第六話 きのみ拾いをしよう
「新米の僕らを知ってるなんて、よっぽどの情報通なのかな、依頼主のクロームさんは」
朝会の際にフローラさんから渡された薄茶色を帯びた紙を見ながら、僕はレモンに声をかけた。この紙には依頼が書かれていて、その内容を確認しているところなのだ。
ここ数日でレモンに猛特訓してもらったおかげである程度、この世界の文字は読めるようになったんだ。…自分で書くのは、まだハードルが高いけど…。
探索隊に届く依頼の中には、特定のチームに宛てたものもある。例えば、こおりタイプのダンジョンポケモンが多いダンジョンを冒険したいから、ほのおタイプのポケモンが所属するチーム宛てに依頼を出したり、という風に。
…隣を歩くレモンが、ほとんど何も喋らないことを気掛かりに感じつつ、僕は歩く。
けど、流石に気になって、話しかけた。
「レモン、どうしたの?体調でも悪い?」
「………。え?あ、ううん。全然元気!」
上の空…というか、何か別のことでも考えてたのか、レモンは少ししてから、僕の質問に気づいた。そして、取り繕うように答える。…すごく心配だ。
今日の依頼は『フレッシュフォレスト』というダンジョンでのきのみ集め。敵もそんなに強くないし、僕が相性の良い相手が多いから、そんなに難しくはないと思うけど…この調子で、大丈夫かなぁ。
◆
『フレッシュフォレスト』とは名前の通り、森林のダンジョンだ。
ダンジョン内に落ちてるアイテムのほとんどがきのみなことに疑問を抱いて、そのことをレモンに尋ねてみると、どうやらここは、美味しいきのみが沢山あることで有名なダンジョンらしい。なので、それを目当てにやってくる町のポケモンも多いらしい。
…と、噂をすれば。
「あれ?探索隊の方ですか?」
ばったりとポケモンと鉢合わせ、思わず身構えそうになる。でも、言葉の通じる相手だと気づいて、ホッと胸を撫で下ろした。ダンジョン内では一瞬の気の緩みが命取りになるからね…。
僕らが出会ったのは、白い毛に覆われていて、頭の赤い毛が特徴の二足歩行のポケモン。たしか、ヤルキモノ、だったかな。
この前、町で見かけた気がするけど…。もしかして、彼もきのみ拾いに来たのかな?
「僕らは依頼できのみ集めをしてるんだ。君も同じかい?」
「あ、おれは…」
「エイトくん!置いていかないでよ!」
ヤルキモノのエイトの名前を呼んだのは、綺麗な桜色と白色のポケモンだった。長い耳に青い瞳、すらっとした足。そしてリボンが巻き付いたような姿をしている。初めて見る種族だ。
そのポケモンは僕らを見て、首を傾げる。
「この方たちは?エイトの友達?」
「探索隊って組織のメンバーだよ。リシャレットちゃんはトゥインクルシティから来たから知らないかもだけど、この町は探索隊基地…またの名を、探索隊本部があるんだ」
「タンサクタイ?不思議な響きね」
不思議そうな顔をするリシャレットさん。トゥインクルシティ…『星の大陸』の南部にある、首都だっけ。大都会の出身なのか…。
ところで…探索隊本部ってことは、支部とかもあるのかな?…改めて考えなくても、僕はこの組織のこと、全然知らないんだよね…。
僕の隣に立つレモンは初対面相手に少し緊張気味なようだ。
「あの…リシャレットさんって、ニンフィア…って種族ですか?」
さっきまでダンマリを決め込んでいたレモンは、恐る恐る、といった様子で尋ねた。
すると、リシャレットさんはニッコリと微笑んで肯定した。
「私、本物初めて見ました…。あ、私はレモンっていいます。こっちはシナバー。チームメイトなんです」
「ピカチュウとヒトカゲ…どっちも、珍しい種族だね」
僕にも、レモンが臆病ながらも頑張って会話しているのが伝わる。なんだか、ここがダンジョン内であることを忘れそうなくらい、平和なやり取りだ。
「そうだ、エイト」
「ん?なんだい、リシャレットちゃん?」
「これからはこのふたりと一緒に行動しない?その方が安全だと思うの」
「なるほど!なあ、おまえたち、一緒に行っていいか?」
リシャレットさんが提案する。たしかに、このまま二匹と別れて、後で大変なことに巻き込まれたりしたら困るし、仲間が多いに越したことはない。
「もちろんだよ。よろしくね」
むしろ断る理由がないだろう。そう思い、僕はその提案を受け入れた。
◆
リシャレットさんたちも、きのみ拾い…というよりも、ダンジョンの探検を目的としてやってきたそうだ。エイトいわく、『森デート』らしい。
