第2章
第18話 おいでよヒタキ村
 トンネルを抜けると、そこはまるで異国のようだった。
 さんさんと照る太陽の下、草丈の短い草原――ステップが辺り一面に広がっている。ヒロびろとしたステップには、高さが4・5mある大きめなテントが点在していて、その周りで、日に焼けた子供達がポケモンと戯れていた。
「わぁ……!」
 ムーランドから降りたセキナや、そんな異文化の風景に見入る。彼女の故郷・ツバクロタウンもかなりの田舎だが、町中で野生のポケモンを見かけることはあまりない。「村」の名は伊達ではないということか。
「この先には砂漠があってね。ここは、砂漠に住むポケモン達のオアシスでもあるの。ほら、あそこに池があるでしょ?」
 ジュネが指差す方向には、たしかに池があり、様々な種にポケモンが水を飲みに来たり、遊んだりしている。砂漠に住むポケモンが多いようで、擬態のためなのか、茶色系のポケモンが目立った。
「メグロコ、イシズマイ、ナックラー……すごい! 初めて見る子ばっかだ!!」
 セキナは、ポケモンとタブレットを交互に見やっては、好奇心で目を輝かせる。
「なんか不思議だなぁ。洞窟を抜けた先が、こんな大草原なんて! 近くのミヤコシティは、ほとんどアスファルトなのに」
 セキナは、純粋な感心から呟く。しかし、
「あ、実は……これには、ちょっとした訳があって……」
 ジュネは、なぜか言葉を濁した。
 何か後ろめたい事情があるのだろうか? しかし、この村が大草原であることに、そのような背景があるとは考え難い。ただの自然現象であるはずだ。それなのに、セキナから目を逸らし俯くジュネの真意がわからない。
 と、そこへ、
「あっ、ジュネ姉さん、おかえりー!」
 ポケモンと戯れていた子供のひとりが、ジュネに駆け寄ってきた。5〜7くらいと思しき少女で、セキナよりも背が低い。身長の高いジュネと並ぶと、さらにそのかわいさが引き立った。
「ただいま。今日はお客さんがいるわよ」
 ジュネは、細やかな歓待に、笑顔で応えた。先程の表情の曇りは、跡形なく消え去っている。
(気のせい、だったのかな……だよね、うん)
 セキナは自問自答し、胸に引っかかった疑問を払いのける。
「お客さん!? ねぇねぇ、どこから来たの!?」
 セキナの下へ、タタッと少女が駆け寄ってきた。
「こんにちは。私はセキナっていうんだ。ねぇ君、ツバクロタウン、って知ってる?」
 こういう時、セキナの馴れ馴れしさは光る。初対面の相手に臆することなく、すぐに自然な会話を成立させていた。本人に言ったら「一言余計!」と殴られるだろうが、しゃがまなくても、目線の高さにあまり差がない。
「つばくろたうん……?」
 少女は首を傾げる。
「あはは、知らないかぁ。ここからちょっとだけ遠いところにある、田舎町だよ」
 セキナは、嗤って答えてやった。
「へぇ……ってことは、セキナさんって、もしかして旅の人!?」
「えっ……!?」
 図星な問いを投げかける少女の瞳は、期待の色を帯びている。
「うん、まあね。バッジ1つしか持ってないし、まだまだこれからだけど」
 褒めの気配を感じて、少し謙遜するセキナ。これでも、彼女の胸の内には、未だ劣等感が影を落とし続けている。
「すごい! 本当に旅のトレーナーさんだ……!」
 しかし、少女はそんなこと知る由もない。セキナ自身にさえ、自覚がないのだから。
「ねぇ、バトルしてもらっていいですか!?」
「へ、へぇっ!?」
 そして、年も身長も小さな相手に戦う前から戦慄してしまうのも、自らを過小評価している証拠だ。
「えっと……まあ、いいけど……」
 トレーナーたるもの、売られた勝負は必ず買う――そんな不文律がある。そして「勝負の相手に、決して背中を見せてはならない」というのも。
「……あっ、ちょっと待って! まだ、ポケモン回復させてない!!」だから、勝負するのであれば、万全を期しておきたい。「ポケセンは……あれ? ポケセン……?」
 いつもの赤い屋根が、見当たらない。
「『ぽけせん』? なぁに、それ?」
 少女もきょとんとした表情を見せるが、セキナとは疑問のベクトルが違う。
「あ、それなんだけどね……」
 それには、彼女らにやりとりを見守っていたジュネが答えてくれた。

