第一夜 策を弄して朔を越え
…ぴちょん、ぴちょん。
洞窟の天井からしたたる水の音。遠く聞こえる波の音。暗くてじめじめとした環境が、侵入者に不安を与える。
三匹はダンジョン内に入ると、ランプを持ったトキを先頭にミヤ、最後にスカイが続く形となって、歩き始めた。
「…いやー、探検、ワクワクだなー!いっつも大人たち、止めてくるけど…でも隠れてダンジョンに潜るとか、ハイトクカン?ってやつでさらにワクワクするね!」
先頭を歩くトキの足は、今にもスキップを始めそうなくらい、楽しい、という感情を露わにしている。エネコの持つ特徴的なしっぽがやたら揺れているのを見るに、間違いなくこの状況を楽しんでいる。加えて、大人たちに隠れて危険な場所を探検するロマンとスリルが、彼女のテンションアップに貢献しているのだろう。
「…ってゆーか、オイラがリーダーなんだけど!?何でオマエが先頭歩いてんだよ!」
「えー?だって暗いじゃん?明かりいるじゃん?それに殿務めるのって、超重要でしょ?適材適所だよね!」
「オマエ…はあ。ま、安心しな。泥舟に乗ったつもりで任せてくれよな」
「…それは全く安心出来ないのでは…」
「沈む沈む!大船でしょ、そこは!」
「う、うるせぇ!」
やいのやいのと、危機感無さげな三匹。トキの持つランプのおかげで視界が確保出来てるからだろうか。恐怖や緊張で固まっていないようで何よりである。…まあ、そもそもここに足を踏み入れるべきではないのだが。
「…そういやオマエ、ミヤだっけ?確か、記憶喪失なんだよな」
「ああ」
「何でそうなったか、心当たりとかは?」
「…無いな。海岸で気を失う前に、何があったのか。何一つとして、覚えていない」
「へー。…なんかの事件に巻き込まれたのかもな、オマエ」
「…そうだな。否定は出来ない」
スカイの問いに、曖昧に答えるミヤ。
ここトレジャータウンの周辺では、近頃、物騒な話題も少なくはない。今、彼らが追っているケー&トーのようなお尋ね者も多いのだ。もしかしたら、何らかの事件と関わり、記憶を消されたりしてしまったのなら。ミヤの身体中の傷にも、多少は納得出来るかもしれない。
…現状、偶然の記憶喪失なのか、何者かによって消されたのか、判別が付かない故、あくまで可能性がある、程度に留まるのだが。
「…ところで、二匹とも」
トキが足を止め、自然とミヤもスカイも立ち止まる。
トキが止まった理由。それは、目の前の小さな部屋にて眠るポケモンが原因であった。
今、三匹の歩いている通路を出たら足を踏み入れる小部屋。そこから先へ進むため、この部屋から伸びている通路へ入りたい。だが不運なことに、その通路のすぐ側で眠っているポケモンがいるのだ。
「通ったら起こしちゃうよね…」
「何だ、びびってんのか?ならオイラがちゃっちゃと片付けてやるから、待ってな」
トキの言葉に、スカイが胸を張って勇み歩き出す。
その様を、ミヤはさも不思議げに眺める。そしてその疑問を質問として、トキに投げる。
「…いや、起こしてしまっては困るのか?まあ、起こさないに越したことはないだろうが…道を通りたかったことを話せば分かってくれるのでは?」
「え?あー…そもそも不思議のダンジョンについて、説明すべきかな?」
驚きの声の後、苦笑しながら、トキが話し始めるのと、スカイが眠っているポケモンに向かって突進したのはほぼ同時だった。
ほんのりとランプの灯りが届く程度の、薄暗い部屋。湿った岩壁の圧迫感ある通路から部屋を眺めていたミヤは、目を丸くする。
「…スカイ?何をやって…!?」
「あれはダンジョンポケモン。話が通じないどころか、私たちに襲いかかってくる。恐ろしい存在だから、戦って気絶させる必要があるの」
スカイは迷いなく、嘴で相手の頭部を狙い、突っ込んでいった。流石に足音で目を覚ました相手が咄嗟に急所を避けたので、一発KOとはいかなかったものの、重い不意打ちによって、体勢を崩す。
鮮やかなピンク色の、少しべちゃっとした体に、頭部にはコブみたいなものの生えたポケモンは、起こされた上に嘴でどつかれたことに大変お怒りの様子。当たり前ではあるが。
「相手はカラナクシだね。スカイなら、問題なく勝てるはず。私も戦えるけど、リーダーらしいことさせないと、いつか不満ぶちまけられても困るじゃない?」
「……」