…まぁ、話を聞く限り、付き合ってる訳じゃなくて、リシャレットさんが『フレッシュフォレスト』に行くと聞いて、一緒に着いてきただけみたいだけど。これから進展させるからどうでもいいんだよ、とのこと。
「『ムーンフォース』!」
リシャレットさんは、月のような神秘的な気配を感じる光の球を敵へぶつけ、薙ぎ払う。
どうやらリシャレットさん、かなりの実力者らしい。民間ポケモンを危険に晒すまいと気合いを入れつつ、提案を飲んだはずなのに…。こちらの依頼遂行を手助けされているような気がする。
「もうすぐで最終フロアかな?エイト」
「そうだな。この階段を通過すれば…」
サアッと風が通り抜ける。それは、ここが開けた場所であることを意味した。
そこは、木々が両脇へ寄っていて、広場のような空間が出来ていた。その部屋から外へ続く通路はない…完全な行き止まり。と、いうことは…
「ここが、『フレッシュフォレスト』の最奥部なのね」
爽やかな風が吹く、緑溢れる森の広場。獰猛なダンジョンポケモンが跋扈するダンジョンの一部であることが信じられない。
「…それじゃ、帰ろう。エイト、リシャレットさん。僕らの探索隊バッジで町へ送りますよ」
「おお、そうか。じゃ、お言葉に甘えよう。なあ、リシャレットちゃん」
そう言って彼女の方を振り返るエイト。その視線の先にいるリシャレットさんは、ふらふらと、広場の奥へと向かっていった。
どうしたんだろう。この先はないのに。
不審に思い、エイトが近づこうとして……彼女は、口を開いた。
「ねえ、視える?アレ」
「どうした?何もないと思うが…」
首を傾げながら、エイトは聞き返す。リシャレットさんが示したのは広場の奥の方の、何もない虚空だった。
「お前じゃねぇ」
妙なことを口走るリシャレットさんに、帰宅を促そうとするエイト。そんな彼に向けられた言葉は、少女の使う口調では発せられなかった。
くるりと向き直り、驚く彼を無視して『スターリー』を見つめる青い瞳。それは、美しいはずなのに__どこか澱んでいて、不安を煽られるような感じがする。
ニッ、と口角が吊り上がる。ぞっと、背筋を冷たいものでなぞられるような感覚。
ゆっくりと、言葉が綴られる。
「やっぱりな。その表情。お前が、生き残りか」
「リシャレット…ちゃん?」
驚き、固まったまま、エイトが言う。その言葉を耳にして、心底不愉快そうに、リシャレットは鼻をならす。
「フン。どいつもこいつも、同じ反応を…。だがまぁ、悪くない。……ああ、お前がさっきまで女だと思ってた相手は男さ。うわべだけでも良くすりゃ、お前みたいな馬鹿が釣れる。暇潰し程度に遊んでやったのさ」
「なんて…ひどい、ことを…」
嘲るようにリシャレット…少女だと思っていた男が、笑う。
レモンは、震える声で呟く。声に込められたものは怒り…ではなく、恐怖だ。
それを理解しているのか、リシャレットは彼女に言う。
「臆病で怖がりだなぁ。ああ、だからあの時、生き残ったのか」
「…っ!」
それを聞くと、彼女はびくり、と肩を震わす。僕は、レモンを背後に庇うように立ち、問いかける。
「リシャレット。色々聞きたいことがあるけど、とにかく…エイトに、謝って」
彼の気持ちを弄んで。軽んじて。その謝罪は、必要なはずだろう。
「はあ?コイツに?…ケッ、謝るワケねーだろーが!」
「ぐっ!?」
リシャレットはエイトにリボン状の触手を絡ませると、僕らの方へ思い切り投げた。ゴス、と地面に衝突する鈍い音がして、砂埃が舞う。
「な、何をするんだ、お前!」
「赤の他人のために怒ってる場合か?次はお前らが標的だぜ?」
そう言って、リシャレットはぶわり、と強風を巻き起こす。その風は木々をざわめかせ、草花を引き裂く。
強すぎるWようせいのかぜWで、立つことすら危うくなった僕らへ、容赦なく、眩い光が降り注ぐ。
「WマジカルシャインW!」
「っ…視界が…」
明るすぎる光が目に入り、たまらず目を閉じる。
もちろん、そんな隙だらけの僕らを見逃すほど、彼は甘くない。
「バトルの最中に目を閉じるたぁ、随分余裕があるじゃねぇか!WムーンフォースW!」
「う、W10まんボルトW!」
淡く桃色の光を放つ球が生成され、僕らへ向かってくる。レモンがそれを相殺しようと、彼女が使える中で最も火力のある技を撃つが…強烈な光を直視したダメージが回復していないためか、電撃はデタラメな方向へ飛んでいく。
ボウッ!