「ここにはないのよね、ポケモンセンター」

 セキナは 目の前が 真っ暗になった。



 ――というのは冗談である。
「ありがとうございます、ジュネさん。助けてもらったうえに、回復までしてもらって……」
 ジュネは、セキナを自宅のテントに招いてくれた。
「セキナちゃんが気にすることないのよ? ここには回復マシンもないから、こうやって人の手で治療すしるしかないもの」
 ジュネは、慣れた手つきで、ヌメラに傷薬を塗っている。
「それにしても、災難だったわね。ラムパルドに襲われるなんて」
「ははは……まさか、あんなに強いなんて。他の洞窟のポケモンは、私のポケモンだけでも普通に倒せたのに」
 セキナは、自嘲の苦笑を漏らす。シャルとの連携がなければ瞬殺されていただろうし、メレ爺の乱入がなければ、いずれにせよ倒せなかった可能性が高い。
「仕方ないわよ。ラムパルドなんて、本来あそこにいるべきポケモンじゃないから」
「……え?」
 言われて、セキナはようやく思い出す。

『ジャングルの木々をなぎ倒し獲物を捕らえる暴れん坊』

 ラムパルドの図鑑を見た時の違和感を。
「そうだ……あそこ、どう考えてもジャングルじゃない!」
 喉につかえたものを吐き出す感覚で、声をあげる。
「そう……ラムパルドは、本当はジャングルに住むポケモンなの。さらに言えば、遥か昔に絶滅した種族よ」
「絶、滅……!? じゃあ、どうしてあんな所にいたんですか!? 私が会った子は、たしかに私とシャルちゃんを追ってきたし……苦しそうだったけど、ちゃんと生きてた……」
 困惑するセキナを見兼ねて、ジュネは一瞬の躊躇を経て問いかけた。
「ねぇ、セキナちゃん。化石の復元技術って、知ってる?」
「フクゲン……? すみません、初耳です」
「そっか……だったら、ちょっと耳が痛い話になっちゃうかも」
 そう前置きして、彼女は語る。
「化石の復元っていうのはね、ラムパルドみたいに、遥か昔に絶滅したポケモンを、その化石から蘇らせることなの」
「絶滅したポケモンと出会えるんですか……!? すごいなぁ、科学の力って!」
 セキナは、未知のポケモンとの出会いに思いを馳せる。太古のポケモン達は、どんな姿形をしているのだろうか? やはり、ラムパルドが頭でっかちであったように、他のポケモンも面白い体付きをしているのだろうか? たくさんの「知りたい」で胸がいっぱいだ。
 しかし、そんな彼女とは対照的に、ジュネの表情は険しい。
「たしかに、今はもう会えないはずのポケモンに出会えるって、夢があって素敵よ。でもね……そんなポケモン達が逃がされたら……どうなると思う?」
 セキナは息を呑んだ。
(どおりで、あんなところで苦しそうにしてたんだ……!)
 こちらが攻撃する前から傷だらけだった体、耳をつんざいた嘆きの咆哮、自傷するように繰り出し続けた"諸刃の頭突き"――それらはすべて、見知らぬ時代、見知らぬ土地に放り出されたことによる戸惑い、苦しみからきたものだったのだ。
「特に、ラムパルドは頭蓋骨が分厚すぎて、脳の発達が妨げられているから、何が何だかわからなかったんでしょうね……」
「でも、どうして……どうして、せっかく会えたのに逃がしちゃうんですか!?」
 セキナは、無意識に声を荒げていた。自分が無知で、考えが浅はかなだけなのかもしれないが、どうしても理解できない。