スカイは自分が噂されている事は聞こえていないようだ。
カラナクシが辺りの地面を抉るようにして、湿った土…というよりは泥を思いっきりスカイにかけようとするが、彼はそれを軽く避けると、勢いをつけてフリッパーを振るい、カラナクシの腹部を殴る。
「はっ!」
「うぎゃっ」
すると、カラナクシはぐったりして、気を失う。もう戦う体力は残っていないようだ。
カラナクシが目を回しているのを確認して、スカイは二匹の方を見る。
「ほら、早く行こうぜ!」
「お疲れ様、スカイ」
「…あ、ああ。ありがとう、なのか…?」
倒れているダンジョンポケモンを見て、困惑しながら感謝の意を表すミヤ。そんな彼に、トキが言った。
「不思議のダンジョンって、色々と不思議な点があるの。このポケモンたちもそう。言葉が通じなくて、問答無用で攻撃してくる。戦って、気絶させて、私たちは探索を進めるんだ」
「そう、か」
「…おい、ミヤ。オマエ、まさかダンジョンに関する知識まですっぽ抜けてるのか?」
ミヤは俯きながら、小さく頷く。スカイははぁー、とため息をつくと、説明を始めた。やれやれ、仕方ねえな、と言いたげな視線を感じ、ミヤは申し訳なさげな表情。
「不思議のダンジョンが何なのかはよく分かんねーんだけど、攻略するためのセオリーはな。まず、フロア中を回って階段を探して、次の階層を目指す。で、ダンジョンの最深部まで踏破する。途中で落ちてるアイテムを活用したり、敵ポケモンや罠に対処しながら、探検するんだ。大体分かったな?」
「ああ」
「よーし、なら行こうぜ。ケー&トーが逃げちまう」
そう言ってスカイは笑う。トキも足早に進もうとするものだから、ミヤも遅れないよう、ついていく。
ダンジョンにはたくさんの危険が潜んでいる。けれど彼らにはとってはまだ、実感のない物語のようで。警告など知らないフリして、ダンジョンを進むのだった。
大抵、そういった警告の重要性を、体験してから気づくのでは遅すぎるのだが。
「あ、あっちの方にある影…ポケモンっぽい?」
また狭い一本道を一列に並び、歩いていく一行。背の高いミヤの後ろからどうにか前方を見、スカイも頷く。
「お、トキの見間違いじゃなさそうだな。あれは…さっきと同じでカラナクシっぽいぜ」
「やー、いくら薄暗いとはいっても、流石に間違えたりはしないって!」
確かに、真っ直ぐ続く通路の、今いる地点から十数メートル先に、先ほど倒したポケモンと似た影が見える。ゆらんゆらんと頭を左右に、ゆったりと動かす仕草からしても間違いない。
カラナクシは、こちらには背を向けているらしい。トキたちに気づいた様子はない。
「じゃ、今度は通話だし、先頭のわた…」
「いや、ここはミヤが行け」
「ほえ?」
先手必勝。先に攻撃を加えてやろうと構えるトキ。だがそれを遮る言の葉があった。
唐突な言葉に、ミヤは振り向いて声の主の顔を見る。スカイの顔にはふざけた雰囲気は無く、むしろ真剣そのものだった。
「ほら、オマエの使える技とか戦い方が分かれば、種族の判断とか出来るかもしれないだろ?やってみようぜ」
「…なるほど」
「おおー、賢い!スカイなのに!」
「馬鹿、声でけえよ。あとオイラはスカイライナン・ルー・ヴ…」
「それじゃあミヤ、ゴーゴー!」
スカイのツッコミを強引にキャンセルし、トキは幅の狭い通路内でうまくミヤと位置をチェンジする。
後ろからほわっとランプの光を感じながら、ミヤは戸惑いつつ、ゆっくりとカラナクシに近づく。ジメジメな地面を、ここまでハッキリと実感したことは無かっただろう。
ミヤは気づかない内に、身体が緊張して硬直して、動きがぎこちなくなっていた。何故こんなにも、思うように身体が動かないのか、湧きつつある不安を払うように歩みを早める。
「からー?」
カラナクシとミヤの距離が3メートル程度まで縮まると、気配を察したのか、カラナクシがくるっと振り向く。
反射的に、ミヤは左手を翳す。彼の目は見開かれ、呼吸は荒れながらも、技を打とうと暫し集中。
ポケモンの技は、元となるエネルギーを操ることで繰り出すものが多い。なので、技のエネルギーを練るために、少しだけ時間を必要とする。…ノーモーションで打てるものも無いわけではないが。
このカラナクシはおっとりしているようで、状況を上手く飲み込めていないようだ。
