わたりどりのホエルオー
第04話 駿鳥、汗血鳥、羽くらべ?
シンセイやヨウリが住まうコウコウタウンは、北から南方へと長く伸びた地形をしているショウカ地方の最南端の町だ。
町の周囲は低標高の山が造山しており、その麓に位置する人々の居住地まで流れる河川が、この町の特色の一つである砂金を生み出している。
山腹に現れた金鉱脈が雨風などで洗い出され、流れ落ちた水路の先で下流の川岸の砂礫の間に沈殿し、粒状となって川底に埋もれたそれを鉱物に五感を使い敏感に反応するヤミラミなどのポケモンたちの力を借りて採取される。シンセイの母の営む細工店で扱う装飾品などもこの砂金を加工したもので、主に地元の土産屋として利用されることが多い。
この町が他の場所より鉱脈が豊富である理由は、開拓時に発展した地域が北方よりであったことによるアクセスの悪さと、日照時間の多さにより暗闇を好むヤミラミたちが生息し得なかったことが起因しているが、現在にも残る周辺の街への交通面での不便さやそれによる過疎状態を加味すれば、どちらが得かと言われるとどっこいどっこいと言ったところだ。
町の北側へ抜ければ、隣町へと蛇行しながら伸びる木々が覆う1番道路。最南端の位置からカウントされている地方道路でこの地方の栄えある最小の整数を冠しているが、人の手も入れられず逞しく成長し人道だろうとなんだろうとお構い無しに伸びた木々たちは、良く言えば野趣溢れる自然道。悪く言えばもはやただの森の様相を呈していて、その『1』がワーストの最高位を表すものではないよう願わずにはいられない。
そして、現在町を発ち1番道路に踏み入った二人の少年少女は、安直を死より恐ろしいと考え物事の裏を常にかいてしまう気弱な少年は後者と取り、方やまったくの事実に喜劇を意味付けることを楽しむ明朗な少女は前者と取って、肩を並べて歩いていた。


元来一度は踏み固められ、人間のために舗装されていた乾燥した硬質な土壌は、人通りの少なさが木の根や蔓延る雑草の侵食を許し、獣道程度にしか残っていない。
その僅かな軌跡を辿りながら歩く彼らの頭上や木の間からは、野生の聖地であるこの場においての余所者を揶揄うかのように、獣がその身体で掻き鳴らす、草が座喚く駆動音が突発的に囃し立てられる。
太陽の光を求め、我先にと高く競うように持ち上げられたその枝葉を突き破って葉の折れ散る音と共に聞こえた風をみじん切りにするはためきにシンセイは身を強ばらせたが、その囀り声が遠く空へ消えていったことに胸を撫で下ろした。
林の奥へと目をやれば、ずんぐりとした体型に丸い尻尾を持つポケモンが、人の足が踏み鳴らす摩擦音に耳をそばたてながらも長い前歯で呑気に枝を齧り続けている。その傍の木では柔らかな数珠繋ぎの若草色の身体をした虫ポケモンが木膚を這い、たった今イネ科の草の群生場所から道へと飛び出してきた紫色の小柄なポケモンは、こちらを一瞥してすぐさま向かいの木々の間へ疾走して行った。

「案外、人間を襲ってくるポケモンっていないんだね」
生い茂る木の葉が太陽光を貪り、生き物の警戒本能が安堵するこの1番道路に住み着くポケモンは多いようで多種多様な種類を目にするが、市街地外では携帯獣取り扱い免許所持者の同伴がなければ通行、立ち入り、居住禁止である理由の最大の根拠である『ポケモンによる襲撃』を、彼らはこの数時間の内に体験していなかった。
二日に一度はニュースで報道される道路事件が頭に刷り込まれていたシンセイは、道路へ入ったときから直ぐに取り出せるようにとポケットの中で掴み続けていたモンスターボールから拍子抜けして手を離す。
両手をフリーにしてポケモンもまるで意識せずに歩くヨウリに戦々恐々としていたが、寧ろ彼女のスタイルこそ道行くトレーナーの基本体形なのだろう。
「うん。そりゃすごく警戒はしてるだろうけどさ、基本的にポケモンも頭の良い生き物だから、自分たちが手を出さなきゃ穏便に済むって分かってるんだよ。まあ、その分私たちの方から攻撃したら本気でやり返されるけどね」