 ジュネは胸を打たれた。半泣きになって訴えるその姿は、まるで、逃がされた化石ポケモン達の気持ちを代弁しているようで――
「……いいトレーナーなのね、セキナちゃんは」
 思わず呟いていた。とてもとても、小さな声で。
「え? 今、何か言いました?」
「なんでもない。ただの独り言」
 セキナにはあえて内緒にし、閑話休題。彼女が叫んだ問いに答える。
「化石ポケモンがいた時代は弱肉強食で、今よりもずっと激しい生存競争が続いていたからね。それを生き抜いたポケモンの中には、気性の荒い種族が多くて。それで、手に負えなくなって逃がす、ってパターンが多いみたい。あとは……単純に『弱いから』とか……結局、トレーナーのエゴ。復元技術そのものへの賛否はともかく、トレーナーはもっと責任感をもつべきだと思うわ。
 ……って、これ、私の愚痴じゃない! ごめんね、本当に耳が痛かったよね?」
「いえいえ、いい勉強になりましたよ! ありがとうございます!!」
 ジュネが不平不満を垂れ流した数十秒。セキナが、普段のセキナに戻っていた。それを見て、ジュネはほっと胸を撫で下ろした。
 だが、セキナは、
(責任、かぁ……)
 長らく目を逸していた課題を提示され、思考に耽っていた。
(流れで連れて行っちゃってるけど、私も、幻のポケモンを守らないといけないんだよね……)
 おもむろにディアンシーの入ったモンスターボールを手に握って、文字通り向き合ってみる。
 改めて思い返すと、ジムバッジはまだ1つしか持っていないのに、家の前でディアンシーを拾ってから今まで、いろいろなことがあった。
(初っ端からタナボタ団に襲われたり、ゲッキーとの一騎打ちを見せられたり……海魔や鍵泥棒の時は助けてもらったっけ)
 ……名前を覚え間違えているのは、もはやご愛嬌だ。
 楽しかった思い出だけではない。
(あの時は、勝手に外に出られる度にヒヤヒヤしてたなぁ。結局、トレーナーズスクールでの一件で、もう気にしないことにしたけど。……あ、どうりで、ジュネさんはディアンシーのこと知ってたんだ!)
 諸々の杞憂や空回りも重ねてきた。だが、今はもう大丈夫だ。
 ただ1つ、問題があるとすれば……
(家を包囲された時は博士が、ミヤコシティではミスズと一緒に戦ってくれたから勝てたようなものだよね。私達だけじゃ、ディアンシーにドヤ顔で"ドラゴンクロー"を撃ってくるようなブカブカローブ相手にするだけでも、結構苦戦しちゃったし……)
 待ち受けているであろう、強敵との戦い。
 今まで倒してきたタナトス団の団員は、皆下っ端レベルだ。いずれは、もっともっと強い相手と激突することになるだろう。
 対タナトス団に限った話ではない。ジム戦も、持っているバッジの数に応じて、難易度が上昇していく。
 いずれにせよ、今のままではいけないのだ。
 セキナは、ボールに真っ直ぐな視線を向けたまま、はっきりと頷いた。
 ――これからもよろしくね、ディアンシー。
 劣等生には貴重すぎる経験をくれたことへの感謝も兼ねて、ディアンシーに今一度伝えたい。セキナは、中央の開閉スイッチを押した
(……ほえ?)
 しかし、ディアンシーは出て来ない。
 セキナは、ジュネに一言も断ることなく、テントを飛び出した。