玉が弾ける。避ける術などなく、僕たちは爆風によって地面に叩きつけられてしまう。
「ぐっ…」
「うわ、よえー。そんなんで探索隊なんて出来るのかよ。ちょっとは抵抗してみせろよ」
まあ、いいか。そんな言葉が聞こえた気がした。
ゆっくりと起きあがる。風は止んでいるが、目の奥がチカチカとするような感覚がこびり付いている。
「まだやんのか?」
呆れたような顔で彼は言う。もう諦めた方が良い。こう、暗に言っている。
だからといって、諦めるか。彼は、エイトやレモンを傷つけた、お尋ね者だ。放っておいてはいけない。
「ああ、その目。見てるとイライラすんだよなぁ。…さっさと片付けてやるよ。感謝しな!」
桃色が駆ける。WでんこうせっかWで詰め寄り、僕の右肩へWかみつくW。
「くっ」
痛みに怯んだところへ、立て続けに攻撃しようとした彼。だが、彼の体は動かない。
「麻痺…。WでんじはWか!」
「油断したね。私だっているんだよ!」
僕に気を取られ、レモンへの注意を疎かにした結果、リシャレットは麻痺状態になった。素早さを下げられるけど、実力差はまだ縮まらない。
リシャレットはまたWようせいのかぜWを起こし、僕たちから距離をとる。遠距離攻撃なら、素早さを下げられようと関係がない。
「お前…俺と戦う気かよ。さっきで分かっただろ。お前たちじゃ勝てねぇってことが!」
苛立たしそうに、彼が言う。怯みそうになる己を奮い立たせ、レモンが叫ぶ。
「分かってる!そんなの自分自身が、一番理解してる!でも、逃げたらダメなの。もう、繰り返したくないの!」
レモンの過去に何があったかは分からない。でも、彼女は立ち向かうと決めた。それなら、僕だって一緒に行く。
敵わないとしても、諦めてたまるか。リシャレットへ近距離戦を仕掛けようと、僕は走りだす。リシャレットはWようせいのかぜWを力任せに強める。暴風と大差ないそれに抗いながら、駆ける。
「WムーンフォースW!」
「W10まんボルトW!」
進行を妨げようと放たれた球を、レモンの閃光が裂く。
傷だらけで、気力だけで動いているような体に鞭を打つ。
__彼を、捕らえないといけない。自分の中で、誰かが囁くような。強い使命感に背を押されるように。
もう少しで間合いに入る、というところでそれは起きた。
「はーい、そこまでだよー」
やや呑気そうな声が飛び込む。と同時に、足元にひょこっと草が生え、輪を作るように結ぶ。僕は足をとられ、転んでしまう。
ズガガガッ
うわっ、と声を上げる僕を囲むように、岩の柱が地面から生える。僕を中心に円を描くように天へと岩が伸びるさまは、まるで檻のようだ、と思った。
◆
一瞬の内に、シナバーは岩の檻に閉じこめられてしまった。何がどうなっているのかさっぱり分からない。
ひょっとして、新しいお尋ね者…?こっちはエイトさんという民間ポケモンがいるのだ。また敵が増えたりしたら、守りきれる自信がない。
不安に思いつつ、周りへ警戒する。先ほどの声の主は、一体……。
「チッ…あいつ、邪魔しやがって」
「やり過ぎだよー、リシャレット!無関係な子を巻き込んじゃダメ!」
リシャレットさんの側に、音もなく現れたポケモンがいた。多分、彼?が、シナバーを閉じ込めたのだろう。
リシャレットさんは謎のポケモンと何か会話している…けど、ここからじゃ全然聞こえない。
しばらくすると、リシャレットさんは不満そうな顔をして、私を一度睨んでから、何処かへ去ってしまった。…助かった、の…?
