第20話 邂逅の摩天楼
砂嵐が吹き荒れる、広大な砂漠。
そこに聳える、数々の摩天楼。
セキナが、首は痛くなるほど上を向いても、頂点が見えない超高層ビルが十数建。これらの内部に、次の町が、次のジムがある。
「セキレイシティ……」
ビルが落とす長い影に圧倒され、セキナは思わず、その町の名を口にする。
そもそも田舎育ちのセキナは、これほどの高さをもつ建物を初めて見る。それが何十建も、敷き詰められるようにして建っているのだ。あまりの威容に、これ以上言葉が出ない。
(……よし、行こう!)
自動ドアひとつ隔てた先は、ホウライ地方一の大都会。
好奇心と不安を抱いて、セキナはビルの内部へと踏み込んだ。
白く、眩しい光が、瞳に差し込んだ。
もう日が沈みかけているというのに、この町はとても明るい。屋内都市だから当たり前なのだが、セキナには何もかも新鮮に見えてくる。
たくさんの店が所狭しと並ぶここは、ショッピングモールだろうか? いずれにせよ、これも、広大な町のほんの一部にすぎないのだろう。
「次の町が建物の中なんて……驚いたわ」
ディアンシーも、ボールから飛び出してきた。彼女にしては珍しく、素直に目を丸くしている。
「うんうん! 私もびっくりだよ、ディアンシー!」
少しレアな表情を見せるディアンシーを微笑ましく思いながら、セキナは頷いた。
その時だった。
「おい、今、ディアンシーって……!?」
「どうしてポケモン連れ歩いてるんだ、あいつ?」
セキナとディアンシーへ、一斉に視線が集まる。
それらは、ナイフのように突き刺すようなものだった。
(へ……? 私、なんか悪いことした?)
セキナはわけもわからず、きょろきょろと辺りを見回した。どの視線も冷たくて、鋭くて――怖い。せめて、自分が何をしでかしたか、ということだけは教えてほしいのだが、口が麻痺したように動かない。どうすればよいのか皆目検討もつかず、セキナは目を伏せた。
が、それ以上、批難の声が聞こえることはなかった。
「あれ……?」
セキナが再び顔を上げると、彼女の目の前には、黒いガウンを羽織った男が背を向けて立っていた。傍らには、全身がもじゃもじゃの蔓で覆われた、2mの体躯。
セキナに白い目を向けていたと思しき人々は皆、周囲に倒れている。
「ったく……ちょっとポケモン出しちゃっただけで騒ぐなっての」男が軽く溜息を吐くと、セキナの方を向いて、「大丈夫か、嬢ちゃん?」
余裕を帯びた微笑をしてみせる。
「は、はいっ! ……っていうか、何したんですか!? なんでみんな眠ってるんですか!?」
だが、これはこれで、セキナは安心できない。
「いやぁ……騒ぎが大きくなる前になんとかしようとしたんだけど、俺の手持ちには、こいつの"眠り粉"くらいしかそういう技がなくて、当たって砕けにいった」
「どう考えても、余計騒がれますよねこれ!?」
……とツッコミながら、男が「こいつ」と指し示したポケモンについて、ちゃっかりと図鑑で調べていた。
『No.465 蔓状ポケモン モジャンボ
植物でできた腕は、放っておくと絡みついてくる。切っても切っても、すぐに生えてくる』
――蔓の中身はどうなっているんだろう?
セキナは、真っ先にそう思った。残念ながら、中身に関する記述はどこにもなく、かゆいところの手が届かない感覚だ。もし、このモジャンボのトレーナーが知人だったとしたら、蔓を掻き分けにいっていただろう。
「……ま、もし何か訊かれたら『なんか黒っぽい服着てた服着てた人が、突然モジャンボ出して"眠り粉"撒いていきました。なんかキモくて怖かったんで隠れてました』とか言っておけ」
「えっ……いいんですか!? 元はといえば、私が……私、結局何をやらかしてたんだっけ……?」
セキナは、モヤモヤとした罪悪感を感じていた。何か悪いことをしてしまったような気がするが、どんな悪いことをしたのか、心当たりがない。
「そっか、あんた、外から来たトレーナーだもんな。そりゃあ、知らなくて当然だ。
ここ、町とは言っても、突き詰めればただの超高層ビルなんだ。そんなところでポケモンが暴れてしまったら、なんか壊しちゃうかもしれない……ってことらしいぜ?」
男は、嫌味なく答えてくれた。
「それに、この町の全員が全員、ポケモンが好きとは限らないだろ? やたら人口がデカイから、そういうところを配慮して、ポケモンを出したらいけないみたいだ」
「そうだったんですか……」
セキナの罪悪感が、はっきりと形をとった。知らなかったからとはいえ、結局は自分のせいではないか。
それなのに、この男は、見ず知らずの少女の過失を肩代わりしようとしている。
――この人、どうしてそこまで……?
