第九話 走れスターリー!
「きゃああ!ひったくりー!」
パレット・パーラーを離れて、広場に着いた僕たちの耳に、誰かの悲鳴が聞こえてきた。
ひったくり…穏やかじゃない単語に驚きつつ、悲鳴の聞こえた方へ駆け出そうとして…。
「どけっ、邪魔だ!」
ドンッ!
真っ黒なフードで顔を隠したポケモンが、僕を突き飛ばして走り去る。彼は小脇に、革製の高そうな肩掛けカバンを持っていた。逃げるように駆けていたし…もしかして、アイツが犯人?
「誰か、止めて!」
サーナイトが走りながら、さっきのポケモンを指差して叫ぶ。周りのポケモンたちは皆困惑して、不憫なことに、まともに取りあっていない。
このままだと、ひったくり犯に逃げられてしまう。僕たちは互いの目を見て、頷く。
そして駆け出す。…ひったくり犯が走っていった方へ!
◆
走る。ぎしぎしと軋むように痛む体にムチを打って走る。でも、どれほど走り続けても、ひったくり犯との距離は縮まるどころか広がっていく。
「…っ!止まれ、止まれーー!」
溜まっている疲れからか、やたら息が苦しい。それでも肺にどうにか空気を取り込んで、思い切り叫ぶ。喉の奥の方がヒリヒリと痛み、鉄の味がする。
こんなことを言ったところで、止まる訳ないけど。でも、精一杯声を上げる。
「止まって!」
レモンもそう叫ぶと同時に、WでんきショックWを飛ばす。通行ポケを避けて閃光がひったくり犯に向かって飛び、彼にダメージを与える…。
と、上手くはいかなかった。
「鬱陶しい!」
彼は背から硬い翅のようなものを伸ばして、その電撃を払ってしまったのだ。
でも、レモンの攻撃は、全くの無駄になった訳じゃない。
完全に攻撃を無効化できたのではないようで、彼は少しだけ減速する。その隙に距離を詰めれば…!
「チッ…」
ひったくり犯は右に曲がり、細く入り組んだ道に逃げ込んだ。いわゆる路地裏ってやつ。土地勘がないのに立ち入って平気か。そんなことを考える前に、僕らは駆け込んだ。
薄暗く、ジメジメとした路地裏。ぐちゃぐちゃとデタラメに繋がる道を、僕らは駆けていく。
「行き止まり…そこまでだ、ひったくり犯!」
しばらく走っていると、相手も注意力が落ちたのか、自ら行き止まりに突っ込んでいった。
僕らはそんな彼が引き返さないように、両手を広げながらそう叫ぶ。観念するんだ!…ゼエゼエと肩で息をしてるから、少しカッコつかないけど。
「チッ!忌々しい!」
相手は舌打ちすると、苛立たしげに地を蹴った。
…ずっと、背中で折り畳まれていた、後ろ脚で。
「は、え…?」
「た、高い…!?」
困惑する僕と焦るレモン。
彼は後ろ脚で勢いよく飛び上がると、フードに風を含みながら、少しずつ高度を下げていく。そう、大ジャンプで僕たちの頭上を越えていく気なんだ。通せんぼうなんて、意味がない。
「WエレキネットW!」
咄嗟に、レモンが頭上に手をかざす。彼女の手から飛び出した小さな光の球は、着地しようとしたひったくり犯の背に近づくなり、ブワッと広がり、ネットとなる。
電気の網に後ろ脚…大ジャンプに使っていた脚を拘束され、よろめきながら着地した彼。受け身に失敗し、姿勢を崩した時にフードが外れて、そのポケモンの顔が明らかになった。
真っ黒な身体に、短い触覚と橙の大きな目をもつ、虫のようなポケモンだった。手足は非常に細いものの、背中で畳まれた脚に蹴られたらひとたまりもないだろう。
「くっ…お前たち、本当に鬱陶しいな!アイツの仲間か?」
彼は振り向き、そう激昂して睨みつける。まるで、僕たちのことを悪者だとでも言いたげだ。
「大人しくそのカバンを返せ!」
「ふん!何も知らない癖によく言えたものだな!」
僕は、ネットを振り払って逃げようとする彼にWひのこWで牽制をする。
多分、彼はいくら言っても無駄なタイプだ。あんまり良い気はしないけど、武力行使も止むを得ない…のかも、しれない。
「…シナバー」
「…うん」
目配せして、僕らは動き出した。
僕は右手に炎を纏うと、相手に向かって走って行った。愚直に、あまりにも分かりやすい単純な動きで。
当然、相手は直撃を避けるため、僕が振りかぶるときに身体を捻る。
…かかった!