「こんにちは、生き残りちゃん!」
「ひっ!」
いきなり背後から明るい声が聞こえて、驚きのあまり悲鳴をあげる。振り向くと、さっきのポケモンがニコニコと笑顔で立っていた。
「ゴメンね。リシャレット、結構容赦ないからね。無関係な子を巻き込んじゃった」
そう言いながら、少し離れた場所で倒れているエイトを視線で示した。
「あの…あなた、シナバーをどうする気なんですか」
「んー?ちょっとお話しするだけだよ?」
そう言って彼は姿を消す。確かにさっきまでいたのに、霞のように、嘘のように、あっという間にいなくなったのだ。
「シナバー…」
「うぉーい、レモンちゃんよー。簡単にで良いから、おれ、手当てしてくんねー?」
土で汚れた毛を気にしてパッパッと手で払いながら、むくりと起き上がるエイトさん。私はその言葉にハッと我に返る。
エイトさんは探索隊ではない。隊員より一般ポケモンを優先して動かなきゃ。
小走りで駆け寄り、バッグを漁る。
地面に叩き付けられたときに、草で切ってしまったのかな。細かい切り傷がたくさんある。まずはそれを消毒して………
◆
「なんだこれ……誰がやったんだ?」
僕は堅牢な檻の中で、丸く切り取られた空を見上げて呟いた。
体力は殆どなく、押し寄せた疲労のせいですでに立てない。岩にもたれかかる姿勢で、この檻を作った者の意図が読めず、首を傾げていた。
それにしても、静かだ。僕は、いきなり豹変して敵意を顕に、僕らに襲いかかってきたリシャレットと戦っていた。戦闘の真っ最中だったけど、今は至って静かだ。
レモンは、エイトは。どうしているのか。それが気がかりだった。
「こーんにーちはー!」
「うわあっ!?」
突然、大声と共にそれは現れた。
岩の柱が落とす影から、にゅっという効果音を出しそうな感じで、一匹のポケモンが出てきたのだ。
真っ黒な体は所々が風に吹かれる木々のように揺れていて、人型に近いポケモンだ。
ニコニコと笑顔を貼り付けたような表情が、酷く恐ろしく感じた。
そんな謎のポケモンは、ジリジリと後退りする僕に言う。
「まるでオバケでも見たような反応だねー。とにかく、はじめまして!いや、久しぶり?どっちか知らないけど、よろしくね!」
「よ、よろしくって…」
こんな状況でそんな能天気なことを言う彼の考えはよく分からない。油断させるつもりか、敵対の意志がないのか。
「リシャレットが巻き込んでゴメンね、無関係な子!ボクらにとって重要なの、あのピカチュウの子だけだから。キミ、今回みたいな事に巻き込まれたくないなら、あの子から離れた方が良いよ?」
「は、い…?お前、リシャレットの仲間、なのか?」
そうだよ!と元気よく答える黒いポケモン。
彼らは、レモンを狙ってる…?生き残りだとかなんだとか言ってたけど、どういうことなのか…。謎が増えるばかりだ。
それに、レモンから離れた方が良いって、また、レモンを狙うつもりなのか。
「…断る。まだ会って間もないし、良く知らないけど。レモンは僕のパートナーだ。お前たちの言う通りにはしないよ」
「………」
笑顔をくっつけていた相手の表情が初めて変わる。橙の瞳を見開き、驚きを隠さない。
やがて彼はふふふ…と笑いだした。
「な、何がおかしいんだ」
「ふふふふふ。面白いね、キミ!保身のために走らないんだもん。いいよ、気に入った!きっとキミなら終わらせてくれる!」
そう楽しそうに笑う。僕にとっては良く分からないことを言っているし、どことなく、不気味な雰囲気だ。
身構える僕を放って、彼は呟く。
「ジェナフィ…キミは彼にそっくりだよ」
そして、スッと先程の笑顔に切り替わる。適当に切り貼りしたような表情。
「それじゃあ、また今度!次会ったらバトルしようね!」
「え、ま、待てよ!」
たんたんっと黒が二度、足で地を叩く。ゴトッと音を立てて、堅牢な岩の檻が崩れる。残骸は散ることなく、森の穏やかな風に乗って砂のように儚く消えた。まるで、夢だったとでも言うかのように。
そして、気がつくと、謎のポケモンの姿はそこにはなかった。
「あ、レモン!無事だったのか!」
エイトとレモンが無事__傷だらけなのを無事と呼んでいいかは微妙だけど__なのを見て一安心。するはいいけど、僕の脚はすでに動くことを全力で拒否している。帰りが思いやられるな…。
◆
「くっそ、あいつが割り込まなければ…」
リボンに似たものを揺らして、不機嫌さを隠そうともせずに林道を歩くニンフィアが一匹。
漆黒のポケモンの静止によって戦闘を中断させられた者…リシャレットだ。
彼は忌々しそうに、恨めしそうに呟く。
「…あの時、ピカチュウ…レモンだけは、俺の言葉の指すものを理解していた。きっと、あの日の…」
桃色の紡ぐ不穏な言葉は、日没が迫る橙色の空へ溶けていった。