毎年多数発生するポケモントレーナーなどの死傷事件の件数は、この世界に住まう人類の殆どは嫌と言うほど理解している。ポケモンは、人間と同等のレベルで知能の発達し、人間より遥かに武力を持った生き物。人類がそうであったように、格下の命を消してしまう方法などいくらでも持ち合わせている。
まるで無力そうなぽってりとした身体をしたあのポケモンも、足元にいれば潰してしまいそうな虫ポケモンも、逃げてしまった小さなポケモンにも、敵と看做されれば自分は簡単に殺されてしまう。
「あんなに小さいのになあ」
「ここら辺は進化前のあんまり強くないポケモンが多いけど、人に育てられてもいないのに進化してたりするポケモンはやっぱり喧嘩っ早いのとかが多いんだ。そういうポケモンは本当に危ないから、気を付けてね」




素肌を守る毛皮の配色を部位ごとに多様に変化させ、頭部を細かい被毛で守る二足歩行の生き物が駒のように小さく見える。無法地帯のこの森で、唯一規則性を持って抗おうとする一筋の道は、上空から眺めると敷き詰められた樹葉を二つに分断しているようだ。
人通らない辺境の野生地へやって来る人間たちは、この周辺一帯ではまみえない未曾有の姿の者を使役することを知っている観察者は、久々の来訪者に全身の筋肉を歓喜させる。
神経が警戒心に張り詰め、昂るような快感が伝搬し身体が震える。それをいなすように涼やかな気流に身を任せ緩やかな旋回をすると、間発入れず鋭く風を切り刻みながら上昇した。
揚力と速力が満たされていく、高鳴る鼓動は酸素を碌に吸い込むことも許してくれない。だがそれがいい。「動」というものの肝心要は、目標に対しての固執した捕食心、限界まで追い込んだ欲望なのだから。
両脇の充足感に経験則がゴーサインを出す。翼を畳むことで浮上力を捨て重力に従い、身を擲つ兵士のように橙色の弾丸は滑空した。




ソレは、網のように張り巡らされた太い枝の隙間を一直線し、槍のような小枝を最小限の動きで巧みに回避し、まるで最初から決められていたコースを迷いなく突き進むような勢いで突進してきた。羽ばたきすら失った無音の鳥ポケモンは、もはや一体の獣として平穏に酔った恰好の獲物に猛進する。
「っ!?シンセイ君!」
留意点の正しくお手本のような状況。彼の背後に矢のように穿たれていた、音のない橙色の影。その姿を認識しようと視覚が微量な動作を捉えるために体感時間を操作するが、しかし無限に思えた時間は束の間で、怯えた瞼が保身に入ってしまう。
それを皮切りに防御に移ろうとする全身を必死に叱咤し、盲目のまま目の前に存在する筈の彼に腕を伸ばす。
凹凸の少ない太い幹のような感触。恐らく、胴体。
渾身の力を込めて横に倒す。今この瞬間が未だ日常であると信じ切っていた足はあっさりと地面を放棄し、余剰分の力は運動を続け腕の重みで傾いた身体によってヨウリまでも倒れ込んだ。
「う、わっ!?」
突然地面に穴が空いたかのように踏み締めた足が空回りし、無限感に怖気がはしる。瓦解した視界に理解力が追いつかない。スピードが乗った細い風は怜悧な冷たさを孕んでいて、横倒しになって晒された耳に触れたそれにシンセイは息を呑む。
シンセイの足の上に崩れていたヨウリは開いた目で再び突っ込んでくる襲撃者を捉え、腰のベルトからもぐようにしてモンスターボールを投げつけた。
「からみつく!」
ボールの中で既に異常事態を察知していたモンジャラは臨戦状態で待機させていた無数の蔓を降り落ちる相手へ伸ばすが、流れる滝のような人海戦術は嘲笑うように尽くすり抜けられ、鳥ポケモンは推進力を殺しながら近場の枝に着地した。
モンジャラは蔓も仕舞わず、敵から一秒たりとも目を逸らさない。相手の力量を理解した以上、一度足りとも気を緩めればその素早さに食われてしまう。
