。こう見ると、自分の場違い感がますます強まるな…。
だけど、それら以上に、この地を治める者は美しく、気品に溢れていた。
「…それでは、これより、会議を始める」
白い毛皮と黒い肌の、垂れた長い耳が特徴の犬に似たポケモンが言う。所々に緑も入った毛並みは、頭の部分が帽子のような形にカットされている。左耳には金色の耳飾りを付け、真紅のケープの裾にはふわふわとした装飾がある。左前脚には黄金の腕輪がはめられており、胸元には花のブローチ。
一目で、彼がこの国の王であると気づくと同時に納得した。鋭い視線には支配者としての威厳がこもっており、目を合わせたら身体が麻痺したかのように動けなくなってしまいそうだ。
「まずは通常通り、国内の治安調査の報告をしていただきたいところですが…」
凛とした声音で、王の隣のポケモンが言う。青と白の体にピンと伸びた長い耳。ゆらゆらと漂う4本のリボンみたいなものが特徴的だ。こちらも赤いケープを纏い、花のブローチを胸元のリボンの上に、耳飾りを左耳に付いたリボンの上にちょこんと添えている。そして今度は右前脚に腕輪をつけている。恐らく、彼女が女王なのだろう。
女王様は言葉を切るとチラリ、とこちらを見、次に王様を見た。桃色の瞳が僕たちの方に向いた瞬間、呼吸を忘れてしまいそうなぐらい、心が恐怖に支配された。
桃色のアイコンタクトを受け、王様が語り出した。
「…今朝、とある国民から報告があった。『姫君が侍女と共に雪原へ向かうのを見た』と」
一斉に大勢の視線がシュガーさんへ向けられる。ざわめくポケモンたちに囲まれても、シュガーさんは表情を変えなかった。ただ、真っ直ぐに前を向いていた。
「…以前も伝えた通り、無断で城外へ出てはいけない。それに雪原は危険だ。ろくに護衛も連れずに足を踏み入れて良い場所ではない。以後、気を付けるように」
「はい。分かりました、国王陛下」
そう言い、シュガーさんは深々と頭を下げ、次にこう言った。
「そして、ご無礼を承知の上で、延べさせていただきたいのですが…」
「…後ろにいるポケモンのことだろう」
その言葉を聞いて、僕はぶるり、と体を震わす。今度は僕に、幾つもの視線が集まる。ひそひそ声が煩わしい。
はい、と答え、僕に向かって目配せするシュガーさん。覚悟を決めて、僕は語り出した。
「僕は、グレイシアのソルトといいます。昨夜、吹雪の中で遭難し、行き倒れていたところをシュガー様に助けていただきました」
「ソルトさんは国外…封星氷穴という場所からいらっしゃったそうです。ですが、残念ながら聞いたことのない地名でしたので、この場を借りて何かしらの助言をいただきたく思います」
僕に続いてシュガーさんがハキハキと説明した。王様は目を伏せ、考え込んでいるようだ。
周りのポケモンのざわめきが増す。どうやら、本当に誰も封星氷穴のことを知らないようだ。国外から訪れる者が珍しいのか、不思議そうな声が聞こえる。
暫し思案した後、王様は僕たちに、会議終了後もここに残るように命じた。ひとまず、僕の案件は置いておき、普段通りに進行するつもりらしい。
そんなこんなで、僕にとっては最早異国の言葉にしか聞こえない、難しい話を聞きながら待機していた。
◆
「さて、お前がソルトか」
「は、はい」
大勢のポケモンたちが退室し、部屋の中には王様と女王様、そしてシュガーさんと僕くらいしかいなかった。シュガーさんの侍女であるマレットさんやユリナまでおらず、事の重大さを物語っていた。
「レム、少し威圧感あるわよ。ソルト君が怯えてるじゃない。…私はリリー。ニンフィアって種族で、この国の現女王よ」
「そんなつもりはなかったが…。怯えさせてしまったならすまない。私は現国王のレム・シャイニ。種族はトリミアンだ。よろしくな」
2匹は此方へやって来ると、自己紹介をした。どちらも誠実そうだが、僕の緊張がほぐれる気配は微塵もない。
この4匹の中で、最初に話を切り出したのはシュガーさんだった。
