第八話 憧れを胸に
空はすっかり紺色に染まり、涼しい風が頬を撫でる。
探索隊基地の前にはクロームさんとフローラさん、隊長と僕と…レモンが立っていた。
レモンは俯きっぱなしで、耳は力なく垂れ下がっている。辺りが薄暗いのが、より一層、悲壮感を強めていた。
「…本当に、辞めさせるんですか」
ぽつ、と喉をすり抜けた言の葉は、やっぱり頼りなさが滲み出ていた。
クロームさんは僕を、ややつりあがった目で見た。
「ええ。宣言通りに、レモンには探索隊を辞めてもらいます。そろそろ受け入れたらどう?」
「……」
しん…。静寂に満ちた空間で、諦めの気持ちが胸に押し寄せた。これで、良いのだろうか…?
「…やだ」
か細い声が聞こえた。
「やだよ、そんなの!」
今度は強く。確かな意志をもって、その言葉は紡がれた。
すでに諦めていたと思っていたレモンは、まだ抗う気らしい。顔を上げ、クロームさんにはっきりと言う。
「私、探索隊を続けるよ!これは私の夢だもん!」
「…レモン」
クロームさんは険しい表情で見つめ……やがて、諦めたようにため息をついた。
「頑固者ね、貴女も…。良いわ。覚悟があるというなら、自分が後悔しないよう、努力しなさい」
レモンの熱意によって、クロームさんはようやく、首を縦に振ったのだ。
そう聞くなり、レモンの顔がパアアッと明るくなる。軽く発光してそうなくらい、眩しい笑顔で、元気に返事を返す。
「ありがとう!クローム!」
「でも、絶対に無理はしちゃダメ。危険なことに飛び込まない。そう約束するのよ」
また険しい表情に逆戻りすると同時に、クロームさんは言い聞かせた。どこか不安の混ざった瞳が、今度は僕に向けられる。
「レモンのこと、頼みますよ。控えめで、少し臆病で、そのくせ好奇心は一丁前にある子を、お願いしますね」
こくり、と大きく頷くのを見て、少し不安が和らいだ様子のクロームさんは、ぺこりと一礼して、去っていった。
その小さな背中に、親としての責任感とかがのしかかっていたのだと思うと、少し複雑な気持ちが湧く。…単に、暗い夜闇にあてられて、そう感じるのかもしれないけど。案外単純なのかな、僕。
「クローム…本当に、ありがとう」
夜風に紛れてしまいそうなぐらい小さな、レモンの呟きが聞こえた。
◆
さて、結成早々に解散の危機に見舞われた僕たちだけど、無事、活動を継続できることになった。非常に喜ばしいことだ。
そして、そんな喜びを噛み締めながら、明日に備えて眠る。今日の依頼ではリシャレットとの激しい戦闘があったからか、ベッドに寝そべると、どっと疲れが押し寄せる。今まで緊張してたから自覚しなかっただけみたいだ。指先をちょっと動かすことすら叶わないぐらい、全身が重いのだから。
「それにしても。リシャレットと黒いポケモンが言っていた、生き残りって何のことだろう…」
ぼうっとする頭を働かせて、どうにか思考をまとめようとする。
生き残り…もしかして彼らは、レモンの家族のことも知っていたりしたのかな。わざわざレモンを襲う理由が分からないし、彼女自身に聞くのも、何だか…尋ねにくいしな。
いつかは知らなくてはいけないかも知れないけど。取り敢えず、身体を休めることが先決だよね。
◆
資料を分けて、纏めて、整理して。
黙々と事務作業を繰り返す。随分と手慣れたもので、拾われた頃とは比べものにならないくらい、手早く紙束を片付けていける。単調な動きに飽きて出てきそうなあくびを押さえて、手を動かす。
そして、一枚のレポートが目に留まり、手も止まる。
…それは、『スターリー』の提出した、今日の依頼の報告書。毎回、依頼達成後に書くことを義務づけているソレを見て、私はうーん、と頭を悩ます。