 既に、日は沈みきっていた。
 ヒタキ村は、洞窟や砂漠に囲まれているという劣悪な立地のおかげで、人口が極端に少ない。だから、電灯が少なく空気もきれいで、ツバクロタウンの夜空よりもたくさんの星が、真っ黒な夜空を神秘的に彩っていた。
 満天の星は、村外れの洞穴も等しく照らす。
 元々人が少ないとはいえ、ここにはなぜか人が寄り付かない。入り口の黒い穴が、そこはかとなく寂漠とした雰囲気を醸し出していて、踏み込もうとした者の歩みを止めさせる。
 セキナも、この洞穴に足を踏み入れようとして、しかし、右足を内部の地面につけようとした瞬間、ひやり、と何かを感じた。
 村中のどこを探しても、ディアンシーの姿は見当たらなかった。他に探す場所といえば、もう、ここしかない。
 セキナは、ごくりと唾を飲んだ。そして、今度こそ、その足を踏み入れる。
 内部の壁や床は、青みがかかっていた。そこから切り立った岩の表面は、まるで鏡のよう。
 そこは、もはや別世界だった。
 外界から隔絶された、幻想的な空間。とてもきれいなのだが、同時に神妙で、恐怖を抱かせる。
 ポケモンの1匹や2匹はいそうなのだが、姿が見えないどころか、それらしい音も聞こえない。セキナに聞こえるのは、反響する自分の足音だけだ。
 気がつけば、呼吸が速まっていた。体力が切れたわけではない。重圧さえ感じさせる、静かな異空間。治療中のため、モココやヌメラがいないという孤独感。ディアンシーの行方がわからないという焦燥感――
 しんどいのは体ではない。心がしんどいのだ。
 それでも奥へと歩き続けているうちに、だんだんぼーっとしてきて、ふと、
「っひゃあっ!?」
 石に躓いた。体が宙に浮かぶ。普段のセキナなら咄嗟に受け身をとれるのだが、さっきまで半ば放心状態だったため、反応が鈍り、思いっきり顔面を強打した。
「いっつぅ……!」
 右の頬に違和感がある。大きめの擦り傷ができていた。おかげで我に返ることができたが、代償が大きすぎる。
 右手で傷口を抑えながら起き上がり、再び歩みを進めようとすると、

「もういい加減にしてよ!」

 聞き覚えがあるが、聞き慣れない声が、耳にではなく脳に入ってきた。この不思議な感覚、声色――間違いない。
(ディアンシー!?)
 セキナは、傷ついた体に鞭打って駆け出す。
 あれは、ディアンシーのテレパシーだ。今まで聞こえなかったが、今ようやく聞こえた。ということは、きっとディアンシーに近づけているはずだ。
 しかし、いつもの彼女とは違う雰囲気がする。期待と不安が同時にこみ上げてきた。
 しかし、セキナは一心不乱に通路を駆け抜けた。そして、最奥部へと到る。
 円形の大広間。なぜか、多種多様なポケモン達が、壁に沿うように、あるいは中心を囲うようにして立っている。皆、緊張した面持ちで、あまり穏やかではなさそうだ。
 そして、たくさんのポケモンの視線が集まる中央部では、なんと、ディアンシーがメレ爺に真向かっていた。距離が遠くて、両者の表情までは見えないが。
「本当、何なのよ! 執事のくせに、私に命令ばかりして……!」
 テレパシーとして聞こえるディアンシーの声は、いつもと違う。明らかに冷静ではなく、普段の凛とした雰囲気も感じられない。これは、痛み、悲しみ、苦しみ――溜め込んだ負の感情を爆発させたような叫び、否、悲鳴だ。
 セキナは、1度だけ、こんなディアンシーを見たことがある。

『誰が「伊達に数億年生きているわけじゃない」よ……! 精神年齢盛るのもいい加減にしたら!?』

 初めてメレ爺と遭遇した時にも、同じような声をあげていた。
(そういえば、ディアンシー、メレ爺と話していると、なんか変というか……落ち着いてないよね?)
 その原因を探ろうとしても、メレ爺のテレパシーは聞こえない、入ってこない。
 聞こえてくるのは、
「どうして、こんな暗い所にいないといけないの!?」
 蔓延る負の感情を、
「私は、メレ爺とは違うのよ! いちいち価値観を押し付けないでよ!!」
 吐き出すようにして叫ぶ、
「っ……うるさい! うるさい……うるさい!!」
 ディアンシーの、しかし、聞き慣れない声だけだ。
 しかも、耳にではなく、直接脳に響いてくるのだ。
 こんな状況に、セキナが耐えられるはずがない。
「ディアンシー!」
 今出せる最大の声で、その名を呼んだ。
「っ……!?」
 ディアンシーの反応が、脳に伝わった。
 それに安堵したのも束の間、
「セキナぁっ!」
 ディアンシーが、セキナの胸に飛び込んできた。
 紅玉の如き瞳は、潤んでいる。
「ごめんね、来るの遅くなっちゃって! 私にはよくわからないんだけど……辛かったんだよね?」
 セキナは、ディアンシーを受け止めて、あやすように背中を撫でてやった。
「セキナは悪くない……! 私が、何にも言わずに出て行っちゃったから……」
 ディアンシーは、しゃくりあげてさえもいる。
 セキナは、目をきゅっと細め、にっこり笑いかける。
「いいっていいって。さ、帰ろっ!」
 細めた目から、ぽつり、と涙が零れ落ちた。


