人間嫌いの少女
「…」
ふと目が覚めた。半目で見る半分の景色は、ぼんやりと赤い光と、赤が映える暗闇。まどろんだ瞳からの情報はそれだけで、後は感覚で分かる、ポケモンの匂いと毛の感触。寝ている場所は落ち葉の上で、それはグラエナの親子が作った大切な場所で、自分はそこに泊めてもらっているだけで。赤い光の正体は火。グラエナの親子に許可を貰い、焚いたもの。絶対に巣に近づけないからと約束して、その火の暖かさにグラエナの親子も興味を示して、結局はこうして火の傍で寝ていて。時は丑の刻。時計のないこの世界で、いつの間にか身に付いていた野性的感覚。見つめた景色が何も変わらないことに安堵した私は、再びゆらりとした心地の良い眠りに落ちた。
◇
「昨日はありがとう」
グラエナの親子に礼と木の実を渡すと、笑顔でばいばいを言って巣を後にした。まだ幼いポチエナが、少女が去ることを惜しんで一声鳴いた。
『いっちゃやだ』
そう言っているように聴こえる。否、言っている。少女は、ポケモンの声を理解することが出来る。だが、少女は振り向かない。長い間切られていない、腰まで伸びた栗色の髪をふわふわと揺らして、森の奥へとその姿を消した。
少女の名前は、無いと言えば無いし、有ると言えば有る、とても不安定な存在である。今はいない、最早記憶にすら残っていない両親から貰った名前はロヴィーネ。苗字が「夕張」に対し、名前はカタカナと、バランス的にもかなり不安定なこの名前を、少女は嫌っていた。名前を訊かれたら、少女はいつも「ない」事にしていた。自然の中で暮らす分には、名前など必要性がほとんど無い。ポケモンたちの巣に寝泊まりするとき、そこの主に小さな子供がいた際は、彼らが適当な名前を少女に付けた。木の実が好きな子供からは「キノちゃん」、母親を亡くした子供からは「おかあさん」、柔らかい物が好きな子供からは「ふわふわ」など、数多ある。少女は、その一時的な名前を気に入っていた。たとえ、そこに意味がなくても。
*
裸足で踏みしめる土の感触は硬い。季節は冬。ノースリーブのワンピースは雪のように白く、胸元にさりげなく飾られた月を模したネックレスは銀色に輝いている。
「…」
崖に危なげに立った大木に難なく登り、枝に座る。下を見下ろした少女は、大きくため息をついた。眼下に広がった景色に、心底うんざりした。見渡す限りの人、人、人。少女は人間が大の嫌いだった。微かな吐き気を覚える。こんな景色、大嫌いだった。かき消すように右腕を力強く左右に振った。感情が働くことはない。本能からくる嫌悪感だった。
「嫌いよ…。こんな、醜い世界…」
呟くと、自然と動く右手。縮小された都会にかざして、握りつぶすように拳を固めた。きゅっ、と眼をつむり、広がる景色を想像する。
ビルなど一棟も建たない、地平線に向かって伸びる大草原。草木の間で繰り広げられる、生と死のやり取り。全身で感じる、野生の気。
眼を開いてしまうと、がっかりするのは目に見えていて。この光景を、なんとか脳裏に留めて置きたくて。そのためには、たった一つの方法しかなくて。
少女は、枝から落ちてしまわないように、細心の注意を払いつつも、うとうとと静かに寝息を立て始めた。
北風が肌寒い、冬のことである。