このダンジョンに住むポケモンくらいなら、先手を取って技を一、二発打ち込めば仕留められるだろう。
…そう。その筈だ。ただ、この身体が使い慣れた技を打つ。敵を倒す。実にシンプルな目標なのに。
「…っ!」
ズキリ。どこかに刺さったまま抜けない、厄介な棘にも似た痛み。それが断続的に、ミヤの身体を襲う。
熱い、痛い、苦しい。今更、何処かで受けた筈の傷が、己の存在を主張するように疼きだす。
ミヤは震える左手を、そっと地面に置いて、ぐっと握る。
灼熱の溶岩が足場を封じるような、恐ろしい錯覚を覚える。ミヤの、覚えていない過去が警鐘を鳴らすような。…まだ戦うな。そんな囁きが聞こえる。
「らー!」
カラナクシは、ようやく眼前の相手を敵だと認識したようで。隙だらけなミヤへ、身体を捻り勢いをつけ、攻撃しようとする。
「う…俺、は…私は…っ!」
握りしめた拳には、偶然にも小さい岩が紛れ込んだ。
ミヤがそれに気づいていたかは定かではないが、彼は右手で頭を押さえて、左手に握ったものをカラナクシへ投げつける。
「らっ!?」
カラナクシは驚いたのか、一度立ち止まる。そしてさっさとトンズラを決め込むのだった。…カラナクシは岩に驚いたのか、それとも。
「う…うぁ…」
「お、おい、オマエ…」
「……い」
只事ではないと、慌てて駆け寄るトキとスカイ。スカイが声をかけようあるとして、小さな小さな呟きが、何処かから聞こえた。
「俺は、怖いんだ…技を、使うことが」
今度はハッキリ、されど震えた声で。絞り出すような、苦しみの混ざった言葉が聞こえた。
☆
「ふいー。意外とバレないな、ケー!」
「灯台下暗し、というやつね。…保安官たちも、まさか町の近くで体を休めているとは、考えもしないでしょう」
「あっははは!だよな!フツーはもっと難易度高いとこで潜むよなー。高ランクの探検隊じゃないと攻略出来ない場所の方が、オレたちお尋ね者からしたら安全だし」
ところ変わって海岸の洞窟最深部。少し開けた空間の隅に、申し訳程度に灯された焚き火の灯り。それが放つ光を頼りに大きなバッグを覗き込んで、愉快そうに笑うポケモンと、ぼうっと火を眺めるポケモン。
二匹組の会話から察するに、彼らこそが、トキたちの探しているケー&トーなのだろう。
バッグの中から黄金色のリボンを取り出して、満足げに眺めるポケモンは、赤いコブのついた緑の傘を被ったような姿をしていて、手には鋭く長い爪が生えている。しっぽの先にもいくつかコブがついており、クリーム色の素肌が火に照らされて、ほんのり赤く見える。
もう一方のポケモンは、尖った小さな耳と長いしっぽが生えていて、空中でふよふよと浮かんでいる。翼もなく浮いているのを見るに、サイコパワーの類いを使っているのだろうか。黄色い肌を持ち、目はエネコのような糸目である。
「ケー。この中に、お前に似合うリボンとかあるんじゃね?気になるやつあったら着けてみろよ」
「…トー、貴方は何でそんなに緩いのよ。もう少し周りを警戒したら?」
バッグから幾つかスカーフやリボンを取り出して眺めているポケモンがトー、そんな相方に小言を言っているポケモンがケーらしい。
呑気にスカーフを自分の首に巻いていたトーは、ケーに言われるとしぶしぶ、バッグの中に戻した。畳み方が適当な気もするが、ケーは、これくらいは大目に見ることにした。
「…そろそろ来るわよ」
「え?探検隊が、こんな夜遅くに?」
「いえ、違うわ」
「なら平気だろ!オレの実力がありゃ、どんな奴だって…」
よっぽど自信があるのか、胸を軽く叩いて任せとけ、という顔のトー。そんな彼が言い終える前に、ケーは事実を述べる。
「普通の子供二匹。そして、化け物が一匹。…貴方では太刀打ち出来ないほどの、ね」
☆
スカイのフリッパーによる『はたく』が炸裂し、シェルダーは力無く殻を閉じる。そのまま地面に倒れ込んだのを確認して、スカイは息をつく。
「ふー、こっちは終わったぞー」
「こっちも、終わると思うっ!」
少し離れた場所で、トキはサニーゴ相手に爪を振るっていた。ピンクの珊瑚と爪が当たる度に、キンッと嫌な音が耳に届く。トキもスカイも顔を顰め、不愉快だと言わんばかり。
「ったく…『あわ』!」
手こずっているトキを援護するため、スカイは嘴を開くと大粒の泡を大量に放つ。勢いはないが、多量の泡に気を取られ、サニーゴの動きが鈍る。ダメージもそれなりに入っているらしく、苦しそうに出鱈目に、トキに頭突きしようとする。
