第十話 雨雲の下で
ザァザァ ザァザァ
灰色の雲が重たそうに空に浮かんでいる。それらから、冷たい雨が絶えず降り注ぐ。それこそがここ、『雨神湿原』の特徴だ。
雨は止むことを知らず、住まう者も青空を知らず。そんな歪んだ、ある意味で美しい場所である。
そんな雨神湿原にて、一つの影があった。
赤と灰で構成された鋼のポケモン。ソレを簡単に表現するならば、これが一番手っ取り早いだろう。
ソレは、雨に濡れることも構わず、佇んでいた。
「…やはり、ここもか…」
何かをじっと観察していたかと思えば、ふっとため息を吐き、そう呟いた。その言葉は、だんだん激しくなってきた雨音によってかき消される。呟いた本ポケの耳に届いたかすら、定かではない。
「よお。相変わらずしけた顔してんなぁ」
鋼のポケモンが木陰にでも行こうとしたそのとき、背後から声が飛んできた。
可愛らしい容姿には似つかわしくない…もはや、チンピラなどの類いに近い口調で、桃色のポケモンが鋼のポケモンに声をかけたのだ。
「…何をしに来た。ここに用はないと思うが」
「いやー、アイツのせいでむしゃくしゃしてるからな。お前を冷やかしに来た」
そう言いつつ、空を見上げる。大きな瞳に容赦なく大粒の雫が落ち、堪らず下を向く。
「うげぇ。陰気な場所だな。お前にお似合いだぜ」
その言葉を完璧にスルーして、鋼のポケモンは近くの木陰へ入った。…もっとも、こんな豪雨を木の葉で防ぐなんて無茶な話だが。
「俺はさっさとこんな場所出てくぜ。忙しい中わざわざ来てやったんだぞ」
そう言うなり、桃色は去っていった。何をしにきたんだアイツ、と心の中で思いながら、雨が少しでも弱まる事を待つ。
…雨が弱まったら、もう少しだけ、調査しよう。
バシバシと、葉が枝と離れ離れになってもおかしくないくらい、大きな雨音が響く。
その音を聞きながら、鋼のポケモンは考えていた。
___誰よりも憎い、彼のことを。
◆
トコトコと町を歩き、ある店の前で、僕らは足を止める。
緑と黄の、ポケモンを模したテント。その正面に、木製のカウンターがちょんと置かれた店。テントの奥をちょっとだけ覗いてみると、カゴの中に詰められた大量のきのみやら丁寧に折りたたまれたスカーフやらが所狭しと並べられている。
カクレオン商店。緑のごく普通のカクレオンと、紫のちょつと変わったカクレオンが経営する店で、主にダンジョン攻略に必要なアイテムを取り扱っている。
その店の店主である緑のカクレオンは、僕らを見ると、おおー!と声を上げる。
「『スターリー』のおふたりじゃありませんか!あの、よろしければ依頼…というほどのものじゃありませんが、引き受けてくれませんか?」
「僕らに依頼…?良いですけど…」
僕らで良いのなら、是非とも受けさせてほしい。他のメンバーの役に立つために、実践経験を積むために。
「どんな依頼なの?」
「それが…ワタシたち、自分たちの足でダンジョンに行って、商品を仕入れるじゃないですか。それで先日、『雨神湿原』(うがみしつげん)に行ってきたんですよ」
やや困った顔で、緑のカクレオンが語り出す。
…サラッとすごいこと言ってるな…。自力で商品仕入れるとか…。でも店主って、泥棒とかに対抗しなきゃいけないし、彼みたいにかなり戦える必要があるのかも?
「それで、『雨神湿原』から帰ってきたと思ったら、忘れ物に気づいてしまって…気づいたのは町へ戻った後でしたし、店をまた空けるのは町の方々や相方に迷惑がかかる…と、いうことで、忘れ物を拾いに行って欲しいのです」
「そっか。シナバー、引き受けよう!」
「もちろんだよ」
レモンは確認するように言った。当然、その依頼を受ける。
「絶対に見つけてくるから、安心してね!」
「ありがとうございます」
その後、忘れ物の特徴を確認して、道具の調達__むしろ、これが本来の目的だった__を終え、僕らは『雨神湿原』へ向かった。
◆
「『雨神湿原』は、いつも雨が降っている大きな湿原だよ。難易度はそんなに高くなくて、近くには集落もあるの」
「ダンジョンの近くに?危なくないの?」
「集落の長のミナヅキが、定期的にダンジョン内をまわって強力なポケモンを倒してるの。集落では孤児院もやってる、とっても優しいポケモンで、ついた異名は『湿原の管理者』!」
『雨神湿原』…。名前の通り、いつも雨ってことは、みずタイプのポケモンがたくさんいるのかな…。
それにしても、『湿原の管理者』、かぁ。レモンによると、オニシズクモっていう種族で、たった一匹で広大な湿原のダンジョンを管理してるらしい。よっぽどの手練れなのかなぁ。
しばらく歩くと、ポツリ、と頬に何か冷たいものが落ちた。ポツポツ、ポツポツ、と、その数は段々と増えていった。
それを拭うと、指先に付いた水滴が。
「…雨」
「そう。不思議のダンジョン…『雨神湿原』の影響だよ」
ダンジョン内の気候が周囲に影響を与えることはない、と言われている。けれど、実際にその現象が起きている…?
