第五話 方向音痴と放浪者
目の前に広がるのは赤、橙、桃、黄、と色とりどりの花々咲き誇る花畑。風が甘い香りを運び、遠くから鳥ポケモンの囀りが聞こえる。
まるで絵画のような美しい風景を前にして、私は困惑していた。
四足歩行のポケモン用に改良されたバッグから、一枚の紙を取り出す。紙面には、今、私が踏み締めている大地…『星の大陸』の地図が描かれている。色褪せてはいるけれど、位置も方角も完璧。決して安物ではない、ちょっとお高い地図。それをじっと見つめる。
顔を上げる。目の前にあるのは花、花、花…。そして。
「…崖」
断崖絶壁とはまさにこれを表現する為にある、と言っても過言ではないほど、切り立った崖。鮮やかな花と不釣り合いなそれが、花畑に突き出すような形で存在した。
もう一度、見回す。視界のずっと端に青々とした森がある。目の前に崖がある。他は花ばかり。
再び、地図と睨めっこ。最近悪い意味で話題だったりそうでもなかったりするアレを迂回するルートを前足でなぞる。
次に、現在地を探す。現在地、現在地…。
…よし。
「うわー!道に迷ったー!」
目印となるものはない。そうでなくても、何となく、ここから本来のルートに戻るのは絶望的であると勘づいていた。
目的地まであと少しな筈、だけどこれから進むべき道が分からず、私は途方に暮れる。
「スピスピーッ!」
「うわっ!?」
右手側から、虫のような羽音と何かの鳴き声が近づいてきて、我に返る。
…と、最悪なことに。ここは、彼ら…スピアーの、ナワバリだったらしい。
勝手に立ち入った無礼者を許すほど、彼ら…はぐれダンジョンポケモンたちは寛大ではなくて。
ヒュウッ、と風を切る音。左頬から何かが垂れるような感覚。そっと手を添えると、真っ白な毛を、真っ赤な血が伝っていた。
攻撃された。それは彼らの敵対を意味した。
「…あ」
小さく声を上げる。誰一人として、それを聞く者は居なくとも。
相手はスピアー。防御面こそ脆いが、素早さと攻撃力はかなりある種族だ。しかも、数が多い。少なく見積もっても、7、8匹はいるだろう。戦いとは基本的に数の暴力だ。未進化で能力も低く、戦闘回数もほとんどない私が勝てるような相手じゃない。
私の想像以上に、結論が出るのは早かった。
くるりと背を向けて、ダッ、と走り出す。がむしゃらに、どこへ向かっているのか、なんて考えない。駆けていった先に、もっと危険なものがあるかもしれないなんて、考えない。
…その判断が、正しかったのかは、わからない。
◆
「はぐれダンジョンポケモン?」
チーム『スターリー』として活動を始めて三日ほど経ったある日の朝礼で、知らないワードに、僕は首を傾げた。
「はい。ダンジョンから外へ出たダンジョンポケモンのことです」
「な、なんで外へ…?」
「様々な原因がありますが…主に、ダンジョン内でナワバリ争いに負けた弱いポケモンが外へ出てくるんです。通報があり次第、対処するのも探索隊の仕事です」
フローラさんは分かりやすく説明してくれた。
なるほど…。ダンジョン内もシビアなのか…。
僕はこの世界での常識をよく知らない。だからこういった場面で話を遮りがちで、少し申し訳ない。けど、探索隊の皆にも僕の事情は話しておいたので、理解はしてもらってる…はず。
その後も、淡々と朝礼は進み、僕らは各自行動となった。
ちなみに、はぐれダンジョンポケモンが出現する可能性の高い場所は危険地区と呼ばれていて、立ち入り禁止にされてるらしい。
この世界についてまた一つ知り、僕は依頼へ向かった。
今日の僕らの仕事はまさにそのはぐれダンジョンポケモンの討伐だ。緊張し過ぎないよう、気を緩めないように行こう。
◆
「はあ、はあ…」
全力疾走でスピアーたちは撒けたらしく、私は背の低い木の下で荒い呼吸を整えていた。
「痛っ」
頬の痛みに顔を歪める。放っておく訳にもいかないし、止血をしようとバッグから医療品を取り出そうとして…。私は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
「お、落としてきちゃった…?」
バッグの中から地図を取り出し、バッグの口の部分が空いた状態で全力疾走。そりゃあ、何かしら物を落とすだろうけど、ピンポイント過ぎる…。
