1話 伝説の真偽[前編]
ごうごう、ごうごう
視界は真白に染まり、乾いた冷たい粉が長い毛に張り付くように降り積もる。忌み嫌われる銀の毛皮が完全に隠れているから、今なら仲間に嘲笑われることもない。と、言っても、周りには誰もいないのだから、何の意味もないのだが。
長い時間歩き続けたせいで疲れているのか、無意味なことを考え始めた自分に呆れて笑いをこぼす。吐いた息はすぐさま、もやりと白を纏って景色と同化した。
ああ、寒いなあ。声を出す気力もなく、心の中で呟く。
身体は芯から冷え切り、視界は最悪で、お腹もすいたし怪我が痛むし、コンディションはダメダメだ。
何度も足を止めかける。何度も意識を失いかける。それでも進もうと、まだ生きたいと、自分は思う。
ぱから、ぱから…
遠くから、軽快な、それでいて力強い音が聞こえる。とうとう、幻聴でも聞こえ始めたのだろうか。辺りは激しい吹雪のせいで、何の物音もしないのに。全て、かき消される筈なのに。
音が近づく。自分より大きな生き物の影が一つ、見えた気がした。
「おい、お前。大丈夫か?」
その声は、驚くほどはっきりと聞こえてきた。
何か答えなくては。そう思い、口を開こうとして…
そこで僕の意識は途絶えた。
◆
「おおーい、ソルトー!」
…どうやら、夢を見ていたらしい。聞き慣れた、頭にキンキンと響く声に名前を呼ばれ、ハッと現実に引き戻される。
次に、そっと立ち上がり、自分の住処の外で先ほどから喚いている男をなだめにむかう。住処といっても所詮は野生のポケモンの巣でしかなく、人間が生活するそれとは全く異なる。何処を見回しても氷に覆われた洞窟の横穴に、少しの食糧などが蓄えられているだけの質素な場所。これでも自分では割と気に入っているのだが。
すたすたと入り口まで向かう。まだぎゃあぎゃあと自分を呼んでいる友人に呆れて、思わず溜め息をついた。他ポケの家に勝手に上がらないというマナーは守っているが、この氷の洞窟に住む他のポケモンのことは考えられないのか。苦情がはいるのはこっちなんだぞ。と、後で言い聞かせてやろうと思いながら、住処から出た。
「おい、静かにしろバカ竜。氷漬けにするぞ」
「うわ!氷だけはやめて!ってかソルト、聞いて聞いて!」
軽くおどしても効果がないらしい。デカい図体に似合わず、目をキラキラさせながらずいっと顔を近づけてくる。ザラザラとした蒼い鱗に覆われた厳つい顔が接近してくるが、いつものことなので慣れっこだ。
いわゆる鮫肌を持ち、両手には鋭い爪が生え、喉元から腹部にかけてが赤く、それ以外は深い青の身体をもつポケモン。彼の種族名はガブリアス。誇り高きドラゴン族…の、筈だ。
ついでに説明するが、僕の種族はグレイシア。平たい尻尾や額から伸びる飾りを持ち、それらの先や背には菱形の模様がある。イーブイというポケモンの進化系の1つで、氷タイプを持つポケモンだ。
…だが、僕は他のグレイシアとは違う点がある。身体の色が、通常のグレイシアよりも淡く、少し白っぽいのだ。僕は俗に言う色違い個体であり、身体の色が本来と異なる突然変異なのだ。別に能力的にも通常個体とは何も相違点がなく、ただ体色が異なるだけだ。
「ソルト!聞いてるか?」
「うるさいなぁ。聞こえてるから音量下げろよ、セイラン」
「聞こえてるか、じゃなくて聞いてるか、だよー!」
「聞いてる聞いてる取り敢えず静かにしろ」
どこか子供っぽい口調で叫ぶセイランに、ひとまず声量を下げるよう指示する。一応、これでも彼は今年で16になるのだが、何度言っても年相応の口調が定着しない。出会ったばかりの頃はもっと大人びた喋り方をしていたのだが…。