リシャレット…彼と『スターリー』が接触するなんて、予想できなかった。ますます、リシャレットの所属する組織の目的が気になる。
例の組織については極秘で調べているものの、未だ謎が多い。混乱を招く可能性が高く、公にしていないのも影響していると思うけど。
…謎と言えば、レモンの経歴も、ところどころ曖昧で、登録した内容は全体的に、あまり当てに出来ない印象だった。元人間だと主張するシナバーといい、『スターリー』には怪しい要素が多すぎる。
正直、私としては彼らは、あまり組織に置きたくない。表面上は、あの二匹は仲間として受け入れられてるし、殆どの隊員も、何の疑いもなく、彼らを信頼しつつある。
せめて、私だけでも。私だけでも、疑念を抱いていないと。……悲劇を、繰り返したくないから。
「フローラ。そろそろ寝た方が良いぞ」
「…隊長」
いつもより遅い時間まで隊長室に残っている私を見かねたのか、テノールが声をかけてきた。
「…そんなに気がかりか、あの二匹が」
「ええ。あの時のように、内部崩壊の原因になるかもしれない。何者かに、入隊するよう仕組まれたのかもしれない。…不明な点が多すぎて、そう勘繰ってしまって」
「随分疑り深くなったな」
「それはテノールだって同じでしょう?」
そう。一番、彼らを警戒しているのは彼。だからこそ、あの二匹を監視しやすいように組織に置いている。…この組織の誰よりも強い、彼だからこそ出来る決断。疑いを持つことでしか対策出来ない自分の弱さに呆れてしまいそうだ。
ふう。軽くため息をついて、両腕をぐっと上げる。そろそろ寝よう。探索隊は、身体が資本なのだから。
私はあくびで潤む目元を擦りつつ、自室へ戻ろうと足を動かした。
◆
「か、身体が動かない…」
朝、身支度を整え、レモンと共に朝会に向かい、みんなが揃うまで待っていたとき。『ヴィザドリー』の二匹とたわいもない会話をしていたら、ふと、自覚したのだ。
あ、やばい。身体めっちゃ痛い、と。
何故さっきまで普通に動いていたんだ?と疑問を感じるほど、身体の節々が痛い。とにかく超痛い。肩とか足とか動かすと裂けそうなくらい激痛が襲いかかってくる。
「わあ。めっちゃ酷い筋肉痛来てるね、二匹とも」
「うう…私たち、こんな調子で依頼、大丈夫かな」
「流石に危ないと思うな…レモンなんて昨日、練習試合の最中に倒れたじゃないか。無理は禁物だと思うよ」
レモンと僕は筋肉の痛みに唸りながら、先輩方の話に耳を傾ける。二匹とも心配してくれているけど、まだ実績の少ない僕たちが、休んでしまっていいのかな。経験とか積まないと、皆の役に立てないし。
そう思うものの、こんな状態で依頼に向かったら、ダンジョンポケモンにころっとやられてしまいそうだ。どうすれば…。
そうこうしている内に隊員が全員集まり、朝会が始まる。
…フローラさんが色々な連絡事項を話してくれるけど、あまり頭に入ってこない。痛みがノイズとなって、邪魔をしてきている。
「…?あの、どうかしましたか?もう朝会は終わりましたよ?」
怪訝そうな顔で、フローラさんが僕たちに声をかける。見れば、周りには他の隊員の姿は殆どなく、それぞれが仕事に向かっていた。
「怪我が完治していないのでしょうか?それなら、あまり無茶はなさらず、安静に…」
「い、いえ、平気ですよ。さあ、シナバーも行こう?」
「そうだね、行こうか」
反射的にレモンは強がりをいう。それに釣られて、僕も虚勢を張ってしまう。心配そうなフローラさんを置いて、僕たちはそそくさと外へ出ていった。
「…勢いで飛び出して来ちゃった…」
基地から東へスタスタと歩いて広場に出たと思いきや、レモンはそう呟いて項垂れた。
