或る姉妹に捧ぐ鎮魂歌

小説トップ
一章 或る姉妹の歪な発端
迷える童女曰く、おねえちゃん
「おねえちゃん!」

 そういえば、動物は生まれた直後に見たものを親と認識することがある、というのをなにかの本で読んだ記憶がある。『刷り込み』と呼ばれる現象で提唱者がたしかローレンツって人だっただろうか。
 ローレンツさんはある鳥の卵を別の種族の鳥に孵化させる、という実験をおこなった。すると雛鳥はその種族の違う鳥を親として認識したらしい。
 たしか雛鳥の名前が……なんとかガンとかいう病気みたいな名前だった。それで親鳥の名前が……ガチョウだっけ? いずれも現代には存在しない、すでに絶滅してしまった歴史上での動物だ。なんでも昔はこの星には百万種以上もの動物が生息していたとか。別段生物学に詳しいというわけでもないから、細かいことは分からないけど。

「おねえちゃん?」

 さらにその話には面白い続きがある。
 ローレレンツさんは別の卵を、今度はロ−レレンツさん自身の目の前で孵化させた。そうしたらなんと、その雛は人間であるローレンツさんを親と認識して、その後ろを付いて歩き始めたというのだ。
 そんな洗脳紛いのことをして自分を親と思い込ませるような嗜虐的な人間が存在したという事実に慄く。ローレンツさんというのは随分と背理的な嗜好を持っていたようだ。どうも前代の人が考えることは私には往々にして理解できない。

「おねえちゃんってば!」

 じゃあ、その雛鳥の目にはローレンツさんっていったいどんな風に映っていたのだろう? だって人間と鳥じゃ姿形があまりにも似ても似つかない。それを親と認識してしまうなんて、なんというか不合理のような気がする。
 その雛鳥には人間が自分と全くよく似た相貌の親類に見えているのか。
 それとも人間の姿形を、自分とは全くもって似つかない異形を認識した上で、それでもなおその異形を我が親と思い込んでいるのか。
 どっちにしたって信じがたい話だけど、いったいどっちだというのだろう。

「ねえ! おねえちゃん!」
 うーん、益体のない考え事はここら辺にしておいて、そろそろ面前の事態に対処しないといけない。涙目になってきてるし、この子。
 『おねえちゃん』という呼称は、おそらく私に向けられているものだ。だって、ここには私と一匹の異形しか存在しないのだ。『おねえちゃん』という言葉を発しているのが私でないのなら、その声の主は異形であることに間違いはなく、異形が何かに対して話し掛けているのなら、その対象は私で間違いない。
 まあ私たち以外にもいることにはいるのだけど、それらは路傍の石ころのように無造作に転がったままピクリとも動いていない。単刀直入に言えば死骸が転がっている。それも二つ。ただ、異形はその死骸に対しては一瞥もくれてないし、だからやはり『おねえちゃん』の対象は私なのだろう。
「うんと……、私はあなたのお姉ちゃんじゃないかなー、なんて?」
 私はちょっとソフトに否定の意を表明してみせる。
 すると私の目の前の異形はあどけなく首を傾げて見せた。
「なにをいっているの、おねえちゃん? おねえちゃんはおねえちゃんでしょ?」
「いやでもほら、私とあなたは全然姿が違うでしょ? それなのにお姉ちゃんっておかしいと思わない?」
 そう、全然違う。
 私は手足が二本ずつあって、二足歩行で、それなりに頭身がある、紛うことなき人間だ。
 でも私を『おねえちゃん』と呼ぶこの異形には手足なんてものはなく、頭身もほとんどなく、地に足(は無いのだけれど)をつけることなく、なんと浮遊しているのだ。
 ここまでの相違があるというのにおねえちゃんだなんて、馬鹿げた話だ。
 しかし異形は答える。
「へんなおねえちゃん。おねえちゃんはおねえちゃんだからおねえちゃんだよ?」
 だめだ。著しく論理が破綻していてまったくもって話にならない。どうしたものだろうか。
 どういうわけだかわからないけど、どうやらこの異形の中ではすでに私は姉として定義されてしまったらしい。
 これも刷り込みというやつだろうか。なにか違うような気がしないでもないけど、もしかしたらそれに準ずるなにかかもしれない、とどこか他人事のように考えていた。

──ねえムウマ、あなたの目にはいったい私はどういうふう映っているのだろう?

