第一章 遷世の夢
水に沈む教室
山奥にひっそりと存在する小さな村。昔はもう本当に小さくて小さくて地図にすらのらなかったらしいが、数ヶ月前都会での行動があまりに目立つ不良たちが半ば押し付けられるようにやってきてから、随分と発展したように思われる。しかし抵抗があるのもほんの少しの間だけだ。いまや亘の在学する村で唯一の小学校にも、メイクの濃いこどもたちが溢れかえっている。ここに転居するように言われたことを不満に思う親たちの喧騒も、だいぶよくなってきたみたいだ。

「ねぇわたるぅ!いつんなったらうちらのクラスライン入るわけー?」

一年生のときから真面目でクラストップだったサナエも落ちぶれたもので、中の上くらいだった亘に主席を奪われている。しかし本人は全く気にせずに、ギャル的生活を絶賛謳歌中である。

「さ、サナエ……ええと、ぼちぼち」
「あんたおそいのよ!このクラスもう全員入ってんだからね?あんただけまじめぶって勉強してるからみんな嫌がってるけどサ、顔がいいからねーー!早く入んなよ!」
「でも…森田さんも林さんも、入ってないよ」
「あいつらはいいのよ!なんで不良道先輩の人たちに混じってあんなのが入ってきたのかわかんないけど、陰キャラは陰キャラでかたまってりゃいいの!」

びしっと指さされて、教室の端にいた二人組が縮こまる。いつのまにかサナエをかこんでいたクラスメイトたちは、それに合わせて大声で笑った。あるものは机を叩き、あるものは足踏みをしながら、おもしろがっている。いじめは良くないよ、と言おうとして、やめた。いじめられる辛さは十分知っているのだが、今度その矛先が自分に向くのを大いに恐れていたからだ。だからいつもこういうことが起こると子どもたちにバレないように、そっと二人に向けて飛行機におられた手紙を流す。がんばって。

昔、まだ亘の顔がいいと言われる前、不良たちがいないにも関わらずクラスメイトたちは亘をいじめた。それは亘が変な生き物と仲良くなって、秘密にしていたのにそれが見つかったからなのだった。獣畜生、とリーダーが言って、そのあと全員がつづく。獣畜生、獣畜生、獣畜生。亘の腕の中にいた黄色い生き物はすっかり震えてしまって、動物にはあるまじき、どこか人間の真似事のような声を上げて鳴いた。石を投げられ、チョークを振りかけられ、それでも亘は生き物をだいていた。するとどこからか、こえがひびいたのだった。

見上げた覚悟だ。賞賛に値する。

他の皆には聞こえていないようで、相変わらず罵倒は続く。

それを賞して、お前を助けてやろうではないか。

凛とした、男にしては少し高めの声だった。
その途端、亘を中心にしてすごい風が巻き起こった。まるで、鳥が舞い上がるときの一瞬の衝撃波のように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
囲んでいた子どもたちの足が浮き、地面に叩きつけられる。いたがる子どもたちを横目に、亘はなんだかこころよいきもちでいた。かっこいい。あなたはだれ?

俺のことは知らずともよい。さて、その生き物を返してもらおうか。

「いっしょにいちゃだめなの?」

だめではないが、今はそうしてくれ。俺のだからな

「わかった。返すよ」

抱いていた生き物から腕をはなすと、こんどは上昇気流に切り替わっていた風にそれが少しずつ浮いていった。あまりに神秘的な光景。生き物はギザギザしたしっぽを振った。「ばいばい!」

ああ。ではな、



「……くん。夏根くん!聞いているの!」
「ひゃあ!」

肩に尖ったものがぶつけられる。続いて、笑いごえ。あっ、そうだ。授業中なのだった、と亘は思う。
「珍しいこともあるもんだわね。夏根亘、授業中睡眠の刑で鞭打ち十回。放課後来なさい」
「はい」
「これだから子供は嫌なのさ」

ぷりぷりしながら先生は去っていく。鞭打ち十回、かあ。これが法律で禁止割れた体罰ということは知っているが、こんな山奥まで響くことはないだろうと教師たちは思っている。更に国はこんな不良たちを押し付けたんだから何も言えないでしょうよ!こっちは亘のおばさんの言葉だ。亘は両親を交通事故でなくし、おばさんのもとに預けられていた。