「う、イタタタ…。この調子じゃ、依頼をこなすのは勿論だけど、見つけるのだって厳しそうだよね…」
探索隊はフローラさんに依頼を振り分けられることもあるけど、基本的には個人で依頼を持ってくることになる。この前のはぐれダンジョンポケモン討伐は、探索隊に通報があったもので、特定のチーム宛てのものじゃないからフローラさんが僕らに振り分けた、ということなのだ。
そして、僕たちはすごく調子が悪い。果たして、駆け出しな上にコンディションもダメな僕たちに依頼を任せてくれるポケモンなんているのだろうか。
「…あ、あのー!」
途方に暮れていると、唐突に話しかけられた。
声をかけてきたのは、少し前に『花咲き平原』周辺の危険地区で出会った白いポケモン。たしか、名前は…
「ええと…そう言えばお互い名乗ってなかったね。僕は『スターリー』のリーダーをしてる、ヒトカゲのシナバー」
「私はピカチュウのレモン・ミムラスです。…私たちにご用ですか?」
「あ、私はロコンのアリス・ネモフィラです。先日はお世話になりました。…で、少しお願いがありまして」
白いポケモン…ロコンのアリスは、やや目をそらして遠慮がちに言った。
「その、よろしければ…『フェアリーハウス』まで案内していただけませんか?」
「ごめんなさい無理です」
「えっ即答!?」
真顔でスパッと切り捨てるレモン。こころなしか青ざめた顔の前で右手をパタパタと振り、拒絶の意思を示している。
アリスは驚きの声を上げる。そうだよね。そうなるよね。
レモンはすごく嫌そうにしてるけど…ちょっと町を案内してあげるだけだし、いいじゃないか。そんな心の声が聞こえたのか、レモンは僕に耳打ちするように言った。
「シナバー、聞いて。『フェアリーハウス』ってね、クロームが経営してるカフェなの。私、昨日の今日で親の顔見れない。ごめんだけど、ここは全力で断ろう」
「ああ、なるほど…」
確かに、昨日あんなことあったのに、クロームさんとは顔、会わせにくいよね。お互い気まずい感じになりそうだ。
とはいえ、相手は事情を知らない。ざっくりと切り捨てたら印象が悪くなるだけだと思うし、どうしたものか。
「ええと、すみません。『フェアリーハウス』が無理なら、その…。『パレット・パーラー』ってお店に、案内して欲しいのですが…」
レモンがあまりにも拒絶するからか、空気を読んで行き先を変えるアリス。なんかごめんね…。
「わ、わかった…って言っても、僕も知らないけど…良いよね、レモン?」
「う、うん。分かりました。じゃあ、案内させてもらいますね」
◆
うーん、どうしてこうなった?
「うおおーん!なんで、なんでだよぉ、リシャレットちゃん!」
「美味しい!店員さん、次はこっちの、モモンのコンポートパフェ下さい!」
『パレット・パーラー』。木の実がふんだんに使われたジュースやスイーツを提供してるカフェで、『フェアリーハウス』とは良きライバルであり同業者。アリスはそう嬉々として語っていた。
どうやら彼女、相当な方向音痴らしく、地図を見ても、道行くポケモンに尋ねても、カフェに着けず、困っていたらしい。で、一応知り合いである僕たちを見かけて、案内を頼んだのだとか。
このくらいの年頃の女子って、こーゆーものが好きなのかな?到着するなり、目をキラキラさせながら、幸せそうにスイーツを頬張るアリスを見て、僕はそう疑問に思った。
…で、なんかしれっと僕たちのテーブルに紛れこんできて泣きながらジュースをすすっているのは、昨日、『フレッシュフォレスト』で出会ったヤルキモノのエイトだ。
まるでこの世の終わりと言わんばかりに泣き叫ぶ彼は、当然ながら周りのポケモンの視線を集めているが、本ポケは一切気にせず嘆いている。気の毒だとは思うけど、少し落ち着こう?