   *

 時間は少し遡って、私の家。
 家というよりは屋敷と表現したほうがいいかもしれない。部屋は十数個あるし、そもそも他の一軒家なんかと比べるとその大きさの差は歴然だ。街外れの森の辺りに建っているから、実際に並べて見たことはないけど、並の家なんかよりも五倍は大きい。煉瓦造りのやや古風な洋館だが、周りが森に囲まれているため異彩を放つことはなく、むしろその外観は周囲の景色によくとけ込んでいる。
 内装もシャンデリアだとかあちらこちらに細工が施されていたり、壁に絵画が掛けられていたり、無駄に広かったりと高級感溢れる仕様になっている。閑雅たる美少女であるところの私に相応しい建築物といえる。
 で、私はその屋敷で、つまりは自分の家で、一人庭に紅茶とケーキを並べて夕刻のティータイムに興じていた。暮れなずむ森の景観を眺めながら啜るアフタヌーンティは格別だ。黄昏時に黄昏れる静謐のひととき、なんて言うとなんだかちょっとロマンチックかなだろうか。まあ毎日の日課みたいなものである。
 日課を遂行できるということはつまり、その日はなんの変哲もない日常の一部だったということになる。
 風が木々を揺らす音に混じって、特異な音色が聞こえて来るまでは。
 それは歌、だったと思う。いや、旋律をなしていたから確かに歌ではあったので『思う』というのは変だろう。でも私にはそ旋律はどこか悲鳴染みたようにも聞こえたのだ。
 その旋律は恍惚とするほどに甘美だけれど、反面どこか悲痛な叫びを感じさせる切なさも入り混じっていて、聞いていると胸を締め付けられるような息苦しさも感じる。閑静な森に突如として響き渡ったその歌声が異質で非日常的なものであったことは言うも愚かだ。
 そんな異質に私は聞き入った。心を奪われた、いや、あえて表現するなら魂を奪われるような感覚とでも言おうか。思考を無理矢理に断ち切られて、聞き入ることを強要されるような歌。白くて危ないお薬なんかよりも絶対的な中毒性を持った、そんな歌。摂取したことはおろか見たことすらないからわからないけど。
 ただ麻薬を摂取したら本当にこんなふうになるのではないか、そう思うくらい身体が飛ぶような錯覚があったし、天国にいるかのような悦楽感を味わった。
 数秒だったのか、あるいは数分、数時間だったのか、しばらくして歌は止んで、私は我に返った。
 音の源は森の奥の方らしかった。いったいどのくらい離れたところかはわからないけど、ここまで聞こえたということは、そう遠くないところに歌声の主がいるはずだ。
 そっとティーカップをテーブルに下ろして、私は立ち上がった。あれほどの歌声を持つ者がどんな人物なのか興味があった。ティータイムを中断してでも探しに行く価値はある。
 家の門をくぐり私は森の中へ踏み込んでいった。
 そういえば森の中へ入っていくのは久しぶりな気がする。
 私の家からは街まで舗装された道路が続いているので、街外れとはいえどもわざわざ自然のまま手を着けられていない未開の森の中を通ることはないのだ。ていうか私育ちがいいから、迂闊に森の中に飛び込んでいくような野生児みたいな真似はしないのだ。
 それより、夕暮れ時の森って眺める分にはいいけど、いざ入ってみると薄暗くて不気味な雰囲気を醸している。
 ふと昨日読んだSF小説を思い出した。科学技術で恐竜という太古の生物を蘇らせたテーマパークで、その生物たちに襲われて人が次々死んでいく、という話だった。
 歩いてたら突然ヴェロキラプトルとか出てきたりしたらどうしよう? などという高揚感溢れる妄想が捗る。
 そんなのありえない話だが。
 恐竜なんてものは、哺乳類とか鳥類とかが生息していた時代よりも遥かに前のものだ。あ、哺乳類には人間も含まれるか。
 現代はもっぱらポケットモンスターというやつがこの星に台頭している。それらの誕生とかの生物史を辿っていくと非常に長くなる――というより、その手の知識には明るくないので割愛するが、少し前──私が生まれるよりも何十年か前にそのポケットモンスターが現れ始めたらしい。それまでは哺乳類とか鳥類とか爬虫類とか様々な生物がいたそうだ。どいうわけか、それらはポケットモンスターの出現と共にほとんど絶滅したらしく、現代には植物と人類などの極僅かな種類の動物、そして新たな生物として数百種程度のポケットモンスターがこの星に生息している。
 しばらく歩いていると、開けた場所に出た。
 木々が密集していない、空を仰ぐことのできる程度の空間だ。いつの間にか日が沈んでいたようだ。見ると月が出ている。今度は獰猛な生き物なんかよりも、幽霊とか妖の類が出てきそうな雰囲気だ。
「……ひっ……ひっ……」