夕焼けの色をした頭部に雲海のように青みを含んだ胸部や翼。黒い尾羽をピンと立たせ、小振りな嘴は剣先のように鋭さが増して見える。容赦ない攻撃の使い手に似合わず愛らしい小鳥は、牧歌的な歌うような音色で挑戦的に彼女らを睥睨した。

尋常でない速さ。ヨウリとのバトルで目にしたロコンのでんこうせっかにも勝る音速にも近いそれが、果たして技なのかこのポケモンの持つ特化した身体能力なのか。シンセイはジーンズのポケットからポケモン図鑑を取り出し、先程の騒動を無事に耐え抜き起動した手帳型を頭上に構える。
『ヤヤコマ コマドリポケモン。ひとなつっこいせいかく。うつくしいさえずりとおばねをふるうごきでなかまにあいずをおくる』
「人懐っこいって……どこが!?」
画面の中に大人しく居ずまう姿は確かに瓜二つだが、先程の一陣に紛れもない殺意を感じた彼からすれば図鑑に対して不信感を抱かざるを得ない。
メニューをタッチすることで更に広がる活字の情報に目を通す。するとその中には『一度縄張りに入ると容赦しない荒々しさ』という言葉が表記されていて、猜疑心は払拭したが同時に危険意識の水準は跳ね上がった。
「ヨ、ヨウリ!ここって、ヤヤコマの縄張りなのかも……」
ヤヤコマと睨み合いを続ける土の付いた白い背中に喚起する。この情報が正しければ、一刻も早くこの場を離れた方が得策だ。
人もポケモンも見境なく攻撃する凶暴性を孕んだポケモン、加えてこちらのアクションを全て躱すほどの機動力。相手にするより受け流しに努めた方が利口だと思った。
「やー……多分違うな」
ヨウリは動かない。ヤヤコマは待ちかねるように堂々と張った胸を小刻みに揺らしている。
「さっきまでここら辺も沢山ポケモンがいたろ?ヤヤコマの縄張りだとしたら、誰もここには入れない筈だ」
言われてみると、確かにそうだ。ヨウリに強引に伏せさせられる寸前にも、視界の先では灰色の鳥ポケモンが地面を啄いていた。
「シンセイ君。さっきポケモンの中にも喧嘩好きなヤツがいるって言ったじゃん?私、一回ヤヤコマの闘ってるところを見たことがあるんだけど、こいつはそれより全然速い。生まれつきなのか鍛えたのかは分からないけど……多分、それを強みにした無類のバトル好きだ」
「じゃ、じゃあ」
ふわりとヤヤコマが翼をはためかせた。どうすれば、と言い終わる前に、我慢の螺が勢いよく吹き飛んだ駒鳥ポケモンはバネのように弾き飛び、モンジャラ目掛けて射るように突っ込む。
「つるのムチでガードして!」
先程の闇雲な唸らせ方を捨て、蔓の群は網目を作るように張り巡らされる。ヤヤコマはその植物の壁へ突撃する寸前に上空へ身体を逸らし、反動を流れるように利用し再び猪突してきた。
「今だ!」
指示を受け、泰然と貼り固めた蔓壁をそのままに動きを見せるモンジャラを見たヤヤコマは、根元で全てを指揮する草の奏者から伸びる蔓の数本が、自身の身の後方へ伸びていることに気づく。
景色が、蠢く。
深緑の影の中に紛れた花浅葱は、擬態した一つの生き物のようにその身を滑らせる。小さな頭が振り向いた瞬間、寡黙な捕食者は小鳥の無防備な上背に鞭を打ち付けた。
ヤヤコマは小さな生き物の憐れっぽい悲鳴を上げて、地上に叩き付けらる。しかしすぐさま翼を起こし土埃を巻き上げ飛び上がり、逆上とも高揚とも取れる、切れるように鋭く高い声を発し、好敵手を大きな瞳で強く見つめた。
「いーじゃんか、カッコイイよ!」
ヨウリが二つ目のモンスターボールを取り出す。
「倒す、っていうのも手だけどさ」
木漏れ日を受けて輝くその球体は、取り込むものを求める紅白の口を未だ硬く閉じたままだ。
「私はこのヤヤコマ、ゲットして見せる」
ゲット。人がポケモンを見初め、或いはポケモンが人を認め、捕獲器であるモンスターボールを介して互いの関係に名を付ける。力の認め合いを経てのそれは儀式とも言え、幾多のトレーナーのエモーションを刺激する。
