第十一話 湿原の管理者
僕たちは今、『雨神湿原』に来ている。近くには集落があって、孤児院を開いてる心優しいオニシズクモ、ミナヅキが定期的にダンジョン内の強力なポケモンを倒しているお陰で比較的安全なダンジョン。
そして今、対峙しているのは、敵対しているのは…そのミナヅキだ。
…いや、何で?レモンの話から察するに、彼は心優しいポケモンの筈…。何の理由もなく、突然僕らを攻撃するだろうか。
ダンジョンポケモンと間違えられた?それは無い。定期的にこのダンジョンに潜ってるなら、ここに住むダンジョンポケモンの種類だって把握してるだろう。そもそも、ヒトカゲやピカチュウが住めるような環境じゃないし、ここ。
お尋ね者と間違えた?その線も薄いだろう。探索隊に届いたお尋ね者情報に、僕らの種族はいなかったし、このダンジョンについて少しでも知識があれば、普通のお尋ね者はここに逃げ込まない。だって、彼がパトロールしてるんだから。それぐらい、ミナヅキだって分かっている筈だ。
…じゃあ、本当に、どうして…。
そんな風に考える時間を与えてくれる訳もなくて。
ミナヅキは再び、僕らに向かってWバブルこうせんWを放つ。僕とレモンは相手の狙いを定めにくくすることを期待し、二手に分かれつつ、かわしていく。
「…やっぱり、戦うんだね」
僕は少し暗い気持ちになりながら、ぬかるむ地を蹴り、彼との距離を縮める。
僕の攻撃を察したミナヅキは、両脚を1本ずつ構え、攻撃を受け流す準備をしつつ、WバブルこうせんWで牽制する。そのまま突っ込まれてもダメージを抑えるためにブロックの姿勢を作ったのだろう。
右腕で顔周りを庇うようにしながら、僕は一気に駆け抜ける。そして泡の光線を掻い潜ると、ダメ元でWきりさくW。当然、クロスされた脚によって塞がれ、組んだ脚を戻す勢いによって吹き飛ばされる。
そして僕を振り払うために前脚1本ずつを使っている彼の、その隙を決して見逃さない相方が、先程から溜めていた電気をW10まんボルトWとして放つ。
僕が飛ばされた方向は、幸か不幸か部屋を囲む水溜まりが途絶えていて、苔むした岩石の壁がある。この部屋を孤島のように取り囲む深い水溜まりに転落していたらなんてifは、考えたくない。
ガッ、と壁に背を叩きつけられ、打撲した僕の目には、多量の電流を浴びて苦しむミナヅキの姿が。
「ぐわぁっ!」
しかし彼は、痺れに苛まれながらもWハイドロポンプWでレモンを打ち抜く。激流に押し流され、レモンは攻撃を中断してしまう…。弱点を突かれ麻痺を負いながらも的確にパートナーに照準を合わせた、彼の技の練度に驚かされる。
「くっ…」
急いで立ち上がると、僕はミナヅキの方へ走りながら、WはじけるほのおWを打つ。続けざまにレモンを攻撃しようと近寄りかけていたミナヅキは僕の戦線復帰を確認するなり、水のベールのようなものを纏い、距離をとった。
…というか、僕の炎が、効いてない?ジメジメしてて雨も降ってるこのダンジョンでほのおタイプの技の威力が低下するのは分かるけど、それにしてもこれは…。
「シナバー!ミナヅキにほのおタイプの技は通じない!水泡に防がれる!」
「そんなっ…!?」
なんて事だ。それじゃ、致命的に相性が悪い、悪すぎるじゃないか…!
驚愕しつつも、僕は攻撃手段をWりゅうのいぶきWに切り替え、ダメージを与える。
…でも、相手はほとんどダメージを受けていない。もしかして、彼の纏う水のベールが影響しているのか?