「っ!?」
「WでんじはW」
彼はほのおタイプを苦手としているのか。正直、理由は分からないけど上手くハマってくれた。
僕の重めの攻撃で注意を引きつつ、WでんこうせっかWで先回りしたレモンが、攻撃をかわしたタイミングで腕を掴んでカバンを取り上げると同時に、弱い電流を流す。…リシャレットと戦った時とよく似た戦法だ。
近接戦がメインな僕と遠距離技が得意なレモンとで役割が分かれているお陰で、戦略が立てやすいのはありがたいね。
続けざまに僕はWほのおのパンチWで、動きの鈍ったひったくり犯を峰打ちする。ダンジョンポケモンでもない相手を殴るその行為は、僅かに手を重くする。
「おい、返せ!お前たちもなのか!」
倒れこんで、四肢をまともに動かせないまま、そう叫ぶひったくり犯。ひとまず、警察に引き渡すまで見張るべきだよね。
…さて、そんな風にドタバタとしていると、ようやくサーナイトが追いついてきたらしい。
「あ、あなたたちは?」
目を丸くし、驚いた顔でそう尋ねる。地に伏せたまま麻痺で動けないひったくり犯と、レモンが大事そうに差し出しているカバン。不思議そうにそれを見比べている。
「騒ぎを聞きつけて、いてもたってもいられなくて…はい、取り返したカバ…」
背伸びして、カバンを手渡そうとするレモン。種族の関係上、二匹はかなり身長差があるから、サーナイトは自然と、屈むことになる。
屈んだサーナイトの顔には当然、少し影がかかって、笑っていて…嗤って、いる?
バシンッ!
妙な違和感を抱いて、首を傾げた次の瞬間。レモンの手にはカバンはなかった。かと言って、サーナイトの手中に収まっている訳でもない。
…じゃあ、カバンは一体何処?
「お前たち、何をやっているんだ。こんな下手な演技も見破れないのか?」
気がつくと、僕の背後に誰かがいた。反射的に振り返ると、そこには青と黒の、尖った耳と二本の房を持つポケモンが立っていた。
…カバンを右手に抱えて。
「そ、そのカバン…!」
「…ふぅん。流石ね、私の芝居を見抜くなんて」
サーナイトが呟く。その内容に驚愕する僕らをよそに、彼女は青いポケモンに近づいていく。
「種族柄、嘘を見破るのは得意でね。…これ、渡しておくぞ」
「…あ、ありがとう」
青いポケモンは、倒れこんだ黒いポケモンにそっと、カバンを手渡す。突然の乱入者に驚きつつ、彼はカバンを受け取る。
嘘って、まさか…。
僕はサーナイトの方を見る。気品を感じる美しい容姿とは真逆な、澱んだ笑み。悪意の含まれたソレを見て、僕はようやく、自身の過ちに気づいた。
「お前…本当は、ひったくりの被害になんてあってないのか!?」
「そうよ?私が盗んだカバンを取り返されちゃったから、逆に被害者を演じてみたのだけど。…いい感じに、正義の味方気取りが釣れて、面白かったわ!」
そう嘲笑い、左手を背後…レモンのいる方へ向ける。
バンッ!