瞬発力、回避力、機動力、スピードに於いて無欠とも言えるヤヤコマを力で組み伏せると宣言した彼女に、シンセイも少なからず一種の感動を抱いてしまう。
「いくよヤヤコマ、私と勝負だ!」
待ち望んだ開戦宣言に、ヤヤコマの体内の血液が流れを早める。動脈の鼓動を耳に、熱を孕んだ両翼を広げ、ドーパミンに沈殿した頭は今なら抗力まで捩じ伏せられると錯覚した。
興奮ではち切れそうな身体はその身体能力を爆発させ、ヤヤコマは小爆発を起こし続ける火薬のようにモンジャラの周囲を飛び回り始める。
「うおお、はっや!」
籠を描くように四方八方を飛び回られ、撹乱を狙う動きは目視することも難しい。モンジャラが振り回す眷属たちの身は空を切るばかりで、手持ち無沙汰に幾つもが地面に落ちた唯の植物と成り果てた。
蔓を辺りに忍ばせようにも、行動を起こす瞬間も見えないのなら意味がない。
「モンジャラ、つるのムチ!いっぱい振り回すんだ!」
ならばこちらも下手な鉄砲数撃ちゃ当たると蔓を興して八方へ振り回す。しかし、ヤヤコマはそれを待っていたと言わんばかりに翼を折り畳んだ。
「げ、やっべ……!モンジャラ、右──」
縫うように蔓の軍勢の合間を掻い潜り、右へ左へと遊びを楽しむリズミカルな動きで飛ぶヤヤコマに所定の位置はない。モンジャラがそちらに目を向ける頃には左に迫り、その黒光る鋭角の先端を球形をした身体に一閃した。
「モンジャラ!」
植物に限りなく近い成分で構成された身体のくさタイプに対して、ひこうタイプは空の気候風土と酷似した皮膚体、質材を持つ。植物の適応外であるそれはくさタイプにも同じで、多大なるダメージを与えられる。
『つつく』を受けたモンジャラは触手の奥でくぐもった悲鳴を短く発し、横に張られたように転がった。
「羽を封じる!やどりぎのタネ!」
攻撃で密着した状態の相手に、受け身も取らず胚珠の成分を分泌して形成した小さな種をばら撒くが勢いのまま上空に逃げられ虚しく地に埋まる。
「当たれ当たれ!もういっちょ!」
銃撃のように放たれる種を旋回して避けながら、ヤヤコマは翼の推力を高めていく。高度を失って落ち行く種は恐るるに足らない。
風は穏やか、身体は過剰なスピードに流されるよう。
準備は整った。ヤヤコマはその身体を一筋の矢とし、標的目掛けて放った。
地を生きる植物ポケモンは視覚が情報を収束させることに手一杯で、全機能が停止している。このスピードに追いつける者などいない。最早唯の的と化した植物に己が武器を突き立てようと、顔を突き出し──。
「宿れ!」
目下から、喰らわんと腕を伸ばす嗄れた無数の幼根。空から落ち、再び空に焦がれるように伸び上がった不動の生命体。機微な動きでは回避できないほど大量なそれは、正しく木鉢から茂ったように密集している。
速力に乗っ取られた身体は大胆な軌道修正を許してくれない。折り畳んだ翼ごと巻き取られ、邪気どころか感性すら存在するか怪しい、肥欲だけを求めるその動きにヤヤコマは恐怖を覚えた。
自身の体内の水や葉緑体を分け与えることで急激に成長させ、幼芽が搾取した不足分の養分を対象の生体から通じて搾取する寡黙な生き物の持てる術、やどりぎのタネは羽根を散らして抵抗を試みるその小さな躯体に溢れんばかりの血気に根を幾本も絡み付かせて歓喜する。
羽ばたく活力を、泣き喚く気力を食まれる小柄な体躯は、緩やかに生きる機能を奪われ、遂にはその意識を失い力無く尾羽を垂れた。
腹を肥やした糧を生みの親へと注ぎ込む役目を果たし、胎内の肥やしが枯れ果てた根たちは小さく萎れ干からび土へと還って行き、地表には英気を貪り取られ、翼を擲つように広げたまま地に倒れ伏した無残な被食者だけが残される。
空を疾駆する姿が見る影もないヤヤコマに、シンセイは未だ急流に流されているような心地の身体のままで暫し呆けて動けなかった。しかしヨウリは間髪入れず完勝の証を投擲した。
「よし、モンスターボール!」