止血に使える物がないなら尚更、早く町まで行かなくては。そう思って立ち上がる。
「ん?…これ、壁?」
私の視界に入ったのは、薄い緑の壁。盛られた土の上に草が生えてるみたいだけど…。今までいたところと、雰囲気が違う。
…ひとまず、歩いてみよう。
◆
私が居た場所は壁で区切られた小部屋のような場所。そこを出ると細い通路。さらにその奥にも小部屋があり、そこにはきらりと光る丸い形のお金…ポケと、青い手のひらサイズのオレンのみが落ちている。そしてその部屋にはやっぱり通路が、今度は二つ伸びている。
そこまで把握して、私は自分が置かれた状況を理解した。
「ここ…不思議のダンジョンじゃん…」
気がつかないうちに、迂回しようとしていたソレに足を踏み入れていた。なんて悪夢だ。
「…さて、どうしよ?」
私は不思議のダンジョンに向かうことは想定していない。ダンジョン攻略に必要なアイテムなんて持ってないし、何とか脱出するしかない。自力で。
「負けない…こんなとこでへこたれたりしない!」
とは言ったが、やはり無謀だった。
私は今、チェリムという、桜の蕾みたいなポケモンに追われている。
数は4匹。スピアーたちより少ないし、彼らと同じくらい強いのかも分からない。頑張れば勝てるかもしれない…なんて思ったらいけない。不思議のダンジョンには所々にワナがあったりもするし、相手が道具を使ってくるかもしれないのだ。
なので、私は逃げている。逃げまくっている。
「ううっ、ナワバリに入ってごめんってばー!」
それでもチェリムたちは追うのをやめない。執拗に追いかけ回してくる。
「わ、行き止まり!?」
飛び込んだ小部屋は入ってきた場所以外に通路がなく、行き止まりになっていた。
振り向けば、鬼の形相…かは、表情が見えないから分からないけど、いかにも怒ってそうなチェリムたちが雪崩のように部屋へ入ってくる。
…一か八か、やるしかないのかな。
「チェリリー!」
一匹が大声で鳴くと、空に浮かんでいた雲が太陽に道を譲るかのようにサッとなくなっていく。そして、太陽から降り注ぐ光が、心なしか強まった気がする。
「WにほんばれW…嫌な技だね」
相手の使った技は天候を変える変化技。WにほんばれWはその名の通り、雲一つない、日差しの強い天候にしてしまう。…こおりタイプの私にとっては、とても嫌な天気だ。
そして、チェリムはちょっと変わったポケモン。普段は桜の蕾のような姿だけど、日差しが強いときは…。
「チェーリー!」
蕾が花開き、満開の桜のような姿になる。
…ああ、相手が圧倒的に有利だね、これ。
「チェリッ!」
二匹のチェリムが突然花びらを散らしながら、優雅にまいながら突撃してきた。
「WはなびらのまいW…流石に直撃はさけなきゃ。WまもるW!」
あわてて、前方に淡く緑に輝く障壁を展開する。決して分厚くはない壁が、チェリムたちの攻撃を完全に塞ぎきる。
「続けてWこごえるかぜW!」
チェリム全員にひんやりとした冷気を当てる。威力は低いけどくさタイプにこおりタイプの技は効果的だし、寒さで相手の素早さを下げられる。
「…っ!」
「チェチェリ!」
頬の痛みで動きが鈍ったところを狙って、WやどりぎのタネWを撃たれてしまった。
種は蔓を伸ばし、私の体に絡みつく。動きを阻害する上に少しずつ体力を吸収し、更に成長していく、やっかいなものを植えられてしまったのだ。
「チェーリリー!」
こんな有利な状況を見逃す筈がなくて。相手は4匹がかりで攻撃しようと向かってくる。
意識が朦朧としていく。ああ、ここで、私は、終わる__
「チェリッ!?」
けれど、チェリムたちによる攻撃で、私の短い生が終わることはなかった。
不思議に思ってぼやける視界の中、チェリムたちがいた場所を見ると、彼らは皆、地に伏せていた。そして、代わりに佇んでいたのは。
青い体に赤い瞳。ピンと尖った耳の近くからは、黒い房のようなものが生えた、一匹のポケモンだった。
◆
「うう…痛いぃ」
「毒状態を放置するとか間抜けだな。何考えてるんだか」
目を覚まし、頬の痛みに呻く私に対して、青いポケモンは開口一番、そう言った。…き、厳しい。っていうか、何もそこまで言わなくても…。
…ん?私、毒状態になってた?
