第五話「せんぼうと しっと」
3びきの ポケモンが いた
いきを とめたまま みずうみを ふかく ふかく もぐり
くるしいのに ふかく ふかく もぐり
みずうみの そこから だいじなものを とってくる
それが だいちを つくるための ちからと なっている という
「シンオウの しんわ」より
●第五話「せんぼうと しっと」
ポケモン協会は様々なものをその手に担っている。
地方ごとに支部が存在し、ジムリーダーや四天王などの任命を行う。ポケモンリーグの開催やトレーナー用施設の管理なども協会の仕事だ。
そして最も重要な役割が、ポケモントレーナーの統括である。ポケモンを取り扱うものは、そのほとんどが協会の発行したトレーナーカードを持ち、その情報は協会で保存・管理されている。無論、その情報がみだりに覗き見られることはない。……特別な場合を除いては。
「ミモリアオバ、IDナンバー××××‐××××‐××××、最後にポケモンセンターを利用したのは一週間前、リッシ湖の上流に位置するこの場所です。そして、ここに現れるまでポケモンセンターの利用等の痕跡は残していない」
薄暗い部屋にパソコン画面の無機質な光が漏れている。パソコンの画面を二人の男が覗き込んでいた。一人が画面を指差す。それは、シロナとやりあった受付のノガミであった。隣にはその上司の姿がある。上司の名前はカワハラと言って、とりあえず受付するようにとアドバイスしたのがこの男である。
「ノガミ、お前って結構しつこい性格だったんだな。いや、わかっちゃいたんだけど」
パソコンを操作するノガミの傍らでカワハラは呆れたように言った。
「本人に間違いないじゃないか。さっさと彼にカードを再発行して仕事終わり、だろ?」
カワハラはどちらかと言えば大雑把な性格だ。仕事は適当に、さっさと終わらせたいタイプである。
「それはできません。年間に何件、他人のカードの流用や本人のなりすまし行為が起こっていると思いますか? 対応を間違えれば責任問題です。事には慎重にあたらねばなりません」
一方のノガミはどちらかといえば几帳面で神経質なきらいがあった。
「……お前ってさ、変なとこ几帳面だよな。少なくとも彼は本物だろ? ポケモンだってちゃんと言うこと聞いていたじゃない」
「あれは暴れていただけです。なにせ一週間も預けっぱなしだったのだし、溜まっていたのでしょう」
「へえ、なんでそう思うの」
カワハラの質問に「昔リーグ出場した経験からですよ」と、ノガミは不機嫌そうに答えた。
「それに変じゃありませんか。リーグ挑戦前に一週間近くポケモンを預けっぱなしなんて。普通は実戦さながらバトルさせて調整するとか。身体を休ませるにしたって、一週間は長すぎる」
「人それぞれ……なんじゃないのか? そういうのって」
カワハラはそう言ったが、ノガミはいいや絶対におかしいと言い張った。
ミモリアオバの監視、ノガミはそれを青年に上司からの命令だと説明していたが、実際のところその役を進んで買って出たのは彼自身だった。
気に食わなかった。ポケモンを一週間預けっぱなしにした挙句に、トレーナーカードも持たずやってきた。おまけにあんな綺麗な女の子に出場交渉までさせて。なんであんな情けないヤツが去年のベスト4なのだろう。
「とにかく、トレーナーカードの紛失や拾得の情報があったら僕に回してくださいよ」
と、ノガミが言う。「はいはい」と、カワハラが返事をした。
正直、あんなやつ予選で負けてしまえばよかったのに、とノガミは思っていた。
いや、案外彼は強いトレーナー全般に対してもそういう類の考えを持っているのかもしれなかった。強いトレーナーを見ると無性にイライラするのだ。特にそいつがぼうっとしていたり、どこか抜けていたりすると、そのイライラが一層強いものになる。つまり、ミモリアオバみたいなポケモントレーナーがまさにそれであった。
だが、今日まで彼がそれをあまり表に出すことはなかった。自分がそうなる原因はおそらく自分の過去に起因しているのはわかっている。何より、そういった態度を表に出すのは、お世辞にも大人な対応とは言えないだろう。ましてや、ポケモン協会の職員として、いかがなものかと思う。
だがあの時、受付でシロナとやりあって反泣きにされたあたりから、彼は湧き上がってくるその気持ちに抑制が利かなくなってしまった気がした。「四天王」という一種の権力を振り回されたことで、自分は協会職員だからとか、大人な対応をとるべきだとか、急にどうでもよくなってしまったのかもしれない。
「だがな、あまり深くは首を突っ込むなよ。以前、一目惚れしたトレーナーの行方これで調べて、追い掛け回して、クビになった職員がいただろう」
カワハラがそんな忠告をした。
「ああ、ありましたねぇ、そんなこと。気を付けます」
ノガミは素っ気無く返事を返す。