「さ、レモンさんもこれ食べて、ね!美味しいですよ!」
「え、私たち、い、依頼を探してて…」
「ううぅ。聞いてくれよ、シナバー。俺に微笑みかけてくれたリシャレットちゃんは、もういないんだよぉ…!」
「聞いてるよ、エイト。だからその、声を小さくして…」
僕は、案内を終えてさあ依頼を探そうと切り替えた僕たちの意思を無視して、強引にテーブルに着かせた白い少女を恨めしげに見る。
ウキウキと楽しそうにしているのは良いけど、僕たちには探索隊としての仕事があるっていうのに…。
レモンも困ったようにこちらにアイコンタクトを送り、助けを求めてくる。けど、僕はエイトを宥めるのに精一杯。とてもじゃないが、手助けは出来ない。
「あの、アリスさん。私たち、そろそろ行かないと…」
「…でも、その」
「……アリス、っていったか?お前、何かコイツらに言いたいことでもあるんじゃないか?」
「いや急に冷静にならないでよ!?」
「……」
俯くアリスに、目を真っ赤に泣き腫らしたエイトが声をかける。スンっと泣き止んでアドバイスを贈るものだからびっくりした…。
アリスは、今までのやたら明るい振る舞いからは想像出来ないくらい真剣に悩みながら、ポツポツと喋りだした。
「その…迷惑だったよね、引き留めて。でも、心の準備というか、落ち着きたかったというか…上手く言えないけど。私さ…二匹にお願いしたい事があって、でも決心できなかったから…」
さっきの明るさは、緊張の裏返しだった。そう語り、彼女は顔を上げる。
「…助けてもらった時から、思ってたの。私、あなたたちと…友達に、なりたい」
「…勿論、いいよ」
「わ、私もだよ!」
アリスは、不安そうな表情から一変、驚きと喜びの混ざった顔を向ける。
「二匹とも…あ、ありがとう!」
「よかったな、アリス。…ところで、俺も含まれるよな?友達に」
「勿論、なってくれるなら!」
嬉しげなアリスを見て、ほっこりとする僕たち。…友達の作り方って、難しいよね。
…さて、喜んでるところ悪いけど、そろそろおいとまするとしよう。そう思って、席を立つ。
「それじゃあ、アリス。何か困ったら、是非僕たちを頼ってね」
「またね、アリス」
「うん。二匹とも、依頼頑張って!」
笑顔で見送られ、僕らはパレット・パーラーを後にした。
…まあ、依頼の当てがないから、依頼探しから始めるんだけど。
◆
「なあ。本当に、友達になるだけで良かったのか?」
「あー、バレてた?」
ぎくり。そんな効果音がピッタリなくらい、ぎこちない動きで、私はエイトを見る。
彼、すごく観察眼が鋭いよね。なんか女の子に騙されたらしいけど。恋は盲目って言うし、こんな彼でも見抜けなかったのかな、その子の真意。
「本当は、チームに入れて欲しいとか、思ってたんじゃねえのか?」
「全部バレてるー!?…うん、そうだよ。私、探索隊に入りたくて、この町に来たんだもん」
「じゃあなんでそう言わなかったんだ?」
「…」
そう。彼の言う通りなんだよね。何も言い返せないよ。
わざわざこのカラータウンに来たのは、探索隊に入るため。チームを組むことなんて考えずに無計画で来ちゃったことに気づいたのは、町に着いてからだった。
見知らぬポケモンとチームを組もうなんて考えるポケモンはまずいない。どうしよう、と困り果ててた。
…そこで、私は思いついた。今あるチームに、仲間に入れて貰おうと。そして今日、それを実行しようとして、出来なかった。勇気が、なかった。
「あー、ポケ生、上手くいかないねぇー」
「だよなぁ。…あ、そういえば」
がくっと机に顎を乗せ、そう叫ぶ。と、エイトは何か思い出したように言った。
「なんか、探索隊なのにチームを持ってない奴がいるらしいぜ?」
「ん?プラチナランク以上なら、そりゃチーム組む必要ないじゃん。単独で任務行けるし」
「いや、噂によるとそいつ、まだスーパーランクらしいぜ?」
「え、そうなの?」
探索隊の隊員には各自、ランクがあって、プラチナランクからは一匹で探索に向かえるから、わざわざチームを組まないけど…スーパーランク?もしかして、相方に何かあったのかな?
「じゃあ、今何してるのかな、その隊員」
「さあ?裏方業務やってんじゃね?」
「それ人材不足深刻過ぎない?今って『マラカイト』が遠征行ってるから、実際に動けるチームがだいぶ限られてるよね?」
「まあ、あと一週間もあれば帰って来るらしいし…」
パフェを口に運びながら、そんな風に探索隊について語りあう。
…やっぱり、私も探索隊に入りたいなあ。改めて、そう実感する。
絶対諦めるもんか!なんか上手いことやって、絶対に隊員になるぞ!憧れは止められないんだ!
一層決意を強めながら、私はモモンを飲み込んだ。