…ああ、スピアーたちに撃たれたの、ただのはりじゃなくて、WどくばりWだったのか。
青いポケモンはそう言いながら、モモンのみを投げてよこす。これを食って毒を消せってことだろう。
「わーい、ありがとう。…ところで君、探索隊?」
モモンをひと齧り。柔らかな果肉を噛み締め、甘い果汁を飲み込む。戦闘で削られた気力がちょっと回復した気がする。
食べながら、彼に質問する。不思議のダンジョンにわざわざ足を踏み入れたのなら、きっと探索隊とかなんだろう。
私が目指すカラータウンは探索隊始まりの地。探索隊基地…またの名を、探索隊本部があるのだ。この辺を探索隊隊員がウロウロしててもおかしくない。
けれど、返ってきたのは予想とは違った答え。
「いや。俺は探索隊隊員じゃない。ただの旅のポケモンだ」
「そ、そうなの?何処か目的地でもあるの?」
「ああ。カラータウンを目指している」
カラータウン!私と目的地が同じ!
それなら、と、私は提案した。
「私、アリス・ネモフィラ!ロコンって種族なの。カラータウンに行きたいんだけど、道に迷っちゃって…良ければ、一緒に行かない?」
「…俺はリオルのソラ。残念だけどその提案、断らせてもらうよ」
「ええ!?」
そんな大声を出せるなら平気だな、なんて言って、彼は立ち上がり、背を向けた。
そして迷うことなくスタスタと歩いていった。
「え、ちょ」
待って、と言おうとして、足元にあった何かに足を取られ、転んでしまう。
こつん
軽い音を立てて、落ちていたものが揺れる。拾い上げるとそれは、青い、透き通ったガラス玉だった。片手で持てるくらいの大きさのそれは、ダンジョン攻略において必需品と言っても過言ではない道具、《ふしぎだま》だった。
「《あなぬけのたま》?さっきは落ちてなかった気がするけど…」
《あなぬけのたま》とは、使えばダンジョンの外へワープできる道具だ。チェリムたちに襲われているときに見つけていたなら、迷わず使っていたであろう。
ひょっとして、ソラが置いていってくれたのだろうか。
都合の良い妄想かもしれない。ただ、落としてしまっただけかもしれない。でもまぁ、考えるだけならタダなので。そう解釈して、ありがたく使わせてもらおう。
片手でガラス玉を持ち、地面に思い切り叩きつける。ガシャン、と音を立てて、《あなぬけのたま》が割れる。ガラスの破片が散り、WにほんばれWでギラギラと差し込む日光で照らされる。陽の光は、やわらかな青を帯びて辺りに広がった。
ピカッ
白い閃光が走る。ふわりと体が浮かぶような感覚がした。
浮遊感が一瞬で消えるのと同時に、目の前の景色が一変する。
辺り一面、花畑。天国が実在するならば、こんな美しい情景なのだろうと思えるような、華やかな場所に、私は立っていた。
「んんー?誰か、いる?」
ぼんやり眺めていると、遠くに橙と黄色のポケモンらしき影が見えた。
今度こそ、探索隊なのでは?そんな期待を胸に、私は駆け出した。
◆
拳に炎を纏う。標的を見定めながら、僕は走る。ごうっと風を切る音を耳に感じながら、拳を振るう。
「WほのおのパンチW!」
「スピピッ!?」
効果抜群の技をモロに受けて、黄と黒の縞模様の体の、大きな針を持つ虫ポケモン…スピアーは、ぐったりと倒れた。
かれらは『花咲き平原』というダンジョンから出てきたと思わしきはぐれダンジョンポケモン…スピアーだ。
この仕事は相手のレベルも低く、相性の有利なほのおタイプのメンバーがいるから、という理由で頼まれたけど、結構順調に進んでいる。
技のコツもなんとなく掴めてきたし、自分でもかなり成長を感じる。この調子で、もっと精進しなきゃ。
「えーっと、これで全部だよね、レモン」
「ひい、ふう、み……。うん。通報通り、これで8匹討伐完了!さ、基地に帰ろっか」
数の確認を終え、レモンが言う。
ここはあくまで危険地区であり、不思議のダンジョンではない。そのため、バッジを使って帰還出来ない。徒歩で帰ることになるのだ。
「あのー!」
遠くから、僕らを呼ぶ声がする。
どこからだろう?