「きゃっ!?」
爆発音。彼女の手から発生したWムーンフォースWがレモンに直撃する。かなりの至近距離だったから、流石に回避も間に合わなかった。
「…っ、レモン!」
「あら、お仲間の心配?今度はヒトカゲ、リオル、エクスレッグ。全員まとめてこんな風にしちゃうわよ?」
そう言って、左手を僕たちに向ける。心底、楽しそうな表情を浮かべながら。
僕は激しく後悔した。あの時、駆け出さないという選択肢を取れば、こんなことには…。
「…やっぱ、隙だらけだな」
そんな声が聞こえたと思いきや、サーナイトの体が宙を舞っていた。
「…え?」
「うぐっ…」
「どうだ?自分の間合いを失って、近接戦に持ち込まれた屈辱は?」
彼は…謎のリオルは、サーナイトの技が発動する前に、攻撃に気を取られたサーナイトに殴りかかったようだ。
僕らをまとめて倒すため、強力な技を発動する。そのために、力を溜めていた隙をついて、一瞬で詰め寄ったんだ。
たしか、サーナイトは近接戦の弱い、遠距離戦闘特化のポケモンだ。流石に、彼の一撃はかなり効いただろう。
「ふんっ…油断してるのはアンタの方よ!タイプ相性で、私の方が圧勝してる!のこのこと近づいちゃ、回避だってできないわよ!」
「そうかもな。当てられるなら、だが」
そんな風に余裕ありげに呟く。
…でも、彼は未進化で、尚且つサーナイトにタイプ上不利をとる。彼女の攻撃を食らえばただでは済まないだろう。
今、二匹は空中にいる。足場がないから、リオル側が攻撃するのは難しい筈だし、サーナイトが技を打てば、すぐに決着が着いてしまう…。
そんな考えは、杞憂に過ぎなかったらしい。
スッ…
微風が、肌を撫でる程度。そんな僅かな空気の動きしか発生しないぐらい、小さく最低限の動きで、リオルはサーナイトのWサイケこうせんWを完全に避けた。
…否、見切ったんだ。
「…!し、しまった」
慌てて、再びサーナイトが右手からWサイケこうせんWを撃つ。
そして、それが当たるよりも前に、リオルは…WフェイントWで、弱ったサーナイトの体力を削りきった。
苦し紛れのサイケこうせんは、空気を虚しく駆けると、散っていった。
「そうか…あの技なら、威力は低いが多少条件が悪くても、先制して動けるな」
黒いポケモン…エクスレッグが、そう呟く。
確かに、技発動に伴う、溜めってやつを殆ど必要としない、先制技と呼ばれる技があるのは知っているけど…リオル自身、かなり戦闘経験があるのだろう。あまりにも、動きに迷いがない。
ばさっと、サーナイトが地面に投げ出される。だらりと伸びた四肢が、最早戦う気力を一切、持ち合わせていないことを物語っていた。
「…よし。おい、そこの隊員。俺の代わりに、コイツを警察に突き出せ。俺のことは話さずに、お前たちの手柄にしておけ」
そう言い捨てると、リオルはさっさとその場から姿を消してしまった。
「レモン、大丈夫!?」
「…うん。ひとまず、エクスレッグの治療を優先しよう」
慌ててパートナーに声をかける。と、返ってきたのはとても冷静な判断。よろめきつつ、彼女はこちらに歩いてくる。
「えっと、エクスレッグさん」
「イコロでいい。わざわざ長ったらしいだろ。…なんだ、お前たちはアイツに騙されてたんだな」
「う…」
ため息をつきながら、エクスレッグ…イコロさんが言う。
正直、僕らは彼にどうやっても弁明できない。いくら騙されていたとしても、訴えられたらコレ、終わるよね。隊員生活。
そんな僕らの心情を察して、彼は言う。
「嘘は騙される方も悪いが、勿論、騙す方も悪い。そもそも、お前らは俺を戦闘不能まで追いやっていないし…今回の件は、報告しないでおいてやる」
「ご、ごめんなさい…」
「謝る暇があるならさっさと治療しろ。それで見逃してやる」
そう言ってそっぽを向く。
レモンと僕は、探索隊バッグから包帯や消毒に使うものなどを取り出す。
「レモンは自分の傷を治しておいて。僕がイコロさんの治療をしとくよ」
「わかった。お願いするね」
レモンは頷き、オレンのみを齧りながら、きのみから精製されたという、消毒液を傷口にかけていた。
オレンのみには体力を回復する効果がある。具体的には、血の凝固を早めたり、疲労をとったりする効果があるのだとか。
僕はイコロさんの方を向く。とても気まずい気持ちになりつつ、慣れない手つきで怪我を確認する。
「ええと…外傷よりも、痺れがある感じ…かな?」
「…あと捻挫。そこのピカチュウに邪魔されて、着地を誤ったからな」
「す、すみません…」
消毒が染みた痛みからか、申し訳なさからくる心の痛みからか、レモンは瞳を潤ませながら頭を下げる。
僕はクラボのみをイコロさんに手渡す。麻痺を治癒できるきのみ、らしい。…もっと医療について学ぶべきだな、僕。
そして、バッグから包帯を取り出して、どう巻くべきか悩んでいると、ふと、イコロさんの身につけているフードが目に留まる。
ダンジョン内で特別な効果を発揮するスカーフやマント、バンダナなんかの装備品に特有の、特徴的な半透明の生地では無い。かといって、オシャレとして着るには地味だし、そもそも完全に顔が隠れるように被っていた筈だ。何故、これを身に着けているのだろう?
