Interlude 考えることは皆同じ
タナトス団は、案外大したことない。
アジトは高層――ではない、ただのビル。しかも、アジトがあるのは4階あるうちの2階以上のフロアで、1階では、
なんら関係のないポケモンセンターが、普通に営業している。
もっとも、元から治安の悪い街のポケモンセンターなので、タナトス団団員の存在は黙認されているが。いや、もしかしたら、「なんか黒い人」程度にしか思われていないのかもしれない。
そんな場所に連れて来られた少女は、最初、怪しさを微塵も感じなかった。それよりも、ここに案内してくれた相手に夢中だった。
……そのはずだったのだ。
今、少女はガンを飛ばされている。
しかも、視線の主たる男は、そこらの団員とは比べ物にならないほどの殺気やプレッシャーを放っている。
少女は総毛立った。
「あの……そろそろ睨むのやめてあげたら?」
彼女をここに案内した張本人のアリスが、おずおずと男に声をかけた。が、
「……は?」
ぎろり、と、その視線がアリスに向いただけ。少女は、まるで自分のことのように「ひっ……!?」と小さな悲鳴をあげてしまう。
以降、沈黙を保ったままこの状態が続いたが、アリスは決して怯まなかった。少女を守るように、男を見据えていた。なお、その表情は、一生懸命に睨み返そうとしていて、かえって愛らしさを感じさせるものであったが。
先に沈黙を破ったのは、そこそこ大きめな溜息だった。
「……どう間違えたら、ここに連れて来るという発想ができるんだか……」
「あ、いや……あはは……」
妥当な指摘に、アリスは苦さ9割の苦笑で返す。
(あーちゃんって……実は、すごく度胸ある?)
そんな中、少女は能天気にも、アリスへの憧れを大きくしていた。
(こんな奴に睨まれたら、アタシ、絶対にビビりまくっちゃうよ……さっきみたいに)
視線で射殺されると思った――少女はこう反芻し、背筋がひやりとするのを感じた。
無理もない。彼女の言う「こんな奴」は、元の容貌から以下のようなのだから。
まず、黒の面積が大きすぎる。
(なんでこの時期にコート着てるの!? もう夏だよ!?)
なんと、初夏の陽気が眩しいこの頃に、黒のコートである。しかも、厚手のようだ。
(ていうか、どうして汗かいてないの!? アタシ、今半袖着てるけど、団扇とかほしいくらいだよ!?)
だというのに、汗を1滴もかいてないように見える。「いや……もしかしたら、脇……?」と、ささやかな嫉妬から嗅覚をはたらかせてみたが、ドン引きするほど無臭だった。洗剤などの匂いさえしないのである。
なぜだか、ものすごく遠い存在に感じられた。
次に、この男、銀髪である。ホウライ地方では、滅多にお目にかかれない髪色だ。
(アルビノ……なのかな?)
いずれにせよ、謎がひとつ増えた。
最後に、何よりも、纏う雰囲気が尋常でなかった。
殺気を感じる。ただひたすら冷たく、鋭く、重い。重力が倍になったのではないかと錯覚するほどだ。
が、
「何笑って誤魔化そうとしてるんですか。普通に考えて、見ず知らずの
アマを、こんな吹き溜まりに連れて来ないでしょう」
言っていることは、割かし間違っていない。物腰も柔らかい……基本的には。
(いや、本人の前で「アマ」は失礼だと思うよ!?)