目が痛くなりそうなくらい鮮やかな花の中、真っ白な何かがこちらへ向かってきている。声の主だろう。
「た、探索隊の方、ですか?」
「そうだよ?」
確かめるように尋ねられ、シンプルな答えを返す。白いポケモンはやった、と小声で呟き、こう言った。
「あの、私、道に迷ってて…良ければ、カラータウンまで、案内してもらえませんか?」
見たところ、僕らと同い年みたいだけど…どうやら、旅のポケモンらしい。
道に迷って困っているなら、勿論助ける。そう伝えるべく、僕は頷いた。
◆
町の入り口まで、特にトラブルもなく、無事に旅のポケモンを送って、僕らは基地へ戻った。
旅のポケモンはものすごく感謝してくれて、嬉しかった…ちょっと大袈裟だった気もするけど。
とにかく、僕らは依頼を完了したことを報告するべく、隊長室へ向かった。
「あ、『スターリー』だ。どう?ここでの生活、慣れてきた?」
「テトラ…さん。はい。ちょっと大変だけど、それなりに」
廊下の向こうから、『ヴィザドリー』の片割れであるテトライナさんが歩いてきた。
レモンは敬語で、ややかしこまった感じで答えた。…やっぱり、ちょっとだけポケ見知りだよね。
「別に呼び捨てで構わないよ、レモン」
「は、はい」
結局敬語になってるけど、なかなか難しいよね。態度を変えるっていうか、喋り方を変えるのって。
そんなこんなで隊長室の前まで来た。けど、問題はここから。
テノール隊長は、別に怖い訳じゃないらしいけど、威圧感…いや、プレッシャー?みたいなものがあって、近寄り難いからなぁ。
深呼吸して、ドアに近づく。ノックしようとして…ピタリと、動きを止めてしまった。
「シナバー?」
「……」
話し声が、途切れ途切れながらも聞こえてくる。この声は、テノール隊長、フローラさん、そして…ライト?
ドアを開けることに躊躇いを感じてしまい、そのまま、ノックする手前の姿勢で固まってしまう。レモンも話し声に気づいて黙り込む。
「何故彼……許……たので……。何…僕は……延ば……され続け…の……か!」
「…悪…が、今…答え…れな…。だが…」
「い……いつも!そ…ばかり!何故……か!僕…、僕が……から!だから、……を隠そ…と…て…るの…、貴方は!」
「ラ……さん、落……いて。…つ…、…教…できる…きが…」
「…今日………ろは、……良い…す。でも…い…まで、続…る……りな………か」
そうして会話が終わると、ドアが内側から開かれた。念の為、ドアから離れていたおかげで、入隊した日のレモンみたいなことにはならなかったけど…。
「なんですか、貴方たち」
「い、いや…その」
口籠る僕を無視して、ライトは去っていった。いつも以上に、彼の視線は鋭くて…冷たかった。
「あら、『スターリー』のおふたりじゃないですか。依頼、どうでした?」
盗み聞きの後ろめたさに苛まれながら、僕らは依頼完了の報告をした。
…それにしても、ライトは何かを探しているようだった。隊長は、何かを秘匿しているようだった。
___それは、一体……?