回転を加えられた紅白球はその境目を曖昧にしながら真っ直ぐに目標へと放たれ、接着することで生き物の情報を入手したシステムは赤と白の大口を開き、白い光は舌のようにヤヤコマに伸ばされる。
白い光を全身に纏い輝く粒子となったヤヤコマを呑み込むと再び閉口し球体へと形を戻したボールは、生物の電子への抵抗力を試すように三回揺れて硬質なロックの音を響かせた。
「……やった?」
音沙汰のない不気味な静けさに問いかければ、「……多分」という珍しく確信のない返事で、彼女にとっても大胆な挑戦であったということに気づく。
躙り寄るような足取りの重さでボールに近づき、拾い上げる。若干透過する赤い上部からうつ伏せに倒れたままのヤヤコマが見え、ついさっきまでの強敵は手の中に眠っている新たな仲間であることに、徐々にむず痒い喜びが侵食してきた。
「やっ……た!ヤヤコマゲットだ!やったよシンセイ君!」
主人の喜びが伝染し、功労の達成感に足元のモンジャラも跳ね上がる。溢れる多幸感には恐らくヤヤコマから吸い取った余り有るエネルギーも含まれているのだろう。
「もぉーありがとなモンジャラァァ。作戦大成功だよー!」
モンジャラにひっしと抱きつきかいぐり回すヨウリに、シンセイは水を差すかと思いながらも質問をぶつけた。
「ねえヨウリ、最後のやどりぎのタネでヤヤコマを捕まえたとき、何でヤヤコマは避けなかったの?」
「あれはだねシンセイ君、ヤヤコマも自分の身体のスピードが速すぎてコントロール出来なかったんだよ。そんで、あの突進をしてくるときって必ず羽ばたいてから羽を折り畳んでただろ?」
「あ……確かに」
「モンジャラは効果抜群のつつくで結構削られてたし、相手も次で決める!って思ってたら一番効果のあるやり方を選ぶと思ってね。つつくを受けた後にやどりぎのタネをやたらめったら撒き散らしたのは、どこから来てもいいように保険。あとは相手はもう一直線でしか来れないわけだから、位置が分かってからタネを発動させたんだ」
あの激しい勝負の間に閃いた案で計算された勝利であったことに、シンセイは精巧な劇の舞台裏を見たような気分になった。圧倒されて二の句が継げず、只々目の前の卓越したバトルを見せた少女に魅せられる。
彼女の塾越したような迷いない口振りや、ボールを投げるタイミングは到底初心者とは思えなかった。動きにある若干のぎこちなさが更に印象に齟齬を生じさせていて、まるで動作や知識、細かいプロの動きをコピーしようとしているような。
一科目五十分程度の講座では知り得ないであろう機転。日常的に自然に見に着いた観察の結果のような流暢さ。更に、本来大衆からスポットを浴びないであろう小さく傍目にも愛玩めいた鳥ポケモンの戦法を目にしたという言葉が、一つの予想を確信づかせる。
「すごい……。もしかしてヨウリのお父さんかお母さんが、ポケモントレーナーだったりする?」
一瞬シンセイは、彼女の眼球が消えたように見えた。喜びに頬を持ち上げ目を細めた彼女の瞳は確かに瞼の裏だったが、そこに大きな空洞が二つ、ぽっかりと空いたように感じた。

「父さんも母さんも、なんだ」
黒い喉奥が連想されるような、どこか空虚とした耳触りの声。
崖に立って谷風の吹き上げる谷底を覗き込んだように、足が震えた気がした。勢い良く飛び退いて、後退って、直感的に近寄ってはいけないと判る。
「……どっちも、すっごい強いんだ!ポケモンリーグに出たこともあるんだぜ?多分今バトルしてもボッコボッコにされちゃうよ」
柔らかな風に揺らされた葉の間から漏れた陽光に、朗らかな表情が照らされる。日差しに温められたその顔からは影が嘘のように立ち消えていて、明晰夢から覚めたような今に圧倒されて「そうなんだ」とこちらも笑って返していた。
「さて!そろそろ行こうか。一悶着あったけど、今日のうちにビテンタウンに着きたいしね」