――駄目だこいつ、所々変人すぎる……! 少女は胸中で唸った。
しかし、アリスは相手するのに慣れているようで、それほど萎縮しない。
「でも……ここ、ポケモンセンターも信用できないでしょ? だけど、このまま夜道を歩かせるのも危険だし」
「……それ以前に、そもそも、どうしてこのアマが夜道を歩いてここに辿り着くんですか?」
「えっと、それは……」
とはいえ、アリスの劣勢であることに変わりはない。
少女は、すごく申し訳なくなった。今、アリスが難しい表情をしているのは、完全に自分のせいだ。
ちらっ、とアリスに目配せするが、そう簡単に気づいてはもらえない。だが、見ず知らずの自分を助けてくれた彼女のこと。本当のことを語る気はないようで、だんまりを決め込んでいる。
1ファンとして、アリスにそんな顔はさせたくなかった。
「あ、あのっ……!」
だから、自白を決意した。
「アリスさんは悪くないんです! アタシが、あーちゃ……アリスさんの後をつけてたら、いつの間にここに来ちゃっただけで!!」
叫ぶ。
アリスの表情が、ぽかんとした。
同時に、男が眉を潜めること2、3秒。
「どう見てもストーカーですね。帰れ」
無慈悲な審判が下された。
「ちょ、ちょっとぉ!? せめて、もっと、こう……オブラートに――」
「警察に突き出さないだけ、比較的寛容だと思いますよ」
「でも……その警察が機能していないから、帰すのも危険だって言ってるのよ!」
アリスがあたふたしながら反論するが、事態は平行線を辿り続ける。
それも、必然のことだった。
「……だから、どうしたいんですか?」
最初からその原因を察していたのだろうか? 男は、先程よりも冷たい声で問う。
「どうしたい、って……?」
アリスの声が、小さくなっていた。
「とぼけるのもいい加減にしてください。さっきから、主張もないくせに反論ばかりして……。まあ、お人好しなあなたのことですから、大体察しはついてますが」アリスが萎縮しようと、男は容赦ない。「どうせ、『ここに泊めてあげたいけど、本当にそれでいいのか』とか『泊めるとして、本当のことを言うか言うまいか』とかで踏ん切りつかなかったんでしょう?」
「うん……図星」
アリスは、負けを認めた。
しかし、そこへ空気を読まず、
「え!? アリスさん、泊めてくれるんですか!? 本当にいいんですか!?」
興奮した少女が口を挟む。
それを「しめた」と言わんばかりに、アリスは決心した。
「……ということだし、泊めてやってもいい?」
おずおずと答えを出す。
が、待っていたのは、重い沈黙。からの――
「……甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ、クソアマが」
明らかな暴言だった。
少女は、身震いしてしまった。自分に向けられた暴言ではないのに、胸を刃物で突き刺された感覚だった。ついさっきまでの丁寧語との落差が、余計に恐ろしい。
「あなたがしようとしていることは、ただのアマを汚れ仕事に関わらせることなんですよ? 今さっきまで、その覚悟もできていなかったのに、本人が望んでいるからって――お人好しも大概にしてくだだいよ」
「そ、それはわかってる……けど……!」
男から目を逸らし、俯きながら、それでもなお口動かすのをやめないアリス。
その様を見て、少女は覚悟を決めた。
「ちょっとあんた! あーちゃ……アリスさんを責めるのもいい加減にしたら!?」
いや、覚悟なんて難しいことはしていない。すべて勢いだ。
「さっきから、アタシが黙っているからって、好き勝手言ってくれてさ……」
だから、思いついたことをそのまま口走っていく。
「アタシには、汚れ仕事云々とかよくわからないけどね。でも、これだけは言わせてよ」
しかし、溢れ出す言葉を顧みても、後悔はなかった。
「あーちゃん泣かせたら、ぜっっっっったい許さないからね!」
彼女が、アリスのファンであるが故に。アリスには、笑顔でいてもらいたかった。
声が反響している。
静まり返っていて、反響だけが聞こえた。
言いたいことをすべて言い尽くした少女は、すっきりしていた。もう、静寂の重さも感じない。
「勝手にしてくださいよ、もう」
ぽつりと、独り言のように吐き出された言葉。
「えっ? それって……!?」
「言葉通りの意味です。あなた達が言っても聞かないということは、よくわかったので」
アリスが言葉を継ぐ暇も与えず、男は即答した。
少し遅れて、少女はようやく、その意味を理解する。同時に、緊張という緊張が、表情とともにほぐれた。
「やったぁ! アタシ、アリスさんと一緒に寝られるぅ♪」
ツッコミは不在だった。もはや、何も見えていない。
男の去り際、アリスの表情が揺らいだことも、何もかも。
一悶着あって、ようやく微睡みに耽られるようになった頃。アリスは、布団の中で沈思する。
――考えること、みんな同じみたい……
さっき、同僚が去り際に残した言葉が、頭の片隅に引っかかって、どうしても離れなかった。
『あなたは、このことについて全く知らない。そういうことにしておいてください』
その真意を察してしまったから。
彼は、表向きは徹底的に冷たいが、時々、根底に潜む優しさが、回りくどく露呈する。そのことを知っているから。
(後で、あの子の誤解も解いておかないとね。チカコちゃん、だっけ? あの様子じゃ、きっと敵視しちゃってるだろうから……)
それなのに、自分のせいでチカコ――あの少女の名前である。アリスが訊く前に、あちらから教えてくれた――が悪い印象を持ってしまったことが、心苦しい。公然と「クソアマ」呼ばわりしたりする彼のことだから、どんな印象をもたれようと気にしないのだろうが。
それでも、ついさっき借りができたばかりなので、けじめをつけておきたい。
あの時かけられた言葉の真意は、この前、仕事帰りに想い人からかけられたものと全く同じなのだから。
『だから……せめて、これ以上はテメェらを巻き込むわけにはいかねぇ』
わかっている。その気遣いを拒もうとしていることも。
それでも、譲れないものは譲れない。
『……もう、彼には背負わせない』
そのために、今まで相方さえも欺いてきたのだ。
だが、なぜだろう?
(チカコちゃんには、ちゃんと本当のこと話しておかないとなぁ……)
今になって、そんな義務感を抱きながら、眠りについていた。