ともあれ、なにやら興奮冷めやらぬといった様子の彼。元々、妙にテンションの高い奴だが、今回は格段に高い気がするし、その理由が全く気にならないと言えば嘘になる。何があったのか、尋ねてみよう。
「それで、何か用か?というか、何かあったのか?」
「うんうん、あったあった!聞いて驚くな……いや、やっぱ驚いて欲しいかな。とにかく、大ニュースだよ!」
落ち着いたと思いきや再び目をキラキラさせながら、彼はこう言った。
「伝説の真偽、確かめに行こう!」
「………は?」
何を言っているのか分からず、暫しの沈黙を破ったのは疑問に満ちた言葉だった。
とりあえず、言いたいことがよく分からない。話すべき内容が思いっきり欠落しているこのバカ竜の提案に、どう返事をすれば良いのだ。
「…えーっと。取り敢えず、何があった?伝説の真偽を確かめるって…何かに変な影響でも受けたか?」
「あ、ごめん。なんか色々情報抜けてた!えっとね、ここに来る前、ロデさんとお話ししてたんだけどねー」
それからの話は長かったので簡単にまとめるが、セイランは此処、氷の洞窟__正式な名称は封星氷穴という__に昔から住んでいる、マンムーのロデさんに、とある伝説を語ってもらったそうだ。それはこの洞窟のあるホワイト雪原に古くから伝わる『常春の国』の伝説で、この雪原の何処かにあると言われる、楽園のような場所のことだ。そこは常に穏やかな天候で、豊かな土地には沢山のきのみが育ち、争いはなく、住民は皆不老不死なのだとか。まあ、厳しい現実から目を背けるための妄想に過ぎない、ありがちな伝承である。
で、それにもろに影響された結果、常春の国探しに行こうぜー!なんてほざいているのが目の前のガブリアスである。
「な、一緒に探しに行こうぜ、ソルト!」
「別に…僕は興味ないし」
満面の笑みで誘ってくれるのはありがたいが、最初からないとわかっているもののために労力を割くような趣味はない。やるならご自由に、という感じだ。
だが、セイランは不服そうに声を上げ、僕の右前足をがしっと掴んだ。
「行こうってば!ソルトと一緒なら見つかる気がするし!」
「いや、無駄なことはしたくない…ってか、痛い痛い!お前、鮫肌当たってるぞ!」
自分の特性をガン無視して、抵抗する僕をずるずると引きずる親友。彼の鱗で皮膚に少し血が滲む。抵抗しても、体格差のあるガブリアス相手に、グレイシアが勝てる訳ない。数分もすれば、僕は完全に諦め、彼の提案に乗ることにした。
面倒だが、適当に付き合ってやればそのうち満足するだろう。そう考え、僕は自分の足で、洞窟の出口へ向かっていった。
◆
封星氷穴は山の麓などにあるのではなく、雪原の地下に位置する。結構大きな洞窟で、壁も床も氷に覆われている。政府のようなものが存在するわけではないが、住民の間でトラブルが起きないように、多少のルールは設定されている。だから、まあまあ住み心地の良い場所だと思う。もっとも、他の地域を知らないので比較対象がないのだが。
僕たちは洞窟を抜けて、雪原に出た。辺り一面、雪に覆われたこの景色は正直、もう見飽きてしまった。今日は珍しく天候に恵まれ、吹雪が止んでいる。強風が吹き荒れてはいるものの、氷タイプである僕にはどうってことない。相方に関しては考慮しない。
…さて、常春の国を探す、とは言うが…。伝承の中で、常春の国の具体的な位置に関しては言及されていない。当然ではあるが、完全に自力で見つけ出す必要がある。
「ソルトー!こっちの方角に行こうぜ!」
セイランが、封星氷穴の出口から北の方向を指して叫ぶ。そんなに大声を出さなくても聞こえるのに…と思いつつ、示された方を見るが、やはり視界に入るのは白、白、白…。とても夢の楽園が存在するとは思えないが、言い出したのは彼だし、好きにさせよう。