「…あれはWアクアリングW!徐々に体力を癒す技だよ!しかもこれ、遠距離技の威力も殺されてる!」
吹き飛ばされたレモンは、威力が高く弱点を突けるW10まんボルトWで応戦しようと構える。流石にあの攻撃を撃ち込めたら、ベールでも回復が追いつかない筈。
だが、相手にはそれが見破られていたようだ。
彼はレモンの技の溜めを完了させないよう、僕らの足元を払うようにWバブルこうせんWを乱射する。なりふり構わず、滅茶苦茶に撃ちまくってくるおかげで、避けようとしても難しい。
ぱちっ、と泡が弾け、それを運んできた光線を浴びる。避けきれず弱点タイプの技をモロに受けてしまい、体勢を崩す僕。
「シナバー!?大丈夫…って、ミナヅキはっ…!」
その隙にミナヅキは、攻撃を中断して姿を消す。あまりに一瞬の事で、彼が急に透明になったと言われても納得してしまうくらい、僅かな時間での出来事だった。
「一体、どこに…きゃあ!?」
「レモンっ!」
戸惑うレモンの後ろから、突如姿を見せたミナヅキは間髪入れずにWはいよるいちげきWで彼女を突き飛ばす。
立て続けに僕へ向けられた1本の右脚を、反射的に頭上で受け止めた。ガガガッと、両腕に衝撃が走る。
「なんで、僕たちは探索隊なのにっ!」
「うるさい!来るな、このダンジョンに、立ち入るなっ!!」
そう叫び、僕を殴りつける。直前に身体を右へずらしたおかげで、頭に直撃からの脳震盪でKOみたいな事態は避けれたけど…。力の競り合いに負け、僕は左肩が外れるんじゃないかと思うほどの痛みを受ける。
「痛っ…!」
痛みに意識が朦朧と仕掛ける僕に向けて、ミナヅキがゼロ距離でWハイドロポンプWを構える。ダメージの蓄積した身体にこれは、オーバーキルにも程がある。
避けなくちゃ。本能が警告するが身体が応じない。
直撃したら重症で済むだろうか。死ぬと思う、とボンヤリ考えていた、その時。
眼前を、雷が駆けた。
◆
私は自分が嫌い。
仲良しな相手にはそれなりに饒舌だけど、初対面だと人見知りするし。そのせいで憧れの探索になりたくても、チームメイトに誰かを誘う勇気も無くて。
W10まんボルトWをノーモーションで撃てなくて、妙に溜めが長く必要になるし。依頼途中で出会ったお尋ね者を捕まえられないし、勘違いで民間ポケモンを傷つけるどころかチームメイトも危険に晒す。
それに。
友達だと、仲間だと思ってる相手にも秘密を秘密のままにする。今まで、さりげなく尋ねられては幾度はぐらかしてきたことか。
…目を閉じればいつでも蘇る、されどおぼろげな情景が。
崩れ落ちる、かつての我が家。嘲るような憐れむような、誰かの視線。森のひらけた空間に浮かぶ、罪禍の象徴。傷つき倒れた、私の友。
なんて駄目なやつなのだろう。いくつもの過去、積み上げてきた全てが、私のどうしようもなさを加速させる。
走馬灯かな。突き飛ばされたせいで全身が痛いのに、走馬灯で精神までやられちゃ参っちゃうよね。
私は自分が嫌い。何度も失敗して、そう思い続けた。
でもシナバーは好きだ。私の最初の友達。唯一の、かけがえのない仲間。
…あれ。ここで彼がやられたら。私また、自分のことを嫌いになるね。
じゃあ私、まだ頑張らなくちゃ。大切な親友を守るため。そして私をこれ以上、嫌いにならないため。
ゆっくり立ち上がる。一応、この身体はまだ、使い物になるみたい。よかった。
見ればシナバーは、動けないまま、WハイドロポンプWの餌食になりそうだ。それは死ぬよ。控えめに言っても。
私、結構な距離を飛ばされてたみたいだね。でも大丈夫。間に合わせる。私は彼を守る。
全身が熱を帯びる。身体の奥から力が湧いてくる錯覚がある。何だろこれ。火事場の馬鹿力?