しかし、当然ながらこの攻撃を見切れないトキではない。彼女は攻撃が不発して隙の生まれたサニーゴに、逆に突進して、壁に叩きつける。とうとう体力の切れたサニーゴは、ぐったりと目を回して伸びてしまう。
「うー。やっぱりいわタイプは苦手…爪が全然通らない」
トキはムッとした顔でサニーゴを見る。サニーゴからしたら割と理不尽極まりないので、八つ当たりは勘弁願いたいものだが。
「…すまない。俺が戦えないばかりに」
「…まあ、まさか技も使えないとは思わねーよなぁ」
「だよね。不便すぎるよ」
トキに駆け寄ると、目を伏せるミヤ。そんな彼に同情するかのように、二匹は声をかけた。
そう。なんとミヤは技も使えないのだ。流石に戦闘すら出来ないとなると、この世界で生きることは難しい。唐突に発覚したとんでもない問題に、頭を悩ませる一向。
「…まあ、こうやって悩んでても仕方ない!拾った道具とか使えばある程度の自衛は出来るし、何とかなると信じてお尋ね者討伐、行ってみよー!」
明るくそう言うトキに、少しだけミヤの表情も明るくなる。
ミヤは手に持った、一粒の種を落とさないよう握りしめる。これは道中で拾った、『ばくれつのタネ』というアイテム。投げつけるなり噛み砕くなりすると爆発を起こすとかいう、割とヤバい代物である。
何故この、明らかに植物の生育に適していない環境で植物の種が落ちているのか。このタネを見てミヤはまず、そんな疑問を抱いたのだが。ここは不思議のダンジョン、あまり深く考えてはいけない。
「そうだな。ここまできたら海苔乗せた船だ!一緒に悪者退治といこうぜ!」
「…乗りかかった船では?」
「海苔乗せてる場合じゃないでしょ!」
「うるせー!」
そんな風に切り替えて、彼らは部屋の端にある階段へ向かう。
ここはB4F。次のB5Fが最深部であり、今まで姿を見ることのなかったお尋ね者コンビ…ケー&トーの待ち受けているであろう場所。
「一応言っとくけど、ケーはケーシィで、トーがキノガッサ。噂によると、ケーの方は戦闘能力は皆無らしいから」
「トーの攻撃に要注意、だな!」
「…なるほど」
ケーシィはサイコパワーを操るが、攻撃技を持たない珍しい種族。一方キノガッサとは、高い攻撃力を持つポケモンである。
「…自分の種族は覚えてないのに、ケーシィとキノガッサは分かるのか?」
「…ぼんやりと覚えている」
「頑張れば自分の種族名分かったりしない?」
「…善処する」
トキの冗談混じりの言葉に苦々しく頷くミヤ。
そうして彼らは、最深部へと続く階段を踏み締める。
☆
トキたちは階段を降りて行った後、暗く長い通路を進んだ。どれほど歩いたかは分からないが、やがて、妙に明るく広い空間に出た。
「おおっと…いたわね、ケー&トー!」
不自然に明るい空間の片隅に佇む二匹のポケモン。片方は黙ってこちらを見、もう片方は少し驚いた顔。ケーシィとキノガッサのコンビ…彼らこそが、噂のお尋ね者、ケー&トーだ。
キノガッサの手元には、やたら大きなバッグが一つ。やや古ぼけた布で出来ている、物をたくさん詰め込まれたバッグだ。
「はぁー。まーじでただの子供が二匹、やって来るとは…」
「ブツブツ言ってる場合?さっさと動いて。後手に回らないでよ」
「へいへーい」
ケーシィのケーに、適当な返事を返すキノガッサのトー。少女はやる気ゼロな相方にため息を吐く。
トーは先程まで覗き込んでいたバッグをぽいっとケーに渡して、歩き出す。
「ケー&トー!大人しくお縄につくのよ!」
「ただの子供が調子乗っちゃってさぁ。後悔するよ?」
そう言うが早いか、トーは啖呵を切ったトキ目掛けて走り、間合いを詰める。さらに防御の間に合わない内に殴り飛ばすと、さっと後ろへ飛び退る。まさに俊足、一瞬の出来事だった。
一連の動作の迷いの無さに、ミヤは目を見開く。…この犯罪者、やる気無さげな割にはかなりの手練れらしい。
「うっ…!」
吹っ飛ばされたトキの手元から、ランプが離れていく。からん、と冷たい音が洞窟内に広がる。
トーは壁に叩きつけられ、身体を丸めるトキを見て「んー?」と声を上げる。
「あっれー?なんか、無抵抗だね。これくらいの動きに反応出来ないのに、あんなこと言えたんだ?」