そうだ、こんなことを調べてどうする? 身分がはっきりしないことをネタに嫌味の一つや二つ言ってみたところで、彼を舞台から引きずり降ろすことなどできないだろうに。一週間の空白が何だ。今に何らかの形で本人確認がとれて、カードが再発行されて終わりなんじゃないのか。実際のところノガミはそう思っていた。
思っていたが、彼は調べることをやめることができなかった。
シンオウリーグ、そこで優勝するのはこの地方のトレーナーの夢である。
シンオウ中から腕に覚えのあるトレーナー達が集まり、強さを競い合う。それに加えて、他の地方からの参戦者もある。それだけに参加者の数は膨大だ。その人数を捌くために二日目、三日目と予選が続く。
そして、予選の後に続くのが決勝トーナメントだ。シロナや青年のように予選程度なら軽々と抜けてトーナメントに行く者がいる一方で、多くのトレーナー達が予選でふるい落とされるのもまた事実だった。
表彰台を夢見ても届かない。決勝トーナメントの進出さえ叶わない。ポケモンリーグはそんなトレーナーたちを毎年のように吐き出しているのだ。勝ち残る者達がいる。それ以上に消え行く者達がいる。決勝トーナメントのメンバーはそうして出揃うのである。
選別されたトレーナー達。彼らはランダムに振り分けられ、対戦相手が決定される。
作成されたトーナメント表の頂点を目指し、選ばれた者達の戦いが始まる。
「よお、アオバ。アオバじゃないか」
トレーナー宿舎のロビーで青年は呼び止められる。
見ると、傍らにエンペルトを連れたトレーナーが立っていた。男性のトレーナーだ。少しばかり小太りしていて、体型が彼の連れているエンペルトに似ていなくもなかった。
きょとんとする青年に男性トレーナーが続ける。
「俺だよ。決勝トーナメントで去年対戦した」
と、言った。トレーナーは当然、青年が自分を覚えていると思っているらしかった。
弱ったな、と青年は思った。きっと自分が特殊な状況下に置かれているのでなかったら、覚えていたのかもしれないが。
「…………」
青年は無言のまま申し訳なさそうに彼を見た。
少ししてトレーナーは、事態を、少なくとも今、青年の頭の中に自分という存在がないらしきことを悟ったらしい。青年の目にトレーナーの表情が険しくなるのが見えた。
「そうかい。少なくとも俺はアンタの眼中にはないってことかい」
と、トレーナーが言う。
違う、そうじゃない。だが、青年は反論ができなかった。いや、今事情を説明したって、相手はバカにされただけと思うだろう。
「……ごめん」
と、青年は答える。相手が固まったのが見えた。エンペルトが横目に主人の様子を伺う。鉄仮面の表情は動かないが、目の動きが気まずい雰囲気を察している。
「……さすがは去年のベスト4、今年の優勝候補は違うよな?」
ショックを隠すように、精一杯の皮肉を込めてトレーナーは言った。
シンオウリーグに出るトレーナーならチェックはしてるさ――昨晩屋台で男が言った言葉が思い出された。
「アオバー! トーナメント表できたって!」
後ろから、いかにも興奮した感じのシロナの声が響いてきた。後ろからとことことルカリオがついて走ってくる。
だが彼女も、貰ってきたわよ、と意気揚々と言う前に、目の前にいる二人のトレーナーの気まずい雰囲気に気がついて黙った。あららー、やっちゃったわねー、といった感じで気まずそうな表情を浮かべた。記憶が戻らない限りいつかはこうなると思っていたようだ。
おいおいしっかりしろよ、といった感じで彼女のルカリオが青年を見つめる。
「君、シロナだろ」
と、トレーナーは言った。
ええ、とシロナが肯定の返事をする。
「彼ね、俺のこと覚えていないんだって。ショックだよなー。シロナ、君はどうだった?」
彼はそんな質問を投げかけた。すると彼女は少し困った顔をして笑うと、
「私もね、忘れられちゃったの」
と、答えた。
青年はドキリ、とする。
「初日に声をかけたけど、ぜんぜん私のこと覚えていなくて」
「そうか、君もか。俺より上のほうまで進んだ君まで忘れられているんじゃ、俺を覚えているわけないな」
「まったくひどい男よね。だから私、初日に改めて覚えてもらったわ」
「それはひどい、な」
シロナの意見にトレーナーが同意する。
「でもね、今度はきっと勝ってみせる。そうしたらきっと彼は忘れないわ」
彼女はそう付け足した。
胸のあたりが重い。大きな重りを心臓に乗せているようだと青年は思った。
「そうそう、トーナメント表出たわよ。あなたも貰ってきたらどうかしら?」
と、シロナが続ける。そうするよ、とトレーナーは答えた。
「イワトビ、行くぞ」
鉄仮面のエンペルトに声をかけると、自然に去る口実ができたとばかりにトレーナーは足早にその場を動き出す。ぺたぺたとエンペルトが後を追った。一人と一匹の後姿がだんだんと遠ざかっていく。
ああ……、と青年は思った。なにか取り返しのつかないことをしてしまった。見限られたような気がした。このままではいけない、とも。
「待ってくれ!」
気がつくと、彼は叫んでいた。
もう表情は見えなかったがトレーナーが立ち止まる。