「林!」

ふと、再び響き渡った先生の声にビクリとする。恐る恐る振り返ると、マスクをした地味な女の子が震えている。親友なのか、いつも一緒にいる男の子が女の子の前に立ちはだかったがそれを突き飛ばし、先生はなんの予告もなしに、鞭を振り上げては打ち付けていた。やめて!亘は思わず叫ぶ、しかし誰も聞かない、聞くどころかまた笑顔でどよめき立っている。打ってはまた赤いミミズのような傷ができていく。そこを何度も打つものだから、マスクが外れて露出した頬から涙のようなかたちで血が幾筋もあふれた。クラスがまた賑わいを増す。いいぞせんせ!頑張れせんせ!そんな声が、周囲から湧き出す。やがてそれはコールとなり……そんなのひどいよ、女の子なんだよ!……亘の訴えもかききれた。
すくなくとも、そうだろうと思った。

「そうだな、夏根。お前の言うとおりだ」

ふと、聞き覚えのない声が響いた。それは水溜りの中に落とされた赤い花のような存在感で、ざわめきの中にもよく通った。

「俺の宝を、よくそのような扱いでやってくれたものだ」

教室はさながら水没したように。

「だめだ森田くん!まだその時じゃない、少なくともあと一週間は」

女の子が先生を退かすような勢いで立ち上がり、さきほどつきとばされた男の子の前に歩いていく。声の主は……あの子、なのか?いつもは細く弱々しいものだったはずだけど。

「あれはいけなかった。貴様の言動は気に食わなかったが、あれはいけなかったぞ。万死に値する」
「だめだアル・・!それはいけない!」
「なあに、予定が少々早まっただけのこと。お前を傷つけたあの女を、俺は許さん」
「でも……」
「生憎、お前以上に大切なものはないのでな。たとえこいつらであろうと、な」

そういった男の子の体が、光に包まれた。そして代わりに現れる、すらりとしなやかな体つきをした男の人。
まず亘は、その美しさに息を呑んだ。ぱっとしなかったはずの顔が、まるで何億もかけて整形したあとのように変わってしまっている。凛々しい眉から形の良い鼻の先にかけて光の筋が通っている。それに、目がむらさきだ。まつげも長くて女の子のようなのに、どうしたものか、とても男らしい。清潔そうな白いシャツと細身の黒いパンツに、つややかな蜂蜜色の髪がよく映える。まるでお伽噺の王子様のようだ。

「もう、しょうがないなあ」
「さあ、お前もその装いをとくがいい、おれもおまえの美しい姿が見たい」

ほんとにばかだね、とつぶやいた女の子がまばたきする間には、やはりその体は女の子のものからきれいな女の人に早変わりしていた。顔の傷も、…消えている。代わりにむごいほど白くきめ細やかな絹の肌があらわれて、やさしく薔薇のいろをにじませた頬はなんともあいらしい。女性特有の細さのうえに更に細いという要素が加わり、腕や首もさながらユリの枝ですぐにも折れそうだ。にもかかわらず全身を貫頭衣でおおい、腰を締めていないのでだぼだぼしたかっこうになっている。髪は膝裏まで伸びてながく、それは白銀のいろをしていたが、窓からの光で薄くブルーに色づいている。現れた二人がひとあらざるうつくしさであったからか、あるいは突然の不可思議な現象に驚いたからか、亘ふくめたその場の全員が固まる中で、ふたりはなんだか間抜けな問答を繰り返す。

「アルは相変わらずいい男だね、いいなあ」
「何を言う、エリもまた美しいだろう、俺など遠く及ばんさ」
「嘘はだめだよ」
「嘘のことは言わない。その初々しさでさえ俺のものだ」
「ば バカ!倒すよ!アルがはじめたんだからね?今日は誰も返さないよ!」
「了解だ」

そして男の子だったものはまず苛立った目を先生に向けて、腰のあたりからーー赤と白のボールを取り出した。

サト ( 2017/03/11(土) 21:47 )