「…っ!もらったぁっ!」
背がガラ空きなトーに向かって、怒りやら衝動やらに身を任せるように、殴りかかるスカイ。風を切り、陸上歩行を苦手とするポッチャマとは思えない敏捷さをもって走る。
嘴が彼の背に届く、そう思われた次の瞬間。
「ぐっ!?」
「…『しばられのえだ』、知らないわけじゃないでしょう?」
奥から一歩も動かずにいたケー。彼女の手には、一本の長い、杖のような枝がある。
これは『しばられのえだ』。振ることで、直線上にいる敵一体の動きを阻害できるという、凶悪な性能のアイテムだ。この大陸にあるダンジョン内には落ちておらず、結構貴重品である。
身体中がピリピリと痺れるような、例えるなら、足をつった時のような。そんな痛みがスカイを襲う。
硬直し、一歩も動けないスカイ。彼は丁度、トーからそう遠くない位置にいる。攻撃しようと突撃したことが仇になってしまう。
「おーおー、カワイソーに。動けないなら楽にしてやらぁっ!」
不気味に笑いながら、トーはスカイに近づく。キッと威嚇するように睨む少年を嘲笑い、トーはそう言った。
「うぐっ!?」
そして彼は勢いをつけて、スカイの腹部を狙い、蹴り技をお見舞いする。小柄なポッチャマの身体は、後方へ弾かれる。
トーは呻くスカイを見て、やはり笑う。笑いながら、片手でフリッパーを掴んで投げ飛ばす。
「うわっ!」
「あっはは!やー、面白い面白い!…で、そこのオマエ、誰?」
「っ!?」
トーは、背後に忍び寄っていたミヤに問う。そして怯んだ隙に、右回りで振り向く際に生じる速度を乗せて、彼を殴りつける。
「ぐっ…」
「…なぁ、ケー。コイツが例の『化け物』だよな?弱くね?」
つま先で、倒れ伏したミヤを軽く蹴りながら、トーは相方に尋ねる。
「…そう。その筈だけど。でも何で、こんなに」
「珍しいな、オマエの予知が外れるなん…って!」
「ぐはっ」
起き上がろうとするミヤの頭を、左足で踏みつけるトー。決して好きに動けると思うな、と言わんばかりの視線で見下ろす。
「まあ…どうあれ、倒せば同じよ」
「だよな!取り敢えず、コイツから潰しとくか!」
「やめ…ろっ!」
そう言ってとどめを刺そうとするトーの眼前に、無数の泡が現れ、視界を阻む。言うまでもなくこれは、しばられのえだの効果から解放された、スカイが放ったもの。
相手の動きを封じるこのアイテムにも弱点はある。実は硬直状態は、攻撃を加えることで解除されてしまうのだ。なので、先程のトーの蹴りによって自由を取り戻したスカイは、機を狙っていたという訳だ。
「邪魔、だっ!」
「うおっ!?」
少しだけ動揺するキノガッサの青年。そんな彼の束縛から逃れようと、ミヤは頭を押さえつける足を思い切り殴り、どうにか逃げ出す。
ミヤはそのまま、トーから距離をとる。近接戦を得意とする種族を前に、馬鹿正直に突っ込むのは愚策だ。それに戦力としてはあまりにも心許ない自分が無闇に敵へ向かって行っても、仲間の負担を大きくするだけだ。
「ちっ…この程度でオレたちを出し抜いた気か?そろそろ本気で潰すぞ」
苛立たしげに吐き捨てるトー。スカイはその言葉に、背筋が凍るような、鋭い寒気を感じた。それほど、彼の言葉には敵意が込められていたのだ。
しかし少年は怯まない。少しミヤの側に寄り、彼を孤立させないよう動く。
「…『タネマシンガン』!」
「っ!」
先に仕掛けるのはトー。
彼は口からタネのようなエネルギー弾を、勢いをつけて発射する。ふたりはそれらを避けて、隙を伺う。
特にスカイは己の苦手とする属性の技故に、非常に素早い身のこなしでかわしてゆく。
だが、数粒だけ、見切れなかったタネがスカイへ襲いかかる。
「…『チャージビーム』!」
その僅かな数粒は、白く光る細いビームによって打ち砕かれる。少しふらふらした軌道の光線、その主は。
「私のこと、忘れないでよね!」
よろめきながら立ち上がった、トキだった。実は彼女は少し前から動けるようになっていたが、仕掛けるタイミングを狙っていたのだ。
スカイ、ミヤ、そしてトキ。いくらミヤが技を使えず、戦えないとはいえこれは多勢に無勢。普通ならスタコラサッサと逃げ帰る準備をするだろう。
だが、その諦めの悪さがキノガッサの青年の怒りを買ったらしい。トーは、はああぁ!?と苛立たしげにため息ついて、右手で頭を掻く。いつの間にか右足はダンダンダンとテンポ速く地を叩いていた。