「お父様、お母様。封星氷穴に関する情報はないの?」
「そうね…私も封星氷穴なんて地名、初耳なのよね」
「私も知らないな。書物庫にもそれについて記された資料はなかったと思うが…」
やはり、解決策は無さそうだ。一切情報を得られず、僕の耳は無意識のうちに垂れていた。
けれど…封星氷穴について、少しも認識されていないなんて。そんなこと、あり得るのだろうか?かなり大きな洞窟で、出入り口だってたくさんあり、雪原の様々な場所と繋がっているのに?…なんだか、引っかかるような…。
「それにしても、国外からお客様が来るとは思わなかったわ。しかも、私と同じ色違いなんて!」
リリーさんが、僕をまじまじと見ながら言う。無邪気な笑顔を向けられたのに、その言葉で、僕はびくり、と震えてしまった。
「…あ。ご、ごめんなさい、ソルト君。悪気があった訳じゃないのだけど…」
「い、いえ。平気ですよ」
一気に気まずい空気になる。胃がギリギリと悲鳴を上げ、痛みが強まる。
色違い。人間にとってのソレがどのような存在なのかは知る由もないが、野生のポケモンの間では、ソレは忌み嫌われるもの。少なくとも僕にとっては、そういう認識だ。
だから、リリーさんの言葉に過剰反応してしまった。その事に気づいて、青と桃の耳が申し訳なさそうに垂れていた。
「と、ともかく。新しい国民になってくれるなら、私は大歓迎よ!シュガー、城下町の案内をしてあげて!」
「そうだな。外出の許可を下ろそう。ソルト、君が望むなら、しばらくは此処で生活すると良い」
気を使わせてしまっただろうか。リリーさんの言葉を皮切りに、流れるように僕は此処…シャイニ王国、その王宮でお世話になることになってしまった。
◆
王宮の正面にある、鮮やかな花々の咲き乱れる大きな庭園。青空の下、赤やら橙やら青やら白やら黄やらが互いの魅力を見せつけるように咲き誇っている。
普段は氷に覆われた洞窟内か、白い雪しかない雪原で過ごす僕にとっては、カラフル過ぎて目がじんじんと痛む。それほど美しい景色なのだ。
「ソルト、お待たせ!手の空いてる方を探すの、予想以上に手間取っちゃったよ」
シュガーさんが駆け足でやって来る。彼女の背後には、灰色の鎧のような殻に覆われた、騎士のようなポケモンがいた。彼がシュガーの護衛としてついてくれるようだ。城下町は安全ではあるが、散策には護衛が1匹は必要らしい。いざという時のことを考えると、当然ではある。
「貴方が噂のソルトさんですか。私はシュバルゴのジェダ・ヒュライダー。本日の散策にお供させていただきます」
「よろしくお願いします。…というか、僕、噂になってるんですね…」
挨拶しつつも苦笑い。誰がそんな噂を広げたんだ。あまり目立ちたくないんだけどな…。
「まあ、仕方がないですよ。国外からやってくるポケモンなんて、ほとんどいませんから。私だって生まれて初めて、この国以外のポケモンを見ましたよ」
騎士のようなポケモン改めジェダさんの言葉に、僕は酷く驚いた。つまりこの国は、他の国との交流が全くない、鎖国とやらなのか?
「え、そんなに、ここは閉鎖的な場所なんですか?」
「閉鎖的というより、この国の外にも世界が広がってるなんて、信じられないですよ」
「ここは私たちみたいに取り立てて寒さに強い訳じゃない種族が生きられる、唯一の場所だものね」
シュガーさんも言葉を添える。当たり前のように綴られる言葉は、外の世界で生きる僕にとっては信じがたい。
つまり、彼らの世界はこの国だけ。永遠に閉ざされた狭い場所でしか生きられない、ということなのだから。
ともあれ、そんな風に話しながら、僕たちは歩きだした。空は穏やかで風も優しく、本当にここは雪原の中の国なのか、疑わしいくらいだ。
そして僕は、ふと思い出した。…セイランが語った、常春の国の伝説。それは雪原の何処かにある楽園。多くの恵みに祝福された地の物語を。
僕は気づいた。きっと、此処…シャイニ王国こそが、常春の国の正体なのだと。