 帰路に途中、ディアンシーは滲んだ視界の中で見たものを思い出した。
(セキナの顔、すごい傷だった)
 今、自分の前を歩く人間の顔。片方の頬が擦り剥いていた。どうして、あんな傷がついていたのか、ディアンシーにはわからない。人間の体は、ポケモンの体よりもずっと脆いとはいえ、何かがあったのだろう。
 ともかく、ディアンシーが気になっているのは、怪我の原因ではない。
(あんなに傷ついてたのに、どうして……?)
 こんな様になっても、自身の下へ向かおうとする――そこまでする理由がわからなかった。
 1度戻って治療してもらう、という手もあったはずだ。むしろ、その方が安全である。
「……ごめん……怪我、ひどそうなのに」
 再び、ぼそりと謝った。静かな洞穴の中では、か細い声も、しっかりとセキナに届いたようで、
「だから、ディアンシーが謝ることなんてないって! これは、私がドジ踏んじゃっただけだし」
 だが、セキナは「ディアンシーは悪くない」の一点張りだ。
「そういや、ディアンシーはどうしてここにいたの?」
 今度はディアンシーが話しかけられる。
 いちばん答えたくない質問だった。
 ディアンシーは、嘘が嫌いだ。その相手が、体を張って助けてくれた恩人なら、尚更である。
 だから、
「……ここ、私の故郷なの」
 答えになりきってない答えを返し、回避を試みた。
「そうだったんだ!? じゃあさ、明日、ここを案内してもらってもいいかな?」しかし、話はどんどんこじれていく。「ここ、すごくきれいだし、見たこともないポケモンもいっぱいいたし! 今、モココとヌメラはジュネさんに預けているし、ポケモン図鑑も置いて行っちゃってさ……」
 セキナに悪意はない。ただただ無邪気に、自らの興味・関心を語っているだけなのだ。わかっているのだが、それがかえって、ディアンシーを傷つける。
 旺盛な好奇心は、本来、セキナとディアンシーとの共通点だったはずなのだ。だからこそ、それを否定したくなくて――
 それでも、嘘は吐けなかった。
「ごめん……本当にごめん、セキナ!」
 本当のことを叫ぶ。心の傷を極力悟られぬように。

「早く出て行きたいの! ここも、この村からも、早く!!」

 しかし、姫様は、わがままを隠すのが苦手だ。
「理由は、言いたくない。だけど……もし、セキナがよければ……」
 ディアンシーは、目線を下に向けた。
 セキナは戸惑いの表情を見せる。が、それも一瞬のこと。
「わかった。じゃあ、今日はもう遅いから、明日の朝に出発しよっか」
 なんだかんだいって、姫様のわがままに応えてくれる。今だけではない。これまでだって、快く、あるいは仕方なさそうに、わがままを受け入れてくれた。
 自分のわがままに、ちゃんと応えてくれる――そんな存在は、故郷に誰ひとりとしていなかった。皆、姫であることを強制し、いくら違うと言っても、メレシーと同じ生活――数億年も、あの洞穴の中で眠り続けることを押し付けられた。
 だから、あの故郷から逃げ出したのだ。
 程なくして、その身を狙われるようになった。しかし、そんなことはどうでもよかった。
 故郷の皆は、あの洞穴に押し止めようとしてきた。だが、彼らは洞穴を脱け出してから、1度たりともディアンシーを追ってくることはなかった。所詮は、その程度の存在だったのだろう。
 おかげで、こんな故郷に未練などなかった。どころか、「二度と帰るもんか」と心に誓い、追っ手から逃げる――外の世界を自由に駆け巡る楽しさに耽溺したほどである。
 そのうち疲れ果て、生き倒れていたところを拾ってくれた相手が、自分のわがままを聞いてくれる相手だ、なんて、甘い夢は見たこともなかった。
 しかし、夢で終わるどころか、実現している。
 だから、真反対の者を嫌悪しているのだろうか? あの時、故郷で最も多く接した相手は、こんなことをほざいたのだ。