「何なんだよ、このガキ共は…!」
「トー…落ち着いて。私の援護に合わせて確実に潰していきましょ」
「さてさて、このスカイたちを倒せるかな?」
「調子乗りやがって!」
ダン!と一際強く地を叩き、トーはそのまま踏み込む。そして彼はまっすぐにスカイ目掛けて駆けると、『マッハパンチ』で左頬を殴り、続けて左足で相手の足元を払い、転ばせる。
「うっわわ!」
「『タネマシンガン』…!」
「させない!」
追撃の『タネマシンガン』を打とうと構えるトーに、トキが『たいあたり』で突き飛ばし、どうにか軌道を逸らさせる。緑のタネが虚しく宙を舞う。
「『ふらふらのタネ』…」
「待て!」
小さなタネを掴み、攻撃後の隙のあるトキへ投げつけようとするケー。そんな彼女に、ミヤがその辺の石をぶつける。
「痛っ…」
「ケー!」
「お前の相手は!」
「私たちよ!」
相棒の元へ駆け寄ろうとするトー。トキは彼の足元に『チャージビーム』を放って牽制し、スカイは挑発の意も込めて『あわ』を漂わせる。
抜けようにも二匹にガッチリガードを固められ、トーは仕方なく、先にトキとスカイを潰すと決める。あの抵抗の弱さを見るに、ミヤは攻撃手段もほとんどない。ケーもそうだが、彼女にはサイコパワーがあるのだ。彼女が負けることは無いだろう。
彼はそう判断すると、まずトキに襲いかかる。トキは冷静に、トーの拳を躱していく。さらにスカイもそれを静観してるわけもなく、『あわ』で牽制しようと図る。
…それでもトーの攻撃の手は鈍らない。一方でトキは息も上がりつつあり、限界は近いだろう。
スカイは少々強引に、二匹の間に割って入る。一発、重い攻撃を貰いつつ、彼は続く攻撃をフリッパーで受け止めようとする。
「チッ、『マッハパンチ』!」
「ぐぅっ!?」
スカイに押さえられた片手を放って、トーはもう片方の手で『マッハパンチ』を繰り出す。強い衝撃が、ポッチャマの身体を揺さぶるように、痛みをばら撒く。
「『チャージビーム』!」
トーの猛攻から逃れたトキはトーを怯ませようと、スカイに気を取られている内に『チャージビーム』で攻撃する。エネコは特殊攻撃の得意な種族ではないものの、特性『ノーマルスキン』の効果で、どんな技でもノーマル技に変換し、威力を高めて放つことができる。
しかしその光線は、あまりダメージが入っているように見えない。悪名高いお尋ね者と正義感強めの一般通過エネコじゃ、そもそものステータスが違い過ぎるのだ。
「鬱陶しいなぁ!」
「きゃっ!」
トーはトキを突き飛ばすと、続いて『タネマシンガン』を喰らわせる。空中に投げ出されたエネコは哀れ、攻撃を避けること叶わず。全弾ヒットして、ゴッソリと体力を削られ、ぐったりと地面に伏せる。
「『ドリルくちばし』だっ!」
「くっ!?」
トーがトキに気を取られている間に、スカイは技を構えていた。彼はトークの首元狙って容赦なく、『ドリルくちばし』をお見舞いする。
反射的に身体を逸らせたトー。お陰で右肩へと攻撃が外れたものの、彼は痛みに顔を顰める。
『ドリルくちばし』を始めとしたひこうタイプの技は、くさタイプとかくとうタイプを併せ持つキノガッサに効果はバツグンだ!予想外の手痛い一撃に、思わずトーはスカイから距離をとる。
トーの間合いから解放されたスカイは再び『ドリルくちばし』を構える。短いながらも攻撃力のある嘴で、敵を穿つべく駆け出す。
そんなポッチャマの少年を見て、ついでに相棒であるケーシィの少女を見て。トーは軽く舌打ちする。
「おりゃあぁっ!」
「こちとら、オマエにかまってる暇なんて、ねーんだよっ!」
そう叫ぶや否や、彼は緑がかった粉のようなものを放つ。今まで見せて来なかった、未知の技に戸惑い、スカイは足を止める。
…ぐらり。
スカイの視界が揺れる。ふらりと、足元もおぼつかない。何だか、身体から力が抜けてしまうような、一日を終えて疲れきった身体が、微睡む感覚にも似ていて。
「…っ、まだ…勝負、は…」
まだ戦いは、終わっていないのに。スカイはそう思いながら、だらりと岩の床に倒れ伏す。瞼が鉛のような重みを持って、重量に沿って落ちようとする。
遠くのトキも、この感覚に抗っているらしい。つまりこの技は、部屋全体に効果のある、いわゆる『部屋技』というやつ、なのか…?