そんな素朴な疑問に気づいたのか、イコロさんが言う。
「なんだ?このフードが気になるのか?」
「あ、はい。…その、何でわざわざ、顔を隠していたのかなと思って」
あたふたとしながら、イコロさんの左脚に包帯を巻き付ける。あっ、今変な風に捻れた。
「…そりゃ、顔を隠す必要の無い奴には分からないよな」
「…?」
「俺たちの種族はあくタイプ。ちょっと知識のあるやつなら、すぐにそれに気づく。…あくタイプのポケモンは昔から色々な偏見を持たれがちでな。タイプを変えることなんかできない。それでも、周りは偏見や差別をやめない」
…僕は、黙って聞いている。
包帯を巻き終え、不恰好ながらも結ぶ。
そして伸び切ったサーナイトに近づき、その両手を、取り敢えず縄で結んでおく。途中で目を覚まされたら面倒になりそうだし。
耳が、町の住民のざわめきを拾う。そろそろ警察が来るだろう。
「だから、俺は顔を隠すようにした。種族のせいで、タイプのせいで、あらぬ噂話をされるのは嫌だからな。…まあ、そのせいで今回は勘違いされたのかもしれないが」
そう言い終えて、イコロさんは立ち上がる。そしてフードを被り直す。ソレはたちまちに、彼があくタイプを有する種族である、という事実を隠してしまう。
「…そのカバン。一見、綺麗だけど、細かい傷も多い。随分大切にしてるみたい、ですね」
「これか?…そう、だな」
ずっと黙りきりだったレモンが、ようやくイコロさんに話しかけた。
「このカバンは、親の形見でな。だいぶ古いものだが…友との思い出も詰まってるからな」
「そっか。…なんか、ますます申し訳ないです」
そんな話を聞かされちゃ、こっちの罪悪感は増すばかりだ。
リシャレットとの戦い以降、疲労を無視した練習試合といい、依頼がないことによる焦りから、勝手な行動に走った今回といい。…ちょっと、頭冷やす方がいいのか?
「…アイツに騙されて俺を攻撃しただけで、将来有望な新米隊員を失う訳にはいかない。黙っとくから、あまり気にするな」
「う、でも…」
「お前たち、俺の動きを止めることに重きを置いていて、目立った攻撃をしない様に配慮してたじゃないか」
そう言って僕らの頭をぽふ、と軽く叩く。気にすんな、という意味を込めて。
…さて、なんだかんだで僕らはイコロさんと別れ、警察にサーナイトを引き渡した。
…正直、殆どリオルの手柄なんだけど、彼の名前が分からないし、なんだかズルい気もするけど、僕らが捕まえた、と伝えておいた。
…あの少年にまた会えたら、ちゃんとお礼を言いたいな。
そして、僕らは疲労とモヤモヤを抱えながら帰路につく。僕もレモンもすっかり気分が沈んで、交わす言葉も少なかった。
流石に、フレッシュフォレストでの依頼による疲労がここまでコンディションに影響を与えてくるとは思わなかったな…。それに、新米ゆえの焦り、緊張…全てが、悪い方向に噛み合ってしまった。
「…僕たち、まだまだ未熟だな」
空を見上げて、そう呟く。
上手くいかない事ばかりでも、僕は、探索隊以外の行くアテはないんだから。…頑張らなくちゃね。