セキナの幼心でも、この気遣いに甘えてはいけないとわかっていた。
「あのっ、やっぱり、私――」
「大丈夫大丈夫。俺、ぜってーバレないから。
それじゃあな、嬢ちゃん。せっかくこんな面白い町に来られたんだから、次はヘマするんじゃねぇぞ?」
セキナが思い切って口を開いた時、男は逃げるように立ち去ってしまった。
「……ごめんなさい、セキナ。私が大人しくボールの中に居ればよかったのに」
呆けたように立ち尽くすセキナに、謝罪の言葉がかけられる。
「……ん? ああ、ディアンシーは悪くないよ。私も知らなかったんだもん。それに――」
――ディアンシーも、ちゃんと謝ってくれるようになったね。
そう言おうとして、あえて口を噤んだ。
「どうしたの?」
首を傾げるディアンシーに、セキナは「なんでもない」とだけ返しておいた。
少し前までは、わがままを言っては勝手に外へ出て、他人とぶつかっても謝らない――どころか、無関心だった彼女が、少しずつ素直になってくれている。比較的感情の機微に鈍感なセキナの目にも明らかなほどに。
ただ、良くも悪くもプライドが高いディアンシーに、それを言ってはいけない気がする。なんとなくではあるが。
と、そこへ、
「どういうことだよ……?」
眠る人々を挟んでセキナと向かい合い、唖然とする人影がひとつ。
彼女は、それを見飽きるほど見慣れている。
「いや、リョウゴこそ、なんでいるのよ!?」
トレーナーズスクールで、不本意ながら、数多の試練、具体例を挙げると試験や補習、居残りを共に乗り越えた「戦友」・リョウゴである。前に出会った時とは違いジャケットを脱いでいるが、どちらにでよアースカラーな服装に変わりはない。
「町を歩いていたら、何人も人が眠ってたんだぞ!? そりゃあ立ち止まる――セキナ。まさか、こいつら全員、お前が倒したわけじゃおいこら飛びかかるな!? 頼むから目は勘弁……あっ、ちょっ……そこはアウトだろ! どう考えても異性の臀部はアウト――ッ!?」
急所に当たった。効果は抜群だ。
リョウゴの悲鳴で警備員が駆けつけ、セキナは床で眠らされている人々の事情も話すことになってしまった。リョウゴまで巻き込むわけにはいかず、男に指示されたとおりに説明することになり、少し申し訳ない。
「それにしても、警備員なんて珍しいね。私、初めて見たかも」
「まあ、ポケモン禁止だから仕事しやすいんだろうな。
……これでわかったろ? もう殴るなよ、マジで」
「むー……ごめん……」
幸い、警備員が
リョウゴのやられぶりを見て命の危機を感じたため、少しの注意だけで解放してもらえた。
その途中で受けた説明によれば、セキレイシティは、町のほぼ全域でポケモンをボールから出すことを禁止しているという。だが、ポケモンジムがあるビルは例外で、ポケモンに関わる施設はすべて揃っているそうだ。
そういうわけで、セキナとリョウゴはそこ――通称「ポケモン棟」へ向かって歩いているのだった。
「珍しいといえば……リョウゴもジムの挑戦するんだね」
「馬鹿、ンなわけねーだろ。短パン小僧にカツアゲされるカモが、ジム戦だなんて」リョウゴは大きく溜息を吐き、「依頼……なのか? なんか『会って話がしたい』ってことで、ポケセンで待ち合わせしてるんだ」
彼自身にも不可解なようで、あまり明るい表情ではない。
「……なんか、怪しくない? 大丈夫?」
セキナも、純粋な心配から眉を顰めた。リョウゴの話を聞く限りでも、ポケモンハンター業界の闇は深い。
「わかってる。気をつける」
淡々と答えるリョウゴの声は、いつもより少し低く、静かだった。そんな業界に生きているからこそ闇の深さは知っているし、向き合う覚悟も決まっているのだろう。