「『雨神湿原』は、元はただの湿原だったけど、その一部がダンジョン化した…って、言われてるらしいの。…詳しくは、よく分からないけど」
ぼかすように、レモンが言う。曖昧な言葉を並べて、やや困ったような表情をつくる。
雨…。なんか、僕ってよく、自分の苦手な環境で依頼をこなしがちだな。潮騒の横穴といい、今回といい。
まあ、そんなことを考えていても仕方がない。切り替えていこう。
「さて、とにかく行こう、レモン」
◆
「W10まんボルトW!」
ぐぎゃあ!と悲鳴を上げて、ハスボーが倒れ込む。大きな葉に隠れて顔は見えないけど、多分倒せていて、伸びきっているのだろう。
…雨神湿原。やはり、ここはみずタイプやじめんタイプが多く生息するダンジョンのようだ。湿度が高い場所を好むポケモンたちがたくさんいる。
ハスボーの横を通り抜け、僕は階段を降りる。依頼された物の落ちているフロアはB7階。この階段を降りた先はB7階なので、もうすぐで着く。
ゆっくり歩いていくと、より一層、周囲の気温が下がったのが分かった。さらに、白いモヤが薄っすらと、僕らの視界を阻みつつある。
ぬかるんだ地面に密着した足の気持ち悪さを振り払うように、僕らは自然と早足で進み始めた。…もちろん、辺りを警戒しながら。
「レモン、このフロアで合ってる?」
「うん。この辺に、落とし物があるはず」
短い会話を交わしつつ、僕はキョロキョロと見回してみる。けど、どうやらここには無いみたいだ。
「もう少し奥に行ってみよう」
「そうだね、シナバー」
そして、僕たちはやたら長い通路を通り抜けて、少し広めの部屋に出た。周りが深い水溜まりに囲まれていて、孤島みたいに見える場所。
そこの中央に、ポツンと落ちているのは、このダンジョンには場違いな1つの包み。
「あ、あれが依頼の!」
「よーし、これを持ち帰れば依頼達成!」
自分の苦手な、このジメジメした環境から早く抜けたいあまり、僕は落とし物に、てててっと駆け寄る。間違いない、カクレオン(緑)が言っていた落とし物だ。
ほっとして拾い上げ、バッグに詰め込んで、探索隊バッジを手に取る。
…丁度、その瞬間に。
「…危ないっ!」
そんな叫びと、激流と、電撃のぶつかる音。一瞬後に爆風。さらに2秒ほど遅れて、「えっ?」とこぼしながら振り向く僕の視界に映ったのは…。
巨大な水泡を被った蜘蛛型のポケモンに、複数ある脚のうちの2本で蹴飛ばされる、パートナーの姿だった。
◆
「つっ…!」
それは、突然姿を現した。
『湿原の管理者』、オニシズクモのミナヅキ。彼は水中から飛び出した瞬間、シナバーへ向けて大量の水をぶつけようとした。かけようとした、じゃない。あれはどう見てもぶつけてる。それぐらい多量の水を発射して、攻撃しようとした。
だから私は咄嗟に、WでんきショックWを撃った。もっと威力のあるW10まんボルトWの方が勢いを殺せたと思うけど、集中を高める必要があるあの技は、咄嗟の場面ではまだ使えない。おかげで、発射された水は弾け、モヤを濃くしながら大粒の雨粒になって消え、シナバーに大ダメージ!とはいかなかった。
なのでミナヅキは、私を邪魔者と認定して殴りかかって来た…と、いうこと。
いや、いやいやいや。なんでミナヅキが私たち探索隊を攻撃してるの!?
混乱する私をよそに、ミナヅキは吹っ飛ばされた私へ近づき、追撃のパンチ_いや、キックかもしれない_を加えるためにサッと構える。
流石に、打たれ弱い私はこれ以上の被弾は避けたい。右脚2本がこちらへ突っ込んでくるのを視認してから、条件反射で右手を勢いよく左半身にぶつけるようにして身体を転がし、攻撃を避ける。さらに、ミナヅキの右半身側を駆け抜けがてら、WでんじはWを送る。脚の攻撃の間合いから逃れようとした私に向けて放たれたであろうWバブルこうせんWが、出鱈目な軌道を描いて飛び去る。
「レモン!」
心配そうなパートナーの声。見れば、彼は負傷してはいないみたい。よかった、と心の中で呟く。
「彼は…?」
「ミナヅキ。この湿原の管理者とも呼ばれる、強力なポケモン…」
「…!な、なんで僕たちを攻撃するんだ…」
「分かんない。でも、分かることは…」
ミナヅキが身体の痺れに苛まれながら、こちらを睨む。
彼の、強者特有の威圧感に晒されながらも、私は努めて冷静に、今最も必要なことを口に出す。
「…私たちは、彼に勝ってここを出なくちゃいけない…!」