そこまで思考を巡らせて。狭まる視界の中、トーの背へ手を、伸ばし…。
そこでスカイの意識は、途切れてしまった。
「この手、あんま使いたくねえんだよな、つまんねーし」
ぼそっと呟くと、彼は自身の相棒である少女の元へ、小走りで向かった。
☆
石を投げつけられ、ケーはタネから手を離す。小粒のタネはかなりの距離をすっ飛んでいき、戦場からフェードアウトしてしまう。
少女は援護を邪魔してきた黒いポケモンを、キッと睨む。…ケーシィは糸目だろうって?これはまあ、比喩表現の一種だ。それに睨みつけるような、何処か凄みある表情だったのは事実な訳で。
「貴方、何者?何を考えてるの?…わざわざ此処まで乗り込んで来る理由、無いのに。影を隠れ蓑にすれば良いのに」
そう早口で言い終えると、彼女は再びバッグに手を突っ込む。
ミヤは身構えながら、ばくれつのタネを隠し持っていない方の手で周囲から適当な石ころを一つ、掴み取る。
「喰らいなさい!『めつぶしのタネ』!」
「っ!」
慌てて避けようとするミヤ。彼は確かに、タネの軌道を逸れて、避け切った。…筈だった。
あろうことか、タネは突然軌道を変更した。そのまま、最初に投げた時の勢いに乗ってタネはミヤに突撃し、砕け散る。
「ちょっと軌道を逸らすくらいなら、サイコパワーで出来るのよ。甘く見ないでよ、ね!」
「くっ!」
続けざまに、ケーは『てつのトゲ』を投げ付けて、ミヤを攻撃する。
『めつぶしのタネ』とは、相手をめつぶし状態に出来るアイテム。つまり、敵の視界を強制的にシャットダウンさせることが可能なのだ。
タネの効果で視界を奪われたミヤに、その単純な攻撃を避ける術は無い。結果、彼は身体中に切り傷を負い、されど逃げること出来ないという状態になってしまった。
「うぐ…」
「…技、使わないのね」
怪訝そうな顔で、ケーが溢す。それは問いというより、疑問がぽろりと、口をついてうっかり出て来てしまっただけのようだ。
ミヤは焦りからか、片手に握った石を放り投げる。それは出鱈目な軌道を描き、彼女には傷一つつけられず着地する。
「…無駄よ」
「うる、さい…っ!」
淡々と事実を教えるケーに、怒鳴りつけるミヤ。さっきまでの静かな感じのポケモンと同一ポケモンとは、少し思いにくい。
彼は未だ回復しない視界のまま、傷口を押さえながら、立ち続けていた。
彼はそのまま、ぼそりと呟く。普通のポケモンには聞き取れないような声量だった。しかしケーはそれを聞き取り、同時に焦りを感じる。
そうだ。その技なら、めつぶし状態なんか関係ない。
ミヤはエネルギーを収束して、技を発動させる。彼の周囲で風が唸り始める。
…よく見ると、彼の身体は少しだけ、ほんの少しだけ、震えている。武者震いなんてカッコいいものじゃない。これは技を使うことへの恐怖を、隠せていないのだろう。…それでも、技を使うことを決めたなら。
攻撃を阻止しなくては。そう思い、ケーが『しばられのえだ』をバッグから取り出そうとしたとき。
辺りに、粉が舞い始めた。
「…トー」
「…何だ、これは…?」
ケーはこれが相棒であるキノガッサの技だと、瞬時に理解する。それと同時に内心、ホッとため息。
一方、状況を把握出来ていないミヤ。まだ視界が戻らないながらも、周囲に異変が生じているのは、何となく察したらしい。が、肝心の何が起きてるかが分からないのでは意味がない。
しかし残念なことに。彼がこの時の状況を確かめることは出来なかった。
がくり、とミヤの身体が重りをつけたかのように、ぐっと地へ寄る。そのまま彼は足元から崩れ落ちるように、地面に倒れてしまう。…まるでスカイそっくりな流れで。
ぐわぁん、ぐわぁん。脳の奥がゆっくりと、波間を漂うように、穏やかにゆすられる。意識は綿雲になると、そのまま虚空へ溶け込んでいく。
彼は徐々に意識が遠ざかるのを感じた。…しかしそれを阻止することは出来なかった。
「(…俺、は…)」
霧散していく意識。繋ぎ止める努力すら水の泡。フッと、ミヤの意識は途切れてしまうのだった。
「おーい、ケー!」
ケーの元に、相棒が駆け寄る。彼は心配そうに少女を見るが、当の本ポケは、「心配しないで」と、軽くあしらう。
そしてケーはバッグを持ち直すと言った。
「…助かったわ。ありがと、トー」
「そりゃ、どういたしましてだな」
素直な感謝の言葉に少し驚きつつ、ニッコリ笑って返すトー。
「…とにかく、ここを離れましょう。あまり長居したくないわ」