「忘れていてごめん! でも覚えるから! シロナがそうだったように君のことも覚えるから! 君の名前は!?」
すると、トレーナーが振り返るのが見えた。
「カイトだ!」
トレーナーは答えた。
「いいか、忘れたなら今覚えとけ! お前を倒すかもしれない男の名前だ! いいか、忘れるんじゃないぞ。お前を倒したいと思っているのはそこの女だけじゃないからな!」
そう言うとトレーナーとポケモンは去って行った。
彼らを見送って青年はほっと胸を撫で下ろした。唐突にあんなことを口走ってしまったが、今の自分としては最良の選択だったように思えたのだ。
ふと視線に気がついて、そちらの方向を見ると、シロナがニヤニヤしながら腕組みをして立っていて
「これぞ、青春よね」
と、言った。
「別にそういうわけじゃない」
青年はぶっきらぼうに答える。
「でも、いい心掛けだわ。記憶喪失なりにトレーナーの自覚が出てきた感じ」
シロナは本当に感心した様子でそう言った。
「でも、彼には負けちゃだめよ? 私と当たるまで負けちゃだめだからね」
だが、しっかりと釘は刺すことは忘れない。
青年を倒し、さらなる高みと進む。それこそが彼女の目的なのだから。
「…………最大限、努力はしてみるよ」
あまり自信がなさそうに青年は答えた。
「見てみろよノガミ、あのかわいい子とカード無しの彼、準決勝で当たるぜ」
トーナメント表を入手した見たカワハラは、後輩の元へそれを持ち込むと、興奮気味に語った。いつのまにか二人の事は彼らの話題の中心になっていた。
ノガミはカワハラから表を受け取る。見ると、二人の名前に赤丸が付き、一回戦のところまで赤線が延びていた。それを見てノガミは、
「準決勝で当たるって、それは勝ち上がればの話でしょう。それまでには五回勝たなくてはならない。女のほうはともかく、ポケモン任せの彼はどうでしょう? 決勝トーナメントは予選ほど甘くない」
などと、冷めた意見を述べた。
「それよりカワハラさん、頼んでおいたものいただけますか」
と、彼は続けた。
「はいはい、まったく仕事人間だねぇ、君は」
カワハラは呆れたように、諦めたように頼まれていたものを差し出す。
「職務に忠実だと言ってもらいましょうか」
と、ノガミが答え、受け取る。受け取った書類を手にして、くるりと椅子を回し、デスクに向き直ると、ざらっと内容を確認する。数字がいくつも並んでいる書類だった。
「決勝トーナメント……か」
ひととおりの数字に目を通した後、彼はそんなことを呟く。
決勝トーナメント。表彰台へと続く一本道。だが、その道に必ずしも出場したいものが立てるわけではない。選ばれた者のみが出場できる。それが決勝トーナメントなのだ。
それはかつて、自分のたどり着くことのできなかった場所。それを青年は軽々と乗り越えて行った。それを可能にしたのは青年の主力、ガブリアスだ。
ガブリアス。そもそもポケモンの種類からして因縁めいているのだ……と、ノガミは思う。眼球がせわしなく左右に動き、数字の羅列を追っている。
「そうさ、決勝トーナメントは甘くない」
と、彼は再び呟いた。
あれから少しばかりの日数が過ぎたが、青年のカードは未だ行方不明のままだ。
青年はシロナからトーナメント表を受け取る。
頂点の下に大樹が根を張るように線が伸び、その下にいくつもの名前が書き込まれている。その中から彼らは自分達の名前を探す。
ふとその横で、ルカリオが彼の主人をつっついた。こんな時になんなのよ、とシロナが言う。ルカリオが二人の背後のほうを指差したが、トーナメント表の根っこを目で追うのに夢中な彼女はそちらを見ることもせず、ほとんど相手にしなかった。
一方、ルカリオの示す方向をちらりと見た青年は、何かの影がふっとロビーのガラス窓の角に消えるのを見た。
それは、彼の目に二本の触手のように見えた。先端が平たく、その真ん中がきらりと光ったような気がした。
(なんだ、あれ……)
青年は怪訝な表情を浮かべる。
「あ! あったわよ、アオバの名前」
青年が影の正体について思案している間に、シロナは樹形図の中に青年の名前を発見したようだ。青年の関心がそっちに移ったのを見て、その場所を指差す。次に自分の名前と青年との距離を見て、さっそく何回戦で当たるかの見当をつけ始めた。
影のことはいったん忘れて、青年もトーナメント表に目を通す。まずは自分の場所を確認する。次におのずと、目線はその隣に、彼の対戦相手の名前のほうに注がれることになった。
青年の名前の隣に記された一回戦の対戦相手、そこにあった名前は、先ほど青年に名乗ったあのトレーナーの名前だった。
――いいか、忘れるんじゃないぞ。お前を倒したいと思っているのはそこの女だけじゃないからな!
トレーナーの台詞がリフレインする。
予選のようにあっさりとはいかない――そんな予感がした。
そして、青年の予感、ひいてはノガミの予想は当たってしまった。
ポケモンに指示を出すことのできない彼は、トーナメント一回戦から苦戦を強いられることになったのだ。