普段なら考えられないほどの発電量。バチバチと頬袋が音を立てる。私は何となく、この電気の使い方を知っている。
全身に電気を纏う。そして4足歩行で走る。無理をしてるから身体はすごく痛いけど、足は加速する。
そして。
雷が、ミナヅキを貫いた。
◆
何が起きたか分からない。瞬きするにも足りるか怪しいくらいの僅かな間に、勝敗が決していた。
確かに分かるのは、僕が激流に流されてお亡くなりにならなかった。そしてミナヅキが遥か遠くで倒れている。ただそれだけ。
呆然と辺りを見回す。バトルが激しくなるにつれて意識から遠ざかっていった雨粒の音が、ようやく帰ってきて耳に届くようになったのと、フラフラと立ち上がったレモンを視認したのはほぼ同時。
状況的に考えても、ミナヅキを倒したのは、レモン…?さっきの技は、一体…?何故ミナヅキは僕たちを襲った…?疑問点を挙げていくとキリがない。が、それについて詳しく考えるのは後にしよう、と疲労が囁く。
「レモン…大丈夫?」
「…シナバー。よかっ、た…無事、だね」
ずるずると引きずるように無理やり歩いていって、レモンに尋ねる。彼女は僕を見ると、安心したように呟く。一応無事みたいだけど、彼女もかなり重症だ。
そして、レモンから数メートル離れた場所に倒れているミナヅキの元へ近づく。戦う気力は無いようだけど、念の為、注意しながら。
「ねえ、ミナヅ、キ…どうして、私、たちを…」
「僕たちは探索隊だ。バッジが目に入らなかった訳じゃないだろう?なんで攻撃してきたんだ?」
足元もおぼつかない様子で立ち上がるミナヅキ。彼は僕らを睨むように、威圧するような視線を向ける。敵意こそあれど、すでに戦う気力は無さそうだ。
「来ては、ならない…来るな、来るなぁっ!」
そう叫ぶと、彼は駆け出す。引き留めようとする僕の手を、そっと引かれる。振り向くと傷だらけのレモンが、ゆっくりと首を横に振る。
「…ミナヅキも、理由が…ある、はず。それに、私たちも、余裕は無い、から…」
「…そう、だね」
僕もだけど、レモンの疲労は凄まじい。これ以上の長居も危険だし、早々に撤退するべきだ。
それでも僕はミナヅキの…何かに怯えるような、そんな声が耳から離れない。
彼の走り去った方向をもう一度だけ見る。すでに真白のモヤが、彼の輪郭を消していた。
◆
そして、数刻後。探索隊はバッジの力でダンジョンからとっくに脱出し、今頃基地で治療を受け、体力を回復させているであろう頃になって、ようやく。
傷ついた身体を、僅かな体力を振り絞って、湿原の管理者…ミナヅキは、『雨神湿原』の最奥へやって来ていた。
そこは少し開けた空間で、丈の低い弱々しい木々と活力の感じない草がまばらに生えて、取り囲んでいる。
「…敗走したようだな、ミナヅキ」
冷たく鋭い声が、ミナヅキに降りかかる。その声は責めるのでも、嘲るのでもなくただ、淡々と事実を確認するだけ。…それが、ミナヅキにとってはひたすら、恐ろしかった。
月明かりに照らされ、ぼうっと光って見える『ソレ』を横目に、声の主…鋼のポケモンがミナヅキへ近づく。未だ、否、決して止まぬ雨が、彼の身体を濡らしていく。
ミナヅキは震える。自分には『ソレ』は分からない。彼らの目的も知らない。それでも…これらの危険性だけは理解出来る。
刃のような視線がこの湿原の主を突き刺す。鋼のポケモンが言う。
「時間稼ぎとしては及第点だな」
「…お願いします、どうかアメカミ集落には…」
縋るように呟くミナヅキに無感情な声が応じた。
「そうか。あの集落は平気だ。だがこのダンジョンはもう、お前の手には負えない。ここを去るのが賢い選択だ。…消えると良い」
グサリ、と、鋼鉄の刃がミナヅキを貫く。脚を重点的に、ズタズタと切り付ける。真紅の血が流れては、雨によって希釈されながら地面に吸い込まれていく。
「ぐぅ、わあぁっ!」
「死にはしないが。口外されては面倒だ。…この件は、絶対に他者へ告げるな」
そう言い放つと、鋼のポケモンは刃に付いた血を軽く振り落としミナヅキを一瞥する。ミナヅキは崩れ落ち、痛みに悶絶している。…元々手負いだった彼にこの仕打ち。なんて冷酷なのだろう。
そして鋼のポケモンは、ゆっくりと歩き出し、その場を離れる。
彼の背中を、揺らぐ視界で捉えながら、ミナヅキは懇願する。
「どうか…アメカミ、集落には…危害を、加えない、で…」
「……」
その言葉を聞き、少し考えるように立ち止まって、また鋼のポケモンは歩き出す。
やや陰鬱なこの湿原の環境が、彼をこんな気持ちにさせるのだろうか。冷たい雨を浴びながら、鋼がため息ひとつ。
「…はあ。相変わらず、面倒なことだ」
その声が微かに聞こえたような気がして…ミナヅキは、真っ暗な世界へ意識を落とした。