それからも、2人互いの近況を駄弁りながら歩いた。
セキナは、ディアンシーの存在が世間に知れ渡ってしまったことや、タマゴをもらったが一行に孵らないことを。
リョウゴは、最近弱めな短パン小僧をギリギリで倒せるようになったことや、新しく自分用のポケモンを捕まえたことを。
そうしているうちに、そこそこ長く歩いた時間も忘れ、ポケモンセンターに到着した。
「大きい……」
威圧感すら漂わせる大きさだった。全10階建ての1階から4階がポケモンセンターなのだ。上の階には、ポケモントレーナー向けに店やバトル施設が立ち並び、最上階にお目当てジムがある。
「今日はもう遅いから、ジム戦は明日かな……?」
天井を見上げ、まだ見ぬ試練の場を思い浮かべながら、セキナは残念そうに呟いた。
「お前、よくそんなに頑張れるな。……1日中歩いてたんだ? いくらスタミナに自信あるからって、無理するんじゃねぇぞ」
リョウゴは、未だに体力が少しも減ってなさそうなセキナをたしなめた。自分にはない、無尽蔵のガッツへの羨望を含みながら。
セキナは「余計なお世話ですー!」と頬を膨らませる。「そりゃ、さっきの"眠り粉"の件でどっと疲れたもん。私だって人間だし、休むってば」
セキナとしては、そうやって「人間♀・格闘タイプ」というような目で見られたくない、というのが本音なのだが。
そこへ、ふと、
「"眠り粉"の件、知ってるの?」聞き慣れない女声が、2人の耳に入った。「ちょっと詳しく教えてよ、それ」
有無を言わせぬ感じはなかったが、焦燥の色がある。
セキナとリョウゴは、声の主であろう女を見た。
黒い蛇革のベアトップワンピースに、紫のピンヒール。見るからにブルジョアな服装だ。紫色のメッシュが入ったウルフカットが白い肌を際立たせその相貌は――なぜか視線が落ち着かない。
「……どうしたんですか?」
不思議そうにセキナが尋ねた。
「あっ、いや、さ……なんか濡れ衣着せられちゃったみたいで。アタシ、一般市民に"眠り粉"バラ撒いてないわよね!?」
二言目の声量は、セキナの耳をつんざくほどだった。
「えっ、あっ、はい……? たしか、"眠り粉"使ってたのは、黒っぽい服を着てた男の人……あ」
セキナは、ようやく気づく。
(私、『黒い服の人』って言ったから……)
濡れ衣を着せられたと語る女も、黒い服を着ていた。
しばし視線を泳がせたセキナは、おもむろにその場に正座し――
「すみませんでしたぁ!!」 勢い良く土下座した。
「何!? どうしたの!? ごめん、アタシ、なんか変なこと言っちゃった!?」
セキナと入れ替わるように、今度は女が目を泳がす。
が、いちばんこの状況がよくわかっていないのはリョウゴなのであった。
(俺、もうツッコむのやめた……)
セキナが落ち着いた後、女に事の真相を話し、なんとかこの場は収まった。
「ふーん、そういうことね。助かったわぁ……ありがと」
当事者のセキナから冤罪を晴らしてもらい、女は胸を撫で下ろした。
「いや、元はといえば、私が説明不足だったから……『ありがとう』だなんて」
「そんなことないと思うけどなー? 見ず知らずの、テンパった黒服のお姉さんがいきなり声かけてきても、親切に答えてくれたし」
セキナは、少し戸惑いつつ苦笑する。「お姉さん」というのがどこか引っかかった。この女は、惜しくも彼女の両親よりも年上に見えるし、若干化粧臭い。
「さて、気持ちも落ち着いてきたし、ちゃんとアタシのこと話さないとね! アタシはシオン。さっきはね、アタシも"眠り粉"使えるポケモン持ってるから、もし捕まったら言い逃れようがなくなるところでねー。
それで、アタシを助けてくれた親切なアンタの名前は?」
「気持ちはありがたいけど、そんな『親切』じゃないですって……