『あのトレーナーは、信頼できないのであります』

 全力で反抗した。

『私は、メレ爺とは違うのよ! いちいち価値観を押し付けないで!!』
『っ……うるさい! うるさい……うるさい!!』

 自分のせいでセキナが侮辱されたことが、どうしても許せなかった。あの時のテレパシーは、絶対に、セキナにだけは聞かれたくない。

『もっともっと強くなって、タナボタ団なんて撲滅だーっ!』
『あれ? フェアリータイプはドラゴンタイプに有利……なんだよね?』

 最近、自信と知識をつけてきたセキナの心を、折ることになってしまうから。

『そんなに言うなら、いいよ。後で「思ったより弱かった」ってなっても知らないからね』

 旅立った当初は、あんなに弱気だったのに。
 それ故に、

『理由は、言いたくない』

 嘘は吐かず、真実を隠したのだ。



 次の日の明け方。
 セキナは、寝ぼけ眼をこすりながら、出発の準備をしていた。右の頬には、包帯が巻かれている。昨夜、ジュネが巻いてくれたものだ。そのうえ、彼女の家の泊めてもらうことになった。
『この傷で野宿は危険だし、元々泊めてあげるつもりだったから、全然気にしないで! ここ、ポケモンセンターもないし、久々のお客さんってだけで、私も嬉しかったもの!!』
 こんなに歓待してくれたのに、すぐに出発することに、罪悪感が湧く。それでも、昨日のディアンシーの様子を思い出せば思い出すほど、決心は強固になっていった。
 そのディアンシーはといえば、昨晩からずっと、モンスターボールに籠もりっきりだ。いつもなら、できる限りボールの外にいて、セキナの隣で何かを話しかけてくれるのだが……少し寂しい。
 しかし、1人だけだと、準備も早く済んだ。
「これでよし、っと」
 セキナは、バッグの蓋を閉じた。そして、すぐにそれを肩にかける。
 見送りも同伴者もいない、たった1人の出発だ。普通のトレーナーにはありふれたことなのだろうが、幻のポケモンを連れたトレーナー・セキナには、初めてのことだった。
(私、何かと恵まれてたのかな?)
 セキナは、1人になってようやく気づいた。
 時に助け合い、時に競い合う友達。困った時に頼られてくれる、大人達。自分を慕ってくれる後輩。まだ始まったばかりの旅の途中でも、多くの人に助けてもらった。
 そもそも、博士からポケモン図鑑をもらえていなければ、旅に出ることすら叶わなかったかもしれない。それから、戦友に捕獲のし方を教えてもらったり、親友と共闘したり、全力でぶつかり合ったり。後者は、恩師の計らい(というか、計略)がなければ、実現が遅くなっていただろう。また、その恩師に巻き込まれたおかげで、結果として、母校の後輩とも仲良くなれた。
(うん、大丈夫。私には、きっと、みんながついてる!)
 寂しがってはいられない。視界にいなくとも、仲間が力をくれるから。
 罪悪感は拭えてないが、セキナは書き置きを残しておいた。

『昨日はありがとうございます。ジュネさんのおかげで、本当に助かりました!
 今度来る時は、もっとゆっくりしていきますね。

 セキナ』

 最後の1文は、決して建前ではない。バトルを申し込んでくれた少女とちゃんと戦いたいし、この村を訪れるポケモンも、もっと見ていきたい。そして……ディアンシーが許してくれたら、彼女の故郷のことも知りたい。
 村と道路との境まで来た時、そんな前向きな想いを胸にし振り返った。しかし、すぐに再び前を向く。

 そして、次の道路へ足を踏み出した時、
 セキナの露出した肌に、砂混じりの風が吹きつけた。

■筆者メッセージ
 サブタイでしかふざけられなかったのが、すごく悔しいです←
つるみ ( 2017/07/02(日) 20:45 )