「わかった。そっちだな。だが、絶対に日の暮れる前に帰ってくるぞ」
「わかったわかった」
信用できない返事を聞きながら、僕は北へと歩き出した。
◆
歩き出して4時間程経過した。途中で休憩を挟みつつ、小さな山を一つ越え、セイランが持つ方位磁針通りに北へ北へと進むも、そんな楽園は一向に姿を見せなかった。
僕たちが出発したのは午前9時頃。すでに太陽は傾き始めている。僕はまだしも、セイランは寒さにとても弱い種族だから、雪原の夜は危険だ。急いで戻らないと。
セイランも同じ考えらしく、納得いかない様子だが、しぶしぶと引き返し始めた。多分、この様子だと明日も探そう、とか言い出しそうだな。
帰り始めて2時間経った頃だろうか。それまで明るかった空が急に暗くなり、風がさらに強まった。
嫌な予感がして、自然と、歩みが早まる。それでも、分厚い雲はみるみる内に広がり、僕らを追いかけてくる。風の音が、逃れることのできない僕たちのことを嘲笑っているように聞こえた。
嫌な予感とは当たるものだ。まもなく、雪が降りだし、吹雪となった。
身体に叩きつけられる雪と、向かい風に押されて思うように進めない。今日は平気だと思ったが、浅はか過ぎた。自分の考えの足りなさを悔やみつつ、吹き寄せる雪に抵抗する。
そうやって、自分のことで必死になっていたからだろうか。気がつくと、すぐそばにいた筈のセイランの姿がなかった。激しい吹雪ではぐれてしまったことに気づき、もともと青白い肌をもつ僕の顔は更に青ざめた。
「まずい…この吹雪じゃ、セイランが…」
そんな風に思っていると、だんだん自分の意識がぼやけていくのを感じた。疲労が溜まり、意識を保てなくなってきた。
ああ、今度こそ、おしまい……だろうな…。
◆
晴れ渡った空の下、降り積もった雪を踏み締め、アテもなく歩む3匹のポケモンたちがいた。
「それにしても、昨夜の吹雪はすごかったらしいですねぇ」
やや間延びした口調で、2本のツノのようなものが頭の横からはえた、二足歩行の黒と白のポケモンが言う。灰色のツノと白黒の毛皮という、シックな色合いが特徴的だ。空色のマフラーを巻いており、首元に花の刻印がされたブローチをつけている。
「まあ、私たちには関係ないことだけど。こんなに天気が良いと、少し信じ難いわよね」
パステルカラーのクリームのような見た目のポケモンが呟く。頭には橙の花飾りのようなものが載っており、ドレスをまとった少女のようにも見える。こちらも、桃色のマフラーに花のブローチを留めていた。
「…あれ?ねえ、あそこに見えるのって…」
クリーム色の体毛に覆われた、草タイプらしきポケモンが何かを発見したようだ。耳や尻尾がグラデーションがかった緑で、脚先が茶色、大きな瞳が印象的な、可憐なポケモンだった。左耳には菱形を組み合わせたような飾りを付け、淡いエメラルドグリーンのケープを羽織り、やはり、花のブローチが首元を彩っている。
ダダダッと走り出す彼女を、2匹のポケモンが止めようとしたが、すぐにアッサリと諦めた。こんなことは何度もあったのか、彼女の行動力を理解しているらしい。
少女は、発見した物体に近づくと、小さく悲鳴をあげた。
「ユリナ、マレット!これ、ポケモンよ!」
雪原に落ちていた物体の正体は、青白い短い毛に覆われた、1匹のポケモンだった。雪と同化して見つけにくいソレを発見したとは、少女はなかなか優れた観察眼の持ち主だと言えるだろう。
その言葉を聞いて、2匹も焦りと驚きが混ざった表情になり、慌てて救助活動を始めた。
___この出会いが、広大なホワイト雪原の運命と関わるとは、まだ誰も知らなかった。