私はセキナです! それで、こっちのB級男子がリョウゴ」
「おい、B級ってなんだよ、B級って」
微妙な扱いに、リョウゴも微妙な表情になる。一方で「いや……B級って、俺にしてはランク高いんじゃね!?」と思っているのは内緒だ。
「なるほどね。アンタが、リンちゃんの話してた……」
シオンは、セキナとリョウゴを交互に見つめた。観察したとも言い換えられるように、注意深く、しかし愉快げに。
「り、リンちゃん……?」
セキナは、聞き覚えのない名前を小さく復唱した。
「ああ、リンドウ博士のことよ。アレとは30年以上の腐れ縁でねぇ……」シオンは、少し楽しそうに語る。「あ、別に『そういう』仲じゃないからね? 趣味までは否定しないし、知識量は尊敬しちゃうくらい。顔もまあ悪くはないけど……いい年してあの性格は、ちょっと不合格かしら」
シオンの評価を聞いて、リョウゴはなぜか戦慄覚えた。「不合格」という言葉が刺さってきた。
(女子って、あんな風に俺達を見てるのか……?)
ちらり、とセキナへ目をやる。彼女は、シオンの話に夢中だった。リョウゴの方を全く見ていない。
(……まあ、そもそも見られてすらいないのかもな)
その様子に、安心したような、残念なような、わかりづらい感情を抱いた。
「リョウゴ、すごいよこの人! 博士のことよく知ってるし、さっきからずっとその話してる!!」
不毛だと自覚しながらも思考するリョウゴへ、セキナが興奮気味に耳打ちしてきた。
「なぁ……それって、要するに、博士のことが好きってことなんじゃ……?」
と、ボソリと言い――そうになって、慌てて黙り込んだ。
その平穏の裏で、
「……あれで良かったんですか、ご主人? さっき、ディアンシーを奪える大チャンスだったのに……」
ヘッドフォンの右側から聞こえる、幼い女声。
「あれでよかったんだよ。俺に『希望を見せてから、絶望に堕とす』なんて変態でゲスな趣味はねぇよ」
そのヘッドフォンの持ち主は、やれやれという風に答えた。
黒いガウンを脱いで腰に巻いてはいるが、その顔は、セキナを助けた男のそれと全く同じだった。それと同時に――
「はぁ……幹部がこれじゃあ、ボスとかいう人も泣きますよ?」
「大丈夫だって。あの人強いから、泣くどころかげんこつスマッシュかましてくるぞ?」
タナトス団幹部がひとり・バイロンその人だ。
「なら、余計に駄目じゃないですか!」
ヘッドホンから語りかけているのは、彼の手持ちにいるポケモン・ポリゴンZである。今は、ヘッドホンが繋がれている機器にデータとして入り込んでいる。人語を介することができるのは、搭載されていた人工知能で学習したからだ。
「まあ、『奪わない』ってわけじゃないって。俺は、真正面から正々堂々やらないとモヤモヤするってだけで」
しかしこの男、悪の素養が0である。手段をきちんと選び、標的であろうと困っていれば手を貸してやるような――
「全く……ご主人は本当にお人好しですね」ポリゴンZはぽつりとこぼした。「ま、ご主人のそういうところ、嫌いじゃないですけどね」
さらに音量を下げて、一言付け足す。
「……ん? 何か言ったか?」
「え? 何も言ってませんよー」
すっとぼける裏で、彼女(?)はその最先端の知能で考える。このお人好しな主人の代わりに、自分ができることは何か――
「……そうだ……!」
人間の技術の集積たるそれは、人間よりも速く思考し、すぐに答えに辿り着いた。
「やっぱり何か言ってるだろ、あんた?」
「ふふっ、そうかもしれませんね」
敬愛する主人を手伝えると思うだけで、自然と声が弾む。ポリゴンZは、人工のものとは思えない、精巧な息遣いで笑ってみせた。
1つ目の脅威は、もうすぐそこまで迫っていた。