「ひっ!?」
 その空間の隅っこで女の子がすすり泣くようなか細い声がして、私は短く悲鳴を上げた。
 一瞬幽霊を想起したが、まさかそんなわけはないと冷静さを保ちつつ声の方に視線を向けた。そこにいたのは勿論幽霊などではなかった。いや、ゴーストの類ではあるかもしれないけれど、短兵急に恐怖の対象となりえるようなものではなかった。
 あの後ろ姿は図書館で借りた図鑑で見たことがある。頭には髪の毛のような触手のようなものがなびき、手足がなく、大きさは人の頭よりも一回り大きく、二頭身くらい。首元にはネックレスのような赤い数珠のようなものが連なり、妖しい光を放っている。たしかムウマという生き物だ。
「おねえちゃん……どこぉ……」
 よほど悲哀に暮れているのだろう、こちらにはまったくもって気づいていないようだった。
 どうやら姉を探しているようだ。迷子だろうか。声色から判断すると少女のようだった。おそらくはまだ幼いのだろう、その声は拙くたどたどしい。
 どうしようか。私はしばし考える。
 なんとなく、これに関わると面倒ごとに巻き込まれそうな、そんな嫌な予感がした。私のような可愛い女の子の勘はよく当たる。ここはさっさと帰るのが最善策だろう。
 私は気付かれないように、そっとその場を去ろうとした。
 その時、一陣の風が森の中を駆け抜け、木々を揺らした。
 まるでその風に釣られるように、ムウマが顔を上げた。
 その瞳が初めて私の視線と一線に綯われる。
 風に撫でられながら私たちの時間がほんのしばらく硬直した。
 ムウマの目は驚きに見開かれているように見えた。
「あ、あ」
 彼女の口がおもむろに開かれていく。
「おねえちゃん!」
「えっ、……わっ!」
 叫ぶやいなや、ムウマは矢の如き勢いで私の胸に飛び込んできた。
「ちょ、ちょっと!」
「おねえちゃん! おねえちゃん!」
 衝撃で一瞬バランスを崩しかけたけど、なんとか踏みとどまった。
 今このムウマは私のことを『おねえちゃん』と呼んだ。いったいどういうことだろう。私にムウマの顔馴染はいない。
 涙や鼻水を擦り付けてくる胸元のムウマを無理矢理引き剥がし、面と面を相対する。
「ほら、ちゃんと見て」
「うん、ちゃんと見てるよ、おねえちゃん」
「もっとよく見て」
「見たよ」
「私はあなたのお姉ちゃんじゃないよね?」
「おねえちゃんだよ?」
 何を言っているのかわからない、とでも言いたげに、不思議そうにムウマは首を傾げた。
 いやいやいや。どんなレンズを通して見たら、私があなたのお姉ちゃんになるんだ。どう考えたって無理がありすぎるだろう。
「ああ良かった! わたし、おねえちゃんにおいて行かれちゃったのかと思ったんだから」
 困惑する私を他所に、ムウマは自己完結的に話を進めていく。
「おとうさんもおかあさんもいなくなっちゃうし」
「えっと、両親がいなくなったってことは、やっぱりあなたは迷子なの?」
 そう私は尋ねた。
「ちがうよ」
 ムウマは答えた。
 どうにも状況を上手く咀嚼できない。
 それから数瞬の間、私は考えて、そして――諦めた。考えてわからないものをいくら考えてもしょうがない。
 一刻も早く、この面倒な状況から立ち去りたかった。
 後退ろうと一歩足を引いた時、視界の端に何か大きな物体が映った。
 ムウマの後方に転がっている二つの物体。シルエットはどことなくムウマに似通っているが、ムウマより一回りも二回りも大きく、魔女の帽子を象ったような頭。これも図鑑で見覚えがある。ムウマージだ。
 その二体のムウマージは、ピクリとも動いていない。おそらくは死んでいる、のだろう。
「ね、ねえ。あれっていったい」
 恐る恐る尋ねた私にムウマは平然と何の感情もこもっていないような顔で答えた。
「あれは“もう”おかあさんとおとうさんじゃないよ」
 『もう』ということは、以前はそうであったということだ。
「優しくないおとうさんとおかあさんはおとうさんとおかあさんじゃないから、仕方がなかったんだよ」
 悲しそうにムウマは言った。
「だからもうおねえちゃんだけなの」
 ムウマは上目づかいに私を見上げ、そして笑った。不気味さを孕んだほど無邪気な笑顔だった。
 その瞳には闇と狂気がグルグルと渦巻いているように見えた。
 姿形の違う私を姉と信じて疑わない彼女の狂った瞳に、私はどのように映っていつのだろう。
 何もかも、まったくもってわけがわからない。

 そういえば、動物は生まれた直後に見たものを親と認識することがある、というのをなにかの本で読んだ記憶がある──

BACK | INDEX | NEXT

とまと ( 2015/06/13(土) 23:02 )