「同感だ。そろそろ潮時だろうな。…ん?」
二匹組が撤収しようとした、その時。辺りを軽く見回していたトーは、何かを見つけ、声を上げる。
ケーもつられるようにそちらを見ると、トーはそっちへ、そそくさと歩いて行く。
彼が見つけたのは、トキが首からかけていた巾着。戦闘の際に紐が千切れ、首元から去ったらしい。ボロボロの真紅の紐は、見るも無惨なことに、ズタズタに切れてしまっていた。
その薄汚れた灰色の巾着を拾い上げて、トーはケーの元へと蜻蛉返りした。
「なあ、これ貰ってこうぜ!いきなりアイツらが仕掛けてきたんだから、戦利品くらい貰ったってバチ当たんねーだろ?」
「…何入ってんのよ、それ」
トーがそう提案する。何処か誇らしげにも見える表情。
しかしケーの疑問は最もである。
そんな冷静な言葉を投げられ、トーはちょっとだけ考え込む。
「うーん。…まあ、後で確認しとこうぜ!ほら、此処、早く去った方が良さそうだし。それに肌身離さず持ち歩いてる物なんだから、結構貴重な物が入ってると思うぜ?」
納得出来るような、納得出来ないような。妙に筋が通っているようで割と適当な発言を聞き、肩をすくめるケー。
ともあれ彼らは此処から離れるつもりなのは変わらない。ケーは集中して、『テレポート』の準備を始める。
『テレポート』とは、ケーシィ族が唯一使える技である。その名の通り、空間を跳びワープすることの出来る技である。普通は技を発動した本ポケしかワープ出来ないが…どうやら彼女は、周囲の仲間も纏めてワープさせることが出来るようだ。さらっとやってのけるが、実はかなり規格外なことをしている。
「行くわよ、トー」
「おう」
ケーの呼び掛けに応じるトー。彼はそっと少女の手を取る。
「ま、て…」
「…え?」
絞り出すような、苦しげな声が聞こえて、ケーは困惑する。
トーはキョロキョロと、声の主を探す。…それは、意外と近くにいた。
「…っ!オマエ、もう目覚めて…」
「かえ、せ…トキの…」
「黙れっ!」
トーは、自分の足元で、ふらふらと立ちあがろうとするミヤを目撃する。彼は『マッハパンチ』を腹部目掛けて放ち、さらなるダメージを蓄積させる。
後方に吹き飛ばされ、膝をつきながら。ミヤは、笑っていた。
「うぐっ…」
「しつこいな、オマエ…」
「そろそろよ、トー。『テレポー…』」
「『ばくれつの、タネ』」
ミヤはそう呟いて、口の中にタネを含む。今まで使い時を伺い、隠していた奥の手。
そしてミヤはどうやら、視界は回復しているようだ。彼は二匹の元へ近づくと、タネを思い切り噛み砕いた。
ドカァァン!
…小規模ながら、高温の炎を伴う爆発が発生する。
ケーとトーは顔を顰めた。このタネは攻撃に使われるもの。この爆風は彼らの身体に間違いなく、ダメージを与えているのだ。
「くっそ…オマエ、よくもやってくれたなぁ!?」
トーはそう叫びながら、『タネマシンガン』を乱射した。まるで雨のような数のタネがミヤの身体を殴る。
危なっかしい足取りで距離をとり、逃れようとするミヤだったが躓き、よろめいてしまう。そこから体勢を立て直せず、彼は倒れ込む。
ケーは乱された集中をすぐに戻すと、精神を統一して技を起動する。
二匹を光が覆い始めた。さらに彼らの周りの空間が歪んで見える。
ミヤは何かを言おうとしたが、既に言葉を発する気力が残ってはいなかった。
「『テレポート』」
そして瞬時に、お尋ね者の姿が消える。
「……」
ミヤはしばし、そのまま呆然としていた。
やがてよろよろと立ち上がると、スカイとトキの元へ歩き出す。
「スカ、イ…。ト、キ…」
虚な蒼い瞳で仲間を見つめ、呼びかけるが。どちらも、その声に応じることは無かった。
ミヤはそっと、二匹を抱えた。彼は二匹と比べるとまあまあ体格に差がある。多分普段なら、彼らを抱えて連れて行くのも苦ではないのだろう。
トキの持っていたランプも拾い上げると、ミヤはゆっくりと歩き始める。どうにかして、此処から脱出しなくては。此処を離れて、彼らを治療しなくては。そう思いながら、彼は歩む。
身体中がギリギリと痛む。視界が陽炎のように揺れ、焦点は定まらない。ただがむしゃらに、半ば足を引き摺るようにしながら、彼は進んでいた。
「………」
かつても、こんな風に彷徨ったような。何処か既視感があるような、奇妙な感覚。
それをボンヤリと感じながら、ミヤは海岸の洞窟の最深部を去った。