モンジャラをボールに戻し、二つのボールをベルトに装着して伸びをする彼女の腕は地面に擦れて赤くなっている。ヤヤコマに襲われたとき、察知していなかった自分を倒したときに受けた傷だと気づき、後暗い申し訳なさが今更広がる。
「あの、ヨウリ、ごめんね」
「?」

痛みもなくバトルの緊張感ですっかり忘れていた存在に対しての謝罪を察することなど出来ず、少女は仮想の手に自分の最も薄暗い場所に触れられた気がして、心の奥底で身を強ばらせる。しかし自ら弱さを露呈することなど許せず、少年の次の言葉を待った。
「僕、言われたそばから攻撃してきたポケモンにも気づかなくて、ヨウリに庇われて、怪我までさせちゃって……。本当に、情けない奴なんだ。多分これからも、ヨウリに沢山迷惑かけちゃうと思うし、だから、」
思わず身体のあちこちを見回して、漸く目の近くにある腕の擦りむきを発見した。途端に放出される記憶のピースが繋がっていき、その目覚ましさに歓声すら上げてしまう。
「……?あー!こんなん唾つければ治るから気にすんなって!ていうか、私もシンセイ君見ないで押し倒しちゃったし、そっちの方が不味いでしょ。大丈夫?頭打たなかった?」
ぶんぶんと振りたくられる毛玉のような頭を見る限り、どうやら問題は無さそうだ。
そうだ、そもそもここまで遠慮しいな彼が、人の一番深いところまで無遠慮に手を突っ込むことなど有り得ない。
彼の横で息がし易い理由は、きっとそういうことなのだろう。
「音も何にも無かったし、私だって姿が見えなかったら絶対気づかなかったよ。二人とも大した怪我も無かったんだから、結果オーライだって」

気遣うような声は罪悪感だけを気にして苛まれている自分を慰めるようで、相手に許されようという思考で謝っていたことに気づいてしまうと、またも自責の念が自然と湧いてくる。
面倒な自分が嫌になる。情けない姿を見ているであろう彼女の顔を見れずに目を伏せていると、厭に粘性を持って低まった声がした。
「じ・ゃ・あ。シンセイ君、お金持ってるよね?」
「た、多少は」
すわ慰謝料かと手持ち分を思い出す。
「次の町で、私に服買わせて。一着だけでいいから」
「へ?」
ボーイッシュなヨウリからの予想外の条件に、唖然としてしまう。しかし考えてみれば彼女も年頃の少女なのだ。現に今着ている服も機能性だけを追求しているわけではなく、中々にセンス良く纏まっている。普段着の大半が母のチョイスによるものであるシンセイは、服を選ぶという新鮮な響きに反射的に頷いていた。
「ホント?ありがとう!いやあずっと地味だなーって思ってたんだよね。シンセイ君の服」
「えっ?」
認識の差異に首を傾げる。ヨウリの服装を見直すが、シンプルに纏まっていて決して地味というわけではない、と素人目に思う。朝の母の言葉が去来し、ひょっとしてイコールで結ばれているのは、と自身のファッションを足元まで見下ろす。
白いパーカー、ジーンズ、履きなれたスニーカー。
「この私がひと手間加えてやろうじゃないか。うんうん、お詫びの奢りでセンスに口出し。実に友だちらしい!」
言葉の一つ一つが自尊心に漬物石の如く重く伸し掛るが、何気ない締まり文句が、何気なく無く静かな衝撃を走らせる。
「ヨウリ、僕らって、友だち?」
「当たり前じゃん」
ああそうか、とやっと安堵した。
友だちというものに恵まれたことのなかったシンセイは、友人の定義付けに対する自身の判断に確信が持てずにいた。彼女の気安い言葉も行動も、対人商売のそれだとしたらと、彼女の笑顔に対して常に疑念が足を引っ張り、どこか身を引いていた。
疑問符の付いた気遣いでもなく、決定的だと印象付けるわけでもない。無関心にさえ聞こえる平然としたそれは、『当たり前』の裏付けに充分すぎるほどで。

緩んだ心の中には何とも単純な感情が積み上がっていが、だからこそ何の警戒もなく受け止められる安心感に、顔全体が柔らかな笑みに包まれた。


のちう ( 2019/03/31(日) 17:18 )